010:駿馬
「掴まってろ」
アーティスは真下にあるイノの頭に言って手綱を握りなおした。
「え、え、え、えーっ!」
イノはアーティスの腕一本で馬上に上げられた。その際に、前側から抱きかかえられたために自然と後ろ向きになり、結果、アーティスと向かい合うように馬の肩に乗ってしまっていた。目の前にアーティスの胸があり、上を向くと顔が接するぐらいの位置にある。
アーティスが手綱を両手で握るためにイノの身体を支えていた手を離したので、揺れる馬上から振り落とされないようにするためには、正面からアーティスに抱き付くしかなかった。というか、揺れを感じて抱き付いてしまっていた。
男に抱き付くなんて、子供の頃以来の経験であった。しかも子供の頃の記憶は、ごつい親父だけだ。さすがに年頃になると、そういうこともしなくなる。
恥ずかしさの方が勝って、頬が熱くなり、心臓の鼓動が速くなる。
追っ手が来るので、馬は速度を上げる。ゆるく掴まっているだけでは落ちそうになるので、アーティスの背中に手を回し、しがみつくようにぎゅっと抱きしめる。自然アーティスの胸に頭が密着する。アーティスの心臓の音が聞こえてきそうだ。頭の上で愛馬と呼吸を合わせるアーティスの息遣いが聞こえ、イノは耳まで真っ赤になる。
アーティスは振り返り、追っ手の騎馬が近づいて来ているのを確認した。前方に目をやると街を囲む塀が見える。このまま行くと行き止まりになる。
「いたぞ!」
郡兵は声を上げ、追う馬の速度も上げる。青い騎士が見えた。その先は塀があり、行き止まりになる。左右に広い道はなく、追い詰められそうだ。
が、塀が迫ってきているのに青い騎士は止まるどころか、馬速を上げていた。塀にぶつかるつもりか、と思った瞬間、青の騎馬は大地を蹴って、宙に舞った。
「えっ!」
青い騎士と女を乗せた馬は、空中に舞い上がり、およそ1リルク半(注:約130センチメートル)はある塀を軽々と飛び越えた。
「嘘だろ・・・」
郡兵は呻くように声を漏らした。それから慌てて、手綱を引き馬を止める。茫然とその様子に見とれていて、あやうく自分が塀にぶつかるところだった。
塀を飛び越えた人馬はガシッと塀の外に着地し、その勢いで数歩進むとそのままその先にある森の方へ向かって駆けだした。小柄な女と細身の男とは言え、人を二人も乗せたまま、あれほど高く飛べる馬は見たことがない。青い騎士も恐るべき男だったが、その乗馬も驚嘆すべき良馬であった。
「ひぃっ!」
イノはアーティスの胸に頭を預けたまま、小さく悲鳴を上げた。前も後ろも見えないので、どういう状況かわからなかったのだが、急に体が軽くなり、フワッと宙に浮いた感じがした。一瞬馬から投げ出されたかと思ったが、腕はしっかりアーティスを抱きかかえている。そのあとドンとお尻に衝撃があり、馬が飛び上がったのだと理解した。だが、体が宙にあったのは一瞬というには長めだった。馬が二人も乗せて飛ぶだけでもなかなか大変なのに、結構高く飛んだような気がした。ちょっと自分の体験が信じがたい。
アーティスは着地してから後ろを振り返り、郡兵が塀の向こうに立ち止まっているの確認した。愛馬の活躍を誇りたい気分だ。馬の方もほめてくれとばかりにぶるるっと首を左右に振った。これで追っ手を撒けるかも知れない。アーティスは立ち止まらずにそのまま駒を進めた。その先には森が見える。
森へ入るとアーティスは走るのをやめて、馬の速度を落とした。馬を休めたい。二人を乗せたまま一気に走って来たので、さすがに愛馬の疲労も大きい。
木が何本か伐採されて、少し広く空いた場所で足を止めた。後ろを振り向き、追っ手の姿がないことを確認する。
「少し休もう」
馬を止めて、頭の上でアーティスが言った。
「うん、ああ・・」
イノは反射的に声がした上に顔を向ける。すると上から見下ろすアーティスの顔が眼前に迫っていた。
「あわわわ・・」
イノはなぜか慌てて、顔を伏せる。そして、アーティスの胴に腕を回したままだったことに気付いて、これまた慌てて手を放す。
途端にバランスを崩して、落ちそうになる。
「おい!」
アーティスがイノを肩を手で押さえて落馬を防いだ。
「大丈夫か」
アーティスがイノ伏せた顔を覗き込むように首を傾げる。
「あ、だ、大丈夫、だから・・」
言って、イノは落ちないように馬の鞍を両手で抑えた。
アーティスは片側の鐙から足を外し、イノに当たらないように馬の尻の方から外した足を回して、馬を降りた。それからイノに両手を伸ばす。
イノはちょっと躊躇しながら、伸ばされた腕を掴んだ。アーティスは伸ばした腕でイノを持ち上げ馬から降ろす。
「あ、ありがと・・」
イノは伏し目がちに言って、手を離した。そんなイノにやや首を傾げながら、アーティスは愛馬の方に近づき、その首をポンポンと叩いた。
「よくやったな」
褒められるとボレアスはブルルッと首を振り、アーティスの顔に首を擦り付けた。体格としてはやや大きめで、足にはしっかりとした筋肉がついており、茶色の立派なたてがみがある駿馬であった。この辺りでよくいる黒っぽい毛ではなく、南方の赤味の毛色をしている。鞍や鐙も立派なものが付いており、イノら山賊が使うような安物ではなかった。きちんと鍛えられた軍馬のようだ。
「さてと・・」
