005:郡令
ファルアニアは、その北を前人未到の大氷原に、残り三方を大海に囲まれた大陸である。後に竜皇紀と呼ばれるこの時代、その広大な大地は207年前の大統一を経て、2州13国に分割され統治されていた。
統一帝フェリアス・カナーンに始まるファルアニアの皇帝支配は二百余年を経て、なお健在であり、13の国王は皇帝の下位に置かれる存在であった。とは言え、皇帝の権利は保たれていたものの、実質的に国を支配するのは国王であり、その廷臣たちであった。皇帝はあくまで上位の存在であるという象徴的な意味合いが強く、実際に国政に口出すことは少なかった。
それでもなお、持ち主を選ぶという聖剣を代々引き継いで、その地位の正統性を固持し、皇帝たるを存続させてきた。ただし、皇帝が聖剣を持つというよりは、聖剣に選ばれたものが皇帝になるといったほうが正しいだろう。
歴代9人の皇帝のうち、初代フェリアス・カナーンの血筋では無いものも存在する。現皇帝ガレリオン2世は初代フェリアス・カナーンの直系であるが、第3代ダスガン・トラントリアルスは唯一フェリアス・カナーンと血縁がない。ダスガン・トラントリアルスは第2代ジュトリス・カナーンとその息子の第4代フェルダン・カナーンの間にはまり込んだ異系であった。ただ、その妻がフェリアス・カナーンの娘であるので、その息子のジュトリス・カナーンは直系の皇帝ということになり、一人を除いて基本的にはカナーンの一族が皇帝に選ばれている。
皇帝による統一という形式はあるものの、いつの時代も13の国々においてはそれぞれの思惑がうごめいていた。過去200年の間にも国内の騒乱はもちろん、国同士の緊張が高まった時期は何度も存在した。ただ、皇帝の威光により国がなくなるようなことはなかったが、幾つかの国境線は書き換えられていた。
「・・・以上でございます」
マーカスは言い終えて、首を垂れた。郡令官シャリオの顔は怒っているに違いない。叱責を受けるのは覚悟していた。だが、仕方がないことだ。何より命がなくなれば、こうして報告することもできないのだから。
「青い剣・・・」
執務室にしつらえられた大きな樫の机の向こうで、郡令官シャリオ・フェードソンは腕を組みながらつぶやいた。まだ壮齢で茶色の口ひげを蓄えた口元を結んだ顔立ちは野心家の素顔を隠しきれていなかった。
「相当な剣士なのだな?」
「並みの騎士ではありません。相当腕の立つ男でした」
思い出してマーカスは背筋が寒く感じた。10人で囲んでいてもとても勝てる気がしなかった。事実4人があっという間に手玉に取られ、3人を失った。それも一方的で相手には毛ほどの傷もつけることができなかった。時間が経つほどにあの青い剣の閃光を思い出して畏怖の念が強くなる。
「その男はどこへ行ったのだ?」
シャリオはどうもその騎士に興味があるようで、マーカスの失敗に対する怒りは忘れたようだ。マーカスとしてはこのまま流せるとありがたい。
「我々の先にいましたから、そのまま行けばマコムの街ですが、山賊どものなかまであったら、山の方かもしれません」
何しろ3人やられて逃げてきたのだ。相手の行方など確認していない。
「すぐに捜索を始めよ。見つけたら連れてこい」
シャリオの命令にマーカスはちょっと体が引けた。
「すぐにですか」
「すぐにだ」
マーカスはがっくりと首を落とした。すでに陽は暮れている。この時間から捜索を開始するというのは、部下に伝えるのが辛い。だが、郡令官の命令に逆らうこともできない。それが軍というものだ。
マーカスは立ち上がり、踵を返した。文字通り重い足取りで部屋の出口に向かった。
「それと、別動隊を組織して、奪われた子供の代わりを連れてくるように」
重い足取りをさらに重くする命令を背中に受けて、マーカスはシャリオの執務室を出た。このところ、気持ちが上向く仕事を言いつけられたことがない。大きくため息をついて、マーカスは部下が待つ兵舎へ向かった。
「どう思う?」
マーカスが退出したあと、シャリオは窓に向かって声をかけた。窓の外はすでに陽が落ち、薄闇が広がりつつあった。誰もいないように思えたが、窓の端に寄せられた厚いカーテンが揺れて、一人の男が現れた。
黒いローブのようなものをまとい、顔以外は見せていない。髪はくすんだ金色で、生気がないような顔艶である。
「青い剣というのが気になりますな」
黒い男が答えた。故老な感じが見える雰囲気に合わない若い声が答えた。
「聞いただけでは分かりかねますが、まさか、ということもあります」
黒服の男は机の脇まで進み出た。薄暗くなってきた外光が青白い顔を照らしたが、その表情は読めなかった。
「聖剣・・か」
シャリオはつぶやいて、固い机の上に肘を置き手を組んだ。
「青の聖剣だとして、誰なのだ?」
聖剣はそれを持つものを選ぶとされており、6振りの聖剣のうち持ち主が知れているのは4振り。青と黄の聖剣は持ち主はなく、竜の元へ戻ったとされていた。
「それが問題ですな」
黒服の男はそこに何かが映っているかのように窓を注視した。シャリオもその窓を見たが、城を囲んでいる森が見えるだけだった。
「こちらでも捜してみましょう」
黒い男はシャリオの方を向いて首を縦に振った。
「ムーマ殿か」
シャリオの声がやや上ずって発せられた。その扇情的な肢体が脳裏に浮かぶ。
「見つかればご連絡いたします。それより、事を急いだほうがいいでしょうな」
黒の男はシャリオの目に淀んだ目を合わせた。その眼の色は金色で鈍い光を放っている。シャリオはその目が苦手だった。何か考えを見透かされているような気がする。
「あと少しだ。まもなく完成するよ。キュリアン殿」
シャリオは自分に言い聞かせるように言って頷いた。