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黒の華  作者: 小梨 真
21/22

21話目

かなりグロいシーンがありますので、お嫌いな方はお控えください。

 鼻を掠める奇妙な匂いに、黒房は意識を取り戻した。

 鈍い痛みを感じながらも身体を起こし、辺りを見回す。

 完全に焼け落ちた屋敷を見詰めながら、悪夢を見ていた訳ではなかったと茫然とする。ただ、燐や夜叉の姿はどこにもなかった。あれだけ火にまかれ死んでいった兵士も侍女の姿もなかった。ただ一人、燃え尽きた屋敷の前で座り込んでいる。

 

 強い風と共に土煙が舞い、黒房は袂で顔を覆う。

 

 もう一度、顔を上げてもやはり同じ景色。一片の音もない静寂。この屋敷の惨状に驚き誰もここに近寄ってはこないだけなのだ。黒房はこの場を去りたいと思った。

 叔父の屋敷へ行けば自分を保護してくれるだろう。藤原家とつながる叔父は強い権力がある。

 

 立ち上るが足元がふらつく。身体が熱い。左腕が痒い。

 

 黒房は左の袂をたくし上げて腕を掻き毟った。瞬間違和感でとっさに手を引っ込めた。左腕に四つ穴があいている。自分の指が喰い込んだ跡だと分かるまでにそう時間はかからなかった。黒房は恐る恐る左腕に触れる。まるで水を吸い上げた麩のようにぐずぐずに柔らかい。四つの穴から血が混じる膿がじわりとにじみ垂れてくる。先程鼻先を掠めた奇妙な匂いが強く香り、自分自身がその匂いを発している事に戸惑った。

 

 うろたえた声が漏れる。右腕を確認して赤紫の出来物が無数に出来ている事に弱々しい悲鳴を上げた。

 左二の腕には噛まれた跡がある。周りは青く変色しており、周りに広がっていっている。

 

 燐姫が噛みついた跡だ。


「おのれ、あの化け物の歯には毒があったのか」

 黒房は苦痛と悔しさに顔を歪める。脚を見る勇気はなく、ただゆっくりと叔父の屋敷がある南を目指した。

 


 ほどなく歩くと額に脂汗がにじみ始めた。右脚が痛み引き摺るように歩き続ける。歯を食いしばると、口の中で砂をかむような音がした。

 

 歩く黒房の頭に燐の言葉が巡る。


 『腐食するお方様は、共に孤独と失望を感じ、やがて朽ちてゆく苦しみを選ばれるか』


 「おのれ、おのれ」と黒房は繰り返すことしかできなかった。


 左腕が何かに引っ張られた。慌てて見ると肘から下が腐り落ちかけていた。骨が露出し、自分の腕にも関わらず黒房は嗚咽を堪えることが出来なかった。

 

 恐怖で視界が揺らぐ。京の道行く人々は自分を恐怖か好奇の目で見ている。黒房は震えながら「誰か、助けてたもう。わ、我は左京に住む貴族、黒房ぞ。助けてたもう。のちの生活は優遇するぞ」と精いっぱいの声で言うが、誰もが異臭に眉を顰め、顔を背けた。それどころか多くが逃げていく。


 周りの屋敷で門がしまっていく音が聞こえる。


 「誰ぞ手を貸さぬか。我はあの藤原家とも繋がる家ぞ」


 黒房の腕がぼとりと落ちた。残っていた者もみな悲鳴を上げて逃げてった。黒房の意識はとうに可笑しくなっていた。顔から腐敗して流れる皮膚は汗だと思っていたし、着物が乱れていくのは燐に慄いたときのせいだと思っていた。


 叔父の屋敷についた。


 門番は大声を上げて屋敷に入っていく。黒房は「我は黒房、叔父上に会わせろ」と叫ぶ。

 黒房はそう言ったところで座り込んだ。息をするたびに嗚咽が漏れるほどの腐臭がする。右腕の出来物は音を発てて弾けていく。その度に膿があたりに散った。

 ほどなくして、叔父の頼咲が刀を持ち姿を見せた。元々肝の座った男として名高い頼咲は、門番が話す「鬼」をこの手で打ち捕るつもりで出てきたのだ。だがそこにはずぶずぶに皮膚が腐敗する男が茫然と座っている。

 

 黒房は叔父に気がつくと、弾かれるように顔を上げ、叔父の足もとに這い寄った。


「叔父上殿、黒房にございまする。物の怪が、我が屋敷につき申した。燈江はとり殺され、我もこのような呪いを。どうか祈祷師をお呼び下され、我は呪われただけ、怨霊さえ抜ければこのような醜態な姿も治りまする。燈江の無念、我は絶対に許さぬ所存に」


 黒房が言い終わる前に頼咲が口を開いた。


「お主が黒房と。その証拠がどこにある。怨霊を受けた者を我が屋敷に容易く入れるとでも」

「叔父上、我の顔を忘れたと申されるか」

 

 頼咲は眉を顰めた。前に伏せる男の顔は皮膚が溶け、腫れ上がった瞼で誰かも分からない。例えこれが黒房であったとしても、自分の屋敷に入れるなど、到底考えられない。


「知らぬ。この場から消えろ」

「…なんと、申されたか」

「我は燈江の叔父ぞ。お主が仮に黒房であろうと、このような醜悪な者を屋敷に招くなど阿呆者のすることぞ」


 黒房は自然と身体が震えるのが分かった。それが恐怖、怒り、憎悪全てを含んだものだと感じ、絶望を噛みしめた。


「ならば、ならば、せめて情けとして、我を切り捨て殺してたもう。我が怨霊にまかれその身を落とす前に、その刀で首を落として下され」

 

 黒房は伏して泣く。黒房は自分の姿にも、全てに拒まれることにも耐えられなかった。ましてや自分がこのまま物の怪になってしまうのではないかという恐怖からも逃れたかった。

 

 頼咲は強くはっきりとした声で言う。


「奇怪な輩を、我が名刀で切るなど。この刀ですらお主のように腐り落ちたらどうしてくれる。今すぐここから立ち去れ」

 

 頼咲はそれだけ言うと踵を返し、後ろに控えていた兵士たちと共に屋敷に戻って行った。黒房は叔父の名を叫び続けた。だが門がゆっくりと閉まり、その声は完全に断ち切られた。 


今回で完結するかと思いましたが、ダメでした・・・。次が最終話になる予定です。もうしばらく、お付き合い頂けたら幸いです。

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