第1話。末弟に振り回された結果、幼少期
誤字脱字ありましたらスイマセン
袁煕。字は顕雍
後漢王朝に数ある名族中の名族、袁家の生まれ
毛並みの良さを持つ父親の袁紹は一時期、華北に一大勢力を築いたが官渡の戦いで曹操に破れて失意の内に没した
袁紹が常日頃より後継者を決めずにいた事で息子間では争いが常だったが、父の死後はそれが加速した
三兄弟の内で長男の袁譚、末弟の袁尚が権力争いをする中、次男の袁煕だけは真面目に任務を遂行する事に徹していたので良くも悪くも浮いた話は無かった
袁尚が本拠地を抑えたが袁譚はこれに従わず、あろうことか華北進行を目論む曹操に協力を要請して袁尚を撃破
敗れた袁尚は北の幽州を守っていた袁煕に擦り寄り、そこから異民族の力を背景に挽回を狙うが袁煕の部下たちは空回りの強弁家を迎え入れた事へ不信感を抱き、袁兄弟は郊外に追放される
袁尚は東の公孫康を頼ろうとするが、曹操を恐れた公孫康が自分達を謀殺すると見た袁煕はそれを止めようとするも、公孫康の軍を奪って返り咲こうとする袁尚の強弁により失敗
やはり宴に招かれた所を捕らえられ、首を落とせと公孫康は告げた
袁尚はあまりの寒さに敷物を頼んだが、【これから首が離れて万里を走るのに、そんな事を心配するな】と覚悟を決めていた袁煕は弟を諭すと、天を仰いで心の内で自らの一生を嘆いた
(思えば私という存在は、袁家という血筋さえ無ければ地方司令官や、中央の下級役人程度の能力でしかなかった
否……家柄に縛られて視野を狭め、身籠もった妻を守れず、限られた人脈しか築かず、部下たちの忠義心までも裏切った
勇気を持って行動を起こさなかった無能な自分に全て責がある。家に罪はない
もし次があるのなら、)
そこから先を考える前に、執行官によって乱暴に頭を下げられて袁煕は首を落とされた
衝撃を感じ、意識を無くす直前まで末弟の悲痛な叫びが耳に残っていた
「わあああ!!」
自分の絶叫に驚いて寝台で勢い良く上体を起こした袁煕は、荒い呼吸で落ち着こうとする
(今のは…今までのは)
袁煕は見覚えのある子供部屋の中や、小さな自分の体を鏡でマジマジと確認し、そこから1つの結論を結びつけた
幼少期の自分に黄泉帰ったのではないかと
「坊ちゃん!大丈夫ですか!?」
下男らしき者が慌ててやってて扉を開けた
不躾だが、袁煕は怒らなかった
否、怒れなかった
側仕えと思われたは遥か昔、子供の頃に死んだ筈の武官で馬簾という男そのものだったからだ
幼少期の自分に護衛や稽古の為に家主、袁紹からあてがわれた下級武官は心配性な男で、あまりの心配性ぶりに常に眉毛は八の字だった
袁煕はこれで確信が持てた。やはり私は黄泉がえりをしたのだと
「馬簾、何でも無い。酷い夢を見て驚いただけだから安心してよ」
「そ、そうでございますか」
安堵する武官の姿に懐かしさを覚えた袁煕は微笑むと、寝台から降りて馬簾が止める間もなく着替えを終えると八の字眉毛にむき直した
「馬簾。久しぶりに訓練をしようか
剣でも、槍でも、戟でも、弓でも、弩でも、馬でも、なんでもいい。
とにかく体を動かしたくて仕方がないんだ」
「坊ちゃん!?この私とですか!?」
「駄目かい?」
「め、滅相もありません!直ぐにご用意をばいたしまする!」
馬簾は部屋から飛び出して行くと袁煕は思い出した。生前は自分の身を案じ過ぎる馬簾に気を遣い、稽古は敢えて控えていたのだったと
(あの反応から察するに、私との訓練は少なくとも望んでいたのだな)
そこから少し後、鎧姿となった馬簾に迎えられた袁煕は彼の指導の下で汗を流す
用意された得物と的は全て刃やらを潰した子供用だったが、存分に体を動かしたかった袁煕は十分に満足だった
「あの、坊ちゃん」
得物を一通り試した所で馬簾に呼ばれて振り向くと八の字眉毛は、とても不思議そうな顔をしていた
「坊ちゃんは戦の経験が無いはず、なのに何故にそこまで武器や馬を扱えるのですか!?
もしや誰も知らぬ内に外へ!?
お父上、袁紹様はこの事を御存知なのですか!?」
平然と馬上から矢を放つ【騎射】をしていた8歳児は、やってしまった感を出さないよう冷静に反論する
「ソンナ事ナイデスヨ?
