襲い掛かる国々
「国際法などあてにならぬ。大国は無視できるのだから。」
ドイツの宰相 ビスマルク
2024年2月某日。
この日、ロシアの艦隊が津軽海峡を通過した。
それは2年前から始まったウクライナ侵攻から幾度となく行われており、国民も自衛隊も慣れっこになってしまっていた。
違ったのは、突如としてロシア艦隊からミサイルが発射され、北海道と青森県にあった陸海空自衛隊それぞれの基地と、東北地方にある各発電所へ着弾したこと。揚陸艦から兵士が降り立って函館を占領、札幌への進軍を開始した事。時を同じくして青函トンネルの排水設備が破壊されたことだった。
後に、青函トンネルの排水設備を破壊したのはロシアの工作員だったことが明らかになるが、当時はそんな事はわからずに事故だと報道された。
直後に、ロシアのフルチニフ大統領は国内外に宣言した。
「極東にて特別軍事作戦を開始した。これは、執拗に我が国固有の領土たるクリル列島を狙う日本への自衛的措置である。」
当然、岸本政権と自衛隊。そして国民は仰天した。
ロシアによるウクライナ侵攻は2024年になっても続いていた。
2年経ってなおウクライナ全土の掌握に至っていないにもかかわらず、アジアで新たな戦端を開くなど誰も想像していなかった。
しかし、日本人自身が忘れていた。
かつて、中国大陸で苦戦しているにも関わらず世界最強の国家とも戦争を始めてしまった国があった事を。
人は時に、合理的判断ではなく、感情の赴くまま動くという事に。
青函トンネルが破壊されたことにより、北海道は本州と切り離され、現地の自衛隊は現有戦力のみでの迎撃を強いられた。
それでも開戦直後の政府と国民は楽観視していた。
なにせ、自衛隊だけでもそれなりに戦えるし、何より日米同盟がある。アメリカ軍が駆けつけてロシア軍を追っ払ってくれると大多数の国民が信じて疑っていなかった。
それは政府も外務省も自衛隊も同じだった。
故に、時のアメリカ大統領ジョニー・バルケスの言葉に言葉を失った。
「ウクライナへのレンドリースを日本にも適用させる。軍事物資であれ民生品であれ、情報であれ必要な物は提供する。」
要は、直接参戦しない宣言であった。
それどころか、在日アメリカ人の早期帰国とそれを護衛するという建前で在日アメリカ軍の撤収すら始めてしまった。
驚愕した岸本総理と外務省は慌ててホットラインを通じて日米同盟の発動を求めたが、アメリア政府の反応は同じであった。
多くの日本人が勘違いしていた。
日米同盟。正式名称「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」は自動参戦義務がなかったのである。
日米同盟はアメリカ大統領の独断で発動できるものではなく、連邦議会で認められて初めて発動するものだったのだ。
実のところ、集団安全保障が機能しなかった例は過去にもあった。
フォークランド紛争。
1982年。大西洋に浮かぶイギリス領フォークランド諸島(アルゼンチン名マルビナス諸島)の領有をめぐり、イギリスとアルゼンチンの間で行われた戦争である。
この時、アルゼンチンは米州相互援助条約という米国と南米諸国間の防衛に関する軍事同盟に加盟していた。
米と名の付く通り、盟主はアメリカである。しかし、フォークランド紛争においては外相協議会でアルゼンチンの主張を認めたものの、集団的自衛権の発動は行われなかった。
結局、アルゼンチンは単独でイギリスと戦う羽目になり敗北。同諸島のイギリス統治は確固たるものになった。
アメリカがアルゼンチンの小さな島々のために軍隊を派遣してイギリスと全面対決するなどあり得ない話ではあったものの、集団安全保障が絶対ではない証左になってしまった。
そして、2021年以降のアメリカ国民の心理は最早外国のために血を流すことを忌避するようになってしまっていた。
特に、アフガニスタンでの20年に渡る戦いで現地勢力はアメリカにおんぶに抱っこで碌な統治が出来ず、結局崩壊したことはトラウマになってしまっていた。
何よりも、当時のアメリカ国民の最大の関心ごとは物価高であり、自分たちの生活改善を優先してほしいと願っていたのである。
バルケス大統領も、2022年秋の中間選挙が薄氷の勝利だったこともあり、自国を優先せざるを得なかった。
そう、日本人だけが忘れていた。
アメリカはもう、世界の警察官ではないことに。
日本人だけが勘違いしていた。
アメリカは核保有国との全面対決など望んでいない。ウクライナに直接乗り込んで戦わないのは、ロシアとの核戦争を恐れていたから。自国が直接狙われているならともかく、他国のために核戦争のリスクなど犯せるはずがない。
アメリカは最早、直接自国と自国民に被害が及びそうな時以外は動けなくなっていた。
だからこそ、ロシアは攻めてきた。
ロシアにとって、日本は国境を接する中で一番攻めやすく、手っ取り早く戦果を得られる国だった。2年間もの戦いで否応なく高まる不満を鎮めるためにも、何としても目に見える戦果を欲しがったフルチニフ大統領はアメリカが動かないことを見抜いて仕掛けてきたのだった。
政府も官僚も大衆も国連や国際社会に訴え続けた。SNS上でのアメリカへの参戦要請は日増しに強まるばかりだった。
だが、国連は最早機能しておらず、なんの罰則も拘束力もない非難決議を賛成多数で採択する程度のことしか出来なかった。
