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奴隷に転落すると思ったら猛獣伯爵の婚約者になったのですが?

第1話


 ルシルはパーティを眺め、溜息を吐いた。

 男爵令息ミック・イーシェフトは完璧な青年である。

 御伽噺の王子の如き容貌、人の好い性格、魅力的な話術……。

 彼は女性に途轍もなくもてた。そして男性からも好青年だという評価を受ける。

 男女から絶大な人気を誇る彼はいつでも人々の中心にいて、微笑みを投げかける。

 今日のパーティでも、彼は太陽のように輝いていた。


「ねぇ、ルシル。あなた、ミックへ感謝すべきよ? 彼が婚約者じゃなかったら、こんな貴族が集まるパーティに没落貴族のあなたが参加できる訳ないもの」

「そうよ。いくらルシルがちょっとばかり可愛かったとしても、しょせん没落貴族だもの。本来、ここにいるのは相応しくないのよ?」


 二人の令嬢の言葉に、ルシルは唇を強張らせて頷いた。

 ルシル・ネイタランスはミックの婚約者であり、没落貴族である。

 かつては子爵令嬢だったが、放蕩者の父親の所為で破産してしまった。

 その後、父親と母親は首を自死し、孤児となった彼女は婚約者ミックの元へ身を寄せた。

 ふと二人の令嬢の厳しい視線を感じ、ルシルは目を伏せた。

 彼女は稀有な美少女である。ピンクからライトブルーに変化する幻想的な美髪、ペールバイオレットの星の瞳、繊細な花弁を思わせる淡い色の唇……まるで神が丹精を込めて造り上げた人形といった美貌であった。


「やあ、何を話しているんだい?」


 そこにミックがやってきて、話しの輪に加わった。

 二人の令嬢はきゃあきゃあと黄色い声を出し、騒ぎ立てる。


「あなたのことを話していたのよ、ミック!」

「ルシルに“ミックへ感謝しなさい”って忠告したの!」

「えっ? どうして僕に感謝を? ルシルは何かしたのかい?」


 その問いにルシルは背筋が凍った。

 このままだと自分はただでは済まされない。


「あのね、ルシルったら詰まらなさそうに溜息を吐いたのよ!」

「そうよ、しかもミックの方を向いてね! 私がミックの婚約者だったら、絶対そんな真似はしないわ!」


 ルシルはそっとミックの目を見る。

 その瞳の中に凶暴さが宿った気がした。

 しかし彼はその瞳を隠すように目を細めて微笑んだ。


「何だ、そんなことか。きっとルシルはパーティに疲れてしまったんだよ。あんまり長居させたら悪いね。そろそろ家に帰ろうか?」

「まあ、ミック! 帰っちゃうの!?」

「ああ、ミック! 優しいのね?」


 そして彼は令嬢達にお辞儀すると、ルシルを連れて退席した。

 馬車に乗り、屋敷前へ辿り着くまでの間、彼女は生きた心地がしなかった。

 これから自分は酷い目に合う、それは決定事項なのだ。

 そして屋敷へ入るなり、地下室へ連れていかれた。

 この地下室は彼女を痛めつけるためだけに作られた拷問部屋である。

 ミックはルシルの地味なドレスを脱がせると、下着姿のまま石床に転がした。


「僕を見ながら溜息を吐いていたって? 何のつもりだい?」

「ち、違うの……それは本当にパーティに疲れて……――」

「うるさいよ、馬鹿女」


 次の瞬間、ルシルの腹が蹴られた。

 彼女は大きく咳き込み、パーティで食べたものを吐き出す。

 するとミックは嬉しそうにクスクス笑った。


「あーあ、当面の食料を吐いてしまったね? しばらくは空腹と戦わなくちゃね、ルシル。それにしても没落貴族の娘って浅ましいんだね? 世話になっている相手を見て溜息を吐くとは。まあ、君の頭が足りてないのは知ってるけど、ここまでとはね」


