第一話 俺は彼女に謝りたい
四月も中盤に差し掛かったある日の昼休み。俺、丹波翔太は窮地に立たされていた。涙目の女子が思いきり俺の顔を睨んでいる。
なぜか、俺が彼女の携帯ストラップを踏んでしまったからだ。もちろんわざとではない。
「えっと…その…ごめん」
彼女は話を聞いているのだろうか。一言も発することなく目線を俺からストラップに移した。
事の経緯はこうだ。俺が図書室に向かって廊下を歩いていると、反対側から歩いてきた彼女と肩がぶつかり、その勢いで彼女が右手に持っていたスマホが廊下に落ちて、不運なことにスマホについていたストラップが俺の上履きの下にきてしまったのだ。そしてその足でストラップを…後は察してくれ。
スマホは幸い無事だったがストラップは無残な形になってしまった。復元は絶望的だ。
「それどこで売ってる? 俺が弁償するよ」
「売ってへん」
「え?」
「これ非売品やもん。どこに行っても買われへん」
じゃあどこで手に入れたんだと訊きたい気持ちではあったがそれを必死に抑えた。というか関西の子だったのか。転校生なのかな? 学年もわかんないし…。
「じゃあ、何か代わりになる物を…」
「別にええ。君が悪いわけちゃうから」
彼女は俺の言葉を遮り早足で去っていった。名前を訊く余裕すらなく俺は踵を返した。教室に戻ると俺は真っ先に自分の席に座り顔を机に突っ伏した。
「はぁ…、やっちまったよ」
「どうした丹波、図書室に行ったんじゃないのか」
俺が顔を上げるとそこにいたのはクラスメイトの土居漣、根っからのアニメオタクで、ジャンル問わずタイトルを言えばあらすじを詳細に語れる強者だ。その記憶力を勉強に活かせればそこそこ上位に行けると思うが、こいつはアニメ以外のことはすぐに忘れる質だ。
「行く気をなくした」
「何があったんだよ。なんなら相談乗るけど」
相談したところでお前が返す言葉はいつも「気にすんな」だけだろ。ほかにパターンないのか。
人のものを壊しておいて呑気に図書室で本を読むなんて気になれず引き返して来たのだがやることがない。あの子を探しに行こうとも思ったが、名前も学年も分からないのに探しに行っても骨が折れるだけなのでやめた。
放課後。俺は昇降口で彼女が来るのを待つことにした。周りの視線が気になるが名前だけでも知りたい。というか謝罪したい。だが待てど待てど彼女が来る気配がない。
「丹波、お前何やってんだ」
「いや、何も」
「嘘つけ、ホームルーム終わったら即行で帰る奴が下駄箱の前でうろつくわけないだろ。誰か探してんのか? 良かったら俺も手伝うぜ」
俺は返す言葉が見つからず頭を掻いた。仕方ない。今日は諦めよう。もう帰ってる可能性もあるし、いつまでもここにいたらなんて言われるか分からん。俺はさっさと校門を出て帰路に就く。
そういえばあの子、図書室で何度か見たことあるな。ただ今日まで話したことなかったからほとんど初対面と言っていい。
歩いて七、八分経ち駅が見えた。高校入学前、姉貴から「電車通学を甘く見てはいけない」と言われそんな大げさなと思ったが、高校生になってその気持ちが分かった。朝の満員電車がまあ辛い。今でこそ慣れたが一年の時は軽く鬱になった。
電車に乗ると座席は空いていたが俺は敢えて座らない。以前は座っていたが強烈な睡魔に襲われるのだ。f分の1ゆらぎとかいうらしいが、何度か乗り過ごしそうになったのでもう座るのはやめた。
五つ先の駅で電車を降りて俺は一直線に家へと向かう。
「ただいま」
玄関を開けると家の中にいたのは姉の奈々、俺の一つ年上で同じ学校に通っている。
青みがかったロングの髪に大きな瞳、体は全体的に細くパッと見、力は強くないよう見えるがそんなことはなく普通に強い。
