山の神様(2)
何処までも広がる青き大空。
何人たりともその手に掴むことは不可能とされる最果ての神秘が色を付ける。
遥か太古の時代よりそのようにあったハズのものが、一つの強大な存在に飲み込まれた。
「なんですか、あれ。」
それは余りにも大きかった。
目の前をいっぱいいっぱいに覆い隠す、ファラ達のいる地上と空とを分断するのが只の一部位でしかないという信じたくないスケールの存在だ。
「今の山の主にして神じゃよ。」
『体長は端数切捨て七キロメートルです。』
「それちっちゃな山より大きくないですか?」
このような状態でどうやって長さの計測を行ったかについては無視する。
しかし数字で言われるのと直接目にするのとでは明らかに印象が違うと良く巷で言うのは本当のようだ。そもそもキロメートル単位の体を持つ生物を思い浮かべられない想像力の問題もあるが。
しかし一つ安心できる要素もある。
あれが山の主、つまりはこの付近における頂点であるという事は似たような異常存在が跋扈している可能性は低い。というかこのレベルが一般的であるなど考えたくも無い。
「ところで。」
状況分析を行いながら精神の安定化を図っていたファラは、浮かんだ一つの疑問を尋ねずにいられなかった。
「あれ、どうしたらいいんですか?」
「頑張って倒すんじゃ。」
「具体的な方法なんかは教えていただけないのでしょうか?」
「見ての通り、あやつはデカすぎて例え動いていなくても標的をすぐ見失う。今みたいにのう。だから……そうして隙を見つけて頑張るんじゃ!」
「結局精神論じゃないですか!」
しかも言われなくても分かる情報しか話していない。
飄々とした様子で笑いながら、何かに気づいた様子で老人は徐に杖の先を上へ向けた。
「アチラさん、待ってはくれないようじゃぞ?」
「え?」
“ズドン”
間欠泉のように土砂が吹きあがった。
圧倒的な巨体を持つ何者かが、その体を使って聖堂を山の一部分ごと叩き飛ばしたのである。
「なんですかなんですかなんですかあれ?!」
「ほっほっほ、本当に滅茶苦茶なやつじゃなぁ!」
遥か空の彼方、山の一部だったものと共に空の旅を楽しみながらファラは悲鳴を上げる。
眼下には美しい緑の地上と、そこに横たわる余りに大きな白く細長い存在、そしてその尻尾が打ち付けられた聖堂があったと思われる巨大な裂け目。
「この間見た時はミミズみたいじゃったのに、成長期じゃのう。」
「間違いなく一朝一夕じゃありませんよね? タイムスケールどうなってるんですか! というか好き嫌い無しですくすくとか言うレベルじゃありませんよ?!」
「それよりほら、あの蛇こっちに気がついたようじゃ。」
言葉の通り、蛇と言うには何故か足のようなものも微かに見える不可思議な存在は、じっとファラたちを赤い目で見ていた。
「下に移動して……受け止めてくれるのでしょうか?」
ようやく上昇を終え、今度は大地の力に引っ張られてファラたちは下降を始める。
そして受け止めようと待ち構えているのはガパリと開かれた真紅の闇。
上がる悲鳴。
『慣性制御、重力制御システムを起動。』
体があらゆる物理法則を無視して止まる。
目前で穴は閉じられ生臭い風が強く体を吹き上げた。
「あ、あぁ……きゃああああああああああああああああああああ?!?!?!?!」
時の止まったような瞬間は終わる。要は蛇がしびれを切らして突っ込んできた。
何かに動かされている感覚でファラの体は横方向へ開いた闇を避ける。
しかし続けてきた衝撃を受けて姿勢を崩し、再び落下が恥じまった。
ツルツルでヒンヤリした長い鱗の滑り台を流れ、うねった体のジャンプ台により再び空中へ。
後を追っていた蛇の頭は急速下降の勢いのままに緑溢るる大地を穿つ。
二度目の土砂の吹きあがり。
木々の根に覆われた巨大な岩が目の前に迫り、衝突たファラはその力を受けて明後日の方へ。
流星の如き速さで何処か遠く、神殿と思しき場所に大穴を開けるが休む暇はない。
巨体の尻尾は遠方のそこまですら届き、横薙ぎが石組みを麩菓子のように叩き壊す。
予感から瓦礫の雨から中空へ咄嗟に飛び出せば、丁度頭が眼下を通り過ぎて神殿が一飲みにされた。
「どうしろって言うんですかこれ!」
「まあ、お前さんなら何とか出来るじゃろ。」
いつの間にか隣に現れた老人は態度も言葉も他人事だ。
「無責任!」
『敵対生物を排除しますか?』
「出来るなら今すぐお願いします!」
『了解しました。戦闘モードへ移行します。』
その瞬間、ファラの瞳が赤く変化する。
気がついた時には眼下より迫った大口はその小さな肉体を一口で覆い隠した。
そう確かに飲み込まれた小さき者。
しかし両者ともに気がつけばその閉じられた真紅の闇の遥か先、千切れた雲海の中に体は浮かぶ。
ファラは心を失ったような無機質な表情で、山々にとぐろを巻くこの地の主を見下ろした。
命じなくとも手が一人でに上がる。
その瞬間に赤い光が青空の一点で瞬き、次第にそして急速に大きさを増していく。
「ほう、これはまた。」
「え、あれなんですか? というか体が勝手に動いて非常に気持ち悪いです。」
『小惑星帯より牽曳した最低規模の岩石です。攻撃位置を最効率化する為に正確な制御を必要とするので、一時的に肉体操作をオートモードへ移行しています。』
「なんかヤバそうだし、わし逃げるね?」
一人宣言して老人は姿を消した。
そして間もなく赤い光が軌跡を描き、燃え滾る破壊の炎を纏いながら天から地へと突き進んでくる。
滅びの輝きは何処までも明るく天を燃やし焦がし、そして遂に熱は地へ落ちた。
それは星が一度瞬くよりも更に一瞬の刹那。
小天体が圧縮された空気により半ば蒸発しつつ、大地と言う海へ飛沫を上げながら飛び込んだ。
そこにあった全ては衝突のエネルギー、熱、そして圧縮により限界を超えた運動がその密な結合をバラバラに分解していく。固体を超え液体に、液体を超え気体に、そして気体すらも超えてプラズマと化し原子と電子が縦横無尽に荒れ狂って、全てがある種の一つと呼べる状態へと昇華される。
それはゼロ秒の瞬間に一生を終える太陽のように見えた。
続いて起きたのは膨張した自由粒子たちの昇天だ。
縦横無尽に荒れ狂いながら領域を外へ外へと拡大していきながら天へと昇って行き、しかし広がるほどに状態を保つほどのエネルギーを持てなくなって状態は徐々に本来の形へと戻っていく。すなわちプラズマは気体へ、そして気体は液体へと変化していった。
上昇気流は瞬時に下降気流へと転じ、白き雲からは固体にまで戻った結晶と共に雨を降らせる。
雨は温く、汚れた水で未だ赤々と滾る地上の穴を冷やした。
ここに至ってファラは言葉を完全に失う。
時折、体にチクリとする硬い物の混ざった雨を全身いっぱいに浴びながら、目の前であっけなく消失した山の一部分を、ただただ呆気にとられた顔で見ていた。
『敵対生物の消滅を確認。』
虚しく頭の中で声が響く。
当然ながら今のファラ答える言葉など――。
「どんだけオーバーキルしてるんですか!!」
立ち直りは早かった。