崖の国(3)
「いきなり酷い奴じゃのう。」
ザ、ザ、と砕けた石の粒子に足音を鳴らしながら元凶が煙から出てくる。
「神様じゃなければ死んどるぞ、今の。」
「ちゃんと加減したのでご安心下さい。」
「恐ろしい奴じゃのう。まあその横暴な態度は神様らしくていいがな!」
ほっほっほ、と反省の色無く老人は笑った。
ファラは少しだけ胸がスッとしたので、とりあえずそれ以上の『追撃を行いますか?』という声の提案には、大変惜しいが乗らないでおく。
「それで、何の用ですか? 今立て込んでいるので厄介ごとは後にして欲しいんですけど。」
「酷い言い草じゃな。ワシはお前さんを助けに来てやったというのに。」
「妨害じゃなくてですか?」
「信用無いのう。ワシ、少し傷ついたぞ? そもそも確かに蛇は呼んだがあんな攻撃がされるなんてワシも想像していな――あ。」
「呼んだ?」
聞き捨てならない言葉。
やり過ぎたのは自覚しているし、ファラの怒りは一人逃げていった事と落ち着いてからも戻ってこなかった事、説明不足で放り出された事に対してのものだった。
しかし今、もう一つ爆発的な燃料が追加された。
「あ、ああ――。」
ファラの瞳の色が赤くなりかけたその時、それまで沈黙していた国王が震える声を上げる。
「アナタ様は……。」
「ワシは神様じゃよ。」
「まさか、ウロ・テアシス様では……?」
「ほう! ワシの名前を知っている者がこの地に残っていたか。」
「あのー、私置いてけぼりなんですけど。」
説明を要求する。
というか老人二人が見つめ合う場面など誰が嬉しいのか。
「ワシ、神様。この地でも崇められてた。」
「はい。」
「でも聖堂、長らく廃れて信仰無くなった。もう信者いない思っていた。でもいた。」
「なるほど、そうでしたか。」
「あと面白そうなの天から来たから、ついでに神様にしちゃおう思った。」
「そんな適当な理由で人生レール敷かないでください!」
まさか真剣に考えた結果ですら無かったとは。
あの悩み顔や独り言の数々はいったい何であったというのか。
「ちなみにワシ、知恵の神の一人じゃ。」
「良からぬ知識を与える邪神の類と見ました。」
「こう見えても信者たちを何度も救った偉大な神なんじゃがなぁ。」
いまいち評価の上がらない事に不満なようでテアシスは頬を膨らませる。子供のように。
その行為が何だか癪に障る。
「先ほどの一連の行動から見ても、その悪魔がテアシス様の敵であることは明白のご様子。どうか、どうかその叡智を持ってこの悪魔をこの地より滅ぼしてください!」
国王は懇願する。
それは正に文字通り神への祈りそのものだ。
しかし――。
「え、嫌に決まっとるじゃろ。というか無理じゃ。」
「……は?」
「ファラちゃんワシよりずっと強いし。本気出されたら世界がもたなそうだし。そもそも可愛い後輩と険悪になるのはご免じゃ。というか、お主たち自己評価高すぎるんじゃないかのう? 普通に考えて聞き入れられるわけないじゃろ。」
「勝手に後輩にしないでください。」
そしてその主張はやはり邪神と見た。
いや、ある意味国王の言った「謙虚はあり得ない。」の通りであるから、これがこの世界における神様の標準的な対応なのかもしれない。
「そんな……。」
縋った神の無慈悲な言葉に国王は呆然とする。
一方でもう一人、動く者の姿があった。
「テアシス様。質問をお許しください。」
「よかろう。申してみよ。」
「ファラ様は後輩、つまり神で在らせられるのですね?」
「そうじゃ。この者は紛れもなく神。古き山の神を天の火により一瞬で葬り去った新しき神じゃ。」
「つまり、この山は既にファラ様のものである。という事で間違いはないのですね?」
「そう言っとるじゃろ。」
何を今さら、そう言いたそうな顔で、しかし今までに見た事のない威厳のある姿でテアシスはルナリの質問に答える。正確に言えば考えを肯定したと言ったほうが正しいが。
明白な神により答えは示された。
しかし、認めようとしない者が一人。
「ありえない!」
国王は首を振り、頑なにファラの存在を認めない。
いや、その目が見ているのはファラでない事はテアシスには分かっていたようだ。
「恐れも過ぎれば立派な信仰か。認めたくは無いが、ある意味ではあの蛇公のやっていた事は信者を得る方法として間違ってはいなかったという事じゃのう。」
未だ絶対の恐怖に対して忠誠を誓い、安い安息を求める国王に向けるテアシスの視線は呆れだ。その中にはそして僅かな憐憫も垣間見えた気がするが。
テアシスは国王へと手を向ける。
――光だ。
光がその身を包む。いや、光はその体を這うようにしながら現れていた。であれば包むのではなくその身より発せられているように見えると言うべきだろう。
「な、なんだこれは?!」
「お前さん、少し隠居してこい。」
「待ってください! 敵はそっちの――。」
「向こうで元気に静養するんじゃぞ~。」
老人はひらひらと手を振り笑顔で見送る。
それは別れというよりは連行と言えるべきものであったが。
光は弾け、粒子となり国王は姿を消した。
「えぇ……。」
流石に予想外の展開でファラも言葉を失う。
「あの人、どうしたんです?」
「どうしようもなさそうじゃから、思い切って丁度良さそうな信者たちの元へ送っただけじゃよ。」
「何かの儀式の生贄にとか?」
「“ひょうきん”じゃが良い奴らの所じゃ! お前さん、ワシの事どういうふうに見ているんじゃ?」
「邪神。」
即座に迷いなくファラは答えた。
現状、他に老人にそれ以上の相応しい評価は存在しないだろう。
「で、これどうするんです?」
「何がじゃ?」
「何がじゃ? じゃありませんよ! 王様消えちゃったし、眠らせてる人たちの誤解解けていませんし、これどうすればいいんですか?!」
「眠らせたのはお前さんじゃろうが。しかし、心配はいらないと思うぞ?」
「どうして?」
「この部屋の引きこもり連中はともかく、国に住まう連中は狩りに出る者も多いからのう。すぐに気がつくはずじゃよ。森の空気が変わったことに。……なんじゃ?」
「いや、随分詳しいなと思いまして。」
「そりゃあ当然じゃろ。」
ワシは知恵の神じゃぞ。
そう自慢げにテアシスは胸を張り、ファラは胡散臭そうにその姿を見ていた。