「遅かったじゃん。いつも先に帰ってくるのに」
「まあ、色々あってな」
「帰宅部のあんたが?」
それどういう意味だ。帰宅部でも色々事情を抱えることはあるんだよ。
「そういえば母さんは?」
「買い物。おかずがないんだって」
値引き品目当てだろうな。それはそうと、姉貴はあの子を知っているのだろうか。正直手がかりが少なすぎて何をどう訊けばいいか分からない。
「姉貴」
「何?」
「姉貴のクラスに関西出身の生徒っている?」
「いないけど…どうしたのいきなり」
いないか…。うーん、どうすればいいものか。
「え、あんた何かしたの。もしかしてわいせつ?」
それもう捕まるから。そんな下心丸だしなことしねぇよ。
「今日の昼休みに女の子の携帯ストラップ踏んじまってさ、どう謝ればいいのか考えてるんだけど…」
「そんなの単刀直入に『ごめんなさい』でしょ。というか人のストラップ踏むとか何考えてんの?」
「わざとじゃない。不可抗力だ」
誤解を解くため俺は昼休みにあったことを詳細に話した。ぶつかったときの状況や彼女が関西弁で喋っていたこと、名前と学年を訊き忘れていたことその他諸々。すべて話し終えると姉貴は軽く頷き「なるほどね」と呟いた。
「でも名前も学年も分かんないって…それどうしようもないじゃん」
「分かってるのは関西の子だということだけだな。姉貴は知らないのか?」
「悪いけど知らない。私、クラス以外の子とは話さないから」
やっぱダメか。まあ、同じ学校に通ってるんだからいつか会えるだろ。その時にはもう俺のこと忘れてるだろうけど…。
週が明けた月曜日、俺は早めに学校に来た。下校時と違い朝は人が少ないので長く待っていても周りの目を気にしなくて済む。ただ毎日はキツイな。
ずっと立っている所為か足が痺れ、外の風で体も冷えてきた。真冬じゃないのが幸いだった。
スマホで時間を確認すると午前八時五分、二十分を過ぎると登校する生徒がゾロゾロと出てくる。これ以上昇降口に留まるのは厳しい。
限界が来たのでそろそろ教室に行こうと思ったその時、見覚えのある生徒がこっちに向かってくるのが見えた。
黒髪が肩まで伸びていてよく通った鼻筋と大きなクリッとした目が目立つ。背は俺より低く並んで立ったら拳ニ個分は差が出そうだ。間違いない。あの時の子だ。
彼女は歩いている途中で俺に気づき目を丸くした。俺のこと覚えてたのか。まあ、まだ三日前だしな。彼女は昇降口に入ると俺から目を逸らし、早足で自分の下駄箱に進んでいく。
「ちょ、ちょっと待って! 急に早くなったけど」
「なんですか一体。私に何か用でも?」
「君に渡したいものがある」
彼女は怪訝な顔で俺を見ると「手短にお願いします」と焦らしてきた。俺は慌てて自分の鞄からあるものを取り出した。
「これを渡したかった」
「猫の…ストラップ」
「昨日、ショッピングモールで買って来た。あれは俺の不注意だったしちゃんとお詫びしたかったんだ」
「わざわざ買ったんですか? 私のために」
「ああ、それでいいかな。猫…可愛いだろ?」
彼女は受け取ったストラップをジッと見ている。もしかして「こんなもので機嫌を取ろうったって無駄ですよ」とでも言う気か。
「別にいいと言ったのに…でも、ありがとうございます」
俺はホッと胸をなで下ろした。この子の笑う姿を見たの初めてだな。
「では、私はここで…」
「名前! 名前だけ訊かせてほしい…できれば学年も」
彼女は突然の事に体をビクつかせたが、すぐ冷静になってゆっくりと言った。
「二年一組四宮明音、これでいいですか?」
「…ああ」
やっと訊き出せた。彼女改め、四宮さんは靴を履き替えると俺に会釈して自分の教室へと向かっていった。あっ、一つだけ訊き忘れてた。
四宮さん…君の出身はどこなの?