神様の仕事(2)
まず最初に思ったのはイヤに暗いという事。
次に体がピクリとも動かない事、そして息が出来ない事に気がついた。
肺に空気を入れるという行動がそもそも不可能、まるで真空の海に沈められたかのような感覚だ。
幸いなのは今の肉体において呼吸は必要無いという事実。
半ば癖で落ち着かないからやっている程度の行為であり、無くても活動には何も支障はなかった。
しかし、どうなっているのだろう?
確か転移という魅惑的な言葉に流されて機能を使ってみたまでは覚えているが――。
『指定ポイントである事を確認。』
こんな場所を選んだ記憶は無いのだが。
そもそも、ここは何処なのだろう。
『出発点と同Z軸、直線で七〇〇メートルの地点です。』
なるほど、七〇〇メートル――同Z軸?
疑問、そしてその後に即座の納得。
ファラは適当に座標を指定していたが認識は平面的過ぎたのだ。
つまり高さを勘案せずに、とりあえず目標の地点に行ければよい程度の指示で向かった結果、崖の国の高さが基準になって岩盤の中に埋もれてしまったのである。
状況が分かれば行動は自然と定まるものだ。
『要請を受諾、上昇を開始します。』
声と共に頭上の全てを急速に切り裂き押しのけて体は地上へ突き進む。
また失敗すると怖いので転移は保留だ。
常識を超えた物体の移動に周囲は摩擦と断熱圧縮により熱を持つ。瞬時に赤く、ドロドロと粘着質の液体へ姿を変えながらファラに引っ張れるようにすぐ後ろをついてきた。
エネルギーは更に高まり、遂にいくらかは蒸気へと更に一段上の姿へと変貌する。
膨大な体積の膨張は地表近くまで来ると、蓋のように覆いかぶさっていた地層を吹き飛ばした。
ファラと同時に天へ手を伸ばすように吹きあがる灼熱の液体たち。
急速に冷やされ石ころへ変貌するもの、赤き光を宿したまま地上に降り注ぐもの、そして湧き水のように穴から溢れ出すもの。
山を焦がす雨の中からファラは姿を現して眼下を見下ろした。
悲鳴と怒鳴り声、逃げまどう者と武器を手に構える者。
それぞれの対応の仕方は千差万別だが、それでも戦う意志を持った勇敢な顔が大半のように見えた。
その姿は二足歩行の狼、或いは犬といったところか。体の大きさには多少の違いはあるが崖に澄んでいる人間たちを二回りほど上回っており、上半身をさらけ出した格好をしている。
「あの、どうも初めまして。」
――私が新しい神様です。
緊張の糸がピンと張った中、ファラは全員に聞こえるよう出来るだけ大きな声で言った。
ピクリと反応する者が僅かにいる。
しかし返答と思える声は何処からも聞こえず、ただただ無言の沈黙だけが返された。
どうしたものか。
見るからに警戒し、信じていないのは視線の険しさから容易に想像がつく。しかし特に攻撃の意志が示されていないというのに、こちらからちょっかいをかけるのは良くないだろう。
ファラは力で屈服させに来たのではないのだから。
『後方より敵対生物の接近を確認。』
「え?」
ファラは振り返る。無防備に。
キラリと光るものが振り下ろされた。
一片の迷いもなく、それは一直線にファラの首元へ突き進む、付け根の当たりから袈裟切りせんと空を割きながら。
衝撃が風となって頬を撫でる。
振り下ろされた斧は狙い過たず狙った部位に確かに当たっていた。
――そう当たっていただけだ。
ファラはとりあえず斧を掴んで、それを振り下ろした相手を何とも無しに見る。
片眼に傷を持った、非常に鋭い顔つきだ。
毛に覆われた顔で悔しそうに牙を剥き、眉間にしわを寄せながら唸り声を上げている。
不意打ちを決行した勇者は即座に判断を下す。斧を手放し地上へと降りたのだ。
その体は周囲の者たちと比較して倍近かった。
「アナタが首魁ですか?」
非常に安直な、大きさだけでの判断。
ニッと笑う事でリーダーと思われる者は肯定の意を示した、ように見えた。
「いきなり現れて神様とか何を偉そうな、と思われているかもしれませんが、私は戦いに来たのではありません。どうか話し合いに――。」
