003:騎士
マーカスたち全員が声の方へ振り向いた。金髪の少女のような女と30歳ぐらいの黒髪の男の二人。二人とも首に赤い布を巻いている。その色が目に入って、追いかけられていたことを思い出した。青い騎士との戦闘が強烈で、すっかり忘れていた。
マーカスは再度前方の青い騎士に目を向けた。青い騎士は紅の雪狼の仲間だったのか。一味の証である赤い布は付けていないが。
青い騎士と赤い布を付けた2人とを交互に見やる。後方の一団ももうすぐに到着しそうだ。迷っている場合ではない。
マーカスは主人を失い所在無げな騎馬が傍にいるのを見つけると、馬車の御者台からその騎馬に飛び移った。手綱を引くと青い騎士を遠巻きに見守るようにゆっくりと道の端を回り込む。そして、左手で仲間に小さく来い来いと合図する。声は出せなかった。音を立てると青い剣が飛んできそうな予感がする。
他の騎士も恐る恐るという風に馬を静かに動かした。槍を奪われた騎士も土を払うこともなく、ゆっくりと騎馬にまたがり、ほかの騎士と同様にそろりそろりと馬を操る。誰も声を上げない。小音すら立てないように馬を歩かせる。青い騎士もマーカスたちの行動をにらんでいたが、声は発していない。短時間だが激しい戦闘をしたはずなのに息も切らせていなかった。馬が鼻を鳴らす音以外は無音で、蹄が土を踏む音すら聞こえてきそうだ。
「走れ!」
青い騎士よりも先の道に出たところで、マーカスは叫んだ。そして、馬の尻に鞭を入れる。走り出した隊長に続いて、ほかの騎士も同じように鞭をくれ、そのあとを追いかけた。誰も無言で、後ろを振り返りもしなかった。
「逃げろ」と言わなかったのがせめてもの自尊心の現れであった。一人の剣士に恐れを抱いて逃げるというのはマーカスの矜持が許さなかった。だが、現実としては勝てる相手ではない。選択の余地はなかった。そもそもこの任務には違和感があったのだ。放り出したところで、彼の心はさして痛まない。何より、命の方が大事だ。部下をこれ以上失うこともできなかった。
逃走する馬上でマーカスはあれこれと己を納得させる理由を考えていた。
脱兎のごとく駆け去っていく馬群を見送って、イノは青い騎士の方に視線を戻した。まだ、青い剣を構えたままだったが、緊張が解けているのか剣先がやや右に傾いていた。先ほど見事な剣捌きを見せた時よりも殺気が薄れているように思える。多少は安心しているのか、なめられているのかは、その表情では分からなかった。
年のころは27ー28というところか。あらためて見るとなかなかにいい男だ。優男というには青い瞳が放つ視線が鋭すぎるが。
男が持つ長剣も珍しい色をしている。旅装の風体からして、この辺りのものではなさそうだ。先ほどの剣技から考えると単騎の傭兵ということもありうる。
「イノ!」
遅れて来た馬群がイノのそばに駆け寄り、抜いたままの剣をその青い男に向けた。一瞬殺気が辺りを包む。
「待ってくれ。この人は敵じゃない」
イノは慌てて仲間を制した。両の手のひらを仲間たちに向けてドウドウと抑えるしぐさをする。
「この人は騎兵を追っ払ってくれたんだ」
言ってから、イノの脳裏に疑問符が浮かんだ。確かにこの騎士は騎兵を追いやったが、かと言ってこちらの味方とは限らない。先に仕掛けたのは騎兵の方で、単に降りかかった火の粉を払っただけかも知れない。こちらの味方と考える方が都合よすぎるだろう。だが、イノにはなぜか敵には思えなかった。
紅の雪狼の男たちは状況がわからず、剣を構えたままお互いの顔を見合した。そして視線が一人の男に集まった。年配でひげ面の男が自分に集まる視線に驚いたようにキョロキョロと全員の顔を見渡した。その中で一番年上らしい、その男は視線をイノに戻した。
「ダフ」
小さくその男の名前を呼んで、イノは口を結んだまま首を小さく左右に振った。ダフと呼ばれた男は分かったという風にうなずいた。
「みんな、剣を収めろ」
ダフは言って、自分の剣を鞘に収めた。ほかの連中も渋々の感じで剣を収めた。この中ではダフが長であったが、イノの性格を子供のことから知ってい彼は、無用な言い合いを避けることにしたようだ。
イノは青い騎士を馬首ごと向き直り近づいていく。
「あんたも剣を収めてくれよ」
イノは両手を上げた。万国共通、無抵抗のしぐさだ。
青い騎士は無言で長剣を背中の鞘に納める。
ほっとしたように、イノは手を下した。先ほどの剣技を見たら、この男と戦う気はしない。1対18の勝負だが、勝てる気はしなかった。こちらの犠牲も多いだろうし、何より無益な戦いになる。
「あいつらをやっつけてくれてありがとう。礼を言うよ」
そう言いながらイノは青い騎士に近づく、一緒にいた黒髪の男がイノをかばうように青の騎士とイノの間に割って入ろうとした。
「ク、リ、ス~」
イノはその男をにらんだ。クリスと呼ばれた男は、イノの目が吊り上がったのを見てひるんだように器用に馬を後退りさせた。開いた道をイノは進み、青い騎士の傍に馬を寄せた。
「あたしはイノ・リージェン。あんた、名前は?」
イノは男をちょっと見上げて尋ねた。男は長身で、小柄なイノは見上げる形になる。
近くで見ても、いい男だ。イノを見る表情はあきれたような感じで少し首が傾いていた。
「アーティス・・」
青い騎士はそう名乗った。ちょっと口元が笑ったように見えたが、目は笑っていない。
ガキンと金属が折れる音がした。イノは振り返り、アーティスは視線を上げて、音の方を見る。イノの仲間が馬車の荷台のカギを壊したようだ。馬車の後ろは熊を閉じ込めるほどの大きな鉄の籠になっており、後ろ側に小さい出入り口がついていた。その錠前を壊したようだ。
扉が開くと、中から10歳前後の少年と少女が5人ほど出てきた。女の子は泣き顔になっている。その子供たちが『積荷』だった。
「ああやって、近隣の村とかから子供をさらってくるんだ」
イノが子供たちを指さして説明した。彼女の言葉には主語がなかったが、連れていた騎士たちが軍の服装であったので、自明のことだった。
「あんた、傭兵かい?」
イノはアーティスの方に向き直り、期待を込めて尋ねた。
「いや」
短い答えにイノは軽く落胆した。傭兵なら金を積んでも雇いたかった。今後のことを考えると、この騎士の実力は大いに役に立つ。
「そうか・・・・」
イノはがっくりと首を落とした。