025:魔斧
ビラトリスは不意に戦斧を振り下ろした。長さ2.5リルク(注:約2メートル)の先についた大きな斧がアーティスの頭めがけて落ちてくる。咄嗟にアーティスは飛び退った。眼前を突風と共に金属の刃が落ちていく。
ドン!と戦斧が床に刺さった。すぐさま引き抜いて、今度は横殴りに戦斧を振るう。避けきれずアーティスは剣を立てて、その戦斧を受け止めた。だが、かろうじて受け止めたものの、戦斧の勢いに負けてよろけてしまう。右足をガッと床に押し付けて踏ん張り、ふらついた体を立て直す。
巨大な戦斧に比べれば、アーティスの長剣は細く、脆く見える。戦斧に当たれば、簡単に折れてしまいそうだ。だが、その剣は折れることもなく、勢いが付いた戦斧の動きを受け止める。
鍛冶神ヘルオコスが鍛えたとされる聖剣は竜の鱗から作られたと伝説は語る。何物にも貫けない竜鱗は人知を超えた存在であった。
「うおおおっ!」
ビラトリスが大きく吠えて、戦斧を振り回した。頭上で一回転させたかと思うと、アーティスに向かって振り下ろす。左右に方向を変えながら、重量のある戦斧を棒切れのように軽々と何度も振り下ろした。
そのことごとくをアーティスは聖剣で受け止めていた。聖剣と魔斧がぶつかるたびに金属音と火花が散る。どちらも譲らない打合いが続き、ちょうど十二合目で戦斧と剣の動きが止まった。切り結んだ戦斧と長剣の押し合いが始まる。つい先ほどの激しい動きから一転、静の戦いが続く。刃と刃がお互いを切り落とそうとギリギリと音を立てた。
ビラトリスが「はーっ」と息を吐いた。戦斧を握る手に力が入る。戦斧からは何か禍々しい気が噴き出した。アーティスはその邪気に押されたように、慌てて後方へ下がる。そこへビラトリスの戦斧が追いかけてくる。その攻撃をアーティスは青剣で弾き飛ばした。
戦斧の表面が黒く染まっていき、何かがうごめいているようにうねっていた。魔気が戦斧を覆っていく。銀の金属光沢であったはずが、漆黒の魔気を纏い、妖しい色を放つ。
ビラトリスの身体にも戦斧から黒い気が流れ出て全身を覆っていった。戦斧を持つ腕から肩、胸、頭、腹、足と、黒い霧がまとわりついていくように広がっていく。その黒い霧が開いた口に吸い込まれていった。するとビラトリスの顔面が黒い色に染まり、肩や腕の筋肉が破裂せんばかりに膨らんでいく。
「ぐおーっ!」
ビラトリスが吠えた。戦斧を頭上でぐるぐると回し始める。戦斧が空気を切り、ぶうんぶうんと音を立てる。回転が速くなり、先端の斧の形が捉えられないほど高速になってゆく。先回の鉄槌よりも軽いとは言え、常人では持てそうにもない巨大な戦斧を軽々と扱っているのは脅威だった。
突然、回転の先端が軌道を変えて、アーティスの頭を襲う。
ガキン。
戦斧の衝撃を青剣で受けたが、横殴りの激突に耐えられずアーティスの身体は長剣ごと右の方へ吹っ飛ばされた。磨かれた石の床の上を横になったまま石造りの床を滑っていく。背中が石の柱にぶつかって、滑走が止まった。衝撃で頭がふらつく。アーティスは意識を取り戻すように首を左右に振りながら、ゆっくりと立ち上がろうとした、
そこへビラトリスの回転する戦斧が襲ってくる。慌ててアーティスは柱の後ろに下がった。戦斧はアーティスがいなくなった空間ごと、石の柱を削り取った。直径1リルク(注:約85センチメートル)もあろうかという石造りの柱を戦斧の突撃は直径の半ばほどまで抉り取った。柱であった破片が広間の中に飛び散ってゆく。
「おいおい・・」
砕けた柱の後ろで、アーティスが立ち上がった。両手で青剣を握り、構え直す。剣の刃先に聖力を込め、聖剣の能力を練り上げてゆく。青い剣の周囲で水の粒子が震え、剣が白い光沢を放つ。
ビラトリスの戦斧が再度襲ってくる。横殴りに迫ってくる戦斧に向かって、アーティスは長剣を振り下ろした。
ドオン。
上方からの攻撃で戦斧は床に叩き付けられたが、回転する勢いが完全には止まらず、石床を1リルクほど削り取ってから動きを止めた。
すかさずアーティスは床にめり込んだ戦斧を右足で踏みつけ間合いを詰めようとした。だが、ビラトリスはアーティスの身体ごと戦斧を引き抜くように持ち上げる。アーティスの身体が宙を舞った。半回転して天井に着地するように膝を曲げて衝撃を和らげながら天井に足を着け、降りる時にも半回転しながらビラトリスから4リルクほど離れた床面に着地した。その動きは華麗で、咄嗟の動作とは思えないほどだった。
着地するとその反動を利用して、ビラトリスの間合いへ飛び込む。アーティスの長剣がビラトリスを襲った、右に薙ぎ、左に打ち下ろす。突きを入れ、下から切り上げる。
今度はビラトリスが防戦する側になった。変化自在に繰り出される剣技をビラトリスはかろうじて戦斧で受け、どうにか鎧の一部に傷がついた程度で体への傷創は防いだ。だが、先ほどと違い、戦斧の刃先には刃こぼれが生じていた。
