第4章『離縁、そして決断』エド視点
馬車が、大きく傾く。
大きく揺れる馬車の窓の外は、もう暗闇しか見えない。
シャロンは僕の腕の中で震えつつ、僕と視線を絡めて、幸せそうに微笑んでくれる。
もう、君を手放すなんてことは絶対にしない。
「愛しているわ。」
「永遠に、共にいるよ。決して、手を離さないよ。」
たとえ、何を失っても。
◇
離縁を知らせる手紙が来てから、1か月。僕は何も手につかず、おかしくなりそうだった。
やっと、叔父から連絡が来た。
「エドモンド、会いに来てくれないか。」
手紙には、そう書かれていた。
僕は、すぐに馬車を手配した。
叔父の屋敷へ向かう道中、不安はありつつも、会える嬉しさで、冷たかった胸がじんわり温かくなる。
シャロンに、会える。彼女は、どうしているだろう。無事だろうか。傷ついていないだろうか。
叔父の屋敷に着くと、執事が応対してくれ、すぐに応接室に通された。
そこには叔父と叔母が、暗い顔で座っていた。
「……エドモンド。」
叔父が、重い口を開いた。
「シャルが、……離縁された。」
僕は頷いた。手紙で知っていたが、叔父夫婦が悲しむ様子を見て、ズキリと心臓が痛んだ。
「子供ができないこと、それが理由だそうだ。」
叔母は、肩を震わせ涙を流していた。
「そんなの、シャルだけの責任ではないわ……。浮気をしていたというじゃない……。」
僕は、心の動揺を隠せず瞬きが増える。震える拳をかたく握りしめた。
シャロンを、そんな風に扱うなんて。
「シャロンは?」
僕は、声を震わせながら怒りを抑えた低い声で聞いた。
「部屋に。」
叔母が答えた。
「……会えますか?」
叔父と叔母は、顔を見合わせた。
「エド、お前……。」
「お願いします。シャルに会わせてください。」
僕は、頭を下げた。
叔母が、涙を流しながら、僕を見つめて言った。
「エド……もう、あの子を傷つけないで。」
その言葉が、胸に刺さった。
僕は頷いた。
僕はもう、シャロンをあきらめない。
手放すことで、二度と傷つけない。
叔母と通いなれたシャロンの部屋を訪ねた。そして、叔母が扉を軽く叩いた。
「シャル、エドが来てくれたわ。」
中から、小さな声が聞こえた。
「……入って。」
叔母が扉を開けると、僕は中に入った。
窓辺に、シャロンが小さくなって座っていた。
——息をのんだ。
なんて痩せているんだ。やつれていた。痩せて、頬がこけて、あの頃の輝きは消えていた。髪も、以前より艶がなく、乾いて見える。
でも、それでも——
彼女は、シャロンだった。
「エド……。」
シャロンが、僕を見た。
その瞳に、涙が浮かんでいた。
「シャル……。」
僕は、彼女のそばに駆け寄った。そして、膝をついて、彼女の手を取った。冷たかった。
「大丈夫か?」
シャロンは、首を横に振った。
「……大丈夫じゃない。」
その言葉に、僕の胸が張り裂けそうになった。
「ごめん、シャロン。僕は——」
「謝らないで」
シャロンは、涙を流しながら微笑んだ。
「エドは、何も悪くない」
「でも……」
「会いに来てくれて、ありがとう」
シャロンは、僕の手を握った。
その手が、震えていた。
僕は、彼女を抱きしめた。頭に髪の上から、キスを繰り返した。
「シャル、何があった?」
僕は、静かに聞いた。
シャロンは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと話し始めた。
◇
「……5年間、子供ができなかったの。」
シャロンの声は、呼吸と混じる小さな声だった。
「夫は、最初は優しかった。でも、1年経っても子供ができないと、冷たくなったわ。」
僕は、黙って聞いていた。
「2年目には、夫に愛人ができた。」
シャロンは、震えをごまかすような声をだした。
「美しい未亡人で、身分も高い。そして——。」
シャロンは、ぽろぽろ涙がこぼれ、拭いもしない。
「その人に、子供が二人もいたの。」
僕は、シャルと見つめあったまま、張り裂けそうな気持でいた。
「僕は、君が苦しんでいた時に、何もできなかった。ただ、君がいないことを耐えていただけだ。」
「エド……愛人のところですぐに子供ができたのか、夫は私の部屋にも来なくなった。」
シャロンの声が、途切れる。
「私は、長いこと、もう妻ではなかったの。」
シャロンは、深く息を吸った。
「――そして、離縁を言い渡された。『子供ができないなら、用はない』と言われたわ。」
僕は、立ち上がった。怒りで、体が震えた。
「エド。」
シャロンが、僕の袖を掴んだ。
「もう、いいの!」
「どこがだ!」
僕は叫んだ。
「君を、そんな風に扱うなんて!」