欧州は無論日本支持が大半だったものの、支援するにはあまりにも距離がありすぎた。
それ以外のアフリカ、中東、中央アジア、南米、オセアニア諸国はロシア中国に睨まれまいと消極的に非難するに留まった。
アメリカ国民も、最初は同情していたものの、執拗な参戦要請に徐々にイラつき始め、在米日本人と口論になる光景がそこかしこで見られるようになった。
「なんでウクライナと同じように戦えないの? どうして自分たちの生命と財産、生まれ育った土地を自分たちで守ろうという意思がないの? 他国民である私たちの夫や息子が、あなたたちのために血を流すことを前提に生きている事を恥とも思わないの?」
マスコミのインタビューに答えた一般市民のこの声は、おそらくどの国の人間であってもうなずかざるを得ないだろう。
唯一、日本人だけが理解できなかった。
平和は尊いものだ。戦争は駄目だ、暴力は駄目だ、話し合いで解決することが重要だ。
戦後、こうした教育しか受けてこなかった日本人には武器を手に取って戦うなんて発想は出てくるはずがなかった。
立ち上がる者も少数いるにはいたが、彼らに扱える武器はなかった。
そんな時、ある呟きがSNS上に呟かれた。
「アメリカ国籍をとれば、アメリカ軍に守ってもらえるんじゃね?」
この呟きには100万以上のいいねがつき、多数の人が動いた。
アメリカ国籍、もとい市民権を得るには様々な条件と年月がいるのだが、勘違いした人々はアメリカ大使館に殺到した。
大使館の敷地に侵入しようとして警備員と揉みあいになったり、職員に「必要な書類を出してくれ!」と迫る日本人のその様子を見たアメリカ人たちは、心底あきれ返ったという。
日本人は上から下まで、ひたすら世界に向かって国連憲章に違反している。力による現状変更は間違いだ。米軍は何をしているのかを連呼する事しか出来なかった。
そうした声は、最初は同情していたアメリカ国民の意識を逆なでし、かえって国民感情を悪化させる結果になってしまった。
単独でロシア軍と向かい合う事になった自衛隊だが、実のところロシア極東軍だけならば自衛隊単独でも押し返すことは不可能ではなかった。
ロシア太平洋艦隊だけならば海上自衛隊の総力を挙げれば十分撃破可能であり、制空権も航空自衛隊によって確保が望めた。
青函トンネルこそ破壊されてしまったが、上陸してきたロシア兵は1万にも満たなかったため、北海道駐屯の北部方面隊2師団と2旅団の約3万人で十分対処可能と見込まれた。
後続と補給さえ絶ってしまえば、勝利は夢物語ではなかった。
だが、それを許さない存在があった。
中国と北朝鮮である。
この2か国は、アメリカが動かないと確信した瞬間、動き始めた。
中国は尖閣諸島。北朝鮮は日本海全域に小型船で繰り出した。
海上自衛隊と航空自衛隊は兵力をそちらにも振り分けざるを得ず、戦力は分散された。
さらにそこに、韓国までもが対馬へ上陸を開始した。
2022年に発足した韓国政権は比較的日本との関係を重視していたが、それによって支持率が低迷していた。
アメリカが参戦せず、中国も北朝鮮も動いた今が対馬奪還のチャンスだと国民は政権を突き上げた。
支持率低迷にあえいでいた時の保守政権はそれに抗うことが出来ず、ついに日本に懲罰を下すと宣言。
日本は、ロシア・北朝鮮・韓国・中国の4か国相手に単独で戦うことになってしまったのである。
当然、即座に日本の戦線は瓦解した。
そもそも自衛隊は単独で敵国と戦う事を前提に整備された組織ではなかった。
アメリカ軍が来るまで持ちこたえることを前提とした計画しか持っていなかった。
弾薬は数日で枯渇。アメリカは確かに物資の補給を行ってはくれたものの、焼け石に水だった。
中国は尖閣諸島はおろか、沖縄にまで上陸。
時の沖縄知事は即座に無防備都市宣言を行って降伏した。
沖縄地方に駐屯していた陸上自衛隊第15旅団は住民から石を投げられて上陸してくる中国軍に抵抗する事すら出来なかった。
「沖縄を再び戦場にせずに済みました!」
そう高らかに宣言した沖縄知事に、沖縄県民達は喝采を送った。
対馬も北海道も日本海側も、兵力不足と弾薬不足によって全ての戦線が瓦解。
海に囲まれているアドバンテージを生かすことが出来ず、援軍の上陸を防げずにズルズル後退することしかできなくなった。
さらに、ロシアのフルチニフ大統領は戦争を短期で終わらせ、かつその後の統治をやりやすくするために最後の手を打った。
太平洋上の日本のEEZ内に戦略核ミサイルを撃ち込んだのである。そして声明を発表した。
「日本政府と日本国民に告ぐ。これで我々が本気であることを認識したと思う。特に広島市民と長崎市民に告ぐ。再び焦土と化したくないなら、政府にロシアへの即時無条件降伏と制裁の全面解除と賠償金の支払い。並びに北海道のロシアへの主権移譲を容認するよう強く求めろ。」
核による威嚇は絶大だった。
人的、物的被害こそ出なかったにせよ、自国EEZ内に核ミサイルを撃ち込まれた日本人の恐慌具合は尋常ではなかった。
国内はパニック状態となり、国外へ脱出しようとする人が相次いだ。
特に広島市民と長崎市民は狼狽し、我先に市外へ脱出しようと争った。
広島市長と長崎市長はもちろん。広島県知事と長崎県知事も連名で日本政府にロシアの要求を呑むよう強硬にせまった。
2010年代から、世界の安全保障が激変しているにもかかわらず、軍備拡充はおろか自衛隊は軍かそうでないかで揉めてきたツケを日本人はここにきて支払う事になった。