アオギリ
神成という、なかなか大仰な名字のともだちがいて、ぼくたちは、その子のことを「カンナ、カンナ」と呼んでいた。カンナは、いつもその名字を重そうに背負って、申し訳なさそうに生きていた。あらゆる出会いの、まず最初の儀式として、カンナは、ほとんどの人から「名前負け」の無言の視線を浴びていた。
カンナは、優しい子というより、ひたすら穏やかな子だった。そして臆病だった。誰かにいつも優しくしたいと想っているのに、自分の親切は相手の感謝と全く同値・もしくは相手の感謝のほうが大なりという確信を得ないと、親切に踏み切れないで居た。だから、もしかしたら、カンナは、とても不親切に見えただろう。カンナは臆病で慎重なだけなのだ。
カンナが愛したのは、ただひとつ、庭に根を張る巨木であった。神成の家は、ふつうの民家だが、小さな庭に不釣り合いな立派な巨木があった。庭はそれでもういっぱいいっぱいで、パンジーやゴールドマリーが詰まったプランターとか、朝顔の鉢とかは、追いやられたみたいに、塀の角の隅っこに、しょんぼりして密集していた。
カンナの愛はとても謙虚だった。なんの見返りも求めないし、押しつけがましくもなかった。当たり前のことをするようにして、体中で愛を注ぐようだった。
ある夏の日、遊びに来たぼくたちに、カンナは、巨木のそばまで来るように言った――これはとても珍しかった。カンナは、ぼくたちですら、普段その木に近づけてくれなかった――そして、幹に耳を当てて御覧、と言う。その巨木は、乾いた表皮を持っていて、苔むし、枝のすきまには虫や、虫の卵の殻みたいなのが巣くっていて、ぼくは正直うろたえたのだけど、カンナの言うとおりにした。ごわごわした表皮が、耳たぶをこすり、ぼくたちはじっと、何が起きるのか待った。
だけど、ざわざわと葉っぱが揺らぐだけで、なにも起きなかった。カンナの意が汲めず、ぼくたちは困惑したが、カンナは別に、満足したように、微笑むだけだった。
カンナはいつも、その木に塩水をやった。ぼくたちは最初びっくりして、なんてことをするんだろう、枯らす気か、と想ったけれど、カンナの仕草があまりに慈悲に満ち、また、その巨木もそれで、葉っぱを瑞々しく保つのだから、おそらく、彼らのコミュニケーションは、普通のそれより、特殊だったということだ。
――この木はね、その昔、海と生きていたの。
カンナはじょうろにたっぷり詰めた塩水をまき散らしながら呟いた。毎日そうするので、巨木の周りの雑草は枯れ果てて、土はひび割れていた。
――だから潮水が好きなの。毎日、海とキスをして、潤っていたの。
引っ込み思案で、もちろん、恋愛とは無縁なカンナの薄い唇から、するりっと「キス」という単語が出るのには驚いた。カンナは、「見て」と、巨木の上の梢を指さした。塩水で荒れた指先の爪は割れていた。
――あのあたりに、鎖の跡があるの。かつてあそこに、森の神様が掴まっていたの。それを、助けにきた、海の神様は、ひからびるまでずっと、動けない森の神様のためにそばにいたの。
――へえ。
――だから、今でも、この木の幹に耳を澄ませると、潮騒の音がするの。
それは葉っぱのさざめく音じゃないかしらん、と想ったけれど、カンナの顔はまじめくさっていたので、ぼくたちはなにも言わなかった。カンナの愛は侵しがたい。とても神聖で敬虔だ。そのころ公園で転げ回って遊ぶような歳だったぼくたちだが、そこのところは、カンナを落胆させるような愚を犯さなかった。
――この木、なんていう種類の木なの、カンナ。
――アオギリ。青桐じゃないの。「里を仰ぐ」で、アオギリ。神成のご先祖様が、海の神様をお慰めしてこういうふうに付けたんだって……。
カンナの家の、小さな庭には、森の神と海の神の二人がいるわけだった。ぼくたちは、そのとき、神成の名字はけして、カンナに重すぎるわけじゃない、と理解した。むしろとても正当で妥当なものだと思えた。その上にあぐらをかくでもなく、謙虚にアオギリを愛するカンナは、充分に神成を背負う資格があった。
