35:終宴
少々長めですが、この章の最終話です。
スルフォンは執拗にアーティスの剣の鍔近くの打撃を狙っていた。巧妙に剣先を捌き、強打を剣の根元を叩き込む。明らかに落剣を狙っているのが、アーティスにも分かったが完全に防ぐことが出来なかった。アーティスの手腕に次第に疲労が溜まってくる。
右からの斬撃を受けアーティスはそれを刎ね返すが、スルフォンは剣先をひねり左から剣を振り下ろす。同じく剣をひるがえしたアーティスはその斬撃も刎ね返す。刎ね返された勢いで、剣を振り上げたスルフォンの上体が微かに揺れた。
アーティスの眼にスルフォンの上体が後に反ったように見えた。スルフォンの剣先はまだ背後の空に向いている。アーティスは反射的にスルフォンのがら空きになった胸に向かって剣を突き出した。その剣の先、スルフォンの黄色の胸板から見上げた視線の先にスルフォンの右の口角が微かに上がった様子が見えた。
(しまった!)
アーティスの直感が叫んだ。だが、もう渾身の突きを止めることは出来なかった。
剣を突き出すアーティスに対して、スルフォンは右足の踵を使って体を右にひねり、胸を狙った剣先を避けると同時にアーティスの左側に回り込む。そして両手で握り直し、大上段に振りかぶった直剣を思いっきり振り下ろした。
ガッ。
スルフォンの一撃で、アーティスの剣が地に向けて叩きつけられる。剣先が大地を削り、土が飛び散った。
「チッ!」
アーティスは舌打ちし、剣を上げようとした。その瞬間、剣先を翻したスルフォンの剣刃がアーティスの剣を下側から斬り上げた。
ガキン。
振り上げたスルフォンの剣は、アーティスの直剣を搦め取るように空を裂き、その両手から剣を奪い取った。
1リルクの直剣が宙に舞うと、歓声に包まれていた闘技場が一瞬で静寂に支配された。息を飲む、声にならない声で、闘技場の中の空気が薄くなったように感じた。
ガラン。
無音の闘技場に直剣が固い地面に落下した音が響いた。アーティスは剣を突き出した形で時が止まったように静止していた。スルフォンはその傍らで剣を振り上げた格好のままだ。
数瞬無音の時間が過ぎた。観客席から小さなざわめきが起き、それが少しずつ大きくなり、そして一気に大歓声となった。拍手と叫声が闘技場にあふれ、杯や皿や服やいろいろなものが飛び交い、闘技場の中にも落下した。
「優勝、ガイデスメリア国スルフォン・ソマ!」
声を張り上げた神官の宣言も大歓声の中でかき消された。だが、その言明を聞かなくても誰もがこの長い戦いの決着を知っていた。長い戦いであったが、皆が時を忘れていた。実際に決められた試合時間1ズーサ(約27分)を越えていたが判定員の神官はその時間を告げるのも忘れていた。試合に引き込まれ、時間を確認することを忘れていたのだった。正式記録には、その件には触れずに試合時間だけが記され、後に小さな疑問を呈することになる。
アーティスはうなだれ、足を折ってがっくりと落ち、両膝と両手の平を地面に付いた。王子が膝を付くという場面はなかなか見られない事件だが、誰もそのことでアーティスの品格を疑う者はいなかった。
「負けたか・・・」
ため息と共にアーティスが小さく、だが納得したような声でつぶやいた。
「俺の方がちょっとだけ強かったな」
頭の上からの声に、アーティスは頭を上げた。そこには微笑みを浮かべ、片手を自分に差し伸べているスルフォンの姿があった。
「なかなかおもしろい試合だったよ。アーティス殿」
一瞬の間を置いて、アーティスはスルフォンが自分の名を呼んだことに気がついた。そして、笑い返し、自分も右手を出して差し出されたごつい手を握った。その手は力強く、アーティスを引き上げ、アーティスは立ち上がった。
「次は負けませんよ」
「いや・・・」
手を放したスルフォンは両手を広げ、肩をすくめた。
「こんな疲れる試合はもうしたくないな」
その言葉にアーティスはあきれたようにため息をつく。
「確かにね」
スルフォンが剣を高々と上げ、総立ちの観客席を見回すと大歓声が再度巻き起こった。
その間にアーティスは数リルク飛ばされた剣を拾いに重い足を動かした。確かに疲れる試合だった。全身に疲労が溜まっている。だが、心には疲労はなかった。むしろ清々しい気持ちの方が勝っている。
剣を拾うと、アーティスも剣を天に向かって突き上げた。さらに歓声が起こる。見れば、アーティスが負けたのに貴賓席でスーナが手が痛くなるほどの拍手を送っていた。ガレリオン皇帝もメルフォターゼ皇女も大きな拍手を送ってくれていた。
「やっぱり勝ちたかったですね」
アーティスがため息と共に悔しさを吐露すると、スルフォンは「ふふ」と笑い、小さく首を振った。
