捌
如何せん、この草原主体の世界、迷宮一層は予想より広い。
フェルの言う魔物を見つけてそこに行くこと自体が一種、苦行とすら言えた。
「それにしたって、広すぎなんじゃないですかね? フェルさん」
《エニシが軟弱なだけよ。そなた、前回は生身で音の世界すら越えておったのだぞ?》
「そんな化け物と一緒にしないでくれ……」
周囲に人は居ないからと、脳内で会話をするのではなく、口に出して話す。
こっちの方が疲れないという理由もある。フェル曰く、その会話も一種の魔術の域に入るのだとか。
というか音を越えるとか、それ本当に生き物なのかと思うのは仕方がないだろう。
物理法則的にどうなっているのか、なんて言うのは無駄なのかもしれないが……
《む。ほれ、見えてきたぞ》
言われた方向に視線をやれば確かに、距離にしておよそ五十メートル程先の地点に“ソレ”は居た。
一番近くの動いている点に向かって進んでいたのだが、どうやら正解だったらしい。
こちらに気づいた様子はなかった。というより、感知器官があるのかすら怪しい。
大きさは精々が六十センチ四方の塊だろうか。粘着質なぶよぶよの塊で、表面がぷるぷると震え、亀のような速度で移動する“ソレ”。
色は半透明の水色で、中心には核なのか目玉なのか、赤色の球体が蠢いている。
「あれ、だよな? 魔物って……一応聞いておくけど、名前分かるか?」
《ふむ、スライムじゃな》
某ゲームのとんがりのあるスライムとは大違いだった。ぷるぷる、僕、悪いスライムじゃないよ? の有名な台詞の影すら見えない。
あえて言うならアメーバが近いだろうか? あそこまで不定形じゃないようだが、全体的な形を考えるとそれが一番近いだろう。
洋ゲーで出てきそうな見た目で、グロテスク極まりない。これで色がもっと極悪だったら、近づきたくなかったかもしれないとエニシは思う。
「あれって、酸性とかってこと、ないよな?」
《いや、酸性ではないが、アルカリ性だったと思うぞ? 尤も、取り込まれてから何週間と掛けてジワジワと溶かされるような、そんな程度ゆえ、そう心配するほどではなかろうて》
いやいや、全然よくないですよと内心で突っ込む。
あの大きさからして飲み込まれる心配はないとしても、溶かされる危険性があるだけで腰が引けた。
というか、あんなのに溶かされて終わりとかあまりに情けない、嫌すぎる。
だからと言って、このまま何もしないという選択肢は取れそうになかった。
興奮は未だ危険を前にしても治まらず、余計苛烈となって苛んでいる。目の前の生き物に果敢に襲い掛かり、握ったブロードソードで突き、斬り、払えと本能が叫んでいた。
ふと、単細胞生物こそが最強なのだ、という言葉が浮かんだのだが直ぐに掻き消える。
「よし、どうせ何時かはやらないといけないんだしな。ここで尻尾巻いて逃げ出すなんて、元からありはしないんだ……行くぞッ!」
型なんて知った事じゃない。そもそも武術なんて心得はないんだから、重心にだけ気を配りつつ走り出す。
右手を右後ろに流し、左手を胸の前、やや左に傾いた形で走破!
五十メートルの距離を流れるように詰めていくッ。
スライムがこちらに気づいたのか、体表面をぶるぶると震わせたかと思うと……
「――――ガッ!?」
凄まじい衝撃が身体を走り抜けたッ!
まるでハンマーで脇腹を殴られたような、ボクサーのストレートが直撃したかのような、そんな重い一撃。
何が起きたのか理解できない。無様にごろごろと地面を数メートル転がり、落ち着いたところで胃液を地面にぶちまける。
「ゲホッ……ゲホッ――」
《……想像以上の雑魚さよな。まさかスライムの一撃でやられるとは思わなんだぞ?》
まともに返事が出来ず、その場で呼吸を整えるので精一杯。
フェルの台詞で脇腹に一撃を貰ったのだと理解した。
油断していた、見た目に騙された。遊びだと、迷宮の一層だからと、高を括っていた。
侮っていた、侮辱していた、余裕だと楽観していた。
その代償がこの一撃、今も痛みがじわりじわりと侵食するこのダメージが駄賃。
やってくれた、とエニシは呟く。
無様だと囁く。よろよろと立ち上がる、状況を確認。
スライムはゆっくりだが近づいている、のんびりしている暇は無い。
損傷軽微、死ぬ前にあの不気味野郎二人との駆け引きの方がまだスリリングだった筈だ。
深呼吸一つ、肺腑が酸素を吸引してエネルギーに変換する。
――――行けるッ!
「らぁっ!!」
地面を蹴り、そのまま爆走! 先の一撃の正体であろう触手の一撃をバックラーで受け流し、そのまま距離を詰めブロードソードで掬い上げるように斬り付けるッ!