「ちぃっ」
アーティスは舌打ちした。普通の戦斧ならば今の攻撃でバラバラになったはずだった。先回の鉄槌と違い、魔気を込められている戦斧は簡単には砕けないようだ。ビラトリス自身も魔気を纏い、防御力が上がっている。その戦斧の魔気はかなり強力な魔力の持ち主によるものであり、厄介な魔具に仕上がっていた。
アーティスは呼吸を整え、さらに聖力を増す。全身の血流に聖量を乗せ、体の隅々まで聖力を満たす。聖剣がそれに答えるように青い光を放ち、剣幅が光で広がったように見えた。
ビラトリスとアーティスは間合いを取ったまま、お互いに右側の足を運ぶ。右の方へ石床の上で足を滑らせると、ビラトリスも同じように右に足を動かす。
イノは扉の陰で、二人の戦いに見入っていた。凄まじい攻防であり、どちらの動きも目で追えないほどの速さだった。魔力だの聖力だのというはイノには見えないが、何かそんなものがそれぞれに身体から発しているのは感じることができる。人間離れした、という言葉がまさにその通りだった。特にビラトリスの方は巨躯がさらに増量した上、顔面もどす黒く変色しており、魔物の様を呈していた。
「うおおおおっー」
ビラトリスが獣のような声を上げ、アーティスに向かって駆けだした。巨大な戦斧を振り上げ、一気に間合いを詰めてくる。
アーティスは、聖剣を腰だめに構えたまま、聖剣に力を込めるようにその柄を強く握る。
「なっ!」
ビラトリスの突進は突然止まり、つんのめった様子で、ビラトリスの身体が前に倒れていく。ビラトリスは振り上げた戦斧を床にたたきつけ、体を支えた。何が起こったのか。急に足が動かなくなった。見れば、両足が凍っており、足に巻き付いた氷が床まで広がっていた。
聖剣ビス=グランサーは水の聖剣だ。無から有を生み出すことはできないが、空気中にある水を集めて凍らせる事はできる。水さえあれば、それをいかようにでも利用することができるのが青の剣の資質であった。
動きが止まったビラトリスに、今度はアーティスが駆け寄り、聖剣を一振り薙いだ。
ガツン。
金属がぶつかる音が響き、アーティスの青剣は戦斧の柄に当たった。
「むんっ!」
アーティスが力を込めると、一瞬止まった青剣が太い戦斧の柄を切断して振り上げられた。その勢いで天を指した聖剣をビラトリスに向かって振り下ろす。
ビラトリスは折れた柄を突き出して、その青剣を受けようとした。
だが、青剣はやや斜めに軌道を変え、ビラトリスの左腕を切り落とした。
「がふっ」
ビラトリスの左腕が肘の部分から身体を離れ、床に落ちた。赤とも黒とも思えぬ血が切れた腕から噴き出した。それでも、残った右手で折れた柄をアーティスに投げつける。
アーティスはその柄を避けて、飛び退った。
「ぐあああ!」
ビラトリスは咆哮を上げ、足に力を入れると固定していた氷から足を引きずり出した。氷が砕け、辺りに飛び散る。左腕の痛みはないのか、躊躇せずに短くなった戦斧の柄を握り、持ち上げる。長さが半分ほどになったとはいえ、戦斧は健在だった。まだ魔気を放ちつつビラトリスの右腕と一体化する。
ビラトリスは片手で戦斧を振り、アーティスめがけて振り下ろした。だが、アーティスの青剣はその攻撃を弾き飛ばした。戦斧の重みでビラトリスの右腕が弾かれた方へ大きく開いた。そのがら空きになったビラトリスの上半身に向かって青剣が左右袈裟懸けに2閃する。
「がはっ」
ビラトリスの胸に×の形の傷が彫られ、血が噴き出す。前のめりになったビラトリスの口からも血が流れ落ちた。
「げほっ」
さらにビラトリスの身体に異常が発生した。足や腕の筋肉が突如膨れ上がり破裂したように亀裂が生じてそこからも血が噴き出す。強大な魔力にビラトリスの身体が耐え切れなくなってきたようだ。傷を負い、体力が低下したことで戦斧が噴き出す魔力がビラトリスの身体を蝕んでいた。
アーティスは青剣に力を籠め、ビラトリスに向かって振り下ろした。ビラトリスまでは長剣が届く距離ではなかったが、青剣の先から青白い奔流が噴き出し、まるで剣が伸びたように見えた。その青白い光流がビラトリスの首を捕らえ切り裂いた。
ビラトリスの首が胴から離れ、苦行の面相のまま床に転げ落ちた。首を失った胴体は、戦斧を握ったままドウと床に倒れる。胴体の傷口から血があふれ出し、石の床に広がっていく。
アーティスはまだ握られたままの戦斧に近づき、聖剣を逆手に持ち替えた、剣先を下に向け、血まみれの戦斧に向かって突き立てた。剣先が戦斧に触れた瞬間、そこから光が放たれ、戦斧は粉々に砕け散った。その砕けた残骸の間から黒い霧が沸き上がり、揺らめいて消えていった。
ちょっとアップするのが遅れました。
なんとか忘れられない程度には続けていきたいと思っていますが、仕事を持つ身としては毎日更新というは難しいですね。