「勝ち逃げさせてもらうよ、王子殿」
その言葉にアーティスはため息をつき、あきれた顔を見せた。
「大丈夫です。アーティス様は私の中では優勝です!」
控え室に戻ったアーティスにスーナが真剣な瞳で訴えた。胸の前で小さな手を握りしめ、アーティスを見上げている王女にはアーティスしか見えていないようだった。
「ありがとうございます。スーナ殿」
頭を下げるアーティスの眼の端に不安げな顔をしたショーン王子が映った。
「残念でした。私もアーティス殿が勝つと思っていました」
ショーンがやや悲しいそうな声で言ったが、彼の心配は別にあることをアーティスは知っている。
「ありがとう。結果は結果だからね」
アーティスがにこりと笑うと、ショーンも笑い返したが苦笑いのような引きつったような笑いになった。
「・・・」
「ショーン様!」
アーティスが声を掛けようとしたとき、ショーンの背後から彼を呼ぶ声がした。ショーンが振り向き、アーティスが視線をやると、ショーンの側近ランドルが足早に近づいてきた。
「すみません」
アーティスに頭を下げると、ショーンはランドルの方へと歩み寄った。ランドルがショーンの耳元に顔を近づけ、手で自分の口元を隠す。周囲に目配せしながら、ランドルはショーンに何事かを告げていた。
「アーティス様、気を落とされたりしませんように。このスーナがしっかりと付いておりますゆえ」
アーティスの顔色が浮かないように見えたのだろう。スーナ王女が励ますように告げる。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ」
スーナに笑いかけるアーティスの目端で、何かを告げられたショーンの顔が一瞬ほころぶのが見えた。
「・・まことか?」
小さいがショーンの声が聞こえた。
「はい」
ランドルが小さく頷くと、ショーンは無言でランドルに頷いた。すると、ショーンはすぐにアーティスに駆け寄り、先ほどとは打って変わって、輝いた眼をアーティスに向けた。
「申し訳ございません。急用ができ、急ぎ屋敷に帰らねばなりません」
「よい知らせか?」
「はい、勝ったそうです」
笑みを浮かべるショーンにアーティスも笑い返した。勝った。つまり反乱は収まったということだ。
「それは重畳。こちらは構わぬ。行かれよ」
「はい」
答えたショーンの目に、会話の意味が分からないスーナが困惑した表情を浮かべているのが見えた。屋敷に帰って報告やら国元に帰る算段やら、やることが多い。スーナを連れて帰るべきか、迷うところだ。
「スーナは・・」
言いかけてもショーンは逡巡していた。
「分かった。スーナ殿は預かろう」
状況を察したアーティスがショーンに答えた。
「ありがとうございます」
「兄上?!」
状況が分からないスーナが兄に向かって怪訝な顔をした。
「私が預かりましょう」
アーティスの肩越しに声が掛かった。現れたのは、やや薄青の色と白の配色を使ったドレス姿のメルフォターゼ皇女であった。
「このあと、祝宴がありますから、それまで私と一緒でよいですか」
メルフォターゼはやや腰をかがめてスーナに視線を合わせた。スーナの頬に赤みが差し、眼を見開いた。
「お姉さまとご一緒できるなんて・・」
やや舌足らずに声を発し、スーナは何度も首を縦に振る。
「祝宴のドレスも私の方で用意しましょう。それでよろしいかしら」
今度はショーンに向いて皇女が訊いた。
思わぬ突然の申し出にショーンは戸惑い、アーティスの方を見上げた。アーティスは無言でうなづき、手の平を立てて軽く振った。「行け」という合図だとショーンは受け取った。
「申し訳ございません」
ショーンは再度二人に頭を下げ、踵を返すと後方で控えていたランドルを伴って足早に部屋を出て行った。
「兄上・・。何が・・」
取り残された形のスーナが眉をひそめて立ち去る兄王子を見送った。
「それはあとでちゃんと教えてくれるよ」
アーティスがそう言って、スーナの頭をポンポンと叩くとスーナは顔を真っ赤にして両手を口に当てた。
「残念でしたね」
メルフォターゼがやや首を傾げながら首を振った。
「自分の実力が足りなかったせいですよ。さすが、聖剣士殿は強い、ということです」
アーティスが笑って頷くと、メルフォターゼも頷き返した。
「ここまで来れたのも運がよかっただけですから」
「いいえ。実力がないと決勝戦には出られませんわ。アーティス殿は本当にお強いです」
昨日の魔獣退治の際に見た剣術と気迫には並々ならぬものがあった。メルフォターゼは神殿の巫女でもあり、アーティスの聖力の強さも認識していた。
「アーティス様、私もいますのよ」
