最果ての夢で(1)
ファラは目を開ける。
炭の海のように黒い世界の中で唯一、自分が瞼を開けた事が分かる手掛かりは星々の明かりのみ。
しかし光は余りにも弱々しい。
振り返るとその理由があった。
それは巨大な、そうあまりにも巨大な燃え滾る塊。
あまりの大きさは距離感を消失させ、視界の全てを覆うように鎮座するそれは、しかし触れるとしたならば天を一掴みにできる程に長い腕が必要だった。
「……夢ですね。」
ファラは断言する。
こんな不思議世界で眠りについた覚えなどない。当然の帰結だった。
「ははは、面白い事を言う。流石あの蛇を殺しただけはあるな。少し近くへ寄ってまいれ。その顔をとくと妾に見せるのじゃ。」
何者かの声。しかし姿は首を回してみても見つからない。
果たして何処に隠れているのか。特に物陰などないこの独特な世界で器用な事をするものだ。
ファラが疑問に思えば当然のように答えるものがある。
『上方、三十度。指数型光度抑制のフィルターを使用します。』
声と共に塊の光は急速に弱くなり、一つの小さな影が浮かび上がる。
「て、ちっさ!」
思わずファラは言わずにいられなかった。
小指の先ほどの大きさ、影はその程度の大きさしかない。
『三キロメートルの距離があります。』
「そんなにですか。てことは凄く大きい?」
背に背負う巨大な物のせいで感覚は狂いっぱなしだ。
しかし三キロもの距離があってなお、その姿が視認できるというのは普通ではありえない。
視力と体感の大きさは無関係なはずであるから、相手は事実山のような大きさに違いないのだ。
「なんだ、一人でブツブツと。妾が寄れというのが聞こえないのか?」
「あ、はい。分かりました。」
これほどに見晴らしがよければ心配はいらないだろう。
ファラは躊躇なく転移を使った。
無事に成功。しかし一瞬なにか間違ったのではないかと思った。
突如として瑠璃色の壁が目の前の全てを埋め尽くせばそう思うのも仕方のない事だろう。
人の姿で真珠の輝きを宿すドレスに身を包んだ女性。ただその大きさは確かに山のようだった。
「ほう、面白い事をする。空間が歪みおったわ。……これでは奴にどうこうできるはずも無しか。」
「あの?」
「いやなに、こちらの話だ。しかし、その小さき体躯でよくアレを打ち破ったものだ。いったいどうやった? 罠か? 策謀か? 数か? それとも何か異端なる武具を持っているのか?」
好奇に目が輝く。
「えっと、なんとうか……成り行き?」
歯切れ悪くファラは答える。
まったく意図せず隕石を落としたなど、どのような顔をされるか。
「ふむ。妾の神眼の前で隠し事が出来るか。ますます興味深い奴よのう。だが秘匿など暴けばよい。そうではないか?」
「それはどういう?」
「そのままの意味だ。だが、妾が手を下すわけではない。」
パチンと指が弾かれ、ファラ景色が一気に変わる。
天井には青空、足元には雲の円形舞台。唯一の観客席には先ほどまでの巨大な体を縮ませた女性が座ってファラを見下ろしていた。
「なんでもありですね。」
やはり夢か。
気に入らないのは、自分の夢というわけではなさそうだというところだ。
「さあ、存分に妾を楽しませるのじゃ。神秘は暴かれ、そしてそれが妾の力となるのだからな。」
クククと観客は笑う。
「おいおい余所見とは随分と余裕だな。クソガキ。」
「その声は……!」
聞き覚えのある周波数にファラは振り返った。
そこには金色に輝く鎧に身を包み、暁光を宿した剣を手に持つ男が一人。
「…………えっと、どなたでしょうか?」
「はははは、まさか恐怖で都合よく記憶喪失とは。まったくペテン師もペテンが使えなければただのか弱い人間に過ぎないという事だな。」
「何を言っているんです?」
「取り繕う必要は無い。素直に叫べばよいのだ。俺様の誇りに卑怯な手で傷を付けた事を心の底から懺悔し、以後俺様に心身ともに全て差し出すならば命までは取らん。」
「いや、だから何を言っているんですか?」
大口を開けて倒れないのが不思議なほど背を逸らせながら男は大笑いする。
呆れながら見ているとピンと来ていなかったファラへの助け舟、声が男の記憶を掘り起こした。
そう、面倒になって適当に放り出した男の記憶を。
「ああ! アナタあの時の。大丈夫でしたか? あまり加減とかしなかったですが。」
「ペテン師ごときの力でこの俺がダメージなど受けるはずがなかろう! 自意識過剰め。」
「そうですか。それは良かったです。でも態々それを教えて下さるために遥々こんな場所まで。……ご足労おかけしました。」
「あ、いえいえ、こちらこそ……じゃない! 俺様はリベンジに来たのだ、ペテン野郎!」
「リベンジ? なんのでしょう?」
「貴様が卑劣にも行った不意打ちであの時は敗北したが、正々堂々公正な戦いにおいて俺様が負ける事など万に一つもない。覚悟しろ!」
剣の切っ先はファラへと向けられ、キラリと光が瞬く。
ファラは当事者意識の欠片も無い顔でそれを見て、腕を組みながら覚えの無さそうな様子で唸った。
「最早、問答無用。覚悟しろ!」
戦いの鐘はまだ鳴っていない。
しかし男にそんな事は関係なかった。
剣を振り上げながら瞬きの間に七歩の間を踏み越え、眼前の敵へ渾身の一撃が今振り下ろされた。