全然不思議ジャナイヨ。至ッテ普通デスヨ」
しかし効果は無かった
大根役者よろしく、声は上ずり、目は泳いで、もの凄く片言になる袁煕に両膝を折って項垂れる馬簾は肩を振るわせていて気付かない
「坊ちゃん、もし坊ちゃんの御身に何かあったらこの馬簾…袁紹様にこの頸を差し出しても足りませぬ。かくなる上は一族郎党の頸を全て差し出してお詫びを!」
「ちょっと!それは駄目ぇ!」
落涙しながら剣に手を伸ばす武官に慌てて駆け寄ると、何とか言い訳を続けに続け、なんとか馬簾を宥める
袁紹軍の二枚看板である顔良や文醜の演習風景を見てただの、とにかく必死に説得した
「もうこっそり見に行くような真似はしないから!今度はちゃんと馬簾に習うから!死ぬなんて言わないでくれ!」
「わ、私風情が宜しいのですか?」
大粒の涙を流す武官はもう顔面がグチャグチャだが、袁煕は諦めない
死前の馬簾は己の能力不足と指導不足を理由に自害しているからだ
(責任感の強い彼ほど、私を思ってくれていた人はこの時期にはいない。絶対に死なせてたまるか)
「いまの私にはお前しか居ないんだ。安心して背中を預けられる人間は」
「坊ちゃん…!」
「ほら、立って立って
そして続きをしようよ。私はまだまだ足らないんだから」
「はいっ!この馬簾、身命を賭して!」
「いやだから軽々しく命を賭けないでよ」
「万事この馬簾にお任せあれ!」
「ウン、ヨロシク」
責任感の塊の八の字眉毛、馬簾はこの日以降は袁煕の近習として最期まで仕えたという
熱心な馬簾との日々の訓練は中々に充実しており、袁煕は彼の教えの上手さに舌を巻いた
これ程までならば、やがて持つ自軍の訓練官に任命しても支障は無いと思うほどに
しかし袁煕の記憶にはある
呂布、関羽、張飛、顔良、文醜、趙雲
他にも曹操軍の猛将といった凄腕の面々が
彼等には幾ら死前の記憶やらを持ち得て、馬簾との訓練を重ねても自力では到底かなわないのは明白
しかし記憶を保持したまま死に還るという、途方もない機会を掴んだ袁煕は以前のようにむざむざ死ぬつもりはない
武で及ばぬなら、彼等と対等かそれ以上の器になれば良い
幸い、袁家の生まれという最高の手札はあるのだから
「洛陽へ行こうと思う」
黄泉がえりした日より1年後、9歳になった袁煕は馬簾の熱心な指導のお陰で名実共に戦場で邪魔にならない程度に動けるようになった
袁紹の次男坊ということで護衛の数はそれなりだが自由に動かせる私兵は確保、ただ武人としての力量は体格の面では低いのは致し方ない所か
次の段階へ進む時だと考えれば
広く賢者や勇者との交友を深めるべく、漢王朝の中枢に赴きたいという野心が芽生える
「洛陽…ですか?」
「うん。豫州に籠もってばかりでは視野が狭くなるし、時間とかも勿体ないからね
折角、父上が洛陽で大将軍何進様のお側に仕えてるのだし、この先の未来では身分関係無しで賢者や勇者との付き合いは必要だと思うんだ」
「なんとご立派なお志
この馬簾、必ず御身をお守りいたしまする」
死前同様に漢王朝は宦官・十常侍を筆頭にそれに従う汚職政治家の跋扈で腐敗しきっていた
それを正そうとした清流派の政治家達は【党錮の禁】により追放もしくは処刑によって弾圧された。これによって空いた地位は無能な役人が買収、もしくは宦官が自分達の利になる人物を据えたりするので政治は滅茶苦茶
漢王朝の終わりは近い
なのでそう遠くない未来、太平道の張角が黄巾賊を扇動して中原全土を騒がせば政治家の時代から武官の時代が来る
肉屋の何進は除いて皇甫嵩、朱儁、盧植、董卓がまず登場して
そこから曹操や劉備や孫堅が世に出てくる
父上である袁紹も叔父の袁術も、皇族の劉虞や劉表や劉繇も、孔子の末裔である孔融でさえも己の手を血に染めなくては生き残れない乱世が来る
袁家の次期当主の問題もある
普通ならば叔父である袁術が継ぐのが筋だ。彼は現在の袁家を統べる袁逢の嫡男にあたり抜群の血筋なのだから
庶子である袁紹は袁家の中でも有能だが、嫡男と比較すると格は落ちる
死前に袁術が豫州を治めたのも、そういった流れだ
袁煕もそこは余程の事が無ければ揺るがないと思っており、袁紹派の人間が幾ら騒いでも無駄な事だとも
しかしそれはそれ、愚図愚図する余裕は皆無だ
「ところで袁譚様には何と?」
「兄上には先立っての洛陽行きのお許しは得ているよ。
そして状況が安定したら兄上には、堂々と洛陽入りをしてもらうつもりさ。それまでの露払いは家臣たる者の務めだしね」
袁譚の家臣として当然と言い切った袁煕に、馬簾も異を唱えない
死前では自分も立場を明確にしなかったので末弟が図に乗り、あんな末路を歩んだ
だが現世での袁煕はそれを猛省し、黄泉がえりをした日から袁譚への態度を主君に対するそれに替え、徹底的に袁紹の嫡男として奉っている
その突如としての心変わりに袁譚は何故にと問うたが、袁家の為ですと言い切った弟を少しずつだが信用してくれている
大人しい自分の母と正室としてのプライドが高い袁譚の異母には、強弁家の末弟とそれを焚きつける異母の牽制と抑え込みをくれぐれもお願いしますと頼み込むのも忘れてない
華北統一から曹操の侵略と滅亡、そして家臣の裏切りと公孫康からの謀殺。栄枯盛衰を嫌と言うほど味わった袁煕なので諸々の覚悟は既に極まっている
なお余計な事をされては迷惑至極なので相変わらず我が儘な自称・袁紹に最も愛されてる末弟は汝南に残すと提案。袁譚は苦笑いでこれを了承した
「あ、父上には押しの一手で黙殺したから大丈夫。安心して付いてきてくれ」
「御意」
優柔不断というか名族たるもの血筋への拘りは人一倍なので、やはり他人への気遣いが過ぎる袁紹にはこれ位でちょうど良いと袁煕は再確認した
とにかく賢者との対談は視野を広めてくれる
特に蔡邕や司馬防や游殷、叔父にあたる楊彪といった清流派の大物政治家との対談は早いほど良い
普通ならマトモに会うのも一苦労だがそこは党錮の禁で彼等はほぼ無官となっている上、袁家の名前が生きるので特に問題は無い
「坊ちゃんは既にこの汝南、そして豫州の殆どの名のある人物と交友関係を築いておられます
洛陽でもきっと上手くいきましょう」
「馬簾、ありがとう
ただ楽観視は出来ない。彼処は今や蠱毒の坩堝だ
袁家の看板があるにしても、嫌がらせや揚げ足に長けた宦官が相手なら簡単に足下を掬われちゃうよ」
袁紹や董卓に掃除される迄は、宦官と悪徳政治家が跳梁跋扈しているのだ。用心に越したことはない
「承知、千力衆も腕が鳴るところでしょう」