 ルシルが苦痛と屈辱に震えていると、拷問部屋の扉が開いた。


「ミック、帰っていたのね? ルシルがまた何かしたの?」


 現れたのは男爵夫人、ミックの母親だった。

 長い髪をひっつめ、かっちりとしたドレスに身を包んだ近寄り難い女性である。

 ミックはそんな母親を見るなり豹変し、両手を胸の前で握り締めて腰を振った。


「あぁん、ママ! あのねぇ、ルシルが僕を見て詰まらなさそうに溜息を吐いたんだってぇ! 悪い子だから罰を与えてたんだよぉ!」

「まあまあ、驚いたわ! 可愛いミックにそんなことをするなんて!」

「ふひっ! そうでしょ、ママ! 今から水責めにしようと思ってたんだぁ!」

「ええ、ええ、懲らしめてやりましょう。さあ、一緒にね?」


 そのやり取りを見たルシルはまた吐きそうになった。

 このミックは超が付くほどのマザコンだ。

 母親の前ではこうして幼児退行する。

 ルシルの軽蔑の視線を感じた母子はじろりと睨みを利かせた。


「今から三日、あなたを痛めつけるわ」

「そうだよぉ、ママと一緒にやるんだもんっ!」


 そしてルシルは髪を掴まれ、その頭を水桶に突っ込まれた。

 その苦しみの中で、彼女は大切な記憶を呼び覚ましていた。

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第2話


「ちゅぱちゅぱ、ママのおっぱい美味しいでちゅ」

「いい子ね、ミック。休んだらまた拷問を始めましょうね」


 ルシルは母子のおぞましい光景から目を背ける。

 あれから二日――

 彼女はひとつの思い出を抱き締め、拷問を耐え抜いていた。

 それはあまりに大切な思い出であり、唯一の宝物だった。

 男爵令嬢だった頃、避暑地で出会った美少年レイモンドは初恋の相手だった。

 漆黒の髪と瞳を持った男らしい彼をルシルは密かに騎士様のようだと思っていた。


『レイ、私をお嫁さんにしてくれる?』

『勿論だよ、ルーシー。必ず結婚しようね?』


 愛称で呼び合い、やがて二人は幼い口付けを交わす。

 ああ、レイモンドと過ごした日々は最も幸福な思い出だわ、ルシルはそう思って苦しみをかき消していた。

 いかに狡猾なミックと母親と言えども、心の中までは入ってこれない。

 彼女はその美しき思い出だけを糧に、必死で生きてきたのだった。


「ママァ! そろそろ拷問を始めようよぉ!」

「そうね。それじゃあ、次は関節を伸ばしてやりましょうか?」

「うんっ! 車輪で引っ張って痛い痛いするのっ!」

「うふふ、ミックは本当にそれが好きね」


 そして拷問が再開された。逃げる手立てのないルシルには大切な思いでしか頼れるものはない。彼女は悲鳴を上げて母子を喜ばせないように、歯を食いしばった。







 そして三日後、拷問部屋が突如開いた。

 疲れ果て、放心していたルシルは目を細めて入口を見る。

 そこにはミック、そして見知らぬ青年が立っていた。

 目が霞んでよく見えないが、随分と身なりの良い男だ。

 その青年がルシルを見るなり、口を開いた。


「この人があなたの婚約者ですか?」

「ああ、ルシルと言う。連れていっていいぞ」

「……え」


 “連れてっていい”、その言葉にルシルは怯えた。

 この青年は何者なのだろうか、まさかプロの拷問師ではないか。

 そんな嫌な考えが浮かび、口を閉ざしたまま震えてしまう。

 しかし黙っていても状況が分からないと思い、ルシルは勇気を振り絞って尋ねた。


「ど、どうして私を連れていくんです!?」


 するとミックはにやにや笑いながら、答えた。


「いやぁ、実は博打で負けが込んでね。でもこの方が婚約者を差し出せば、借金を肩代わりしてくれるって言うんだ。どうせルシルは俺の所有物だし、いいだろう?」

「そ、そんな……私は一体どうなるんですか……!?」


 その問いにミックはにやりとした。

 ルシルの頭の中に派手な警告音が鳴り響く。

 この笑みは自分を痛め付ける時に見せるものだ、と。


「お前はこの方の奴隷になるんだよ。まあ、性奴隷ってやつだね」

「な、何ですって……!」


 そして恐怖に震えるルシルに青年は淡々と告げた。


「ミック様のおっしゃる通りです。あらゆる手練手管を使い、あなたを快楽へ落して差し上げますよ。道具、薬、他の奴隷……何でも使いましょう。あなたはたった一晩で人間を捨てて獣と化すでしょうが、別にいいですね?」


