対立
「何これ?」
トイレから帰って来た雪姫に宇田川が言った。
宇田川の手には青也に貸すために持ってきたエロ同人があった。
雪姫は絶望した。
「そ、それ!?」
まずい。うちの学校は漫画の持ち込みは禁止されていないけど、18禁漫画を持ち込んでたなんて知られたら大変だ。それにあけみはオタクやそれに係る文化を嫌ってる。
どうかあけみが中身を見ていませんように。
雪姫は切に願ったが、その願いは直ぐに打ち砕かれた。
「悪いけど、中身見せてもらったわ。こういうのエロ同人誌って言うんでしょ。女子なのにそいうの読むとか正直引くんですけど。って言うか学校に持ってくるとかマジ頭おかしいじゃないの」
「ッ!?」
「私らもう雪姫と付き合えないわ」
「そ、そんな!?」
宇田川の言葉に雪姫の身体が強張る。
宇田川達は友達を作るのが苦手な雪姫が千里山学園に入学して以降2年になってようやく出来た友達だった。
だから絶交されたくない。せっかく勇気をもって友達関係を結べたのに。ここで絶交されてしまったら、せっかくの努力が水の泡だ。
「当然でしょ。オタクとかマジキモいし。雪姫がオタクやめるってんなら、友達続けていてもいいよ」
「ッ!?」
宇田川が出した友人を続ける条件に雪姫は絶望した。
オタクをやめるなんて雪姫にはできない。
でもそれだと雪姫は友達を失うことになる。
どうすればいいのか雪姫にはわからなかった。
その時、不意に声がした。
「ひとの趣味を貶したり、差別したりしておいてよく友達だなんて言えるな」
雪姫が振り向くと背後には険しい表情を浮かべた青也がいた。
「何よ、あんた。つか誰? 部外者は黙っててくんない」
唐突に会話に割り込んできた俺に宇田川が迷惑そうな表情を浮かべる。
「残念ながら部外者じゃないんだわ」
「じゃあ、なんだってんのよ」
「俺は井上の友達だから」
一息間をおいたのち俺は続けて言った。
「ねえ宇田川さん。普通友達が自分の好みと正反対の趣味してたりしていても許容したりするよね」
「はあ、ありえねえし! 自分の嫌いなもん好きな人間となんか友達になれるわけねえじゃん」
「俺は男子だからさBL系の作品とか苦手だけど、こいつ好きなんだよね。でも別にだからって『俺BL嫌いだから雪姫とはもう友達やめる』とはならないけど」
「それはあんたがオタクで他にも雪姫と趣味があうからでしょ!?」
「あのさあ。オタクオタクっていうけどさあ。じゃあお前ら一度もアニメや漫画見たことないのかよ」
「そ、それは……」
「あるだろ。有名な作品は見るのに萌え要素が入ってる作品は否定すんのか? 矛盾してんじゃねえか!」
「くっ」
「それに自分が嫌いだからって人の趣味を無理矢理やめさせようとしたりするなんて最低だと思うよ」
「うっせーし! 黙れ!」
俺の指摘に宇田川が激昂した。
だが内心俺の方が激昂したい気分だ。宇田川のような偏見的な考え方の人間は俺は大っ嫌いだ。脳裏に中学時代にクラスの女子に言われた言葉が甦る。思い出したらムカついてきた。なんでオタクってだけで差別されたりキモいとか言われなきゃいけない。
これは雪姫自身が抱えている問題だが、まるで自分が直面しているような錯覚に陥る。
他人事には見えなかった。
だからついつい冷静さを欠いて挑発的な口調になってしまう。
「その台詞そのまんま返してやるよ」
「はあ!?」
「エロ同人見て引くなら普段のお前らの会話は俺からしたらもっと引くわ」
「はあ!? どこがよ!?」
「男とセックスしたことを自慢げに話すなんてもはや痴女を通り越してドがつく変態ビッチだわ。正直お前らの方がキモい」
「何を~」
冷静さを欠いた俺が宇田川を挑発し、宇田川もそれにのっかかった。
「……あの……2人とも喧嘩は……まずいよ……」
雪姫が何か言っているが声が小さくて聞こえなかった。
「ふざけんな、キモオタ!」
「黙れクソビッチ!」
俺と宇田川が互いに互いを貶しあう。