袁煕は地元の豫州で身分や前科を問わず様々な人間と精力的に交流を深めている
これは今は無名な浪人や、僻地に飛ばされた優秀な人材を青田買いするのも袁煕の狙いだった
ただやはり袁煕をただの子供と侮る者、袁紹への繋ぎ役としかみてない者が大半だったが、仕官してきた者の中には袁煕の為にと死をも恐れぬ武人が10人もおり、1人1人が兵士千人の力を凌駕する勇猛さも合間って今は【千力衆】と呼ばれている
千人力が10人であるなら本来だと万力衆と名乗る所であるが、豫州で高名な人物から語路が宜しくないとして千力衆を名乗っている
彼等は本名は明かさず偽名で互いに呼び合い、常に保護対象である袁煕直属の戦闘集団
その闘い振りは袁煕曰く「敵に同情する」とのこと
しかし幾ら彼等が強くても、記憶にある呂布や関羽には勝てないだろうと思っているので無理はさせていない
他の州からの助力にも恵まれ、特に徐州諸葛氏からは1人の少年を推挙されたのである
「子瑜、君も洛陽に来てくれるかい?」
「勿論です。袁煕様」
袁煕は傍らに控えていた少年に尋ねると、袁煕と同じく9歳の諸葛瑾は柔らかく微笑んだ
諸葛瑾、字は子瑜。あの諸葛亮孔明の実兄であり孫権から絶大な信頼を得た人物である
常に物腰は柔らかで思慮深い諸葛瑾を袁煕は気に入り、諸葛瑾もまた家柄に固執せず広く見聞を持とうする袁煕を主君と仰いでいた
(子瑜は本当に優秀な相談役だ。そして徐州諸葛氏の協力はとても有難い、ただやはり子瑜は私には勿体ない程の人材なんじゃなかろうか?う~む…)
「袁煕様、今は幼い弟もいずれお側にお仕えしたいと申しております。その時をお楽しみにしてくださいませ」
「ありがとう子瑜。君の弟なら大いに期待できるね
その日を心待ちにして、私は君の弟に相応しい主君になるべく頑張るよ」
諸葛瑾の弟はあの諸葛亮だが今は2歳とかそこら、袁煕は背伸びする弟を可愛がる兄としてしか感じていない
そもそも諸葛亮が表舞台に出てくるのは袁煕が死んでからなので、徐州諸葛氏は知っていても孔明の存在を袁煕が知らないのは当然だ
同じ理由として高名な政治家である司馬防は知っていても、彼の次男である司馬懿の事も全く知らないのであった
死前同様に事が進めば、董卓によって洛陽に残っていた袁家の者は全て殺されているので、そちらからも手綱を握れそうな人材は確保しておきたい
本当ならば洛陽に在住する袁家全員を避難させたいが
【この先、涼州の董卓が宦官掃除のドサクサで帝と洛陽を抑えるから危ないので皆は豫州汝南に引っ越して】
と促しても、今の自分は子供なので誰も耳を貸す訳がないのだ
救える者は救い、無理なら諦めよう
彼等が袁術への抑止力になるなら、袁家の厚みが増すので袁術も死前よりはマシな性格になるとも
そもそも袁紹は豫州の産まれ、それが董卓の差し金で勅命により無理やり冀州刺史とされた
袁紹は名家や豪族の顔色伺いで優柔不断に拍車を掛かったが、地元の豫州ならそこまでの優柔不断は発揮しないかも
そんな淡い期待もあった
正式な許可が出るや千力衆と私兵を率いた袁煕は馬簾と諸葛瑾を伴い、袁譚の露払いとして洛陽へ出発
豫州内では我先に袁家に恩を売ろうとする連中が街道を護衛するので平和そのもの、兗州に入ると陳宮や鮑信といった確かな実力者に目通りして助力を仰ぎ
兗州陳留では後にこの地で太守になる張邈に目通りして、彼の弟である【張超】が率いる護衛隊を付けてもらい
冀州に寄り道をした際には、死前にて正室であった甄姫の生家を訪れて挨拶をしたが、まだ母親のお腹の中に居る甄姫には会えなかった
気を取り直して汜水関を超えた河内では、洛陽での汚職に嫌気がさして隠遁していた司馬防に接触した
念願の司馬防との対談では漢王朝の今後の動きをよく話し合い、袁煕は死前の記憶を基にある程度ボカしながら語った
腐敗しきった漢王朝に民草の我慢は限界を迎え、各地で反乱が勃発し、その動きは中原全土に広がる
しかし中枢には反乱を抑える力は少ない上に肉屋の大将軍何進は名ばかりの張り子の虎。実力者の皇甫嵩と朱儁や盧植だけでは収束は到底不可能
辺境の地で異民族討伐で勇名を馳せた孫堅や董卓、地方の豪族(袁紹や袁術や曹操など)、義勇軍に助力を頼む事になるだろう
それである程度の反乱は収まるでしょうが1度、力を持った豪族が情けない漢王朝に今後も大人しく従うだろうか?
軍を取り上げようにもまた反乱が起きる可能性は十分にあるのは宦官だって解る
そして腐敗の原因である宦官や、汚職政治家がその一件で懲りて改心するだろうか?
そこまで袁煕が話せば、洛陽の中枢で漢王朝の腐敗ぶりを目の当たりにした司馬防は目を閉じて黙ってしまう
「今の漢王朝から毒を取り出して上手く体制を変えられれば残る道はある、かもしれません。しかしその為には良識のある人物が天子様を中心にしっかり纏まらなくては駄目なのだと思うのです
司馬防様、どうか中枢に戻ってください
私は蔡邕様、楊彪様、游殷様。このお三方にもお声掛けをしますので、どうか…」
子供のたらればだと思われればそれでお終いな内容だ
しかし袁煕は来年に勃発するであろう黄巾の乱を知っている。そして乱を静めた後に宦官やらが失墜した権威復活に民草から重税を課す事を
その宦官が何進を暗殺して袁紹や袁術に大義名分を与える事を
そこから混乱に乗じて漁夫の利を得た董卓の専横、最終的に曹操の天子確保による邪魔者の排除と漢王朝の衰退を知っているのだ
徐州あたりで反乱の気配を察していた司馬防は翌日、共に洛陽へ行く事を承諾
但し、長男の【司馬朗】を袁煕の家臣として迎え入れる事を条件にだが
袁煕は司馬防の願いを快く受け入れ、司馬朗を2人目の相談役に据える
袁煕より3つ年上の司馬朗は年の割に背が高く、大人と間違える程に容姿が立派で諸葛瑾と同じくらい博識だった
ちなみに司馬防の次男【司馬懿】はまだ4歳なので留守番である
虎牢関を超えた先、まだ董卓に荒らされていない絢爛な洛陽に入った
「顕雍、無事で何よりだ」
「父上、そして叔父上
お久しぶりでございます」
大きな門を幾つも潜り、立派な袁家の屋敷に到着すると袁紹の他に袁術も待っていた
屋敷の主は袁紹だが、格上なのは袁術なので同列に着座している
黄泉がえりをしてから始めて会う2人に、袁煕は少し感傷的な気分になる
失意のまま心労で没した袁紹、玉璽の魔力で身を滅ぼした袁術
自分も大概だが、表立った袁家の人間はまともな最期を迎えていないのだ
「聞いたぞ、その歳であの頑固な司馬防を中央に戻すのに成功したそうだな?