 その言葉にルシルは絶句した。

 今までミックに性的暴行を加えられたことは一度もなかった。

 なぜなら彼の母親がそうすることを嫌がっていたからだ。

 母親は一々ルシルが処女であるか確かめており、そんな状況でミックが手出しできるはずもない。

 しかし長年守られたルシルの純潔もここで終りのようだった。


「はっははは! そりゃあ、愉快だ! 後で僕も混ぜてくれよ!」

「構いませんよ。ただし有料ですが」

「チッ、けち臭いな」


 そしてルシルは両腕を掴まれると、無理矢理地下牢から出された。

 外は真夜中で、ミックの両親である男爵も男爵夫人も寝静まっている。

 ルシルは悲鳴を上げようとしたが、口を押えられた。

 そして屋敷前に停まった馬車に連れ込まれると、乱暴に扉が閉められる。

 その時、窓の外にミックの悪魔のような笑みが見えた。


「――ルシル様、大丈夫ですか?」


 やがて馬車が動き出すと、青年が恭しく尋ねてきた。

 恐怖のあまりルシルは黙っていたが、次の言葉に目を瞠った。


「さっきの言動はあなた様を助け出す演技でした。失礼な真似をして、申し訳ありません。私の名前はレイモンド、あるお方の従者をしております」

「レ、レイモンド……!?」


 そしてルシルはようやくレイモンドを見た。

 後ろで束ねられた艶やかな黒髪、深い闇を思わせる瞳……それらは記憶の中のレイモンド少年と一致した。


「今からあなた様を私の主人の元へ連れて参ります」


 そう語る横顔にはあのレイモンドの面影があるような気がしてならない。

 ルシルは高鳴る鼓動を抑えきれず、目の前の男を見詰め続けた。

 すると相手が横目でこちらを見た。


「私の顔に何かついていますか?」

「い、いえ……何でもありません……」


 そして馬車は巨大な屋敷へ辿り着いた。

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第3話


 ルシルはこの物々しい建物に見覚えがあると思った。

 しかしどうしてもその主人の名前が思い出せない。

 やがて乗った時とは違い、丁寧な扱いで馬車を下ろされる。

 そして裏口から入るなり、彼女は待ち構えていた侍女達へと引き渡された。


「さあさあ、湯浴みを致しましょう」

「その後は着替えと化粧ですよ」

「えっ? えっ……?」


 ルシルはあれよあれよという間に裸にされ、浴槽に沈められた。

 胴体に付けられた傷が痛むが、文句を言う気力もない。

 彼女はされるがままになり、しばしの睡眠を取る。

 しかしすぐに浴槽から引き上げられると、傷の応急処置をされ、その上からきついコルセットを付けさせられた。

 そしてドレスを着せられ、化粧を施される。


「まあ! なんて綺麗なお嬢様でしょう!」

「こんなに美しい方、始めて見ましたわ!」


 侍女達に賞賛され、ルシルは慌てて鏡を見る。

 すると、そこには絶世の美少女が映っていた。

 今までは薄化粧しか許されず、ドレスも地味なものしか着せてもらえなかった。

 しかしこうやって華美に装うと、自分は恐ろしいまでに美しくなる……ルシルは驚きのあまり身を震わせた。

 その時、扉がノックされた。


「そろそろ準備はできましたか?」

「はい、レイモンド様。ルシル様は完璧ですわ」


 そして部屋に入ってきたレイモンドはルシルを見るなり、息を飲んだ。


「美しい……まるで愛の天使……いや、女神のようだ……」


 その言葉にルシルは頬を染めて縮こまる。

 確証はないものの、彼は大切な思い出の中のレイモンドそっくりである。

 そんな相手に褒められると、嬉しさのあまりにどうにかなってしまいそうだった。

 やがてレイモンドはまじまじとルシルを眺めると、手を差し出してこう告げた。


「我が主人がお待ちです。さあ、参りましょう」


 そしてルシルは手を引かれ、屋敷の奥へ向かった。

 屋敷内はあまりに豪華で、頭がくらくらする。

 しかし所々に剣や銃、毛皮などが飾ってあるのはいかがなものか。

 この屋敷の主人の趣味を思い、彼女はげんなりした。

 そうしているうちにレイモンドはひとつの扉の前で止まった。


「ランドルフ様、ルシル様をお連れしました」

「ああ、入れ――」


 その返事と共に扉は開かれ、窓を背に立つひとりの美青年が目に入った。

 ブラックからブラウンに変化するグラデーションの髪、黒と青のオッドアイ、気障に思えるほど整った顔立ち……そんな彼を見るなり、ルシルは青ざめて叫んだ。


「“猛獣”……! 猛獣伯爵……!」


 それは通称“猛獣”と呼ばれる伯爵、ランドルフ・エンティルだった。

 彼は戦闘に秀でており、あらゆる強者と戦いを繰り広げたという。

 そしてその凶暴性は戦闘に留まらず、討論でさえも激しい一面を見せるという。

 そんな彼は人々から恐れられ、美しい外見を持っているにも関わらず娼婦すら近寄ってこないとの噂だ。


「ほう、この俺に面と向かってそう言える奴がいるとはな?」

「ひっ……ひぐっ……!?」


 しまった、そう思ってももう遅い。

 ルシルは自らを抱き締めて怯える。

 するとランドルフは恐ろしい笑みを浮かべ、近付いてきた。


「面白い。ただのか弱い女と思っていたが、少しは気概がありそうだな?」

「い、いえ……私は……――」


 次の瞬間、ランドルフの端正な顔が目の前にあった。

 彼は強引にルシルの唇を奪ったのだ。

 そのあまりに無礼な行為に、ただ戸惑うしかない。

 不意に男の濃い匂いがして、彼女はぎゅっと目を閉じた。

 やがてゆっくりと唇を離すと、彼は言った。


「お前は今日から俺の婚約者になる。断ることは決して許さない。明日、披露目のパーティを開く予定だから、必ず出席しろ。話しはそれだけだ――」


 そしてルシルはレイモンドに腕を掴まれて部屋を出た。

 最後に見えたランドルフは唇に手を当て、微笑んできた。

 無言で廊下を突き進んでいくレイモンドに、彼女はこう尋ねた。


「これはどういうことなんですか……!? 私が猛獣伯爵の婚約者だなんて……!」

「その呼び名を言ってはなりません。あのお方の怒りに触れます」

「で、でもいきなり婚約だなんて……理解できません!」


 するとレイモンドは立ち止まり、こちらを振り返った。


「あのお方に意見することはこの私も、あなたもできません。私達はあのお方の所有物に過ぎないのです。どうぞ、そのことをよく理解して、お過ごし下さい」


 彼の黒い瞳が、これ以上口を利くなと言っていた。

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第4話


 翌日、ランドルフの婚約者お披露目パーティが始まった。

 ルシルは飛び切りのドレスを着せられて、パーティ会場で微笑んでいた。

 その笑顔はどことなく引き攣っており、疲れを感じさせる。

 彼女はあの後、混乱のあまり一睡もできなかったのである。

 それに三日間拷問を受けた疲れもある。

 今すぐパーティを終えて休みたい、彼女はそう願っていた。


「あらまあ、なんて美しい婚約者なんでしょう!」

「ああ、美しい伯爵にぴったりの女性だ!」


 そう言って挨拶したのは公爵と公爵夫人である。

 ルシルは緊張しつつもお辞儀を返す。

 このパーティには地位の高い人々が多く訪れていた。

 あちらには王族の者、あちらには大臣達、あちらには聖女と候補生達……というように尊き人々がちらほら見える。

 それだけでもルシルは気疲れして倒れてしまいそうだった。

 そのため、彼女は一旦お手洗いに立ち、会場から抜けることにした。

 しかし通路の途中で、彼女は絶句する。


「ミ、ミック……!?」

「ルシル……!? どうしてここにいるんだ……!?」


 そこにはこちらを見詰め、立ち尽くすミックの姿があった。

 その瞬間、拷問を加えられた時の恐怖が蘇り、ルシルの体が硬直する。

 彼女が立ち尽くしていると、ミックが耳元に唇を寄せて囁いた。


「そうか……伯爵の性奴隷になったのか……。婚約者のお披露目パーティに顔を出すとはいい度胸だな……」


 そう言ってミックはパーティ会場へ消えた。

 どうやら彼はルシルが伯爵の婚約者だと気付いていないらしい。

 彼が真実を知った場面を想像し、彼女は恐ろしくなった。

 このまま逃げてしまおうか――しかしどこへ?


「戻るしかないわ……。私は伯爵の所有物なんだから……」


 レイモンドの言葉が頭の中にこびりついて離れない。

 そして彼女は踵を返すと、会場へ向かったのだった。

 やがて彼女が戻ってくるのを見ると、ランドルフは頷いた。

 そして広間の中央へ立つと、話しを始めたのだ。


「お集まりの皆様、足を運んで下さったことを感謝します。今宵、この席で、わたくしは婚約者を発表致します。ルシル、前へ――」


 そしてルシルは伯爵の横に並んだ。

 その瞬間、盛大な拍手が上がる。


「ルシル・ネイタランスです……。この度、ランドルフ様の婚約者に……」

「――おいッ! そんなの聞いてないぞッ!」


 突如、声が上がった。

 困惑する人々を掻き分け、現れたのはミックである。

 彼は顔を真っ赤にし、ランドルフの前に立ち憚った。


「ルシルは僕の婚約者だッ! 貴様、僕の婚約者を奪ったな!」

「はて……? 何を言っているのですか……?」

「しらばっくれるなッ! お前は俺の婚約者ルシルを攫っただろうッ!」


 その言葉に会場が騒めいた。

 人々はひそひそと囁き合い、事の成り行きを見守る。

 そんな中、ルシルは恐れていた事態を前にして震えていた。

 もしかしたら自分はこのままミックの元へ帰されるかもしれない……そんな恐怖が浮かび上がる。

 しかしランドルフは不敵に笑った。


「攫った? 人聞きの悪いことを。俺はルシルを救ったのだ」

「救っただと!? 一体何から救ったというのだ!」

「ミック・イーシェフト、あなたの暴力からだ」


 そして伯爵は両手を後ろに回すと、会場に向けて話し始めた。


「ルシルはここにいるミックとその母親から長年、虐待を受けていました。私がそれを知ったのはほんの数週間前のことです。そこですぐさま従者レイモンドを使い、彼女を買い取る形で救い出したのです。彼女は食事も与えられず、腹部や肩など服で隠れる場所を重点的に責め抜かれていました。惨いことです」