この程度じゃ駄目だと、触手を弾きつつ幾度も斬り付ける。
我武者羅に、技術なんて必要とせず、一撃一撃に倒すという“意思”を込めるッ!
「ッ――」
受け損ねた一撃が掠すり、鋭い痛みにしかしその悲鳴を飲み込む。
次の一撃を放たれる前にその触手を斬り飛ばし、その面積を削り取っていく。
そんなお互い引かぬ有限の戦いを何度となく繰り広げる。
穿ち、削り、まるで獣のように、理性というよりは本能に従って剣を振るう!
打撲になりそうな一撃を時々貰うも、代償として相手の触手を斬り飛ばし、最底辺の魔物と一進一退の攻防を繰り広げる!!
『――ッッ!?』
スライムが何か声にならない振動を空中に撒き散らす、とうとう一撃が核を貫いたのだッ!
深々と突き刺さった核を中心にびくびくと震え、やがて形を失い溶けるように地面に流れ出す。
その姿が粒子となってエニシの身体に吸い込まれ消えて行く。
恐らく生体エネルギーの搾取だろうとあたりをつけ、予想以上に疲れた肉体を草原に横たわる形で休めようとして――
「……なんだこれ?」
スライムが完全に消えた後、その場には如何にも宝箱と言った風情の木製に金属で補強した、典型的な某箱がいつの間にか出現していた。
色は金属の部分が金色で、木製の部分は自然色のままだ。
《ふむ、見た目どおり。宝箱じゃな》
「え? いやいや、魔物を倒したら宝箱が出ましたって……」
《この世界はあらゆる超越存在達が創りし世界ぞ? 常識などあってないようなものであろうて》
そう言われてしまえば反論の余地はない。
フェルの言うとおり、天外の存在をエニシがどうこう言ったところで計れる筈もないのだ。
改めて宝箱を見るも消える様子はなく、罠の類も素人目で確認する限りは無さそうであった。
《安心するがよい、その宝箱はようは“褒美”なのよ。宝箱にも種類があるのだがの、色が金・銀・銅の順で基本中身の質が変化する筈じゃ。因みに他色もあるが、滅多に出るものではないゆえ、今は省くとしよう。今回は初戦闘の祝い、といったところであろうかの? 因みに神の祝福にはこの宝箱の出現率を増加させる効力もあるのじゃ》
成る程、と頷き、問題がないのならと早速開けてみることにする。
フェルの言うとおりならば、金であるこの箱には良さそうな物が入っている筈なのだから。
鍵穴の部分に金具がついており、それをパチンと上に押し上げ、ゆっくりと上部を持ち上げる。
基本が木材とはいえ金属で補強されている為か、中々に重い。最後まで上げれば、ガコッと音がし、中の物が姿を現す。
「兜? いや、仮面の類……なのか?」
《ほう、装備の類であったか。広げてみよ》
宝箱から出てきたのはどうやら仮面の類らしく。
重さは信じられないほど軽いらしく、手にとって眺めてみる。
見れば見るほど珍妙な形をした仮面であった。
種類的にはオペラとかの西欧的な部類というよりは、能などにでも使われそうな物なのだが、それにしては覆う部分が全体に及ばなく、様式も不明である。
《ふむ、詳しくは鑑定士の元に持って行かねばならぬが。恐らくは特殊な強化魔術が掛かっておるな。妾も見たことのない仮面じゃが、鬼面になるのではないかの?》
言われて見てみれば成る程、仮面の上部両端には角らしきものが生えている。
質感は滑らかで、どこか無機物には思えない、生物的躍動と力強さを感じる。
ふと、仮面の大きさを見て――
「これ、明らかに大きいんだが、大丈夫なのか?」
《何、そのタイプは多少身体の大きさに合わなくて小さくないのならば装備できるゆえ、心配は要らぬであろう。それに、装備すれば分かるが、伸縮する筈じゃぞ。ふむ、折角だ、一度戻るとしようかの、その仮面も鑑定せねば装備出来ぬゆえな》
「本当にRPGみたいだな……そう言えば、どうやって迷宮から戻るんだ?」
来る時はあのポータルで来たが、こんな大草原にポータルなどある筈もなく。
ある意味当然の疑問を忘れていたことに愕然とする。
《なに、簡単なことよ。一言、“リコール”と呟けばよい》
そんな簡単な言葉で良いのか?
と思いつつも、フェルが嘘をついても何か益になる訳でもないと判断し呟く。
「リコールッ!」
すると、全身が眩い光に包まれ、視界が白色の光に包みこまれる。
それはあのポータルの時とまったく同じ現象であった――――
後書き
ちょっと字数は少ないですが、元は三千程度を予想していたので、これくらいが本来の文量です。
今回、予想以上にスライムは手強かった! 的な回でしたw
まぁ、それじゃあレベルUPが遠いので、次回からはマシになる予定ですが。
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