これも袁家の威光の賜物であろう。今後とも良きに計らえ」
「はい叔父上。」
相も変わらず高慢な袁術に対して深く頭を下げると、神妙な顔の父親が尋ねてくる
「時に…お前は顕思(袁譚)の臣下となり、あれを補佐すると聞いたが相違ないか?」
「はい父上。相違ございません
全ては父上兄上の為、漢王朝の為、そして袁家存続の為にでございます」
晴れやかな顔で言い切ったその姿に、袁紹は頼もしさと違和感、少しの恐ろしさとを感じた
少し前までは我の強い末弟や、正室の息子の長男に挟まれた付属のような存在だった筈
それがどうしたことだ。まるであの宦官の孫で幼馴染みで背の低いアイツのように目を爛々とさせて
「本初よ。」
不意に横から声を掛けられて、袁紹は思案を中断された
何だと尋ねれば袁術曰く自分達の親玉である大将軍何進、その甥で第1皇子の【劉弁】の遊び相手として袁煕を接近させようと提案したのだ
劉弁は袁煕の2つ年下で現在の皇帝である霊帝の嫡男、その母親である何皇后は霊帝の寵愛を受けていた。但し彼女は宦官の取りなしで霊帝に接近できた宦官擁護派だが、先を見越せば彼女の覚えも目出度ければ袁家の繁栄も約束されると
聞いた袁煕はまさかと思った
優秀な方の劉協ではなく暗愚と評判だった劉弁の遊び相手?その前に相手は皇族、しかも霊帝の嫡男で次の皇帝だ。側近の教育失敗で王が暴走して滅んだ国など数え切れない
町民の子供と接するのとは訳が違うのだぞ?
そして何皇后、アレは己の保身の為なら霊帝の妻とて容赦なく毒殺し、霊帝の生母であり劉協の後見人である董太后を後宮から追放する烈女だ
宦官に取り立てて貰った身でもあるので十常寺殲滅の寸前には宦官側に付き、何進暗殺と董卓が飛躍する遠因を作った
更に運の悪い事に何皇后によって追放された董太后と名前が同じだった董卓へ仇討ちの口実まで与えてしまい、何皇后は王に堕とされた劉弁もろとも李儒に殺害され、霊帝の陵墓は徹底に荒らされている
疫病神なのだ。董卓という獣を招いた元凶、そう言っても差し支えない程に
洛陽へ来たのは賢者や勇者との人脈作りであり、暗愚と烈女の相手をして命を天秤に掛けるなど冗談ではない
猛烈に断りたい。しかしその決定権は父親である袁紹にあり、提案したのが次期袁家の当主となれば…
「むむむ…」
「何がむむむだ。現実を見ろよ本初、司馬防をその気にさせたこの子なら問題なくやってくれるさ
権力欲以外は無頓着な何進、霊帝の妻を毒殺して覚えが悪くなり袁家の後ろ盾も欲しいであろう何皇后、そしてあのハナタレ小僧は遊び盛り
ここで送り込まないのは馬鹿だぞぉ?」
意気揚々と袁術は焚きつけ続けるが、やはりそこは優柔不断に定評のある袁紹は結局、首を縦に振らず
埒があかないとみた袁術は俺に任せておけと足早に屋敷を去り、まだ悩む袁紹から退出の許しが出た袁煕は、相談役の司馬朗と諸葛瑾とで密談をする
不安げな主君とは対照的に、相談役はまるで見越していたかのように冷静だった
落ち着け、勤め先が同じなので袁術から何進までは早いだろう、しかし何進から何皇后、何皇后から霊帝までとなれば少し時間に余裕が生まれると
「つまり弁皇子の話が決まるまでは時間がある。なったらなったで致し方ない。しかしそれまでは此方の本題をこなせればよいと言うことだな?」
相談役が微笑んだので袁煕も少し気が楽になり、2人を部屋から退出させるのも忘れて筆を取り、竹簡の手紙を書きに書く
すると司馬防を攻略した袁家の看板の効果は絶大で、蔡邕や楊彪や游殷といった清流派の大物政治家からの返事は勿論
鍾繇や荀攸や淳于瓊
盧植や朱儁といった高官からも手紙が続々と届き、袁煕は彼等との対談の日取りを思案したり手配する毎日に追われる
だが此方から書く前に送られてきた曹操孟徳からの手紙、その返事には幾度も筆を止めさせた
死前に殺された件は乱世の習いなので致し方ないで済ませてあるが、向こうは皇帝を擁してはいないものの乱世の姦雄
幼馴染みの息子。それだけで見てくれてれば抜け道はあるが司馬防を口説き、その長男を配下にしてしまった事で彼の人材への貪欲な執着心を刺激させてるのは間違いない
「それほど構える事はありませんよ殿。彼も何も取って喰おうとはしません
ただ話がしたいと言うのですから、当日は解る範囲内で応じるだけで宜しい
それに我々も共に参りますから心配は無用です」
「左様、私の記憶が確かなら、嘗ては曹操殿も家の名前を使って皇帝に接触されたり徐州などの地を転任なされました
まぁその時に宦官の悪事を纏めた書物は、十常寺に握りつぶされたようですが…
とても優秀な御仁なのは間違いないですが、それなりに悪さもしてきた
熱意のある砕けた人柄、と言った感じだったと記憶しております」
「そう、だね
うん…うん。ありがとう2人とも
気持ちが落ち着いたよ」
沈んだ気持ちが軽くなり、そのまま曹操宛の筆を走らせる袁煕
その姿を見守る諸葛瑾と司馬朗は主君が曹操の話題で時折みせる、なんとも苦しげな顔に疑問を持つのであった
「え?私が蔡邕先生の御息女とお見合いですか?」
「そうだ。まぁアレは中々に美人で才女らしく、彼方此方から願書が届いてるようで望みは薄いがな、今の内に唾を付けておければ御の字だろうよ」
