表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の華  作者: 小梨 真
6/22

第6部

 その日も、燐は黒房にすがって、婆が今、どのような容態かを一目で良いから見たいと何度も申し出ていた。

 黒房は寝床から起き上がり、侍女と燐が手伝い着物を着つける間、考えているようだった。

 燐は自分の執着を承知してはいたが、黒房にそれを疎ましく思われようとも、あの日の赤黒く染まった婆が頭から離れなかった。婆の視線を感じるように毎日目が覚めた。だがいつも眩しい光と、小さな鳥のさえずりと、黒房の横顔がそこにあった。

 その度に燐は言い知れぬ気持ちに陥る。

 燐が着付けを終える頃、侍女の一人が簾の向こうから話しかけた。

「黒房様が表でお待ちでございます。」

 燐は弾かれるように、簾を開け足早に表へと向かう。貴族の振る舞いにあるまじき燐に、侍女たちは冷たい視線を燐の背に向けて後に続いた。

 燐が黒房の前まで来ると、微笑みを浮かべ黒房は北の屋敷へ詣でようと言う。燐は涙ぐみ、黒房に頭を下げた。

 広い敷地を黒房と供の侍女たちと黙って歩く。

 余り表へ出ない燐はそこかしこに広がる庭や屋敷に戸惑った。黒房についていかなければ、自分の屋敷にさえ帰れないような気がした。

 幾分か歩き、黒房は足を止めた。

「ここぢゃ。」

 小さな屋敷がある。敷地の一番北に面した場所だった。

 中へ入ると、周りを廂で囲まれた広い部屋が一つあるだけで、他には何の部屋もない。全ての格子戸が締め切られ、部屋の簾もみな下ろしてある為、中は暗く、中程で焚かれた火で調度品の陰が大きく揺れながら浮かび上がっている。

「先程祈祷が終わった所じゃ、婆様はほれ、あそこで寝ておられる。」

 燐は静かに部屋に入った。

 部屋の真ん中には土敷きが敷かれ、婆はそこで眠っているようだった。その周りは注連縄と四手紙とで結ばれていた。火はその外側で焚かれている。

「婆様。」

 恐る恐る燐は声を掛けた。しかし婆からの返事はない。

「婆様。」

 次は声を張り上げた。そうして近づこうとした燐の腕を周りの三人の侍女たちが慌てて掴む。

「お放し下され。」

 燐は身を捩って彼女たちの手から逃れようとした。しかし誰一人掴んだ手を離そうとしない。燐が暴れれば暴れる程、その力を強めた。黒房は叱る様に言う。

「ならぬ、燐姫。まだ婆様は物の怪に取り付かれておるのじゃ、強い霊気の持ち主故、なかなか物の怪が離れようとせぬ。」

 燐は青白い顔で黒房を振り返る。頬は濡れて、横髪が顔に垂れ下がっていた。

「・・・何ですと。」

「辛いであろうが、今はまだ近づいてはならぬ。お方の為にもようない。」

 燐は袂を引き寄せ、嗚咽を上げ、泣き始めた。侍女たちは燐の背を撫でながら黒房を困惑した表情で見詰め、指示を仰いだ。

 彼はこちらを見つめていたが、両手を燐の方へと差し伸ばす。

「さぁ、こちらにおいで。」

 燐はその様子を虚ろに見たが、迷わず黒房の手を取って胸に顔を埋めた。嗚咽を上げ、声を震わせながら黒房に懇願した。

「婆様を、婆様をお助け下さいませ。」

「優れた祈祷師ばかりじゃ、気病む事はない。また、婆様の様子を見に参ろう。お前達、燐姫をお連れ致せ。」

 侍女達は未だ黒房にしがみ付く燐を宥めて、屋敷から出て行った。燐は黒房を名残惜しそうな目で見つめていたが、やがて項垂れて戻っていった。

 黒房はその姿を見送ると、待機していた侍僕達と屋敷の扉を閉めて外に出た。暗さに眼が慣れていた為、黒房は袖で日を翳した。

 空は晴れ渡たり、近くで召使達の話し声が聞こえる。松の木が何本か植わっている赤土の上には何羽かの小鳥が降り立って、地面を忙しくついばんでいる。黒房が足を踏み出すと、慌てて飛び去り、また少し離れた所に降り立って小さく囀った。黒房は冷たい空気を吸い込んでから、ははっと笑い声を発てた。今まで黙っていた側近の実咲が黒房の隣に来ると、燐が姿を消した屋敷の方を見つめながら黒房が言う。

「珍しい鳥であろう。都でも手に入らぬものはあるものじゃな。」

「あれがお噂の小鳥でございまするか。それにしてもよう手なずかされましたな。ついこの間まで愚痴をおこぼしになられておいでだったでしょう。」

 実咲はそういって面長な顔に笑みを浮かべた。彼は黒房の乳母の子供で、黒房の幼い頃から側に仕えている。身長が他の男より高く、がっしりした体格であったが、性格は温厚で、その屋敷には猫を一匹飼っていた。

「何にせよ、あの婆様のお陰じゃ。」

 黒房は北の屋敷を振り返り笑みを浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