社会の窓ってなんですか?
「社会の窓開いてますよ」
その言葉を初めて聞いたのはいつだっただろうか?
少なくとも家族が使っているのを聞いたことは無い。
小学校で先生が使っていたことは記憶している。
その時の衝撃は中々のものだったからだ。
「○○くん、社会の窓開いてますよ」
先生がにやにやしながら言葉を発した。
社会の窓……? とりあえず教室の窓ガラスは開いていない。
もしかしたら知らないだけで、教室に秘密の出入り口があるのだろうか? それとも非常口的な何かなのか?
瞬時に様々な想像が浮かんでは消えてゆく。
言われた男子生徒は恥ずかしそうにズボンのファスナーを上げた。
……なるほど、あれを窓に見立てるとはなんてお洒落な言い方なんだろう。さすがは先生。
だが待てよ、普通に通じているところを見ると、もしかして一般常識なのか?
私は世間一般の常識に疎い自覚がある。何度も笑われて若干トラウマになっているレベルだ。
たぶん、これもそういった常識の一つなのだろう。
ふふふ、だが……知ってしまえばこっちのもの。
さも生まれた時から知ってましたよ、という顔をしてすぐに使いこなせるのは私の得意とするところだ。持ち前のムダ知識をフル活用してある程度類推可能だからこそ出来る技でもある。
そうでなくとも知らない言い回しというのはとても刺激的で使いたくなるものだからな。
いつか使ってやろうと虎視眈々とチャンスをうかがっていたが、そんなチャンスがその辺に落ちている訳も無く。気が付けば大人になってしまった。無念。
だが、そんな私に転機が訪れる。
2022年ひな祭りの朝のこと。
通勤電車の中で、懐かしい会話が聞こえてきた。
そう……ひな祭りには決して似合わない男らしい会話だ。せめて一日ずらすという配慮は無かったのだろうか?
「社会の窓開いてるぞ」
中年の上司が、若い部下と思われる男性に笑いながら指摘していた。
若い男性は、きょとんとした表情で理解していないように見える。
離れている私にも聞こえるぐらいだから、聞こえなかったということはあるまい。周囲の人々も笑いをこらえているのが見て取れる。おそらくは本当に意味がわからなかったのだろう。
「……チャックが開いてるぞ」
中年上司がそう言いかえると、ようやく理解したのか、慌ててファスナーを上げる部下の男性。
これから商談に向かうのであれば、美味しいネタになったのにと残念に思う私は少しおかしいのかもしれない。
それにしても、チャックか……。社会の窓先生も、お口にチャックが口癖だった。
そうだ!! これからは社会の窓チャック先生と呼ぼう。ハーフっぽくていい感じだ。もう会うこともないだろうが、再会したら笑ってしまうかもしれないのが唯一の難点だが。
それにしても今日はせっかくのひな祭りだというのに、これはどういう嫌がらせなのだろうか?
懐かしさに胸がいっぱいにもならないし、涙が零れたりもしない。
仕方がないので、このやりきれない想いをエッセイにして供養することにする。
読者の需要を考えてエッセイを書いたことなど一度もないが、これはさすがにどうだろうと思わなくもない。
だが、気になったならエッセイにするのが私の存在意義。
人生には全く役に立たないとは思うし、そもそも誰も書かないだろうが、私には需要がある。
せっかくなので少しだけ調べてみた。
「社会の窓」とは、男性のズボンのファスナーのことを指すわけだが、歴史は意外に古く、昭和23年から放送されていたNHKのラジオ番組『インフォメーションアワー・社会の窓』に由来しているそうだ。
この番組は、社会の諸問題を裏側から探るという内容で、「普段見られない部分が見える」といった意味合いから、ズボンのファスナーが開いていることを「社会の窓」と言うようになったらしい。
NHKのステマのような気もするが、プレミアムフライデーのように響かなければ使われなくなるものなので、それなりに受け入れられたのだろう。
ところで、「社会の窓」対象は男性だけで、女性の場合は「社会」から転じて「理科の窓」などと言われることがあったらしい。なんと安易な……。っていうか一度も聞いたことないんだが?
さらにどうでもいい情報だが、「社会の窓」開いてますよ”を英語で言うと、「XYZ」となるらしい。これは Examine your zipper.の頭文字をとったもので、意味は「あなたのジッパーを調べてみてください」となる。意味的には全然婉曲じゃない気もするが、短縮形にするとカッコイイのはお約束なのだろう。
そして、更なる雑学情報。
「チャック」「ファスナー」「ジッパー」この違いって気になるはず。え……どうでもいい?
挟まれて悶絶しろ!!
……失礼。
結論から言えば、全部同じ物。「ファスナー」が一般名詞で、1891年に米国ホイットコム・ジャドソン氏が、靴ヒモを結ぶ不便さを解決するために考案したものだとされる。
「ジッパー」は1921年に米国のメーカーが、擬音の「Zip」からファスナーを「ジッパー」と命名したものが広く浸透したもの。
「チャック」は、1927年に尾道で「巾着」からもじって、ファスナーを「チャック印」として販売されたものが人気となって広く浸透したもの。なんでも、チャックが英語っぽくてカッコイイという実にほのぼのとする理由らしい。
つまり国によって「ファスナー」の呼び方が違うということだ。
他にも、中国語圏では「ラーリェン」。フランス語では「フェルメチュール・ア・グリシェール」、メキシコなど中米諸国では「稲妻」を表す「シェレス・レランパゴス」と呼ばれるらしいが、中国語圏はともかく、フランス長いし言い難いし呪文詠唱みたいだし、中米必殺技っぽい……。
そして、ファスナーといえば、日本が誇るブランド「YKK」こと「吉田工業株式会社」は外せない。
圧倒的な品質で世界の9割以上の国で商標登録されており、世界シェアはぶっちぎりの一位。
近年単価の安い中国企業に売り上げで猛追されてはいるものの、それでも二位とは十倍の開きがある。
なぜか?
一見単純な部品に見える「ファスナー」だが、実は1200以上の特許技術で守られた精密部品。
安物だからではなく、ファスナーがYKKじゃないから壊れるのだ。
ハイブランドは当然YKKが圧倒的に多く、洋服やカバンを買う時には、まずファスナーがYKKか確認するのが世界の常識になっている。ちなみに私も最初に確認するポイントだ。
……何の話をしているのかわからなくなったが、少なくともYKKに守られた社会の窓は快適に違いないというお話。
ちなみに「社会の窓」は現在死語なのだそう。くっ……一度も使わずに死ぬことになりそうだ。無念。