008:尾行
翌朝、アーティスは街へ出た。装備などはすべて持って来ていた。宿屋にはもう一晩は居ると言っておいたが、荷物を残すのは不用心だろう。鍵はかかるが侵入しようとすればどうとでもなる。大して荷物があるわけではないので、すべて持っていく方が安心だ。
南方のヘプターニやエステルの町のような喧噪さはないが、宿場町の賑わいはあるようだ。冬になれば雪が降り人出もないのだろうが、まだその季節には少し早かった。朝から既に市が立ち始め、商売を始める準備に慌ただしい。
空気は澄んでいて、やや寒さを感じるが、清々しい気分になれる。一息朝の空気を吸い込んでから歩き始めた。
と、すぐに何か視線を感じて立ち止まる。振り返ると、視線の先に屋根の上のカラスがいた。向こうもこちらを向いていて、目が合う。驚いた様子もなく、カラスはゆっくりと視線を外し、急に羽ばたいて、飛び去った。
アーティスはその黒い鳥を見送りながら、少し首を傾げた。ただの鳥に見つめられていたとは思えない。何か得体の知れない気配を感じたのだが、確証はなかった。少し周りを確認してから、再び歩き出す。
城の方へ進みながら、いくつかの角を曲がると、また立ち止まった。特に何を見るでもなく、顔を前に向けたままじっとする。と、すぐにまた歩き出す。2つ3つ角を曲がると、ちょっと足早になる。人気のない路地に入っていく。
角を左に曲がったと思うと、アーティスの姿が消えた。
「えっ?!」
イノの足が止まった。
「いつまで追いかけてくるつもりだ?」
アーティスの声が後ろから聞こえてイノは振り返った。
「きゃあ!」
眼前に突然、青い男の胸が壁のように迫っており、驚いてピョンと飛び退った。
「びっくりさせないでよ!」
紅の雪狼、イノ・リージェンは両手を腰に当てて、アーティスにイッと歯を見せる。今日は赤い布を巻いていない。腰に剣もなかった。
「それはこっちの台詞だろ。なぜ、後をつける?」
「気が付いてたんだ・・・」
イノは両手を下ろして、少しがっくりしたように頭を下げた。
「あんな下手な尾行じゃ、誰でも気づく」
アーティスは無表情で容赦なく言う。
「下手って・・・」
イノの頭がさらに下がる。
「で、俺に何の用だ?」
落ち込んでいるイノにアーティスが問いかけた。ハッとイノは顔を上げ、アーティスに顔を向ける。
「郡兵に捕まってやしないかと心配してたんだよ」
どういう立場で言っているのか、アーティスには理解できなかったが、どうやら要らぬ心配をしてくれたらしい。
「それはありがとう・・だが、要らぬ心配だな」
イノは「えへへ」と照れ笑いのような笑みを浮かべた。
「・・まあ、郡兵とモメてたら、こっちへ引き入れようと思ってさ」
イノはあっさりと思惑を話した。山賊の割にはあまり嘘は付けないらしい。
「あんたの腕に惚れたんだ。ちょっと大きなことを考えていてさ。ほんとに腕のいいのを集めてんだよ」
どうも昨日のことをまだあきらめていないらしい。やれやれと言う風にアーティスが首を小さく横に振った。
「その話は・・・」
言いかけて、アーティスは言葉を止めた。イノが何かを言おうと口を開きかけたが、アーティスが自分の口に指を立てて、声を発するのを止める。
近くに人気はないが、遠くで街の喧噪が聞こえる。それ以外に蹄が石畳を叩く音がする。
すぐに蹄の音は大きくなり、馬群が近づいてきた。
白を基調とした軍服の一団で、一目で郡兵とわかる出で立ちだった。騎馬の一団はアーティスたちの前で止まり、先頭の男がアーティスに目を止めて、馬上から声を放った。
「貴様、昨日騒動を起こした男だな。我らと一緒に来てもらおう」
敵意を隠そうともせず、言うなり腰の剣を抜いた。その剣先をアーティスに向ける。
昨日遭遇した郡兵とは違う隊のようだ。いちいち顔を覚えているわけではないが、一瞥してどの顔にも見覚えがない。
「ダメだよ」