「でも、事実よ。私は、子供を産めなかった。」
シャロンは、力なく笑った。
「それは、君のせいじゃない。」
「でも、結局、こうなった。私は、もう誰の妻でもない。ただの、厄介者ね。」
シャロンは、窓の外を見た。
その言葉に、僕の胸が痛んだ。
「違う」
僕は、シャロンの肩に手を置いた。
「君は、厄介者なんかじゃない」
「エド……」
「僕が——」
言いかけて、僕は口をつぐんだ。シャロンは、僕の沈黙を見て、微笑んだ。
「僕が君を守る。もう子供じゃない……今度は、絶対に手放さない。」
「エド……。」
僕は、シャロンにキスをした。顔を離すと、シャロンは僕と視線を合わすと、驚いて微笑みとともにゆるく瞬く。
僕は、イリーナの夫だ。
でも、覚悟ができた。僕が手に入れたいのは、一生側にいたいのは、間違いなくシャロンだ。
イリーナには悪いが、もうこれ以上は無理だ。
「シャロン、一度、帰るが、すぐに迎えに来る。」
「え?」
「どうしても持ってきたいものだけ、支度をしておいてくれないか。」
「でも、エド、あなた。奥さんは。」
「彼女には悪いが、もう無理だ。君がここにいて、いくら何でも、これ以上は耐えられない。」
「エド。悪い人ね……。」
「あぁ、僕は君を手放したときから、愚かな悪い男だ。もう間違えない。明後日には、必ず迎えに来る。」
「待ってる。」
◇
叔父の屋敷を出た後、僕は馬車の中で考えた。
僕はシャロンを、レーヴェンツ邸に連れて帰る。
そのためには、イリーナと離婚する。
でも、イリーナを路頭に迷わせるつもりはない。
離縁後も屋敷に住むことを許可し、生活の面倒は見る。
それが、僕の責任だ。
イリーナは、良い人だ。彼女を傷つけたくないとは思うが、それは無理そうだ。
僕は、シャロンを選ぶ。それが、僕の答えだ。屋敷に戻ると、すぐに執事を呼んだ。
「いつ、お迎えされるのですか?」
「明後日の夜に行く。」
「承知しました。」
僕は、書斎に戻り、手紙を書いた。
親族の長老たちへ。弟へ。叔父へ。父へ。
離婚の意思を伝える手紙を書いた。
イリーナには、言わなくてはならない。
しかし、だらしない僕は決断が付かなかった。
まず、シャロンを連れ帰ってから。
それから、ちゃんと話す。
離婚のこと。
全てのこと。
逃げていた。
イリーナは、傷つくだろう。
でも——
これが、僕にできる精一杯だ。すまない。
僕は、シャロンを愛している。
それは、変わらない。
心は、ずっとシャロンのものだった。
今更、それを隠すことはできない。
翌日。
僕は、イリーナといつも通り過ごした。
朝食を一緒に食べ、優しい言葉をかけ、微笑み返す。
でも、心は決まっていた。
イリーナは僕の笑顔を見て微笑み返す。その微笑みを見て、僕は罪悪感に襲われた。
ごめん、イリーナ。
君を、騙している。
でも、今は言えない。
シャロンを連れ帰ってから。
それから、全てを話す。
◇
そして、仕事を終えて帰ってきてから、出発しようとしていると雷鳴が遠く響いていた。
執事のハロルドが、天気が怪しいから、予定を変更できないかとしつこく言ってくる。
「いや、シャルと約束したんだ。待っているんだ。」
「しかし、危のうございます。」
「どうかなさったの?」
イリーナの声に、二人は振り返る。
「どこかへお出かけになるの? 雨も降っていますし、もう真っ暗ですわ。」
ハロルドも焦ったように口をはさんでくる。
「奥様も、お止めください。」
「いや、・・・・・・これは、どうしても行かなくてはならないのだ。」
「どんなご用件なのですか?」
イリーナは首をかしげた。
僕は、返事が遅れて弱い声が漏れる。
「いや・・・・・・。」
イリーナは僕の手にしている手紙を見て、よく見ようと、手紙に顔を近づけてきた。
「お手紙ですか?」
「イリーナ!」
僕は出したこともない大きな声を出し、玄関に響いた。イリーナはびくりと肩を揺らす。
「あ・・・・・・すまない。ほんとに、ただの仕事なんだ。」
「いえ、こちらこそ、申し訳ございません。」
イリーナとエドモンドの視線が、ほんの一拍だけ、絡み、エドモンドはそっと横に視線を外した。
「行ってくる。」
「・・・・・・お気を付けください。」
「ああ。」
玄関が開けられると、そのタイミングで、稲光が走り、続いて屋敷が揺れるような雷鳴が落ちた。
雨は勢いよく地面を打っている。外套を身にまとった御者が外で雨に降られている。
外套を羽織ると僕は馬車に乗り込み、すぐに出発させた。
「お気をつけください。」
イリーナは、いつものように微笑んだ。
僕は、頷いた。
「……ああ。」
それが、最後の会話になるとは、僕もイリーナも知らなかった。