 その言葉にミックはすぐさま反論した。


「嘘だッ! 僕と母を侮辱する気か! そんな証拠はどこにもない!」


 その言葉に会場が騒めいた。

 まさかここで淑女の服を剥いで確かめる訳にはいかない。

 確固たる証拠がない今、ランドルフの発言は不確かなものでしかなかった。


「ほう、証拠があればよろしいのですかな?」

「は? そんなものないだろうが?」


 そう言って高を括るミックに、ランドルフは片目を瞑った。

 そして会場の奥へ歩いていくと、年老いた聖女へ跪き、その手に軽く口付けた。

 彼女は結界や聖魔法によってこの国を守護する聖女セイラである。

 そしてランドルフは彼女にこう願い出た。


「セイラ様、聖魔法を使える候補生を貸していただきたい」

「ええ、よろしくってよ、ランドルフ。あなたには世話になったわ」


 国家防衛の要である聖女は敵国や魔物から狙われる。

 しかしその度にランドルフは死闘を尽くし、聖女を救ってきたのである。

 セイラは静かに頷き、ひとりの候補生を差し出す。

 ランドルフは候補生を連れて中央に戻ると、人々に告げた。


「この聖女の候補生は“嘘吐きを正直者に変える聖魔法”が使えます。その魔法を今、ミックへかけてもらおうと思います。よろしいですかな?」

「ふ、ふざけるなッ……! そんな魔法かけられてたまるかッ……!」


 突如ミックは逃げ出そうとした。

 しかしその両肩をレイモンドが掴む。


「ミック殿、君に拒否権はない。さあ、魔法をかけてくれ給え」

「はい、ランドルフ様」


 そして候補生はミックへ魔法をかけた。

 その途端、ミックは偽りの仮面を脱ぎ捨て、真の姿を現したのだった。


「うひゃひゃっ! 僕、ルシルを拷問するのが大好きなんだよぉ――」

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第5話


「あのねぇ、あのねぇ、ルシルの頭を水に漬けたり、関節を伸ばす機械でぐぃーんってやったり、お腹を殴ったり蹴ったり……すっごく楽しんだからぁ!」


 ミックはいつも母親の前でやるように、くねくねと腰を振る。

 その豹変ぶりを見た会場の人々は大きくどよめき、呆れ返った。

 あのミックが、完璧と謳われたミックが、こんな内面を持っていた……人々は落胆の色を見せる。

 一方、ランドルフはひとり笑いを噛み殺していた。


「クク……おっと失敬。それでミック殿はどうしてルシルを手放したのかな?」

「えっとね! 博打の借金を代りに払ってくれる人にあげたの! その人はルシルを奴隷にするって言ってたのに、ここへ来たら伯爵の婚約者になってたんだぁ! それで僕、ぷんぷん怒って、伯爵からルシルを取り戻そうとしたの!」

「と言うことはルシルは攫われた訳ではないんだね?」

「うんっ! 僕が売っ払ったんだよ!」


 にこぉっとミックは微笑んだ。

 その幸せそうな笑みにルシルは怒りを感じた。

 この男、今ここで殴ってやりたい。

 するとランドルフが心を見透かしたように言った。


「ルシル、一発殴れ」

「えっ……? でも……――」

「構わん。人々もそれを望んでいる」


 会場を見渡すと、誰しもが真剣な表情で頷いていた。

 ルシルはそんな人々に押されるようにミックの前に立つと、手を高く上げた。

 彼女にとってミックを殴ることは有り得ないことである。

 なぜなら溜息を吐いただけで、罰せられるのだ。

 するとミックは頬をぷうっと膨らませて抗議し始めた。


「馬鹿なルシル! 僕をぶったら拷問だぞっ!」

「……う、うるさいッ! もうあなたの言いなりにはならないわッ!」


 この幼児じみた男になら対抗できる。

 そう思ったルシルは全力でミックの頬が張った。

 パァンと響いた直後、彼は信じられないという表情をして泣き出した。


「びえええぇぇぇんッ! いだぁぁぁいッ! ルシルがぶったぁッ! ママァ! ママァ! おっぱいちょうだいッ!」


 ミックはそう叫ぶと、その場に座り込んで失禁した。

 豪華な絨毯に恥ずかしい染みが広がっていく。

 あまりの酷さにルシルも会場に集まった人々も絶句する。

 いい大人が失禁するなんて情けない、誰しもそう思っていた。

 そんな中、ついに堪え切れなくなったランドルフが笑い声を上げた。


「はっはははははは! 候補生の君、さっさと魔法を解いてやれ!」

「は、はいっ! 分かりましたっ!」


 そして候補生は魔法を解いた。

 その途端、ミックは我に返り、辺りを見渡した。


「ぼ、僕は一体何を……? うわっ!? 股間が濡れてるじゃないか!?」

「ククク……ミック殿、君はお漏らしをしたんだよ?」

「な、な、な……なんだとぉ……!?」


 ミックは慌てて立ち上がると、ランドルフを睨んだ。

 しかしその眼力に負け、すぐさまレイモンドを睨む。

 そして指を差しつつ喚き散らした。


「お、お前ッ! お前が悪いんだッ! 僕の借金を肩代わりすると言ってルシルを連れて行ったから……全部お前の所為だッ! この卑怯な小蝿めッ! 主人に媚びを売って糞を恵んでもらえッ!」