投げやりな決定事項を告げてきた袁術は見合いをする当の本人より気怠げだ。この様子だと何皇后への接近は停滞しているのかと袁煕は淡い期待をしたが、叔父は急に態度を変えた
「さて本題だ。そろそろ劉弁との対面が叶うぞぉ。場所は後宮で何皇后も同伴する!そこでお前は袁家の繁栄の為にだな……云々」
暗愚皇子だけでなく宦官とズブズブな毒殺皇后の詰め合わせと言う、とんでもない邪悪な付け合わせに袁煕は公孫康に寝首を掻かれた時よりも衝撃を受けて軽く気が遠退いた
全く想定してなかった訳ではない。なので失敗を恐れない袁術の有難い言を完全無視、思考を巡らせてた袁煕は気付いたら部屋に戻っていた
帯刀を許されぬ男子禁制の後宮となれば護衛はおろか相談役の2人の同伴すら不可能。悪宦官が蠢く巣窟に独りで踏み込む事になるのだが、遊び相手を呼ぶだけなら余計な所には案内されないし霊帝にも話が通ってるなら宦官も表立って悪さはしない。あくまで表立っては。である
なのでもし袁煕の身に危険が及べば血気盛んな千力衆は文字通り、玉砕覚悟の死兵となり後宮は血に染まるだろう。袁家の人間だって黙ってない、それで少しは早く宦官の大掃除が終わるのかと袁煕は思った
董卓も洛陽近郊に来てないし、自分が謀殺されても少なくとも奴の専横だけは防げる
何進生存がどこまで影響するかは不明だが、問題なく家を引き継ぐであろう袁術は玉璽を持ってないし、復帰するであろう蔡邕達が宦官と同じ轍を踏むとは思えない
そこだけ考えれば気楽だった
死ぬのは始めてではないのだ
「そろそろ宮殿か
馬簾、どうかな千力衆の様子は?」
「はい坊ちゃん。千力衆を束ねる樊瑞、軍師役の残月と呉用、若衆頭の戴宗が他の者をよく抑えており、特に問題の多い李逵は大いに不貞腐れてますが従っております
しかし纏める彼等も普段は温厚ですが事と次第では、人を生きたまま埋める事へ抵抗がない者共ですからな
もしも坊ちゃんの身に不測の事態あればこの馬簾も、愛用の戟で宦官めを撫で切りに」
「いやダメダメ。お前が武人達の纏め役なんだからそこで暴走されちゃ…」
劉弁と会うべく宮殿へ向かう馬車の窓から、馬上で逸る完全武装の武官を窘める袁煕
馬車の回りは戦闘態勢の千力衆が固めて殺気を放っており、道行く人を威圧しまくっている
「袁煕様、重ねて申し上げますが何皇后には無欲な子供として接しなされ、蝿のような宦官と女官には精々お喋りをさせておけば宜しい」
「司馬防様を動かした程の人物と向こうは構える者もいるでしょうが、年相応に振る舞えば必ず無事に帰れます」
「うん、ありがとう」
諸葛瑾と司馬朗も馬上から優しい言葉を掛けてくる。落ち着いた諸葛瑾の姿は自分と同い年なのをたまに忘れさせる
「では護衛の方々はここでお待ちを」
出迎えた身なりの整った宦官の顔には予想以上に幼い袁煕へ驚きが見えた
そして上から下へと品定めしたが特に問題が無かったようで、袁煕は黒い布を頭から被らされると視界が全くない状態でかなりの距離を歩かされる
両肩の上に掌を置かれて押されるが儘に歩いてる最中、何度もヒソヒソ話をしている宦官や女官とすれ違う
宦官。此奴らが漢王朝を腐敗させ、民草を苦しめ、乱世を生んだ張本人かと思うと袁煕の心胆に冷たいものが沸々と湧き上がる
「ここで止まれ。両膝を曲げて平伏しろ
扉が閉まったら10数えて、そのままの態勢で布を取れ
決して顔を上げるでないぞ」
両肩から掌が外されて直ぐに後ろから扉が閉まる音がした。言われた通り袁煕は内心で10を数えて恐る恐る頭を覆っていた袋を外す
「顔を上げよ」
「ははっ」
斜め上の方向から冷淡そうな女の声が聞こえて、目を床に伏せたまま顔を上げる。
それが何皇后なのか取り巻きの侍女かは解らないが、間違っても視線を合わせてはならない
「名を申せ」
「豫州汝南が生まれ袁煕、字は顕雍です」
「父親は袁術か?」
「いえ、父親は袁紹。袁術は叔父です」
それから少しの問答を繰り返すと前方から微かな溜め息を感じた。息遣いから察するに相手は女性、そして袁家の人間に対してそのような態度を取っても許される高貴な人物。つまり何皇后である
部屋に緊張が走る
「皇子をくれぐれも宜しく頼むぞ」
何かしらの受け答えが勘気に触れたか、はたまた平々凡々な己の風貌に興味が失せたのか
投げやりに頼むと言った人物は驚くほど早く部屋から退出してしまった
質問をしていた侍女や他にも控えていた連中も突然のことに慌て、袁煕は顔を再び床に伏せる。事態が収拾したのは皇后らしき人物が去った扉から少年と思わしき人物が入ってきた時であった
「この者と話がしたい。他の者は外せ」
自分よりも若い少年特有の言葉に侍女達は素早く退出。沈黙が部屋を包んで暫くすると少年が歩み寄ってきた
「叔父の何進から聞いている
袁家の者らしいな、名前は?」
「私は袁煕、字を顕雍と申します」
「袁紹の倅か?」
「左様でございます」
「私は劉弁、字は伯和だ
袁煕、私は回りくどい質問はせぬ
正直に申せ、嘘偽り有れば漢王朝に対する不敬であるぞ」
「ははっ」
「今より1年後、関東徐州にて民を巻き込んだ大きな変事が発生する。その時に民達が頭に巻いていた頭巾の色は青であったか?
正か否かで答えよ。」
「否、でございます」
「ならば赤が正解か?」
「否」
「ほう、では何色が正しい?