見つめ合うアーティスとメルフォターゼの間にスーナが割り込んだ。
「いや、これは王女、忘れていたわけではありませんよ」
アーティスがあわてて弁解をしたが、スーナは頬を膨らせたままアーティスを見上げた。」
「スーナ王女、アーティス殿はお疲れですから、そろそろお|暇⦅いと⦆しましょう」
メルフォターゼはスーナの手を取り、出口の方へ引いた。
「では、後ほど」
二人は同時に言って、腰を下げて優雅に頭を下げた。
「さすがだな」
玉座から皇帝ガレリオン2世がねぎらいの言葉をかけた。その前に控えるのは、スルフォン・ソマ。広間ではなく、貴賓室にスルフォンは呼ばれ、従者が出ていったあと、皇帝と二人きりになった。
「恐悦至極に存じます」
スルフォンは片膝を床に付き、頭を垂れて答えた。
「なかなかいい試合だったな」
「かの王子は強すぎます。もう少し楽に勝てると思ったのですがね」
スルフォンが顔を上げて、口端を持ち上げて笑った。ガレリオンは声を出して笑い、肘付きに肘をついて、顎を撫でた。
「彼は強かったか」
「強いですね。あと3年後には確実に優勝でしょう」
「剣技が優れていることはこの剣闘会で十分に分かった」
スルフォンはやや怪訝な顔をした。皇帝は何が言いたいのか。スルフォンは何か違う意見を求められているような気がした。
「他に感じたことはあるかね」
「・・・昨日の魔物退治の際に感じた聖力は尋常ではありませんでした。普段はそれほどに感じませんが、今日の試合でも何度かその力を感じました」
「聖力があると?」
「もし彼が聖剣を持ち、私と聖剣士同士で闘ったら、勝てる自信はありません」
「はは、天下の聖剣士にそう言わしめるか」
皇帝ガレリオン2世は再度声に出して笑い、うんうんと頷いた。
「はい、もしも、ではありますが」
「そうか、そうか」
スルフォンが念を押した言葉は聞いていないようで、ガレリオンは納得したように何度も頷いた。
スルフォンは自分が急遽|剣闘会⦅リクザード⦆に呼ばれたのは、魔獣を倒すためだと思っていたが、違うかも知れないという思いがわき上がってきた。
決勝戦の翌日の朝、アーティスの館にショーンとスーナが帰国の挨拶に来た。アーティスとキュリアンの二人は屋敷の広間で二人を迎えた。
「この度は、いろいろとお世話になり、ありがとうございました」
王子と王女は同時に頭を下げた。
「スーナ王女もご無事であったし、お国元も無事なようでなにより」
「ありがとうございます。本当はもう少しいたかったのですが・・」
「いや、今回は帰られた方がよかろう」
「はい、そうさせていただきます。皇帝陛下にも先ほどそのご報告に行って参りました」
「アーティス様、本当はスーナはアーティス様とご一緒しとうございました」
つぶらな瞳でアーティスを見る王女の目には涙が浮かんでいた。
「お助けいただいたことは一生忘れません。スーナはずっとアーティス様のことをお慕い申し上げています」
「はは・・」
照れ笑いを浮かべアーティスはやや上体を反らしていた。傍らでキュリアンがアーティスの横腹に肘を打つ。
「では、お元気で」
ショーンとスーナは馬車に乗り、アーティスの前を辞した。
「アーティスさま~~!」
スーナは馬車の窓から身を乗り出し、アーティスが見えなくなるまで手を振っていた。そのあと、泣きじゃくるスーナをなだめるのにショーンが苦労したことはアーティスが知らぬことであった。
「賑やかなお姫様だったな」
キュリアンが感想を述べると、アーティスは苦笑いをした。
「厄介だよ」
スーナとメルフォターゼを誘拐したのは、マト国の反王派であったが、その兵士たちをことごとく刺殺したのは何者か分からなかった。今後も調査されるであろうが、おそらく犯人は分からないだろう。皇帝の言葉通り、この件に関しては箝口令が敷かれ、関係者には一切の他言を禁止された。皇都の地下で魔物が出たなどということが世間に知れたら大変なことになる。だが、秘密を持つと言うことはなかなか辛いことでもあった。
「さて、訓練に行くかな」
「今日は休みじゃなかったのか」
「何かやる気が出てきた」
アーティスが空を仰ぐと雲一つない青空が広がっていた。
この澄み渡る空のように平和な日々が続くとよいな、と思う。
「いい天気だな」
アーティスの隣で、キュリアンが同じように空を見上げて両手を挙げた。そのあと、何故か顔を見合わせてアーティスとキュリアンは笑い合った。
----そして、事件が起こるのは、この日から1年と半年を過ぎた頃である。
これを持って、『外伝-1』は終了です。
次回からは、新章「第2章」が始まります。
このあとも続けますので、お付き合いいただけるとうれしいです。