 その言葉にレイモンドは何も言わずに目を伏せるだけだった。

 ミックは憤然としたまま会場を後にした――絨毯におしっこの染みを残して。


「皆様、わたくしへの疑念は晴れましたかな? それではパーティを始めましょう。さあ、勇敢なルシルよ、前へ出給え。君が今日の主役だよ?」


 そんなランドルフの声が響き、お披露目パーティが始まった。

 招待者達の口に上る話題がミックの醜態であったことは言うまでもない。







 ルシルは少しだけ、ランドルフのことが好きになっていた。

 彼は恐ろしいように見えて、実は気さくで面白い。

 それにいつもお土産と言っては宝石やドレス、高価なお菓子をくれる。

 ただし狩りで捕らえた魔物の首をもらった時は卒倒しかけたが……。

 それでもルシルはこれまでよりも、ずっと幸せな日々を送っていた。

 罵倒されることも、拷問されることも、もう有り得ない。

 そんな天国のような暮らしの中、体の傷も徐々に癒えていった。

 そんな時だった――


「ルシル。今晩、俺の寝室へ来い」


 そう言われた時、ルシルの目の前が真っ暗になった。

 私はまだ心の準備ができてない、そう言いたかったが口が開かない。

 黙り込んでいると、ランドルフが睨んだ。


「どうした? 嫌なのか?」

「い、いえ……でも……あの……」


 ルシルは青ざめ、わなわなと震えていた。

 そんな姿を見るなり、ランドルフは舌打ちをした。


「そうか、そんなに俺の相手は嫌か」

「ち、違います……! ランドルフ様……!」

「何が違うんだ! そんなに震えて、この俺が恐ろしいか!?」

「恐ろしい訳ありません……ただ……――」

「もういい! お前など知るか!」


 そしてランドルフは部屋を出ていってしまった。

 取り残されたルシルはひとり涙に暮れたのだった。

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第6話


「ルシル様、これで涙を拭って下さい」

「ありがとう……」


 レイモンドが差し出したハンカチで、ルシルは涙を拭いた。

 神に誓ってランドルフのことは嫌いではない。

 しかし寝所を共にするのはまだ早い、そう思っていた。


「ランドルフ様はああ見えて繊細なところがおありです。きっとさっきのやり取りを長いこと引き摺りますよ」

「こ、困ったわ……。どうしましょう……」

「簡単です。今晩、彼の寝室へ行って心からの謝罪をすればいいのです。そしてそのまま朝までお過ごし下さい」

「そ、そんなの無理よ……!」


 恭しく告げるレイモンドの姿を見ると、ルシルは胸が痛くなった。

 もし誘ってきたのが彼だったら、私は承諾していたかもしれない……そんな気持ちが込み上げる。

 なぜなら彼は大切な思い出の中のレイモンドかもしれないのだから。

 彼女はしばらく押し黙ると、今まで尋ねたかったことを口にした。


「ねぇ、レイモンド。あなた、幼い頃に避暑地へ行ったことはない?」


 するとレイモンドは少しだけ考え、答えた。


「ええ、毎年参りました。そこで可愛らしい少女と遊んだ記憶がございます」

「本当に!? その子のこと覚えている!?」

「ええ……その子は確か……――」


 レイモンドはルシルを見詰め、その髪を優しく撫でたのだ。


「ピンクとライトブルーの髪、ペールバイオレットの瞳……それはあなたです」

「ああ……! やっぱり、あなたがあのレイモンドだったのね……!」


 ルシルは嬉しさのあまりレイモンドへ抱き付いた。

 彼もルシルを抱き返し、二人は熱い抱擁を交わしていた。

 ああ、愛しいレイモンド……レイ……ようやく会えたのね……。

 今までの思いが一気に噴き出し、彼女の頭と体を支配する。

 ずっと彼のことを思って辛い拷問に耐えてきたのだ。

 ついに泣き出した彼女の涙を、レイモンドは優しく拭ってくれた。


「どうして……! どうして黙っていたの……!」

「あなたは主人の婚約者です。従者の私とは釣り合いません」

「そんなことどうでもいいわ……! 一緒にここから逃げましょう……!」

「それは、できません」


 レイモンドの顔色が曇る。

 そして彼は唇を震わせながら言った。


「ランドルフ様はとても恐ろしい方です。自分の所有物はひとつだって逃がしはしません。私達は逃げることすらできないのです」

「そんな……それじゃあ、どうしたら……――」

「愛しいルシル様、こうして時々語り合いましょう。それしか今はありません」

「そう……そうよね……」


 そして二人はほんの少しの間だけ抱き合い、満足したのだった。







 それからしばらくランドルフは口を利いてくれなかった。

 それどころか目を合わせることすら嫌な様子だった。

 やはり彼は酷く傷付いているらしい。

 その原因が自分にあると思うと、ルシルは悲しい気持ちになった。

 鬱々と過ごす日々だったが、それでもレイモンドがいると思うと元気になれた。

 そんなある日、使用人達が中庭にお茶の用意をしているのを見かけた。

 すぐ傍で指示を出しているレイモンドへ駆け寄り、ルシルは尋ねた。


「レイモンド? どうしたの?」

「ランドルフ様のご命令です。ルシル様が外出をなさらないから、御親類の令嬢達を呼んでお茶会をするようにと。今朝から、あの方は妙にご機嫌になったのですよ」

「まあ、そうだったの……」


 そして昼下がり、ルシルはランドルフと親戚だという令嬢達と会った。

 可愛らしいシェリル、綺麗なセシリアが手土産を持って訪れる。

 彼女達は婚約おめでとうとルシルにお辞儀し、すぐにお茶会が始まった。