馬車が動き出した。僕は、振り返らなかった。シャロンを迎えに行く。そして、彼女と一緒に帰ってくる。
それから、イリーナに全てを話す。僕は、決めたんだ。もう、後戻りはしない。
◇
雨が激しく降る中、僕は叔父の屋敷へ向かった。馬車が止まると、僕はすぐに降りた。雨が容赦なく体を打つ。
執事が驚いた顔で扉を開けた。
「エドモンド様!こんな夜に……」
「シャロンを迎えに来た。」
僕は、外套を脱ぎながら言った。
「少々お待ちください。」
執事は、奥へと消えていった。
しばらくして、叔父が現れた。その顔は、険しかった。
「エドモンド。」
「叔父上。」
「……何をしに来た。」
その声には、怒りが込められていた。
「シャロンを、迎えに来ました。」
僕は、まっすぐに叔父を見た。
「こんな嵐の夜に?」
「はい。」
「馬鹿な。帰れ!」
叔父が、額にしわを寄せながら怒鳴った。
「帰れません。」
僕は、一歩も引かなかった。
「お前は——。」
叔父は、顔を赤くしながら、拳を震わせた。
「お前には、妻がいるだろう。」
「はい。」
「ならば、なぜシャロンを連れて行こうとする。」
叔父の声が、廊下に響いた。使用人たちが一人二人と騒ぎに集まってきた。
「愛しているからです。」
僕は、静かに答えた。
「シャロンを、愛しています。」
「……エドモンド。」
「僕は、幼い時から、ずっとシャロンを愛してきました。でも、従兄妹だからと、引き離された。そして、シャロンはあの男のものになった。」
僕の声が、泣きそうに震えた。
「でも、あの男はシャロンを大切にしなかった。捨てたんだ。」
「それは……。」
「僕は、もう我慢できません。」
僕は、叫んだ。
「今度こそ、シャロンを離しません。」
叔父は、黙って僕を見つめていた。
「……イリーナ様と離縁するという、あの手紙は本気なのか?」
「離縁します。でも、屋敷に住むことは許可します。生活の面倒も見ます。」
「それで、済むと思っているのか?」
「済むとは思っていません。」
僕は、頭を下げた。
「でも、僕はシャロンを選びます。それが、僕の答えです。」
沈黙が、流れた。
雷鳴が、遠くで響いた。
「……エドモンド。」
叔父が、重い口を開いた。
「お前は、本当にそれでいいのか。」
「はい。」
「レーヴェンツ家の名誉を、傷つけることになるぞ。」
「承知しています。」
「親族から、非難されるだろう。」
「覚悟しています。」
「……それでも、シャロンを選ぶのか。」
「はい。」
僕は、顔を上げた。
叔父は、深く息をついた。
そして——
「……分かった。」
その言葉に、僕は目を見開いた。
「叔父上……。」
「シャロンを、連れて行け。」
叔父は、疲れたように言った。
「ただし——。」
叔父は、僕を見つめた。
「二度と、あの子を傷つけるな。」
「……はい。」
僕は、深く頭を下げた。
「絶対に、大切にします。」
叔父は、何も言わず、階段を上がっていった。
しばらくして、シャロンが階段を降りてきた。
小さな荷物を抱えて。
「エド……。」
彼女の目が、潤んでいた。
「待たせた。」
僕は、彼女に手を差し伸べた。
シャロンは、その手を取った。
「行こう。」
「……うん。」
僕たちは、玄関へと向かった。
叔母が、階段の途中で立っていた。
涙を流しながら。
「シャロン……。」
「お母様……。」
シャロンも、涙を流した。
「幸せに、なりなさい。」
叔母の声が、震えた。
「……はい。」
シャロンは、深く頭を下げた。
僕も、一緒に頭を下げた。
そして、僕たちは外へ出た。
雨が、激しく降っている。
雷が、空を切り裂く。
「大丈夫か?」
「エドと一緒なら。」
シャロンは、微笑んだ。
僕は、彼女を抱き寄せた。
そして、馬車へと向かった。
御者が、心配そうに見ている。
「旦那様、この天気では……。」
「構わない。出発してくれ。」
「しかし……。」
「頼む。」
僕は、強く言った。
御者は、頷いた。
僕たちは、馬車に乗り込んだ。
シャロンが、僕の腕にしがみつく。
「怖い?」
「ううん。エドがいるから。」
彼女は、僕を見上げた。
「愛してる。」
その言葉に、僕の胸が熱くなった。
「僕も、愛してる。」
馬車が、動き出した。
雨音が、激しくなっていく。
でも、僕は幸せだった。
やっと、シャロンと一緒になれた。
これから、ずっと一緒だ。
そう、信じていた。
◇
窓から、完全な暗闇が見える。馬が方向を変えたのか、遠心力がかかっている。
「エド。」
シャロンが僕の胸にしがみつく。
「愛しているよ。」
「わたしもよ。」
僕は彼女を強く抱きしめる。
そして今、僕たちを乗せたこの馬車は――永遠へと向かっている。




