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黒の華  作者: 小梨 真
19/22

19話目

「どうもご気分が優れぬ御様子、やはり野生の鳥は飼い慣らせませぬか」

「こうも婆様の話ばかりではな」

 

 黒房は物忌を済ませ、屋敷に向かっていた。牛車の中で背をもたらせ、牛の歩みに身体を揺らす。同席する実咲は目じりに皺を寄せて笑う。


「もうお飽きになられたか」

「手に入れてしまえばどの女子も同じじゃ」

「相も変わらず酷いお方じゃ」


 実咲が簾に目を向けたその時、屋敷の兵士の声が響いた。


「お戻り下さりませ」


 何人もの慌しい足音が近づいてくる。牛車の簾をたくし上げ黒房は叫んだ。


「何事か。」

「物の怪にございます」


 屋敷から走り出てきた兵は、額に大粒の汗をかき、身体を震わせて叫んだ。

 牛車の歩みが止まり、黒房たちは外へ出た。

 物忌の屋敷を出た時は晴天だった。だが、外に降りた時、黒房は夜になってしまったのかと錯覚するほど、暗雲が立ち込めていた。

 屋敷の方からは息が苦しくなるような、鈍く重い雰囲気が漂っている。

「これは」

 黒房はそこまで呟いて、屋敷の門に目を向ける。門の前に一人の女子が立っている。一目で燐だと気がついた。

 弾かれるように燐めがけて黒房は走り出した。兵士や実咲の制止も無駄だった。


 自分でも分からないが、これが燐の仕業だと確信していた。そうすると猛然と腹が立った。燐になんの面白みも感じられない今となっては、屋敷に不要な存在のこの女が心底憎くなった。


 屋敷に入ると、燐の姿が煙のように消えてなくなった。肩で息をつき黒房は辺りを見回した。兵士たちがたじろきながら門を見上げていた。黒房もつられて振り返る。

 正門の上に、紅い鬣の夜叉が尾を振り上げ、低い体勢でこちらを見ている。雄夜叉のその背には、額から二本の角が伸びた燐姫の姿があった。「ひぃ」と悲鳴を上げて黒房は尻もちをつく。  


 燐姫は夜叉の背に凭れかかりながら、黒房に微笑みかける。


「黒房様、妾は父上と共にお方を迎えに参りました。神社はお方にとって大変見苦しい場所でございましたでしょう。でも安心下さりませ、お連れするのは、父の住む夜叉の御殿にございます」

「何を訳の分らぬことを」


 唇が震えうまく言葉が出てこない。気力を振り絞って立ち上がるが、北の屋敷で婆を見た時同様、震えで身体が動かない。

 そこに突如、女の笑い声が響いた。けたたましく狂気を帯びた声に、とっさに黒房は屋敷を振り返った。

 廊下を歩く女房の姿だった。はだけた着物のまま頭を左右に振り、ぼさぼさの髪で大股に歩く。その間も女房は甲高く笑い続け、豪華な小袿着を右手に持って、引き摺り回している


「燈江様、燈江様が自ら腹を切られた。生暖かくて、血なまぐさくて、妾の上で亡くなった。妾の上で亡くなった。ひひひひひ」


 抑揚をつけた大声を張り上げて楓は言う。だがそれは誰に言う訳でもなく、天井を仰ぎ見ながら繰り返しているだけだ。そうしてまた甲高く笑う。

 呆気にとられていた黒房だったが、燐の楽しげな笑い声で我に帰り、正門を仰いだ。


「燈江をどうした。何をした」

「何も。婆様が折角美しゅうして下さりましたのに、お気に召さず、自害なされた。憐れに思いまする。ご自分の心の醜悪を見詰めることも出来なんだ」

「意味の分からぬことを申すな。燈江はどこじゃ」

「黒房様、妾と共に御殿に参りましょう。父上の背にお乗りになればすぐに着きます故」

「断る」


 黒房は怒りに震えて声を張り上げた。


 燐姫は心から淋しそうに顔を歪めた。半妖の姿になっても潤んだ瞳は美しく、伏せ目がちにしたその睫毛が震えていた。だが一瞬だった。次に顔を上げた時、燐姫の目は紅玉のように光っていた。


 追いかけてきた実咲が正門をくぐり黒房に走り寄ろうとした時、夜叉の野太い雄たけびが暗雲の中に響いた。


 空が青く光った。光の強さで静寂が恐ろしいほどに際立った。皆目を瞑る暇もなく、続けざまに、鼓膜が破れるほどの轟音と地鳴りが襲いかかった。

 

 あちらこちらで、悲鳴が上がった。いつの間にか地面に伏していた黒房は、身体を起こして実咲を見た。だがあるのは焼け焦げた亡骸だ。突き出た両腕は赤黒く焼けただれ、焦げた着物から煙が上がっている。確かにそれは実咲が着ていた着物だった。黒房は完全に腰を抜かし、助けを求めるようにあたりを見回した。


 そして屋敷を見て大声で叫んだ。


 燃えている。屋敷がいつの間にか炎に包まれている。兵士たちも女房たちも炎に巻かれ、転げまわるものや、そのままの形で息絶え燃え続けるものもいた。黒房は茫然とそれを見詰めることしかできなかった。

 天井や柱が燃え落ちる音が雷のように聞こえる。

 

 熱い。息をすれば喉が焼けてしまいそうだ。頬も熱風でじりじりと痛む。


「どうして、どうしてこのようなことを」


 黒房は呟く。その声は消え入るように小さいものだったが燐はそれに答える。


「どうして、とな。お方様はお忘れか。妾を奪う時、同じことをなされたであろうに。こうしなければお方様は妾の元には来て下さぬであろう」


 夜叉と共に、燐姫は正門から飛び降り、黒房の前にゆっくりと歩み寄った。なすすべもなく黒房は尻をついたまま、震えていた。

雄夜叉は唸り声を上げ、前足で地面をかきながら、黒房の喉笛を噛み切る勢いだ。燐は揺れる夜叉の鬣に顔を埋めて、それを制する。

 顔を上げた燐姫は愛おしそうに黒房に微笑みかけた。


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