「まあ、魔物の首を!? ランドルフならやりかねないわ!」

「怖かったでしょう、ルシル! 私なら倒れるわ!」

「ええ、私もあと少しで倒れるところだったわ」


 三人はすぐに意気投合し、話に花を咲かせていた。

 シェリルもセシリアも、ランドルフが危ないことをする人物だとよく分かっており、同情してくれる。

 そもそも魔物の首は怨念が残っていることが多い。

 そのため、場合によっては呪いを受けるのだ。


「それが“俺が一瞬で倒したから、怨念など残っていない!”って言うのよ! 本当に自信家なんだから!」

「うふふ! ランドルフらしいわ!」

「困った夫になりそうね?」


 二人は満面の笑みで頷く。

 そんな様子を見ていると、ランドルフが良い人なのだと否が応でも分かる。

 ルシルは自分が取った言動を恥じ、罪悪感に胸を痛めた。

 その時、シェリルとセシリアが真剣な表情になって言った。


「そう言えば、あなたを酷い目に合わせたミックの話しを知ってる?」

「そうそう、あのミックという方、闇討ちにあって亡くなったそうよ」

「え……――」


 ミックが亡くなった。その言葉にルシルは硬直した。


「それは本当に……?」

「ええ、とても酷い怪我を受けて、その挙句死んだらしいの」

「その死体はあまりに悲惨で、兵士でさえも近寄れなかったそうよ」

「ね、ねえ……! ミックが亡くなったのはいつ……!?」

「えっと、昨日の晩かしら?」


 ルシルの頭の中にひとつの可能性が浮かんだ。

 ミックが亡くなったのは昨日の晩。

 そしてランドルフがご機嫌になったのは今朝から。

 まさか彼がやったのでは……そんな憶測が頭を駆け巡っていた。

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第7話


 ルシルの様子がおかしいと感じたシェリルとセシリアが顔を見合わせる。

 彼女達はまさかミックの死をルシルが悲しむとは思っていなかった。

 むしろその死を喜び、元気になってくれると思ったのだ。

 なぜなら彼女は壮絶な拷問を受けたのだから――

 その時、中庭にひとりの人物が現れた。

 それはご機嫌そうなランドルフであった。


「まあ、ランドルフ。ご機嫌よう」

「久しぶり、随分気分が良さそうね」

「ああ、二人共。昨日の夜、丁度厄介な仕事が片付いてね!」


 その言葉にルシルの疑惑は確信に変わった。

 ランドルフがミックを殺した、そうに違いない。

 目の前がグニャリと歪み、景色が遠くなっていく。

 そんな中、ランドルフの愉快そうな声が響き渡った。


「俺も話に混ぜてくれるか? 何の話をしていたんだ?」


 胸の中が怒りで一杯だった。

 猛獣伯爵、彼を信じた自分が馬鹿だった。

 だから彼の問いに、ルシルはこんな風に答えた。


「私達、初恋の話しをしていたのですよ」

「初恋だと……? ルシルの初恋の相手は一体誰なんだ……?」


 顔を顰めて言葉を返すランドルフに、ルシルは唇を噛んだ。

 彼女はいかに悪人と言えど、命を奪うのは反対だった。

 それにしても、この人は本当に最低だわ……。

 あれほど恥を掻かせたミックを殺してしまったんだもの……。

 いかに私に虐待を加えていたとしても、命まで取るなんて有り得ない……。

 そんな考えに支配された彼女は一気に捲し立てた。


「私の初恋は九歳の頃、近くの避暑地でのことです。その時、出会ったレイという黒目黒髪の美少年に恋をしたのです。夏の間中、私と彼は二人きりで遊び回り、最後には口付けを交わして結婚の約束をしました。だから私はその初恋の少年としか結婚したくないんですッ! 猛獣伯爵なんかと結婚するのは絶対に嫌ッ!」


 ルシルはそう叫ぶと、席を立って走り去った。

 今まで隠していた本心をようやく喋ることができた。

 私の心に住めるのはレイ――レイモンドだけなのよ。

 そんな達成感が体の中に満ち溢れている。

 ふと振り返ると、ランドルフが顔を真っ赤にして震えているのが見えた。







 ルシルがランドルフの書斎へ呼び出されたのは、その数時間後のことだった。

 泣き腫らした顔で訪れたルシルをランドルフはギロリと睨み付けた。

 どうやらさっきの初恋の話しが効いているらしい。

 彼は怒りに燻ぶった表情で問うた。


「何なんだ、ルシル? 何が不満だ?」


 その問いに、ルシルは視線を鋭くして答えた。

 今ここではっきり言わなければならない。

 彼女は勢いよく口を開く。


「ミックを殺したでしょう! あの人は昨晩亡くなったんですよ!」

「ああ、それか。その件に関しては、現在調査中だ」

「調査中ってどういうことですか……!」


 するとランドルフは渋い表情をして、答えた。


「確かに、ミックへ制裁を加えるよう、俺は指示を出した。しかし命を奪えとは指示していない。きっと何か手違いがあったんだ」

「手違い……!? 手違いで人の命が失われたんですか……!?」

「おい、さっきからずっとそのヒステリックな態度だ。そろそろやめてくれないか。こちらも我慢の限界というものがある」


 冷徹なランドルフの表情に、ルシルは震え上がった。

 しかし今ここで引き下がっては、殺人鬼に尻尾を振るようなものだ。


「ランドルフ様、あなたは最低です!」


 そして堰切るようにルシルは語る。


「使用人のひとりが言っていました! ランドルフ様はとても恐ろしい人で、私や使用人達を所有物だとしか思ってないって! しかもあなたが恐ろしいあまり、逃げ出すこともできない! あなたは本当に猛獣……質の悪い獣です!」