苦しゅうない、正解を述べよ」
「黄色、と存じておりまする」
「なるほど、次だ
その変事の後、天下には確かな平穏は訪れたか?」
「否」
「変事の後に洛陽中枢で賑やかな大掃除がある。その時に1番功績を挙げたのは偶然に通り掛かっていた地方太守か?」
「正」
「その者は大小2つの龍の子供を得て増長し、多くの涙が流れるが、龍の子供はどちらも長く息災か?」
「否」
「これが最後だ
お前は私と同じで【死に戻り】であるか?」
「正」
そこまで答えると部屋に一層の沈黙が流れる
最早、多くは語るまい
劉弁と袁煕、2人は同じ黄泉がえりだった
「顕雍、立ってみよ。立って私の眼を見よ」
言われるが儘に袁煕は立ち上がり、劉弁の眼を真っ直ぐ見た
背は低く平々凡々な顔立ちだったが、年不相応すぎる落ち着きが見て取れる
今の劉弁の佇まいを見て、誰が暗愚などと呼べるものか
彼は袁煕をじっくり観察し、静かに口を開いた
「赤子の頃に戻りてから幾年月、私なりに同胞がいないかと慎重に探したが、今日まで現れた事は無かった
この出会いを嬉しく思うぞ」
「皇子…恐れながらお聞きしたい事が」
「構わぬ、申せ」
「皇子はいつから私が黄泉がえりだと見抜かれたのですか?」
「黄泉がえり…うむ、そうとも言えるか
なに、死前では袁紹の息子が洛陽に居たとは知らぬし、その息子が司馬防を口説き落としたとも一切聞いておらぬ。他の者は全く同じ動きをしていた中で袁煕だけは異彩を放っておった。証拠はそれだけで充分よ」
「お見事です。皇子」
「母が無礼な真似をしたな。赦せよ
顕雍とはまた会いたいものだ、今日はもう下がってよい」
外に聞こえるように言うと、廊下側から人の気配がある
十常寺に媚へつらう宦官か何皇后の取り巻きが聞き耳を立てていたのだろう。ただ2人のこれまでの会話は全て小声で行われていたから問題ない
袁煕は深々と頭を下げて退室し、待ち構えていた宦官に再度あの布を被らされて闇の中を歩いたのであった
「坊ちゃん、御無事で本当になにより」
宮殿から屋敷へと戻り、主君の無事を最終確認した馬簾の眼には涙が浮かんでおり、どれだけ彼が心配していたのかが解る
「ありがとう、馬簾
千力衆もお疲れさま
特に李逵はよく我慢してくれた
成長したね、偉いぞ」
「我ら、御大将の為に」
樊瑞以下、9人の屈強な武人達が手を合わせて頭を下げる
体が1番大きく浅黒い肌の李逵は袁煕が無事だった安堵と褒め言葉に感激し、肩を震わせて落涙しており、その隣で戴宗が彼の背中を叩いて何か言っていた
幼児のように感情が豊かな李逵は1番大柄だが千力衆では1番の若輩者、しかし戦場だと死を恐れず2本の片手斧を旋風のように扱い、肌の色と合間って仲間からは【黒旋風】と渾名されてる
戦場では勇敢で頼もしいが、少しでも気に入らない相手は何の疑問を抱かず易々と殺してしまうので管理が非常に難しい
彼をあやす戴宗は元々は群の牢役人で、位は低いが腕っぷしの強さと器の大きさで悪党からも一目置かれる存在だった
しかしそこを矮小な小役人に利用され、役を辞任するか牢獄送りになるかの騒ぎになった時に袁煕に拾われた
生来の面倒見の良さもあり、李逵が暴れた際には後述する人物と共に抑止力となる
尚、千力衆では唯一の既婚者でもある
千力衆を下げさせた袁煕は馬簾と相談役を率いて袁紹の部屋を尋ねれば、やはりそこに袁術も待っていた
袁煕だけが中に入ることを許され、馬簾達は別室で待たされる事になった
中に入って挨拶をすると早速、後宮での報告をしたのだが袁術は何皇后の件を聞くと瞬間的に席から立ち上がり、怒りを露わにする
「毒殺と、権力に股を開くこと以外に能の無い豚小屋出身の下賤な小娘めが!
4代にわたって三公を輩出した名門袁家の者を蔑ろにするなど絶っ対に許せん!」
「公路よ落ち着け、少し声が大きいぞ」
「袁家代々を丸ごと侮辱されたようなものだ!
これが落ち着いていられるか、本初!」
荒れ狂う袁術の発言の数々はどれも危ういが、何皇后への評価は間違ってないし袁家への侮辱には内心で怒りを覚えてるので、袁紹も強引に止めはしない
気持ちは解るが今は堪えろ
権力に固執すること以外は無能な何進と昵懇な関係の我々だ。もしもその時が来たら宦官諸共にあの女に思い知らせてやれば良い
後ろ盾を永遠に無くした貴人ほど上流階級では惨めなものはない
因果応報、自業自得。袁家を侮った者にはそれが最も相応しいと
言われて怒りのエネルギーを悪巧みに方向転換した袁術は漸く着座し、袁煕から更に情報を引き出す
「ふむ、母親の方は無愛想だったが皇子には気に入られた。と?」
「はい父上。別れ際にはまた会おうと申して頂けました」
「で、あるか
第2皇子を産んだ王美人が毒殺され、怒った霊帝と何皇后の関係には明確な亀裂が入ったと聞く。しかし袁家の後ろ盾を何皇后が欲さ無いとなると第2皇子に顕雍を接触させるのも有りだが、流石に時期尚早が過ぎる上に無理な話か?」
「そうだろうよ。劉協はまだ幼すぎる
それに2番目の皇子は霊帝の生母であらせられる太后様が厳重に囲っていると聞く。流石のアレも王美人のように現帝の生母には易々と近付けまい
我々はあくまで何進と劉弁に繋がりを今は見せておき、あの女を油断させておくとしよう」
「劉協に近づけないのは何進派である我々も、か」
「仕方ないさ。まぁ皇帝の代わりなど皇室に幾らでもいる
袁家である我々が中枢を抑えた時に、操りやすい者が次の皇帝になれば良いだけの話だ」
露見すれば袁家の存亡に関わるほどの内容を目の前でされ、袁煕も少しは父や叔父に認められたのだと感じると同時に身が引き締まる思いだった
しかし目の前のこの2人、死前ではこれほど仲が良くはなかった筈
互いに高い自尊心を持つが故に牽制し合い、足を引っ張り、軽視していた
それが袁煕という潤滑油の出現で無意識にも互いに歩を進めているのは、利用される側としても袁家の為と捉えれば別段に悪い話ではない
「全ては袁家の為、ですね」
「うん?くくく、そうよなぁ本初」
「言わずもがなだ。公路」
目標を明確に声に出せば、今も互いに字で呼び合っている2人が頼もしく見えた
それが仮初めの停戦だろうと、袁家繁栄の為ならば2人は協力せざるを得ない
因みに視界が全く効かなかったので後宮の造りが解らないと報告させられた袁煕だったが、そんなものは適当な宦官に金を握らせてしまえば簡単に得られると袁紹達は落ち着いているが、国の中枢をベラベラ喋る者が平然と蔓延ってる辺りに袁煕は呆れ果てている
「次から弁皇子への訪問等は我々が決めていこう。顕雍は蔡邕の令嬢との見合いに集中するのだ、下がってよい」
言われて袁煕は退室し、別室の馬簾達と合流すると自室を目指す
(蔡文姫、か)
蔡邕の娘であり歌曲と詩才に溢れる才女・蔡文姫は未だ6歳、袁煕とは3歳差である
