17話目
化粧を施される間、燈江は秘色に燐姫の話をした。
他の侍女同様、大袈裟に話を膨らませた。秘色が頬に白粉を塗る、刷毛の一定した間隔の心地よさや、化粧師にさらなる自分の美しさを引き出されると言う期待と満足感で燈江は満たされ、饒舌だった。
秘色はそれに相槌を打ちながら、燈江に紅をさす。
「あの時の燐姫の顔、現実を知った絶望で唇は青くうち震えておったぞ。今も裏切りに打ちのめされているのじゃろう。終いには自分自身の愚かさを呪ってとり殺されようぞ」
燈江は紅が取れないように、口をすぼませ肩で笑う。
塗り箱に紅の筆を収めながら秘色は「余りおっしゃりますな、燈江様。お方にまでその恨み、這いよってくるやもしれませぬぞ」とじゅんじゅんと諭す。
微かに燈江の眉が寄る。じっとり二人を見詰めていた楓はそれを見逃さなかった。
「化粧師ごときがその様な口を」
吐き捨てるように楓が言う。
「公家のお方の化粧をしておりますと怨霊の話を度々耳に致します。その呪いはどれもかれもが、げに恐ろしく、燈江様にはご忠告をと」
秘色は深々と頭を下げる。
「燈江様には関係ないこと。燈江様の周りで何を絶望することがあろうか」
楓はそう言って、いつものように上目づかいを燈江に向ける。燈江はその視線を受けることもなく、毅然と澄ました顔で開け放たれた格子戸の外を眺めている。
秘色は最後に燈江の髪を丁寧に梳き、道具を全て塗り箱に収めると「これにて終いにございます」と頭を下げた後、楓に視線を向けた。
楓は燈江を見詰め、心からの感嘆のため息をついた。
「燈江様、何ともお美しゅうございます。一層の御美しさ。楓は失礼ながらこの秘色を軽視し過ぎたようにございます」
「そうか」
燈江は上ずった声をあげた。笑みをこぼし、秘色に袖を振った。
「下がれ、御苦労であった。礼を表の者から受け取れ」
秘色は礼を述べ、頭を下げた後、簾の向こうに姿を消した。
「楓や、鏡を持って参れ。どれほどのものか妾も確かめたい」
秘色が燈江の傍つきになることを懸念していた楓だったが、それも取り越し苦労だったようだ。万弁の笑みを浮かべ、燈江の前に鏡をかざした。
途端、燈江の顔が一瞬引き攣ったかと思うと、仰け反るように後ろに倒れ込み、声を上げることも出来ない様子で身体をわなわなと震わせた。
「これはなんぞ、化け物が映っておるぞ。楓、楓、祈祷師を」
余りの狼狽ぶりに楓も辺りを見回し、鏡を恐る恐る覗いてみるが、そこには自分の顔が映るばかりだ。もう一度、恐怖する燈江の顔を映し、それを見るがそこに映るのは美しく化粧を施された燈江が映っている。
今までにないほど、はかない燈江の姿は楓の目には一倍可憐に見えるのだった。
「燈江様、落ち着き下さりませ。鏡には燈江様の姿が映っております」
「妾、これが妾とな」
「化け物などと。良くよくご覧下さりませ、こんなに美しく」
楓が言いかけると、燈江は金切り声をあげて近くの脇息を投げつけた。
「これが妾と申すか、この醜悪な生き物が、妾と申すのか」
燈江は梳かしつけられたばかりの髪を振り乱し、手当たり次第物を投げつける。楓は逃げまどい、何が起こったかも理解できずに叫んだ。そうして部屋の隅で身体を震わせ恐れと困惑をなした目を燈江に向ける。
燈江が見たのは、余りにも劣悪極まりないものだった。
顔中に鱗のように瘡蓋が出来、ところどころから膿が流れ出ている。
自慢だったつり目の半分を目脂が覆い尽くし、唇は割れた無花果のように腫れ上がり、腐り落ちかけていた。
耐えきれず顔を覆おうとした手は老婆のようにささくれていて、その震える両手をまじまじと見つめると、焼けただれたような跡から皮が剥がれて紅い肉が見え、悪臭さえする。
両手の至る所に水膨れがどんどんと現れ始めた。
楓はそれを自分だと言う。こちらに蔑んだ、憐れんだ目を向けている。やはりこの醜い姿は現実なのだと燈江は確信した。
瞬間溢れる怒りと絶望に、両腕を上げて宙を掴むように「おのれ、あの女。秘色を呼び戻せ」と燈江は屋敷に響き渡るほどの大声で喚き散らした。