 そこで言って、ルシルは口元を手で覆った。

 使用人とは言ったが、その内容は全てレイモンドの言葉だった。

 しかし言い過ぎてしまった……。

 このままでは自分の命すら危うい……。

 しかしランドルフは静かに立ち上がると、彼女に背を向けた。


「もういい、部屋へ戻れ」


 そして彼はこちらを振り返ることはなかった。

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第8話


 その数日後、ランドルフは屋敷を空けた。

 遠方の領地で揉め事が起き、領主である彼が出向く必要が生じたらしい。

 その好機をルシルとレイモンドが逃すはずがなかった。

 夜になるのを待って部屋の鍵を閉めるなり、二人は抱き合った。

 口付けを求めるレイモンドに、ルシルは恥ずかし気に応えた。

 かつては幼い口付けしかできなかったが、今では大人の口付けができる……そう思うとルシルの胸が高鳴った。

 やがて唇を貪り合った後、レイモンドが囁いた。


「ルシル様……今宵、思いを遂げましょう……」

「ま、待って……レイモンド……。まだ早いわ……」


 レイモンドが相手なら、ランドルフに言えなかった言葉も言える。

 断られたにも関わらず、彼は素直に頷くと、こう切り出した。


「それではルシル様。これから屋敷内を散歩しませんか? この屋敷には隠し部屋が存在していて、とても面白いのですよ?」

「本当に? 楽しみだわ! 連れていって!」


 そして二人は夜の散歩へ繰り出した。

 音楽室、図書室、薬草の貯蔵庫、美術品の倉庫……ありとあらゆる部屋を巡り、最後にランドフルの祖父の部屋へ入る。

 そして本の位置を入れ替えると、本棚が開き、地下へ向かう階段が現れた。


「まあ、凄い……!」

「これは代々従者の家系に伝わる秘密です。ランドルフ様も知らないでしょう」


 二人はランプを掲げ、地下へ降りていった。

 ルシルは蜘蛛の巣が張られ、鼠がいるのを想像したが、そんなことはない。

 階段は綺麗に掃除され、ピカピカと輝いている。

 やがて階段を降り切ると、そこにはひとつの扉があった。


「実はここを私達の秘密基地にしようと思ったんです」


 レイモンドが恥ずかしそうに言う。

 少年の心を失わない彼にルシルは感動した。

 ああ、やっぱりレイモンドは可愛い……そんな気持ちに包まれる。

 彼女はすぐさま頷くと、微笑みを見せた。


「あの夏の日、秘密基地を作ろうとして失敗したのよね?」

「はい、だからここを用意していたんですよ。さあ、中へ」


 そして開かれた扉から、ルシルは中へ入った。

 そこは真っ暗で、何も見えない。

 やがてガチリと鍵が閉まる音がして、ランプが照らされた。

 そこには――


「え……?」


 拘束具の付いた台座、三角木馬、注射器、粉薬、猿轡、荒縄、鞭……ありとあらゆるいかがわしい道具が並んでいた。

 ルシルは恐怖に震えながらレイモンドを見詰める。

 すると明かりに照らされた顔に恐ろし気な笑みが浮かんでいた。


「ルシル様は何か思い違いをされているようですね? 私は避暑地で出会ったレイモンドなどではありませんよ? 私はあなたの魅力に参ったただの男です」


 ルシルは悲鳴を上げ、扉へ向かった。

 しかしそこは鍵がかけられ、開くことはない。

 そんな彼女の肩を掴み、レイモンドがにっこり微笑む。


「や、やめて……私に何をするつもり……!?」

「こう言ったはずですよ。――あらゆる手練手管を使い、あなたを快楽へ落して差し上げますよ。道具、薬、他の奴隷……何でも使いましょう。あなたはたった一晩で人間を捨てて獣と化すでしょうが、別にいいですね?」

「い、いやあああああああああぁッ!」


 ルシルはレイモンドを殴ろうとした。

 しかしその腕は掴まれ、彼女は唇を奪われた。

 彼の舌が口の中に入り、それと同時に何か薬を飲まされた。


「うっ……何を飲ませたの……!?」

「強力な媚薬です。数分も経たずに効いてくるでしょう」

「くッ……うぅ……おえぇ……――」


 喉の奥に手を突っ込み、ルシルは媚薬を吐き出そうとする。

 その瞬間、彼女は抱きかかえられ、拘束具付きの台座に乗せられた。

 あっという間に手足がベルトで縛られ、身動きが取れなくなる。


「初めては思い出のレイモンドの振りをして、優しくしてあげようと思ったんですよ? でもあなたはそれを拒んだ。だからこれから行為は残酷なものになるでしょう。まあ、その苦痛もいずれ快楽に変わるようにして差し上げますが――」