アーティスは近くの切り株に座り、腰の鞄から竹筒を取り出し、栓を抜いて水を飲んだ。成り行きとは言え、郡兵に追われる身になってしまった。もう少しおとなしくしているつもりだったが、そうもいかない。最終的には城に乗り込まなくてはならないが、かなり予定が狂った。
「飲むか」
アーティスはイノに竹筒を差し出した。ぼーっと立っていたイノは目の前に現れた竹筒で我に返った。
「あ、ありがと」
竹筒を受け取って、一口飲む。冷たい水が喉を潤し、気分も戻って来た。もう一口飲むと、竹筒をアーティスに返した。アーティスは、自分も一口飲むと栓をして、竹筒を鞄にしまった。その様子を見て、なぜかイノはぽっと頬を赤らめる。
「そ、それで、これからどうすんのさ」
なぜか上ずった声で、イノが訊く。視線もアーティスの方でなく木の上を見ている。
「どうせ、もう街には居られないでしょ」
イノの言葉にアーティスが小さくため息をつく。
「だったらさ、うちに来なよ」
友達に言うような気軽さで、イノが誘った。
「う~ん」
アーティスとしては、他人と交合う気はなかった。だが、今の場合、あまり選択肢は多くなさそうだ。
思案していると遠くの馬蹄の音が聞こえた。
「しつこい!」
言って、アーティスは立ち上がり、愛馬に跨った。
「何?」
イノはアーティスが聞いた馬の音は聞こえていなかった。
「まだ追ってくる。乗れ」
アーティスは言って、顎をしゃくり、馬の背を示した。イノは頷いて、鞍を掴み馬上に上がった。今度はアーティスの後ろに跨る。前にせよ、後ろにせよ、アーティスにしがみつかないといけないのは変わらないが、前から抱き付くよりも後ろの方がいろんな意味でマシだ。
蹄の音と馬具の音がイノの耳にも聞こえた。
「行くぞ」
言うなり、アーティスは馬を走らせた。イノは慌ててアーティスの背中にしがみつく。
アーティスは知らなかったが、彼らが越えた塀からそう遠くないところに街の東門があった。郡兵はその門を回り込み、森へ入っていった馬の足跡を追ってきたのだった。すでに何人かは殺られており、上からも青い騎士を捕らえろと命令が下っている。彼らの矜持としてもみすみす逃すわけにはいかなかった。
イノが後ろを振り返ると、数頭の馬が近づいて来ているのが見えた。いかに優秀な馬でも人を二人乗せて走るのは負担が大きい。このままいけば追い付かれるだろう。
急に森が切れ、岩場に出た。目の前に台地が広がる。高さは6リルク(注:約5メートル)もあろうか。切り立った岩場がそそりたっている。左右を見てもその光景が続き、どこにも上がれそうな場所がなかった。逃げ場がない。
「チッ」
アーティスは舌打ちして、崖の前で馬を止めた。見渡すと、少し左に岩場が崩れかけているところがある。岩肌に大きな凸凹があった。だが、人が上るのも苦労するような場所だ。
「いけるか・・」
半ば愛馬に、半ば自分に言って、アーティスは馬首を巡らせた。少し下がって、それから勢いよく馬の腹を蹴る。愛馬ボレアスは首を伸ばして、一声嘶き一気に走り出した。目の端に白い服を乗せた数騎の馬が見えた。
「ちょ、ちょっと!」
イノはアーティスの目論見を感知して、声をあげた。この岩場を上がるなんて狂気の沙汰だ。今度こそ死ぬ、とイノは目をつむった。
そんなイノの心配をよそに、ボレアスは驚異的な跳躍を見せた。いくつかある岩場の出っ張りを左、右、左と蹴り上げ、ほとんど垂直に見える崖を駆け登った。操る騎手も操られる騎馬も尋常な能力ではない。神馬と言っても過言ではない動きであった。
郡兵が崖下に到着したとき、二人を乗せた神駒はすでに崖の上にいた。己の力を誇示するように左右に行ったり来たりしながら、ぶるると荒く鼻を鳴らす。
郡兵もこれ以上は追跡が無理そうだった。ここを上がるには大きく迂回しなければならず、それでは遠くに逃げられてしまうだろう。そもそも、この崖を駆け上がるなんて芸当ができる馬に追いつけるわけがない。
逡巡している郡兵を尻目に、アーティスは崖の奥へと歩を進めた。さすがにこれ以上追ってくるのは無理だろう。
ふと視線を感じて、アーティスは上空を見上げた。一羽のカラスが飛んでいるのが見える。今朝見かけたものとは違うと思うが、何か違和感があった。そのカラスがスーッと降りてくる。アーティスの前方を横切ろうとした時、アーティスは腰の短剣を抜き放った。
「ギャア」
空を飛んだ短剣がカラスの胴に刺さり、黒い鳥は滑空するように地面に落ちた。地面の上で羽をバタバタさせていたが、すぐに動かなくなる。アーティスは馬を降りて、カラスに近づき、膝まづくとその鳥から短剣を抜いて腰に戻す。眼だけはずっとそのカラスを見つめていた。立ち上がってもなお、なおその鳥を見ていたが、足でこつんと蹴って動かないことを確認すると、馬の方へ戻った。
イノはいぶかしげにその様子を見ていたが、何も言わなかった。なぜカラスを殺したのかわからないが、様子から何か気にかかることがあるように見えた。
アーティスが再び馬に跨ると、少し首をひねって後ろを向いた。
「道案内を頼もうか」
アーティスの言葉にイノの顔が明るくなった。
「・・・じゃあ、とりあえず、ここをまっすぐ」
イノは東の山の方を指さして笑った
この回はちょっと長くなってしまいました。
切りの良いところで終わろうとすると、文章の長さを揃えるのは難しいです。
前回も書きましたが、感想などいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。