死前では董卓が呂布と王允に殺された事で、激怒した李傕と郭汜によって長安は陥落。そのドサクサで蔡文姫は北方異民族に拉致されたのは知っている
美しさのあまり、そこの族長の子供に強引に嫁にされたとか、遥か年下の少年に孕まされたとかも聞く
(不憫な。甄はどうであったろう)
死前での正妻である【甄姫】は0歳とか
洛陽への道すがら寄り道をして甄姫の家には挨拶をしてあるが、その時はお腹の中に居たので彼女と直接の面識は未だ無い
場合によって自分は今後、甄姫の地元である冀州に赴かないので、彼女との結婚は難しいかもと考えていた
成長した甄姫はとても美しく聡明、父親は有能であったが家も冀州ではそれほど高名でない。わざわざ他州から嫁を貰うならもっと価値のある嫁を貰えと次期当主の袁術なら言うだろう
甄姫と過ごした時間は少なく、政略結婚だったがお互いに納得して体を重ねた結果、甄姫から身籠もったと聞いた時、袁煕は父親として家と君を守ると宣言した
しかしそれは死前で叶わなかった
死前では身籠もった甄姫を本拠地である冀州鄴に残して幽州防衛に赴いた事が災いし、曹操軍に攻め込まれた際に甄姫は曹丕に寝取られた
自分が死ぬまでに彼女が殺されたとは聞いてないが、気にならない筈が無い
約束を守れなかった。次があるなら必ず
それが公孫康に殺される間際に袁煕が考えようとしていた最期の言葉であった
「袁煕様、曹操様より手紙が届きました」
「お、おう」
主君の内心を知らない下男が自分宛の手紙を渡してくる
竹簡を広げて見れば、会談日の最終確認であった
その日とは明後日、曹操は祖父であり宦官だった故・曹騰の屋敷で待ってるとある
宦官と言っても曹騰はとても良識のあった人物で、歴代の皇帝の側に仕えてきた実績がある
そしてあの十常寺の筆頭、張譲ですら無碍に扱えなかった極めて稀な存在だった
曹騰が存命で会談が叶ったなら、これは中々に美味しかった。敵である悪宦官を駆逐する際には良識ある宦官の分別にもなりえた
ただ曹騰はとっくに故人である
今は養子の曹嵩が家督を継いでおり、曹操は浪人してそこに寄生していると
(よく考えれば宦官の事はあまり知らない
敵を知り、己を知れば、か
これは孫子の編纂者の曹操に直接習う機会としよう)
曹操は若い頃、長い歴史で膨大な量に膨れ上がった孫子の兵法書を徹底的に纏めあげ、今現在も多くの人に読まれている【孫子】を作った人物でもある
袁煕は今度の会談を良い方向に、良い方向に考えるようにしたのであった
「よくおいで下さった。歓迎しますぞ」
やや司馬朗よりも背が低くて髭の長い男、曹操が満面の笑みで屋敷前で出迎えてくれた
「この度は若輩者である私共をお招き下さり、誠にありがとうございます」
袁煕が頭を下げる動きに合わせて、諸葛瑾と司馬朗も頭を下げる
馬簾は訓練があるので不参加だ
直接の護衛は千力衆の軍師役で政務人事担当の呉用と、忠義心の塊で剣の達人であり同じく千力衆の黄信
樊瑞、残月、呉用、戴宗、李逵、黄信
残りの4人も紹介しておこう
弓の達人で黄信とは親友関係の【花栄】
料理も上手く、知らぬ食材を見つけると「で、味は?」と直ぐに聞き出そうとする
厨房係も担当するが食べ物を粗末にする輩は文字通りに料理されてしまうので、出所が不明な謎の料理が出た際は注意が必要である
狭い厨房では徒手を使い、合気道のように敵を翻弄してから急所を狙う
常に不規則な変装をしており、その正体は袁煕も知らない謎の人物【鄭天寿】
普通の男性だったり美しい娘だったり老人だったりと周囲を混乱させるあまり、袁煕の提案で胸に名札を下げているので漸く彼?だと解るという
それでも変装術は見事なので諜報員として袁煕からは重宝されており、彼女?も誇らしげだそうだ
仕官の理由は面白そうだから、とのこと
素手で虎を仕留められる豪傑で、李逵を拳で黙らせられる【武松】
病気の母親を虎に食い殺された際に全く取り合ってくれなかった群兵に怒り、腹いせに付近の虎を絶滅させた
子供の虎も育てば親虎を殺された恨みから人を襲うとし、一切の容赦なく滅している
非情な性格だが母親想いであり、幼馴染みの娘に告白できない不器用な男でもある
勝手に集まってきた子分を嫌々ながら率いる事へ不満が爆発しそうになったが、袁煕からの招聘に子分を全て面倒見るならと仕官して以降は大人しい
恐らく武力において、千力衆で1番怒らせてはいけない人物であろう
凄腕の医者だが気に入らない客からは法外な治療費を吹っかける【安道全】
自身が幼少期に大怪我を負った際、豫州沛国に住まう華佗という医者に助けて貰った以降、彼のようになりたいと医術の道にのめり込んだ
継ぎ接ぎの顔面を誇らしげに晒す彼は、孔子の道に背くと潔癖な儒教家や腕を妬んだ同業者から非難の的にされて医者としての道を閉ざされたが、噂を聞き付けた袁煕に拾われて彼の主治医に落ち着いた
名門袁家の医者になるという事で、嘗て自分を非難した連中をねちっこく上から目線で弄るのが趣味だが、貧しい者や遠路はるばる訪ねて来た者、幼い者や老いた者は無償だったり格安で治療を施す一面も持っている
仕事柄、人間を壊す方法やバラバラに分解する方法を熟知しているので尋問と称した拷問の達人でもある
曹操は袁煕達を宴の場に自ら案内し、そこで賑やかな時間を過ごした
彼は褒める時も助言をする時も常に全力の熱い男だった
身分に囚われない袁煕の器量、司馬朗と諸葛瑾の聡明さ、呉用の人事手腕、黄進の武人としての佇まいを手放しで賞賛する
その姿勢に多くの家臣は深く心酔し、彼に従おうと思ったのだ
更に本人はとても優秀、それも止まってられない性質なので頭の回転が速いこと速いこと
此方が1つ質問をすれば10は異なる答えを教えてくれる教養人
宦官の孫という逆風もなんのその、曹操と会話をすればするほど家柄に拘って滅亡した己が惨めに思え、そして納得する
嗚呼、この男には勝てないのだと
「曹操様、そろそろ袁煕様はお暇する時間となりました。本日は素晴らしい宴席を賜りまして誠に感謝します」
「ぬ、そうであるか
なればこの辺りで御開に致そう
袁煕殿、また存分にな」
「失礼いたします」
帰るには少し早いが袁煕の気持ちが沈んでる事を見抜いた者達は、巧みな連携で主君を外に出す事に成功する
帰路、そして屋敷に到着しても袁煕は無言だった
部屋に戻り、部下を下げさせると乱暴に衣類を脱ぎ捨てた
寝台に横になると無気力に天井を眺め続ける
「御大将、鄭天寿です。入室しても宜しいですか?」
「今は気分が優れぬのだ、すまんが後にしてくれ」
千力衆の変装の名人が珍しく訪ねて来た
対応しようと寝台から起き上がろうとしたが、脚に力が入らないので断りを入れる
「承知しました。ではまたの機会に」
「一応…要件だけ聞いておこうか」
「おや?気になられますか?
