あやしい占い師
後輩は打ち上げの店の近所に住んでいたので、数百メートル歩いた所で「じゃあ、この辺で」とオレに手を振った。オレも手を振り返して見送ってやる。
一人になって、一人で夜の街にたたずむ。腕時計を見ると、まだ日付は変わっていなかった。
オレは前方に腕を伸ばし、「あー」と唸る。うん。今回の舞台はよくやった。舞台となった実地への取材も、天候が悪かったりバスのダイヤが乱れてたりで難航したが、なんとかやれた。取材をもとに、リアリティのあるセリフも書けた。
今回は演出とも意図がかみ合ったし、役者連中との息も合った。うん。本当によくやったと思う。
ガラにもなく、自分で自分を褒めたい気分になった。とはいえ、自分へのご褒美に散財なんてするような持ち合わせはない。財布にクレジットカードならあるが、気軽に使いたくはなかった。
よし、今日はまっすぐ帰ろう。
今日のこの高揚感がみやげだ。そう思うことにしよう。
オレはそう自分に言い聞かせながら、目の前の道路に停まっていた手近なタクシーに声をかけた。
「おーい、すいませーん」
タクシーがこちらを確認すると、とたん、訝しげな視線がこちらに刺さる。
タクシーの窓ガラスがスライドし、開いていく。
「なにやってんの、こんな遅い時間に。お父さんかお母さんは?」
第一声がそれだった。ビキ、と心に刃が立った。怒りとも、悲しみともつかない感情。
落ち着け。相手には悪意があるわけではないのだ。オレはそう自分に言い聞かせ、懐からいつも持ち歩いているパスポートを取り出して運転手に見せる。
「すいません、ここ、生年月日。よく見て下さいよ」
オレはなるべく平静を装って、へらへらと道化じみた笑い方をした。
規則正しく並んだ街灯と、まだまだ明るい街並みの明かりによって、タクシーの運転手の顔がよく見える。みるみるうちに青くなる。
「あっ、すいません」
「いやあ、別にいいんですよ。よく間違われますからね」
オレはそう言って、無言で開いた後部座席のドアから車内に乗り込んだ。
この運転手が驚いて謝ってきたからって、オレはすっきりはしない。むしろ、日頃から積み重なっていたもやもやがさらに重くなっていくだけだった。オレはなにも感情を込めないようにして、行き先を告げる。
「で、一丁目の、市立病院あるでしょう。そこの近くのコンビニでお願いします。緑の看板の、あそこですね」
「あ、はい」
受け答えはびっくりするぐらい簡素で、それ以上オレと会話をしたくないようだった。まあ、こんなものだ。
オレは、無言の車内で一人考えていた。なにを、一丁前に傷ついてるような態度を取ってんだ、と自分が情けない。こんな態度を取られたのは今日が初めてじゃない。身長の伸びが止まってからずっとじゃないか。
車の外の夜景が色を変えていく。いつもなら、知り合いが通りがかっていないだろうかと窓の外を眺めるのが好きなのだが、今日はやる気になれない。
なにを抱え込んでしまってるんだ? オレは原因を自分に問いただす。思い当たったのは、今日の楽しい打ち上げだった。
誰一人として、オレの容姿を奇異なものとして扱わない連中だ。そんな中での打ち上げはそりゃあ楽しかったさ。だから、その直後のこういう対応でテンションが下がるってのもわかる。
でもさ、そんなの、弱くなりすぎだろ?
