011:隠里
「あうっ!」
女は身をよじって、腹を押さえた。白い肩がわなわなと震えている。腰をよじった姿が妙に色っぽい。
「やられたか」
男が声をかける。黒いマントを羽織った男は顔を伏せた女を気遣う風もなく、身じろぎもしなかった。
息を整えながら、女は顔上げる。白磁の肌に切れ長の目、やや厚い唇を赤い舌がちろっと舐めた。
「ちょっと調子に乗りすぎたわ」
女は金色の巻き毛を肩に払って、細い指をひらひらさせた。
「鳥は駄目ね。下手に動けるから、いい男だとつい寄ってっちゃう」
カラカラと笑いながら、女はテーブルの上のグラスを取って、赤い液体を口に運んだ。
「・・次は狼か熊にするわ」
ワインで濡れた上唇を舌で舐める。
「で、どこにいる?」
男は女の言葉を聞いていないように話題を変えた。
「崖を格好良く駆け上がって、東の方に行ったわ」
「南パーミ山脈の方か」
男はここからは見えない山の方を向いて、つぶやいた。
「ちゃんと居場所を探せよ」
言って男は女の顔を指さした。
「はいはい、ちゃんと探すわよ」
女は顔の前で手をひらひらと振った。
「あの青い美男はやっぱり貴方のお友達なの?」
女はグラスからワインを一口飲んでから、男に問いかけた。
「間違いないだろう。風体から言ってアーティスだろうな」
男は少し遠い目をした。
「・・・やはり来たか」
いずれ追いかけてくるのは分かっていた。
「少し早いな・・」
完成するまでもう少しだったのに、アーティスに邪魔された。それは故意なのか偶然だったのか。いずれにせよ、これ以上邪魔させるわけにもいかない。
「ねえ、キュリアン。貴方、どこまでキュリアンなの」
女は、おそらく他人が聞いたら意味がわからないであろう質問をした。
男は首を捻った。
「・・何を言っている?」
質問された男の方も質問の意味が分からなかった。
峠を抜けると街道から山道に抜け、そのあと岩場を抜け、また山に入る。けもの道のようだが、何度も踏み固められた細い道を抜けると、目の前に切り立った岩肌が見えた。眼前に岩山があり、そこに馬2頭が並んで入れるほどの穴が開いている。その奥は洞窟のようだ。
「ここだよ」
イノが背後からアーティスに告げた。いかにも山賊の隠れ処らしい。
その穴の前でアーティスは愛馬を止める。馬に乗ったまま、入るのは難しそうだ。
不意に洞窟の中から男が二人現れた。すでに剣を構え、こちらを睨んでいる。アーティスの左右から不審な騎馬を窺う。
「何者だ?」
男の一人が誰何した。
「あー、大丈夫だから」
アーティスの後ろから、イノがひょこっと顔を出して告げた。
「お嬢!」
イノの顔を見て、男二人が同時に声を上げた。
「ただいま」
イノは言って、馬から降りる。
「彼は大丈夫だから、剣を収めなさい」
男たちはお互いの顔を見合わせてから、もう一度アーティスの方を見て、渋々といった様子で剣を腰に収めた。
アーティスも下馬して、男たちに対峙する。怯む様子もなく、長身で青いマントを羽織った青年は、汚れが付いていたのかマントの裾を手で掃った。
「お嬢、そいつは・・」
年配の方の男が上目遣いでアーティスを見ながら、イノに訊いた。
「彼を親父に合わせたいんだ。親父、いる?」
「はい・・」
返事を聞いて、イノはさっさと歩き出す。ついてきて、とイノはアーティスに手招きした。アーティスは唖然としている男たちに一瞥をくれて、愛馬の手綱を引きイノの後に続いた。
男二人は、それを茫然と見送り、彼らが洞窟に消えてから、慌てて後を追った。
洞窟のような道を通り抜けると、急に目の前が開けた。広場のようになっており、家が立ち並んでいる。周囲は岩の壁に囲まれていた。上を見上げれば青い空が見える。岩山に見えたのだが、山の真ん中は盆地になっているようだ。かなり広いが、外からはこの様子は想像できない。
人の喧噪があり、男も女も多かった。子供も多い。生活の匂いがあり、活気があった。普通の村と変わらず、この様子だけみれば山賊の隠れ処とは思わないだろう。
人々がイノとアーティスを見かけて、好奇の目を向ける。聞こえはしないが、何かを話している様子が窺える。
イノはすたすたと歩いて、村の中央にある大きな住居に入った。アーティスはその入り口にある駒繋ぎに愛馬の手綱を結わえてから、イノの後を追った。
中は広間になっており、その奥に何人かの男たちが居た。
「親父」
イノは中央の椅子に座る男に声をかけた。年の頃は50ぐらいか、偉丈夫で年齢の割に引き締まった体つきをしている。
「イノ・・・。そいつは・・」
言いかけて、男はアーティスが背負っている剣に目を付けた。その左右にいた4人の男が訝しげにアーティスを見つめた。
「こっちはアーティス。あたしを助けんてくれたんだ」
イノは言ってアーティスを紹介した。声をかけられた男は、値踏みするようにアーティスの全身を眺めて、口を開いた。
「俺は、バックだ。話は聞いている。子供らを助けてくれたそうだな」
イノの父にして山賊『紅の雪狼』の首領バック・リージェンはニッと笑った。
が、すぐに顔を引き締めて、アーティスの顔を見つめた。
「で、早速で悪いが、剣は預けてもらおう」
まだ味方とは限らない男を信用するわけにはいかない。しかもその強さは帰って来た連中から聞いている。お互いに安心のためにも武器はなしで話をしたい。
数瞬アーティスは思案したが、無言でマントを取り胸と腰の紐を解いて背中の剣を外した。
バックは部下に目配せして、その剣を受け取らせる。バックは部屋の隅を指さし、部下の男は長剣をそこに立てかけた。武器がなくなるのは不安だろうから、見える場所に置かせた。バックなりの配慮であった。
バック・リージェンは一度娘に目を遣り、アーティスに視線を移した。
「娘も世話を掛けたようだな。そっちも礼を言う」
バックは野太い声で言い、軽く頭を下げた。粗野な山賊の割には礼儀正しい言葉だ。一党の長というだけのことはある。
「俺はまどろっこしいのは嫌いなんだ」
バックがまっすぐにアーティスの目を見つめた。
「なんで、単刀直入に訊くが、俺たちに手を貸してくれるのか?」
口調は穏やかだったが、その裏にあるものは厳しいものがあった。隠れ里を見られたからには、返事次第では生きて返さないぞ。そんな言葉をバックの目が語っていた