夏休み、ぼくたちとカンナは臨海遠足に参加することになって、学校の校庭に出発の朝に銘々リュックを背負って集合したわけだが、カンナはそのとき、ぼくたちの全員に、透明な瓶を配った。それらは、ジャムの空き瓶だったり、酒瓶だったり、薬の空き瓶だったり、いろいろだったが、ラベルはきれいに剥がされて、かつての役割は、カンナの手ですっかり洗浄されたあとだった。
カンナは、それに、海の水を入れて持って帰ってくるのを手伝ってほしい、と言った。カンナはこの旅行が初めての海だった。初めてちゃんと、アオギリに海の水をあげられる。でも、ひとりじゃ量はたかが知れている。だから手伝ってほしい。そういうことだった。
ぼくらは断る理由もなくって、それを受け取り、ぱんぱんにふくれたリュックに瓶をねじ込んで、海辺へ向かうバスへ乗り込んだ。
おもえば、ぼくたちがそれを拒んでいれば、カンナはあんなことにはならなかったかもしれない。そんなのに水を詰めて帰るんじゃなくってさ、思い切り海で泳いで、遊んで、海のものをたくさん食べて、身体に海のにおいを染み込んで帰ろう? そのほうが、きっと、アオギリもうれしがってくれるだろう、そんな、小さな瓶に多少の潮水よりも、ずっと。――そういうふうに言えば良かったのだ。
カンナはその臨海遠足の途中、時化た海へひとりで行って、結局二度と帰ってこなかった。
バスが海辺へ着いたときから、突然低気圧がやってきて、予想外の荒天となってしまい、せっかいの遠足は台無しだった。もちろん海へは入れなくて、それどころか、ひどい風雨で外にも出られなくって、ぼくらは宿舎の畳の部屋で、ひたすら何時間もトランプで時間を咀嚼せねばならなくなった。リュックにつめてきた大半の荷物が――タオル、水着、ゴーグル、シュノーケル、クラゲに刺された時用のアロエ、日焼け止め、そして、カンナの空き瓶――無駄となってしまった。
ぼくらは、まあ、しょうがない、と、大人しくトランプで遊んでいた。カンナが残念がっていたのは知っていたが、じっと黙って部屋の隅で何かを考えているカンナを置いて、トランプを楽しんでいたぼくたちは、カンナが空き瓶ごと消えているのに気づかなかった。
たくさんの大人が、荒れる海のなか、カンナを探したが、とうとうぼくたちのカンナは見つからなかった。
それから何年も経って、神成の家は人手にわたり、次の住人は、アオギリの事情も神秘的な恋物語も何にも知らず、カンナの愛したアオギリは、駐車スペースのために、切り倒されることになった。
ぼくらは、そのことを聞いて、誰かが声をかけるでもなく、みんなで集まって、海へ向かった。カンナが消えた海だ。そこで、瓶に海水を掬い、詰めて、急いでまだ新住人が越してくる前の神成の家へ行き、アオギリの根本へ注いでやった。カンナがいなくなってからのアオギリは、急にしぼんで、巨木から老木へなっていた。
全ての海水を与えてみてから、ぼくらは、かつてカンナに言われたように、アオギリの幹に耳を寄せた。それは死にゆくアオギリの、最後のあえぎのような、鼓動を看取る、儀式で、
そのとき僕らの耳には、確かに潮騒が聞こえた。濃厚な海の匂いがし、寄せては返す波の気配がし、そして、じょうろで塩水をまき散らすカンナの息づかいまで聞こえた。
その夜、こんな夢を見た。
森の最奥の大きな大きなアオギリの木に、ひとりの青年が繋がれている。両手首に鎖の手錠を打たれ、それを幹にはりつけられ、両眼には目隠しを巻き付けられ、両脚にも錘が繋がれている。彼は黙って、じっと辱めに耐えている。途方もない年月をそうして過ごす。
ある日、青年の元へ、少女がやってくる。「おにいちゃん」と、青年のことを呼び、「会いに来たの」と言った彼女からは、潮のにおいがした。心臓の音は潮騒に似ていて、髪の毛は透き通った水色をしていた。彼女は、繋がれた青年にキスをして、互いに水分を分かち合う。
「お兄ちゃん」を繋ぐ鎖をほどこうと、鉄の錠をいつまでも撫でつづける。
彼らに解放の日が来たのか、ぼくには解らない。
ただ、海の君の姿をしたカンナは、とても幸せそうに、森の青年とキスをする。ぼくはそれだけ見送って、あとは、潮騒のような森のさざめきに耳を澄ませていた。