「ひ、卑怯よ……! うぅっ……胸が熱い……!」

「ふふふ、媚薬が効いてきたようですね」


 そしてレイモンドはナイフを取り出し、ドレスを引き裂いていった。

 ルシルは屈辱の中で涙を流し、悲鳴を上げ続けていた。

 この男は大好きなレイモンドとは似ても似つかない鬼畜だった。

 しかも自分を玩具にしようとしている。

 彼女が絶望したその時だった――

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第9話


 鍵がかかっていた扉がぶち破られた。

 吹っ飛んだ扉が台座に当たり、派手な音を立てる。


「ルシル! 無事か!?」


 そこに現れたのはランドルフであった。

 彼は部屋に入ると、剣をレイモンドへ突き付けた。

 ルシルは状況が飲み込めず、目を白黒させる。

 なぜ遠方の領地へ向かったランドルフがここにいるのだろうか。

 その時、彼は声を上げた。


「レイモンドッ……! 貴様がミックを殺したのだろうッ……! それに気付いた俺は貴様の行動を見張り、いつでも踏み込めるようにしておいたのだッ……!」


 レイモンドがミックを殺した――その言葉がルシルの頭を巡る。

 それを数分前に話されたら、絶対に信じなかっただろう。

 しかし今では心から納得のいく話であった。


「ははっ! あんな奴、殺すに決まっているでしょう! 幼児退行のお漏らし野郎の癖に、この私を小蝿と罵ったんですよ! 死んで当然です!」


 レイモンドはそう叫ぶと、手元の鞭を取った。

 それをランドルフへ放とうとした瞬間、彼の腕ごと切り落とされた。

 赤い血飛沫が散って、ぼとりと腕が落下する。


「ぎぃ……ああぁあぁあああぁあああぁッ!?」

「その上、お前は婦女子をかどわかし、性奴隷にしていたそうだな。その報い、これからきっちり受けてもらうぞ。おい、お前達、こいつを連れていけ!」


 すると男達が入ってきて、レイモンドの腕を止血すると、どこかへ運んでいった。

 ランドルフはすぐにルシルへ駆け寄ると、彼女の手足の拘束を外した。

 しかし媚薬がすでに効いており、彼女は苦しみの中にいた。


「ランドルフ様……お願い……助けて……――」

「今医者を呼んだ。もう少しの辛抱だ」


 そしてランドルフは彼女に膝枕をし、気が紛れるように話をした。

 彼はあらゆる強敵と戦い抜いた日々を語り、彼女を励ます。

 媚薬が効いた自分を前にしても、手を出すことはない。

 そんな姿をルシルは紳士的だと感じた。


「それで、俺はこの右目に魔法の傷を負い、瞳が青に変化してしまったんだ。元々は両方黒目だったのだが、今ではオッドアイだ」

「え……? もともとは黒目だったのですか……?」

「ああ、髪の毛も黒髪だった。今は薬品を使って脱色している」

「そ、それじゃあ……本当は黒髪黒目なのですか……?」

「ああ、そうだよ。ルシル」


 ルシルを見詰めるその瞳は優しく、遠い記憶を呼び覚ます。

 彼も、レイモンドもこんな風に優しく笑っていた。


「ラ、ランドルフ様……あなたは……もしかして……――」

「そうだよ、ルーシー。俺がレイモンドだ」

「あ、ああッ……そんなッ……!?」


 衝撃のあまり、ルシルは飛び起きた。

 そしてランドルフの顔を両手で挟み、じっと見詰める。

 その途端、彼は恥ずかしそうに視線を逸らして、その頬を赤らめた。


「ルーシーが茶会で俺のことを語った時、嬉しさのあまり赤面してしまった。でもすぐにレイモンドと勘違いしていると分かり、怒ったが――」

「そんな……どうして幼い頃、レイモンドの名を語ったの……?」

「それは両親に下位の貴族と関わるなと言われていたからだ。でも君はあまりに可愛くて、どうしても仲良くなりたかったんだ。だから従者のレイモンドの名を借りて君と遊んだんだ」

「そう……そうだったの……」


 そのように説明されても、ルシルは腑に落ちなかった。

 一度、従者のレイモンドには騙されているし、何より筋骨隆々のランドルフにはかつての美少年の面影がないため、今回も嘘かもしれないと感じた。

 そんな風に思っていると、ランドルフが彼女を抱きかかえた。


「な、何をなさるのです……!?」

「今から俺がレイモンドである証拠を見せよう」


 そしてランドルフはルシルを抱いたまま階段を上がり、祖父の部屋に戻った。

 そのまま彼女をソファーに横たえると、アルバムを捲って写真を探した。


「ああ、あった。この中央が俺で、横が従者のレイモンドだ」」


 ルシルは写真を受け取ると、恐る恐る覗き見た。

 そこには記憶と一致するレイモンド少年の姿があったのだ。

 騎士様のように凛々しい顔立ちをした美少年、彼がにっこり微笑んでいる。


「ほら、こっちにも写っている。証拠ならいくらでもあるから見るがいい」

「いえ……いいえ……もう分かりました……。あなたが……ランドルフ様が……愛しのレイだったのですね……?」


 涙を溢れさせながら、ルシルは笑った。

 それを見たランドルフは堪え切れず、彼女を抱き締めた。


「ああ、ルーシー! ずっと君だけ愛していた!」


 それから二人は抱き合い、駆けつけた医者を追い返し、朝まで過ごしたのだった。

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第10話


 ランドルフは避暑地から去った後、密かにルシルの身辺調査をしていた。子爵家が没落してルシルが孤児となった時、どうにかして彼女を救おうとしたが、幼い彼にそれはできなかった。しかし完璧と謳われるミックの婚約者となり、幸せに暮らしていると聞いてからは彼女を諦めていた。


「そんな折り、レイモンドから聞いたんだ。借金をこさえた男が、婚約者を虐待しているってね。調べてみたら、何とそれは君だった。だからすぐに救い出したんだが……それはレイモンドの計画だったんだ。あいつは地下室に君を閉じ込め、他の女性達と同じように性奴隷にするつもりだった」


 その言葉にルシルは息を飲んだ。

 もしあと少し遅かったら、自分は純潔を奪われていた。

 しかしそこに駆けつけたヒーローにその純潔を奪われたのだが。


「それで、レイモンドはどうなったのです……?」

「今は牢に入れられ、見張られている。人も殺しているし、もう二度と出てくることはないだろう。俺は主人として、あいつの罪をひとつ残らず暴くつもりだ」

「そう……ですか」


 ルシルは肩を落とすと、立ち上がる。

 そして深々と頭を下げて謝った。


「今までの無礼を詫びます、ランドルフ様。私が馬鹿だったばかりに、あなたを罵り、傷付け、自分の身すらも危険に晒してしまったのです。どうか罰をお与え下さい」

「頭を上げろ、ルーシー」


 ランドルフは困ったように命じる。


「愛するお前に罰など与えられるか。俺はお前だけを思い、生きてきたのだぞ?」

「それは私も全く同じです……。拷問を受けた時、ずっとレイのことを思って苦しみに耐えていたのです……」

「ああ、ルーシー。そんなに可愛いことを言わないでくれ」


 そしてランドルフはルシルを抱き締め、膝に乗せた。

 初恋の君を崇拝する彼にとって彼女ほど美し女性は他にいない。

 実際、彼女は誰よりも美しかったから、彼が他の女を眼中に入れなかったのは仕方のないことだった。


「可愛いこと? 可哀想なことではなくって?」

「悪いな、ルーシー。俺は猛獣なんだよ。可哀想が、可愛いなんだ」

「まあ! 呆れました!」


 ルシルは立ち上がり、自分の席へ戻ろうとする。

 しかしランドルフの怪力に阻まれ、それはできなかった。


「私のことが好きなら、屋敷へ来た時から優しくして下さればよかったのに!」

「あの時は君が俺のことなんて忘れていると思って、拗ねていたんだ」

「それでも、すぐにレイだと言って下されば、良かったのです!」

「恥ずかしくて言えなかったんだ……分かってくれ」


 そう言ってランドルフは彼女の首筋に唇を這わせた。

 それは獣が甘えている仕草のようで、ルシルはくすぐったくなった。

 恐ろしいと思っていた彼は実は可愛い愛玩動物かもしれない……そんな気持ちが芽生えていた。


「ランドルフ様、いいえ、レイ。もう私をひとりにしないで下さいね?」

「ああ、勿論だ。絶対に離さない。お前が死んだら、俺も死んでやる――俺はお前の愛の鎖に繋がれた獣だからな」


 ルシルはこの自分の愛でしか生きていけない美しい獣を、慈しもうと決めた。

 そして二人は口付けを交わし、永遠を誓ったのだった。


―END―

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現実世界〔恋愛〕に異世界タグで投稿とか終わってんな
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