ふふふ、このままでは教えられません」
「含みのある事を、そこで待っておれ」
勿体ぶった言い方に興味が湧いた袁煕は素早く身なりを整えて扉を開ける。そこに居た人物を見て肝を潰した
「げぇ!曹操!?」
胸に【鄭天寿】と名札を下げた曹操孟徳が廊下に鎮座していた
「だ、誰にも見られておるまいな?
特に父上と叔父上には、」
廊下に顔を出して辺りを激しく見回す袁煕の姿に、鄭天寿は悪戯成功と満足げだ
「とにかく中へ入れ」
「お邪魔しま~す」
飄々とした鄭天寿を椅子に座らせ、やっと落ち着きを取り戻した袁煕は要件を尋ねる
「御大将、酒を持参しましたので飲みましょう」
「うん?」
「酒ですよ、酒。いけませんか?」
「要件は?」
「まぁまぁ、とりあえず一献」
此奴め、飲まねば教えぬ気だなと観念した袁煕は、なみなみと注がれた杯を一息で飲み干す
「お見事、では御流れを頂戴します」
「ん」
杯は1つだけなので回し飲みとなるが、別に袁煕は何とも思わない
「御大将、1つしかない杯の反対側に毒が塗ってあったらどうなりますかね?
私が毒味役をし、私が飲む部分と酒には毒が入ってなくとも御大将が飲まれる部分にのみ致死量の毒が塗られてて、知らぬ内に誘導されてたら」
「死ぬだろうな」
「ですよね」
返杯を飲み干し、ニコニコと笑う鄭天寿
彼?彼女?なりの気遣いなようだ
「…気を付けるよ…」
「はい、宜しい」
「まさか要件はそれだけか?」
「う~ん、表面張力と言うのは知ってますか?」
「なんじゃその取って付けたような言葉は、知ってるがそれがどうした?」
「1つ遊びをしませんかね?小銭を交互の入れ合って酒が零れたら負けという奴なんですが」
「やらねば帰らぬ腹積もりであろう?」
「まぁまぁ、ここは曹操に勝つ機会になりますよ~」
「ぬ?」
「あれれ、それとも辞めときます?」
「やるさ、やってやる。勝負だ鄭天寿
勝ったらその化けの皮を剥いでやるわい」
「成る程、では私が勝ったら?」
「望みがあるのか?お前に」
「心外ですね
ん~私が勝ったら側室にして下さい」
「はぁ?また得意の冗談か、その姿で言われると凄まじく気分が悪くなるのぉ
良いだろう。何番目かは分からんが側室に向かえよう
負けぬぞ曹操孟徳、この袁煕顕雍が相手をしてやろう!」
偽物だろうと曹操孟徳を負かす機会だ。そう意気揚々と挑んだのだが、子供の体に酒が入った事で注意力が散漫になった袁煕は凡ミスを重ねてしまい全敗北した
「ぐぬぬ…か、勝てない」
「御大将、もう夕方ですよ。そろそろ」
「ならぬ!曹操孟徳を負かす、またとない機会なのじゃ」
「はいはい、熱くなるのは良いですが相手を出し抜く事と引き際は弁えましょうね」
ヒラヒラと鄭天寿は隠し持っていた小道具を見せてきた
それが何なのかは解らなかったが、何をされていたのかは袁煕は即座に理解した
「鄭天寿っ…き~さ~ま~!!」
「相手を出し抜くのは悪い事じゃないのは解りますね?少しの小細工と賢さで他人には簡単に勝てる時もあるのですよ」
「それは解る、解るが今回は腑に落ちん」
「うふふ、ずる賢さを身に着けて下さいね御大将。私も長く御側に仕えたいので」
「努力しよう」
「ほらほら、李逵みたいに唇を尖らせないで笑いましょ、ほらニッコリ」
「わかったわかった。気を付けて帰れよ鄭天寿」
「は~い
あ、御大将。約束は忘れないで下さいね」
「ぬかせ。そもそも男を、曹操孟徳を側室になぞ出来るものか」
「ふふふ、その意気です」
雲を掴む思いか、つかみ所が無い鄭天寿だったが励ましてくれたのは間違いない
彼?が帰った後、袁煕は先程とは違って気分もすっかり良くなってたのであった
「それにしても側室だのと、鄭天寿め」
次があれば彼奴の事だ、味を占めて娘の姿で勝負を挑んで来るだろう
その時は戦略的撤退を視野に入れておかねば、と心に決める袁煕であった
ありがとうございました。
袁紹の次男を主役にした作品が無いなら作ってしまえと考え、こうなりました
袁煕と劉弁、他にも何人か非業の死を遂げた者を記憶ありで絡めようと思います
袁煕の配下
武官。馬簾
文官。諸葛瑾(孫呉)、司馬朗(曹魏)
千力衆。樊瑞、呉用、戴宗、武松、黄信、花栄、安道全、鄭天寿、李逵。(水滸伝から)
残月(とあるOVAアニメから)