大学に入る前までは、この運転手のような態度を取る人間のほうが圧倒的に多かったじゃないか。
生ぬるい場所に居られるようになったからってさ。みんながみんな、オレの理解者になってくれるわけが無いんだ。むしろ、そんな理解を誰にでも求める方が傲慢なんだ。
オレは無言で座席の背中部分に体を預けた。シートベルトの斜めにかかる部分が、顔に当たって痛かった。
オレの住んでいるアパートの近く、そのコンビニの前でタクシーが停まる。オレは料金メーターを見てから運転手に代金を支払った。端金が出る金額だったため、運転手がもごもごと口を動かしてこちらを呼び止めようとする。オレは笑顔を作った。
「いや、おつりはいいです。それじゃあこれで」
オレはそれだけ言って、開いたドアから飛び出すように出て行った。早くこの場所から出ていきたかった。
オレは一人で夜道を歩いていた。通りすがりの人間がちらりと何度かこちらを見て、向き直った。時間が遅いとは言え今どき塾帰りの小学生というのも珍しくはないし、反応としてはそんなものだろう。日付が変わってたら、補導されそうになるかもしれないが。
オレは歩いている途中で、どこか適当なところで飲み直そうかと考え出した。先ほどのタクシーの一件がまだ頭に引っかかっていた。とはいえ、そんな理由で飲み明かして倒れるというのも馬鹿らしかった。
ふと、ガラス張りになっているショーウインドーに映っている自分と目が合った。子供にしか見えない背丈だ。これはもう一生変えられない。今はまだいい。これから先、目元に、関節に、首元に、確実に年齢だけは刻まれていく。オレの体躯には似つかわしくない年齢の跡だけが体に刻まれるのだ。
オレはその事実に耐えられるのだろうか。オレは、どうしてこんな体で生まれて来たんだろうか。
いや、なにを考えているんだ。
オレは歩く歩幅を広くする。早く家に帰ろう。夜に一人でこんなところに居るからダメなんだと考えた矢先だった。
ショーウインドーのあったビルの隣にもビルが建っていた。そのビルとビルの間に見慣れないものがあった。
扉だった。オレは吸い寄せられるように、ビルの間にある細い道を歩いて行く。こんな路地裏に何の店があるんだろうか。そもそも、こんなところに店が出ていただろうか? そんな好奇心が、オレの脚をひとりでに動かしていた。
扉に近づき、その上に掲げられている看板を読み上げる。
「運命館」
占いの店だろうか、実に安直なネーミングだ。占い、あれ、なんだか最近聞いた覚えがあるぞ。
「ああ!」
一人で大声を上げ、思わず辺りを見回した。よし、オレの他に人は居なかった。恥ずかしい思いをするところだった。
オレは誰に見せるわけでもなく頷いた。そうだ。今日の飲み会で言っていたじゃないか。ミサキのやつが誇らしげに、一丁目の母、だとか。
オレはもう一度看板を見上げてみる。別にこんなオカルトを信じているわけではないが。
扉のバーを握り手前に引く。開かない。横に扉を引くと、するすると開いた。
カランカラン、と金属音がした。鈴の音というほどきれいなものではなかった、扉を内側から見るとなんの仕掛けもない。どこかに来客が来ると反応するセンサーでもあるのだろう。
「いらっしゃいませえ」
間延びした声が受付の奥から聞こえてきた。受付の後ろ側にあるカーテンが開き、店員らしき人が出てきた。
「本日はご来店いただきまして誠にありがとうございまーす。それで、本日のお客様、でよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
尋ねられたので、勢いで答えてしまった。冷やかしで来たとは今さら言えない。
仕方ない、ものの試しだ。
「それで、実は予約取ってないんですが。この店って予約取らないと診断は受けられないようになってますか?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。今の時間は空いておりますので」
受付から店員のお姉さんが出てきて、「それでは早速ですが、こちらへどうぞー」と受付の隣にある扉を指し示した。
お姉さんの案内に付き従い、後ろを歩く。すごい、なにがすごいって、このお姉さんまったく驚いてねえ。
今までの経験上、どんな店員でも目が合った瞬間ぐらいは動揺するのが普通だった。目を見れば分かる。それがこのお姉さんは、まったくもって想定内です、といった顔を崩さない。
占いなんかやっていると、オレぐらいの変わり者は慣れっこ、ということなんであろうか。分からないが、この時点でそれなりに話を聞く気にはなった。
占いという概念自体を信じる気はないが、アドバイスぐらいなら聞いてもいいか、という具合だ。