「あの!」
雪姫の声がして俺はそちらに顔を向けた。
「何?」
「喧嘩は……よくないよ」
か細い声だったが今度は確かに聞こえた。どうやら俺と宇田川がもめ始めたのを雪姫は止めようとしていたらしい。悪いことをしたな。
「すまん、取り乱した」
と、俺は雪姫に一言謝ってから宇田川に改めて話す。
一度息を整え、深呼吸する。大丈夫、今度は冷静だ。
「でもなあ宇田川」
「何?」
嫌そうな表情を浮かべて宇田川が言った。
「改めて言うんだが、井上の趣味が許容できなくても、偏見的な感情が浮かんでも、それを口に出して言っちゃだめだと思うんだ。それに人の好きなものを自分が嫌いだからって無理矢理やめさせようとしたりするのもよくない。人それぞれ色んな趣味があるんだ。誰がどんなことを好きだろうがその人の勝手だよ」
諭すように俺が言う。
「わたしはオタクなんかとつるみたくないの」
「別にいいと思うよ」
宇田川が再び差別的な発言をするが、今この際はもういいだろう。
『え?』
雪姫と宇田川の2人がそろって疑問の声を上げる。
「宇田川といる時の井上ってたいして楽しそうに見えないんだよね。ねえ、楽しい? 井上」
「……正直全然楽しくない」
雪姫が首を左右に振る。
宇田川は雪姫の返答を予想していたのかどういう顔をすればいいのかわからないという複雑な表情をした。
「まあ、当然だと思うよ。どうせこの間の自販機で飲み物買ってたのだって無理矢理行かされたんだろ」
「見てたんだ……」
雪姫が少し憂いを含んだ表情を浮かべて言った。
「ひとに無理矢理パシリとかしておいてよくもまあぬけぬけと友達だなんて言えるね。嗤えるわ、マジで。井上自身が楽しいって思わないと意味ないし。ただ利用してるだけとかならそれは友人ではないよ。井上には悪いけどそれは友人関係でなく主従関係だ。しかもご主人様と奴隷の。そんな状態なんだったら別につるまなくていいんじゃない」
「……」
宇田川が鬼女のような形相でこっちを睨んでくる。
「俺と井上は共通の趣味があるし、気も合う。少なくても俺自身は井上のことを友達だと思ってるんだわ」
俺は雪姫の方を向いて微笑みかけて言った。
「あ、ありがとう」
雪姫が嬉しそうに頬を紅潮させて礼を言う。
「だからさ、俺らは俺らで勝手につるむから、宇田川達はほっておけばいいじゃん。それとも本心から雪姫のことを友人だと思ってるの?」
「……あーしは今までつるんできた人間がオタクってことが嫌なだけだし。オタクなんかと関わりたくないのに関わっちゃうとかマジ最悪。しかも自分の身近な人間がとか。オタク菌が伝染るから近寄らないでくんない」
「子供かよ!」
ムカつくとか通り越して呆れがくる。しかも菌って……小学生かよ。
「まあ、そういうわけだから雪姫の趣味を認めろなんて言わない。まあ、他人に自分の趣味を許してもらう必要性なんてこれっぽちもないんだが……だけど人の趣味を自分が嫌いだからって貶したり差別したりする発言はすんな! 思うだけだったら自由にしやがれ。俺には関係ねえし、勿論雪姫にも関係ないからな」
「………………」
「これからは俺たち宇田川達には関わらないってことにするからひとまずはそれでいいだろ」
「……ちっ、わかったわよ」
俺の一言に宇田川が渋々了解した。
そうこうしてる間にキーンコーンカーンコーンと予鈴が鳴り、あと五分で授業開始の合図を告げる。
「やば! 先生くる。雪姫、これ借りるぞ!」
「え、う、うん」
いつの間にか下の名前で呼んでいたが俺自身はこの時そんなことは一切気がつかなかった。
なにエロ同人が先生に見つかったらやばいし。いや多分注意受けるだけで済むと思うけど……。
このクラスの担任は男性で割とそういうものに理解がある。そのため男子にも結構人気らしい。
俺はエロ同人誌が入った袋を急いで自分の鞄に入れて、席についた。
雪姫もちらっと宇田川達を一瞥するがそのままそそくさと自分の席へと戻った。