第三話 彼女の素顔
放課後、帰宅部の生徒が続々と帰路に就く中、俺は一人図書室に向かっていた。
いつもなら俺も帰路に就いているのだが借りた本の返却日が今日だったことを思い出した。この学校の図書室では期間内に本を返却しないと一ヶ月間貸し出しができなくなってしまう。
だが図書室に入ると受付には誰もいない。周りを見渡すと四宮さんがポツンと一人椅子に座って本を読んでいる。
「ここ図書委員いないのか?」
声で俺がいることに気付いたのか。四宮さんがこっちを見て言った。
「あ、返却? カウンターに置いといて。あとは私がやっとくから」
「四宮さん図書委員?」
「うん。放課後担当してる」
「放課後? 曜日じゃなくて?」
「曜日やない。昼休みと放課後で担当が分かれてんねん」
なるほど。俺は放課後図書室来ないからな。どうりで今まで会わなかったわけだ。
「受付にいなくていいのか? ほかの生徒が来るかもしれねぇぞ」
「多分来うへん。私、一年の時から図書委員やってるけど、放課後に人が来るのはごく稀や」
昼休みは賑わってんのにな。差がありすぎだろ。
「じゃあ、いつも放課後は一人なのか」
「うん。でも本があるからそんなに寂しない」
相当本が好きなんだな。けど広辞苑を読む女子高生は初めてみたよ。
俺が面白いかと訊くと四宮さんは笑顔で頷いた。すげぇな…。彼女曰く、知らない言葉をたくさん見つけられるのが魅力らしい。俺には理解できない感覚だ。
四宮さんの意外な一面を知ったところで一人の女子生徒が図書室に入って来た。
「明音ー! やっぱここにいたか」
「千華、図書室では静かにして。何しに来たんや」
「ちょっと寄っただけ。てゆーかそんな怒らなくてもいいじゃん」
「別に怒ってへん。ただTPOは守ってな」
蚊帳の外に置かれた俺は四宮さんが言う千華という子を見る。茶髪のポニーテールにパッチリな二重まぶた。細身の長身で一六〇センチは優に超えている。
彼女は俺を見ると四宮さんに知ってる人かと訊ね、四宮さんは小さく頷き「五組の人」と返した。どうも、五組の人です。
「あのー、二人は知り合い?」
「あ、うん。この子は野江千華さん。中学からの親友」
四宮さんが即座に答えた。中学からということは最低でも二年は付き合いがあるということか。
「ちなみにクラスは?」
「えーと…」
「三組。ところであなたは? 明音は確か一組だからクラスメイトではないよね」
「ああ。俺は本を返しに来ただけだ」
野江さんは「ふーん」と返し、四宮さんのスマホに目を向けた。
「あれ、ストラップ変えたの? いつも着けてるやつは?」
そこに目が行ったか。俺は冷や汗をさっと指で拭って平静を装い、四宮さんは顔をわずかに引きつらせて答える。
「そ、そう変えたんよ。前着けてたのが不注意で壊れてしもてな…」
「明音が不注意? 珍しー」
あの時の記憶が蘇ってくる。もう過ぎたことなのに俺はいつまで引きずってんだ。
「じゃあ、あたし帰るわ。…そういえば、あなた名前は?」
「俺? 丹波翔太」
「丹波さんね。それじゃあ、また」
野江さんは手を振り四宮さんは大きく振って返す。俺は小さく返した。再び図書室は二人きり。
「四宮さん、ホントにごめん」
「その事はもうええよ。あれは私にも非はあったから」
「え、どこに?」
「あの時は私もよそ見してたし、君だけ責めてもしゃあない。両成敗や」
四宮さんは俺を見て微笑む。あなたは女神ですか?
「そういや、あれ非売品って言ってたけど誰からもらったんだ?」
「もらったというか、雑誌で応募者全員サービスってあるやん? それに応募したんよ」
確かにあるな。俺は応募したことないけど。
「もう一つ訊くけど、さっきの野江さんとはいつも関西弁で話すの?」
「うん。中学生の時は千華以外の生徒にも関西弁で話してたんやけど、高校生になってからは標準語で話すようにしてる」
「誰かに言われたとか?」
「ちゃう、標準語の方が都合がええんよ。例えば、関西弁では新しい物を『さら』とか『さらぴん』、短気な人を『いらち』って言うんやけど、そんなん関西の人しか分からんやん。それに、関西弁は『アホ』とか『ボケ』みたいにキツイ表現があるからなぁ。だから大阪に住んでたときも関西弁使いたがらん人結構おったわ」
へぇ、まあ『アホ』はともかくして『ボケ』は言われたらちょっとショックかも。
それにしても四宮さん案外饒舌だな。大阪人の血が騒いだか。
「漫画やアニメで関西人キャラが『まいど』とか『おおきに』言うてることあるけど、実際に使う人見たことない」
「そうなのか。…いつかは忘れたけど、テレビで大阪人はアイスコーヒーを『冷コー』って言うって聞いたことあるんだけど本当なのか?」
「え? そんなん初めて聞いた。普通にアイスコーヒー言うで」
同じ大阪人でもやはり個人差があるのか。テレビの情報を鵜呑みにしちゃダメだな。
下校時間が近づいてきたのでそろそろ帰ろうかと思ったその時、再び誰かが入って来た。初めて見る顔だがおそらく司書の人だろう。
「四宮さん、お疲れ様。帰って大丈夫よ」
「山科先生、分かりました」
俺と四宮さんは一緒に図書室を出て帰ることにした。外は夕焼け空になっていて夕陽が足元を赤く照らしている。
「四宮さん、さっきの人は司書?」
「うん。めっちゃ優しい人」
確かに温厚そうな人だったな。そういう人に限って怒ったら怖そうに思うのは俺だけだろうか。
「丹波君」
「ん?」
「明日も…放課後一緒に話さへん?」