言いかけの言葉は躊躇なく飛んできた鎖によって遮られる。それこそが真の笑みの意味。
的確な投擲によって伸びた沢山の金属の腕はファラの胴に、腕に、足に、首に、様々な場所に絡みついて簡単には離してくれそうにない。
地上ではリーダーの命令を受け、綱のように鎖を掴んだ多くの戦士たちが引っ張る。
だが――。
「話を聞いて下さい!」
ビクともしないファラに地上の者たちは首をかしげており、声は立派な耳に届いていないようだ。
これでは対話など不可能。敵意を取り除かなければ先に進みそうにない。
考えた結果、ファラはとりあえず大人しく降りることにした。
自分たちが上位に立ったと思えば、多少は話す機会が生まれるだろうと適当に考えて。
凹凸激しく、いまだ燻る大地に近づくたび、なぜか士気の上がる鎖を引く者たち。
地上に足を付けると歓声が上がり、「あの、それで――。」と口を開いて間もなく、怒涛のように戦士たちは押し寄せてきた。
武器をその手に持ち、急所である目や鳩尾、関節などを的確に狙って槍や棍棒が振るわれる。
少し、きっと少し待てば落ち着くだろう。
糠に釘を打っていると気がつけば、彼らも諦めるはず。
その願いもむなしく彼らの攻撃は止む様子は一向に無かった。それどころか休憩の順番を考えてローテーションまで組んでいる様子。随分と長期戦に慣れた戦い方だ。
もう少し――もうすこ――――。
「あーもう! いい加減にしてください!」
一向に攻撃の手の緩む様子が無く、遂にファラは我慢できなくなった。
ファラの声と同時に周囲にいた者たち、その大量の体が宙を大きく舞い地面に叩きつけられる。
「私は話し合いに来たと言っているじゃありませんか!」
ムッとした顔で今度こそ言い切る。
敵の首魁は追撃が来ない事に首をかしげて何かモゴモゴと言った。
「なんて?」
『翻訳します。』
「貴様、いったい何者だ?」
「便利……コホン。私はこの山の新しい神様……らしいです。」
「神? あの蛇の眷属か?」
「眷属というか、殺害犯というか。」
「貴様が? あの蛇を殺したと?」
クハハ、とリーダーは大きく口を開けて笑う。
周囲の連中も嘲笑するような笑いを零していた。
「確かにお前は強いようだ。だが、あの蛇には遠く及ばない。ホラを吹くのも大概にしろ。」
「本当の事です。」
「ふん、そんな戯言で俺たちの足が止められるとでも思っているのか? 分かっているんだよ。」
部下から弓なりの大剣、巨大な三日月刀を受け取り、その切っ先をファラに向けながらリーダーは嗜虐心溢れた顔で堂々と言う。
「お前、あの崖にいる連中の仲間だろ? 俺の一撃を防ぐなど何やら小細工を弄していたようだが、その鎖に身を縛られた状態ではまともに動けまい。それにアレほど強力な防御魔法ならそう何度は使えないはずだ。」
つまり、自分の勝利は確実である。
そして勝利の暁には煩わしい真似をしてくれた連中をたっぷり弄んでやろう。
もう一度、リーダーは大口を開けて笑った。
「うわぁ。」
語った内容は残虐そのもの、いや自分が優位であることを確信すると少なからずそうなる者はいる。
彼らは最初から対話など出来ない類だったらしい。
頭の中の声は頼んでもいないのにリーダーの口にした“弄ぶ”より想定される内訳を報告し、その中身の下劣さに対してファラは軽い吐き気のようなものを覚えた。
絶対的な弱肉強食の世界において敗者を好き勝手にできるというのは自然の摂理なのだ。
ファラの瞳が赤色へ変化する。
「分かりました。とりあえず今回は皆さんのルールでやりましょう。その後の方針に関しては、一通りが終わってから考えます。」
鎖は一瞬にして煌々と輝き、そしてドロリと溶け千切れた。
黒く焼け焦げた地面に上がって奇跡的残っていた水分を音と共に蒸発させる。
「他の暴れている方々への警告も兼ねるので、申し訳ありませんが少し派手に行きますね。」