2684年間の果てに
三国志における蜀の2代目皇帝劉禅は、蜀滅亡後に中国大陸を統一した晋に身を置いていた。
ある日、宴席呼ばれて参席すると、蜀の音楽が演奏された。
蜀の旧臣は落涙したが劉禅は笑っていた。それを見た晋の将軍司馬昭は、「人はここまで無情になれるものなのか。諸葛亮が補佐し切れなかったのだから、姜維には尚更無理だっただろう」と語った。
また、司馬昭が劉禅に「蜀を思い出されますか?」と尋ねたところ「いいえ、ここは楽しく、蜀を思い出す事はありません」と答えた。これには家来のみならず、列席していた晋の将たちさえも唖然とした。
この逸話から「どうしようもない人物」指す「扶不起的阿斗(助けようのない阿斗)」ということわざが生まれた。
ロシアによる核威嚇から数日後。日本は4か国に降伏を宣言した。
ウクライナと違い、北海道侵攻から僅か1か月あまりしか持たなかった。
国際社会は、非難声明と遺憾の意を発表するだけで実質何も動けなかった。
国土は4か国に分割統治され、北海道と東北地方そして関東地方はロシアに。対馬と中国地方は韓国。中部地方は北朝鮮。残った沖縄地方と九州、四国と関西地方が中国の統治下に置かれることになった。
日本政府は解体され、各都道府知事並びに自治体の長は全て4か国の人間か、息のかかった人間に挿げ替えられた。
日本人の動きは厳しく管理され、政治活動も禁止された、言論の自由、思想の自由などもってのほか。上から指示されたこと、上が決めたことに黙って従う以外に生きていく道がなくなった。
中には、日本人同士の婚姻が禁止となる地域まで現れた。
ここに、神武天皇以来2684年間存続した日本国は滅亡した。
流石に皇族はアメリカも受け入れたので、それをもって今だ日本は滅亡していないと主張する者もいたが、誰が見ても一つの国が消滅したことは明らかだった。
日本脱出に成功し、亡命に成功した人の大半はアメリカに渡った。その数は10万にも満たなかった。
陸路で移動できる国と違い、航空機か船でしか外国に移動できない海洋国家の悲劇だった。
亡命日本人達の多くは日本奪還のための活動をしなかった。
それよりも、アメリカでの生活を安定させることを優先した。
コロナ渦前より始まっていた個人主義の蔓延と国家間の無さは、日本人から戦うという選択肢をはなから奪い去った。
数年後、日本の曲が音楽番組で流れた時、日本人は笑っていたという。なぜ笑っていられるのかと問われると、こう答えた。
「今が幸せですから。あの時、日本を脱出できて本当に良かった。脱出できずに列島に残された日本人の境遇を思うと、自分の幸運を感謝せずにはいられません。」
また、ある者はアメリカ人の選挙活動の活発さを見て不思議そうにこう言った。
「なんでこんなに選挙活動に熱心なのですか? 政治なんて誰がやっても一緒でしょう?」
アメリカ人の冷笑と侮蔑の目を、当の日本人だけが理解できずにキョトンとしていた。
本作品をお読みいただきありがとうございます。
出来の悪い仮想戦記と評価されることは承知の上です。
しかし、2019年12月31日のあなたに2020年以降の世界の事を説明しても、やはり出来の悪いSF小説と笑ったでしょう。
最早、何が起きてもおかしくないのです。
新たなパンデミックが起こることも、ウクライナ以外で戦争が始まることもあり得るのです。
個人的には、後の歴史教科書に2024年2月24日は第三次世界大戦の開戦日だったと記されてもおかしくないと思っています。
最後に、選挙に行きましょう。
自分よりも頭の悪い人に政治をされてストレスをためるくらいなら、自らの意思を表明してほしいと願っています。
是非、プラトンの言葉を思い出してください。