004:一別
「あたしたちに雇われる気ない?」
言って、イノはちょっとだけ首を傾げた。
「おいおい、何を言い出すんだよ。イノ」
横からクリスと呼ばれた若い男が口をはさんだ。先ほど会ったばかりで、何者かもわからない。剣士として腕は間違いないが、それだけのことだ。まだ信用するのは早すぎる。
「残念だが、傭兵じゃないんだ」
アーティスは首を軽く振った。ついさっき、傭兵じゃないといったはずだが・・とその青い目が訴えていた。そんなことのためにこの地に来たのではない。結果的に郡令軍と敵対することになってしまったが、それも意図したことではない。
「じゃあ、・・・」
「イノ!」
なおも食い下がろうとするイノにクリスが叱責するように名を呼んだ。
「もういいだろう。この人にも迷惑だよ」
もっともなことを言い、クリスはイノの腕をつかんだ。
「ほら、向こうも手伝わないと」
クリスは馬車の方へ顎をしゃくって見せた。
馬車の周りは、紅の雪狼の連中が取り囲み、助け出した子供たちを慰めたり、水を与えたりしている。このあと、彼らの出身を聞いて、連れて帰ってやらなければならない。
彼らは善意だけでやっているわけではない。そもそも紅の雪狼は山賊なので、そんな善意とはどちらかといえば遠い方だった。本来、賊というのは反体制派であり、郡の役人に反抗することは自然なことだった。ところが、近年郡令官が暴虐になってきており、それに逆らう姿が平民の人気を得るという構図が出来上がった。そういうことが続いているうちに、いつの間にか反体制勢力の急先鋒という今の彼らの立場を作ったのであって、彼らが望んでなったわけではない。
とは言うものの、人に感謝されることは悪い気がしない。「貴族なんて農民を牛や馬と同じぐらいにしか見ていない」という父の言葉を聞いて育ったイノは、最近の仕事が好きだった。山賊も面白かったが、郡令軍を手玉に取るのはもっと面白かった。
山賊狩りのようなことも行われ、山を追われるときもあった。山賊狩りは容赦なく、その際にたまたま同じ山にいた農民も殺害されたりという事件もあった。そうした強行がさらに人心を遠ざけていたが、郡令官は意に介した様子もない。
そうした圧力がだんだん強くなってきており、イノの父バック・リージェンは近隣だけでなく、広く山賊や近しい仲間に声を掛け、郡令官に対抗する組織を立ち上げようとしていた。単独で戦うのは限界に来ていた。自衛のためにも、郡令官を倒すという方向へ考えが傾いている。
国王に訴えることも何度か行った。しかし、首都であるカービアンは西の海に面する場所にあり、この山中からおよそ80ハーラ(注:約500km)の距離にある。国王セルリガ・エランドは決して悪王ではなかったが、なかなかこんな地方のことまで手が回らないようだった。群令官シャリオ・フェードソンがばれないようにうまくやっているということでもあろう。こちらに目を向けさせる為にも何か大きな事を起こすことが必要だった。
「じゃあ、どうもありがとう」
クリスは青い騎士に軽く頭を下げると、腕をつかんだまま強引にイノを引っ張ろうとした。先ほどの事件を考えると、あまりに素っ気ない挨拶だったが、クリスとしても赤の他人にこれ以上かかわる必要もなかった。相手が何もしないのなら、もう相手をすることない。若干理性以外の感情があったとしても、間違いではないと思った。
「いや・・・、あの・・・」
言葉を継げずイノはクリスに引っ張られたまま、馬ごと後ずさった。乗っていた馬はすぐに踵を返し、クリスの馬に付いて行く。イノは後ろを振り返ったが、青い騎士は興味を失ったように背を向け、街道をイノたちと反対方向に進んでいった。このまま街道を下るとマコムの町がある。陽は傾きかけているので、その辺りで泊まるつもりだろうか。後ろ髪をひかれる思いで、イノは紅の雪狼の元へ戻っていった