08:魔女ムーマ
近衛兵はなかなか信用してくれなかった。
キュリアンは近くの近衛兵の待機所に駆け込み、怪しい一団が居たという話をしたのだが、そこにいた近衛兵は取り合ってくれなかった。
当然と言えば、当然だった。ここはアルルア城内であり、許されたものしか入城はできない。定期的に近衛兵が場内を巡回しており、その近衛兵は世界一精強と言われている。ここは地上で最も安全な場所なのだ。まして、魔法士の見習いが主張する言葉の信憑性が疑われても仕方ない。
そこで、キュリアンは一計を案じた。
「アルファムのアーティス王子が騒動に巻き込まれているかもしれない」と事象が前後する事実を付け加えた。
近衛兵としては、その内容には検討する余地があった。自分たちが管理する場内で、他国の王子に何かあれば、管理責任という見えない重しがのしかかる可能性がある。
「とりあえず、確認しよう」
兵士長が言った言葉で兵士たちは慌てて準備を始めた。数人が兵士長に選ばれ、帯剣して馬に乗る。
7人の近衛兵が馬上にあり、キュリアンにも馬が貸し出された。
キュリアンを先頭に騎馬は走り出した。丘を回り込んだ先にいると、キュリアンは告げており、8人はその先を目指して、馬を走らせる。
しばらくするといつの間にかキュリアンが最後尾になっていた。キュリアンは馬に乗れる、というだけであって、近衛兵とは馬術が違う。
徐々に遅れていく自分に舌打ちしながら、キュリアンは手綱を握り直した。その瞬間、キュリアンは手綱を引いた。馬が首を振りながら急停止する。だが、兵士たちはキュリアンの停止に気付かず、そのまま先へ進んでいった。
馬を止めたキュリアンは、丘の中腹にある木立の方に視線を投げた。背筋にゾクゾクするような嫌な感じが走る。
馬を置いて、キュリアンはその木立の方へ引き込まれるように歩き出す。丘の中腹から裾にかけて緑の木が林立しており、その先が庭園の方へ続いている。その木立の中の一本の木の陰に人影が見えた。
その人影は庭園の方を向いているようだ。木陰であり、キュリアンの方からは背中しか見えないので、誰かは分からなかった。だが、明らかに不審な感じだ。
キュリアンは気付かれないようにゆっくりとその人影に近づいて行く。
「はぁ」
その人影がため息をついた。いや、ため息を聞いたと思った。相手との距離は6リルク(注:約5メートル)以上あり、小さなため息など聞こえるはずがなかった。だが、キュリアンの耳には確かに聞こえた。
不意に、その人物がキュリアンの方を振り向いた。二つの青い瞳がキュリアンの方を見つめている。色白の女性の顔が驚いたように目を見開いていた。
次の瞬間、その女性は木立から1リルク(約85センチメートル)ほど前に立っていた。
「えっ!」
キュリアンは思わず声を漏らした。その女性が動くところが見えなかった。こちらを見ていたと思った次の瞬間にはその姿は木陰になく、自分と対峙している。まるで時間が飛んだような間隔に襲われた。
さらに次の一瞬でその女性は、さらに3リルク(約2.5メートル)飛び、キュリアンの目の前に居た。キュリアンから1リルクほどの距離に立っている。金色の長髪が胸のあたりまで垂れ、毛先が風に揺れている。細面の白顔に、青い眼と濡れたような赤い唇が印象的だ。服装はメイドのような白と黒のワンピースであった。ただ、胸元が広く空いていて胸の膨らみを強調しているように窮屈そうに張りつめていた。腰は細くくびれ、素肌が露出している腕と足は細いが女性らしく柔らかそうに見えた。
総じて、淫靡な、という言葉が似あう容姿だ。
その女はキュリアンを舐めるように足元から頭まで視線を流した。あらためてキュリアンの顔を見つめて、フフッと笑った。
「ちょうど魔力が欲しかったところよ」
「なっ!」
殺気を感じて、キュリアンは上体を引いて身構えた。が、視界に女がいない。
「だめよ、逃げちゃ」
耳元で女の声がした。
「!」
目だけを動かして、右を見ると、視界の端に金髪が見えた。その女は瞬時にキュリアンの傍にいた。右の耳に熱い息がかかる。
「痛くしないからね」
女の右手の指先がキュリアンの喉元に当てられていた。爪が長く、短いナイフを突き当てられているようだ。右腕にはふくよかな胸の柔らかさを感じる。だが、喜んでいる余裕はなかった。
「何を・・・」
「ちょっと魔力を頂くだけよ」
熱い声で女が言い、左手の平をキュリアンの背中に当てた。
「はう!」
背中に痛みを感じてキュリアンは思わずのけぞった。背中の皮膚を捻じられているような痛み。背骨にしびれが走り、息が止まる。身体は動かない。
「ちょっともらうだけよ」
女は相変わらず、耳元でささやく。
「・・・死ぬかもしれないけど。・・・ふふっ」
キュリアンの意識が遠のいていく。視界が白くなっていき・・・・。
「はうっ!」
急に意識が戻った。眼に映ったのは、元いた丘の中腹の景色だった。
「はあ、はあ」
息苦しさから頭を下げ、肩で息をする。起死回生というのはこういうことをいうのか。不意にそんな言葉が頭に浮かんだ。
大きく深呼吸をして、頭を上げると、目の前に青い眼の女がいた。
「戻った? さすがね」
女はあいさつでもするように軽い感じで話しかけてきた。
「あなた、なかなか面白い魔力を持っているわね」
「な、ん、の、こ、と、か・・・」
キュリアンは息絶え絶えに答えた。
「いい魔力を持っていると言っているのよ」
女は首をやや傾げ、流すような視線を投げた。赤い唇の端を上げ、妖艶にふふっと笑った。キュリアンの状態に気を遣う気はないようだ。
「魔力を消費したから、少し補充しようと思ったけど、あなたからはやめておくわ」
言って、女は後退った。
「また、会いましょう」
胸の前で小さく手を振り、女が少しずつ下がっていく。最初見た時のように、瞬間ごとに移動して行き、やがて木立の中に消えていった。
しばらくして、息苦しさが無くなり、意識がはっきりしたところで、キュリアンは頭を左右に振り、意識的に瞬きして、大きく息を吐いた。今のは何者なのか。何が起こったのかも分からなかった。だが、すぐに本来の目的を思い出した。
「アーティス・・・」
それから、馬を降りた丘の裾に向かって、歩き出す。
ふと立ち止まって、後ろ振り返り、女が消えた方を見た。キュリアンが彼女の名前を「ムーマ」と知るのは1年以上後のこととなる。
投稿が1週間に1回のペースになってしまいました。
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