16話目
燈江は女子を集めてあの日の出来事を毎日のように話し、高笑いを繰り返していた。誰一人、辟易した顔も見せずに毎回喉を震わせていた。
楓は絶妙な間を持って燈江の喋りに誇張した描写を混ぜ込んだ。
「ほんにあの悔しさに歪めた燐姫様の顔。笑いを堪えるのが大変でございました。肩を震わせ。そうそう走り回っておいでのようで、黒房様に頂いたお召物が台無し」
「黒房もさぞや落胆するであろうな。買い与えた着物で土の上を走り回るなど。女子がなすこととして余りに野蛮で嫌悪さえ感じだぞ」
燈江は口の端を歪めて皆に目配せする。
「貴族の女子ではありませぬもの。山に住んでいた頼りのないお方。私どもには分からぬ粗野な場所。野蛮にもなりましょうぞ。大目に見て差し上げたらいかがでしょう」
「まあ、それは可笑しなお話。幾らあのような場所に住んでいようと、女子である以上余りに目に余りましょうぞ」
「貴族一と謳われる燈江様にとっては耐えられぬ素行。わたくしがその場にいましたら楓様のように笑いを堪えることなど」
女たちは口々に言い合う。
燈江は陶酔しきった気持ちで、あの時の燐の顔とさして美しくもなく自分に媚びへつらうこの女たちを見下すことで今までにないほどの快感を楽しむ。
これが現実だ。後ろ立てもなく、身寄りもなく、教養も栄華も知らぬ女。ただ美しいと言うだけの女。今頃それを痛感し消え入る気持ちで過ごしているだろう。
そうだ、そのまま現実にとり殺されろ。
燈江は心の中で念ずる。
自分はあんな女に何を恐れていたのか。嫉妬していた自分が恥ずかしくさえ思えてくる。美しく気高く誰より優れた女は自分の他にいるだろうか。
そこに一人の侍女がやってくる。冷たい視線を向けられる中深々と頭を下げる。
「都より燈江様にお会いしたいと申されるお方が」
「誰じゃ」
燈江は低い声で問う。興をそがれたことが面白くない。
「それが、化粧師と申すのでございます。今都で流行りのお方とか。頼咲様からのお召しで参られた次第だと」
侍女は持参していた黒い漆喰の塗り台を掲げ出す。文が載っている。
楓はそれを素早く受け取り、まるで自分が受け取ってきたもののように上目づかいに燈江を見詰め差し出す。
文の字は燈江の叔父である頼咲のものだ。叔父の好意であれば無下には出来ない。流行りの化粧師と言うのも気にかかった。
「皆、少しばかり下がれ」
女どもは手をつき、早々に部屋を後にする。燈江は傍つきに楓だけを残して化粧師を招き入れた。
卯の花の袿に結髪姿の女が現れ、頭を下げる。
「化粧師の秘色と申します。公家の女子様に化粧を施して回ることを生業としておりまする。この度頼咲様より燈江姫様の化粧を承りました」
「秘色とな、また頼りのない名前じゃ」
驚いた声を楓は上げた。
顔をあげた秘色を見て燈江はなるほどと思う。印象にも残らないほど趣もない平凡な顔立ちの女に、限りなく薄い青である秘色という色は余りにも当てはまる。
秘色は塗りの重箱を広げて見せる。中には数多くの白粉や紅、眉墨、果ては香までが収められていた。
「どれも高価な、公家の女子様のみが使われるものにございます。中でも流行りのものを取りそろえておりまする」
秘色はそう言いながら、一つの白粉の包みを広げ、その横に蛤に入った紅を置いた。
「こちらが新しく手に入れました化粧でございます。都ではまだ誰も使ったことはございませんでしょう」
白粉の包みを秘色はうやうやしく燈江に見せる。簾越しの強い日に照らされた白い粉末は時折金色の粒子を反射させた。余りの美しさに見惚れた楓と燈江は小さい声をあげた。
燈江は持っていた扇子で秘色を招く。
「近うへ。叔父上の好意、無下には出来まい」
秘色は鏡を燈江の前に置き、自分の塗箱を丁寧に並べ、今ほどの白粉を碗の中で溶かす。
秘色の卒ない動きを燈江は面白そうに眺める。道具を全て綺麗に並べ終わった秘色は「失礼いたします」と燈江の頬に触れた。
「まことに、噂通りのお美しさ。白く柔らかなこの頬など他に比べるものがございましょうか」
秘色の声は熱を帯びて燈江の耳を震わせる。秘色の冷たい指が触れるたび、燈江の心は自尊心と快感が溢れ出るようで、笑った声も上擦らせる。
化粧を施され始めた燈江のそばで秘色を恨めしげに楓は見詰めた。