イノが声をあげて、アーティスと隊の長らしき男との間に割って入った。剣先も恐れず、馬上の男を睨みつける。
「威勢がいいな。だが、邪魔だ!」
男は言い終わる前に、剣を少し振り上げイノに向かって振り下ろした。咄嗟にイノは右腕で頭をかばう。街中で目立たないように剣は持ってきていない。腰に短剣はあるが抜く暇がなかった。
ガキン!と金属がぶつかり合う音がした。イノが目を開けると、自分の額の先に青い刀身が見えた。アーティスが後ろから長剣を放ち、相手の剣を止めている。馬上から打ち下ろされた剣威を片腕一本で受け止めるなど、剛腕というほどの太さもない腕なのに、驚愕の力だった。
「貴様!」
剣を止められた方は、思い通りにいかずに怒り心頭のようだ。馬上からさらに剣を押し込んでくる。アーティスは空いている左腕でイノを脇に押しやり、そのまま一歩前へ出ると、押し込んできた剣を跳ね返した。天に向かって振り上げられた青い剣が陽光にキラリと光る。
押し返された方は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに怒りの形相に代わり、剣を振り回した。
「取り押さえろ!」
その命令に他の7人が動き出す。だが、それほど広く無い路地であり、騎馬であることもあって、もう一人がその隊長に並んだだけだった。あとの6人はその後ろで見守るしかない。
「走れ!」
アーティスはイノに向かって言い放ち、後方へ顎をしゃくった。一瞬躊躇したイノだったが、もとより大した武器も持っていないのでは戦力にならない。踵を返して郡兵と反対の方へ走り出す。
そこへ、角から別の郡兵が現れた。挟み撃ちにするつもりだったらしい。同じ白い制服だったが、新たに現れたのは騎馬ではなく歩兵であった。白い人影が3つ見えた。
イノは慌てて足を止めたが、すでに郡兵は剣を抜いていて、イノの鼻先に剣を突き付けていた。
「おい、こいつの命が・・・・」
剣を突き付けた郡兵がイノを腕を掴み、アーティスの方へ顔を向けて勝ち誇った声で叫んだ。
だが、その台詞を言い終わる前に、郡兵の口に青い剣が突き立てられていた。
「あわ、あわ、あわ、・・あがっ・・」
アーティスが剣を横に薙ぐと、郡兵の顎が裂け、血を噴き出した。いつ青い男が振り向いたのか、いつ剣を突き出したのか、いつ刺されたのか、まったくわからなかった。一瞬で青い剣士は目の前におり、気がついたときは剣が口の中にあった。訳がわからないまま、その郡兵は地面に伏した。
そこにいる全員が呆気に取られているときに、アーティス一人だけが動いた。剣を左に薙いだあと、石畳を蹴り、左側の郡兵に向かって剣を右に振る。返す剣でもう一人の郡兵は胸を裂かれた。なすすべもなく、その郡兵は胸から血を流して倒れる。
剣を振る勢いのまま、右に振り返ると、もう一人の郡兵が突進してきていた。剣を前方に構え、そのまま突っ込んでくる。見れば若い剣士で剣技もそれほどではないのだろう。素人よろしく、叫び声をあげ、ただ突進してくるだけだ。
「うわわわわーーーーっ!」
アーティスは軽く突き出された剣を右によけ、左手で相手の顔面を掴んだ。そのまま膝を折って、相手の頭を石畳に叩き付ける。
「がふっ」
足を滑らせたようにあお向けに倒れた郡兵はしたたかに頭を打って、奇妙なうめきとともに血反吐を吐いた。
「来い!」
アーティスは倒した相手も振り向きもせずに立ち上がると、イノの手を取り障害がなくなった道の奥に走り出す。イノも手を引かれるまま、走り出した。
取り残されたのは、茫然と固まった8人騎士であった。何が起こったのか理解できず、走り去る男女を見送る。彼らが角を曲がり姿が見えなくなると、何かの魔法が解けたように先頭の男が辺りをキョロキョロし始める。
「ええい、追え! 追え!」
男は剣を振りかざし、馬の腹を蹴った。馬が嘶いて、走り出す。ほかの7人もそれを追って、猛然と走りだした。
今回はちょっと長めでした。
戦闘シーンを書くのは楽しいです。