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願望愛妻

 愛は決して無償なんかじゃない。

 愛してるから愛してほしい、と考えるのは当たり前。

 献身に甘えてはならない。

 献身に浸ってはいけない。

 貴方が願い望む愛妻なんて存在は、幻に過ぎないのだから。




 * * *




「あれ?」

 学校から帰って来て、店に入ってすぐに気付く。

我妻(がさい)さん、帰ってきたの?」

 店には久しぶりに見かける顔があったから。

 ……顔なんて、ないけど。


 アンティーク人形コーナーの棚の影に、隠すように置かれた等身大の人形。

 大きさでマネキンを連想するけど、形の精緻さはけた外れに違う。

 鎖骨や肋骨を現した盛り上がり、指の関節の皺、手の甲の静脈に産毛まで。

 人形を作るときに省略するであろう部分を全て、生々しいくらいに再現しているけど、この人形は不気味の谷には近いようで遠い。

 頭が、この人形には存在しないから。


 首から上が初めから存在しないこの人形。

 別に首の断面までリアル志向という訳じゃなくて、普通に肌色のつるんとした断面だから、マネキンだと思えばそう不気味に思えないかもしれないけど、やっぱり普通の人は不気味以外の何物でもないでしょうね。

 私は物心がついた時からずっと知ってるから、何とも思わないけど。


 ちなみに、「我妻さん」という名前は、私が勝手につけた。自分で言うのもなんだけど、彼女にはぴったりだと思う。

 その証拠か、私が勝手につけてからお父さんもそう呼び始めた。


「今回はまたずいぶんと早いね。一か月もたなかったんだ」

「そうなんだ。

 まぁ、今回は大学生だったからね。親御さんが早い段階で気付いて、返品に来たよ」

 私の問いにお父さんは我妻さんの足元に、乾いた雑巾をいくつか敷きながら答えてくれた。

「そう。……前回は、50代くらいの人だっけ? 我妻さんはいつも、極端から極端に走るよね」

 私はお父さんの手伝いで、同じように雑巾を敷きながら思い出す。


 我妻さんはいつもいつもこうやって返品されては、反省して学習して、今度は全然違うタイプの人に買われていく。

 学習能力があるんだかないんだか。


 我妻さんはうちの店の商品の中でも、トップクラスで面倒くさい。

 どうせまた返品されるんだから本当はお父さんだって売りたくないはずなのに、彼女は自分が気に入ったお客さんが現れたら、どんな手段を使ってもその人に買われたがる。

 私が生まれる前に一度、売るのを断ったらそのお客さんが泥棒になって盗んでいったこともあったらしいから、今では売った後の面倒事が最低限になるように、お父さんは気を付けてる。


 雑巾を敷き終えて、私は我妻さんを見上げる。

 存在しない頭を見ながら、何気なく呟いた。

「一体、どんな顔に見えてるんだろうね?」

「さぁ? 私は彼女に興味がないから、わからないよ」


 我妻さんを買うお客さんは、我妻さんには頭部がないことに気付いていない。

 彼らには我妻さんの「顔」がちゃんと見えてるらしい。

 今まで我妻さんを欲しがったお客さんは皆、同じことを言ってた。

「理想の女性そのもの」だって。


 いちいち我妻さんはその人にとって理想の女性の顔になってるのか、男の人なら人形だってわかっているうえで、誰でも一目で恋に落ちるほどの絶世の美女の顔をしているのかは知らない。

 でもとにかく、我妻さんを買い取っていく男の人は皆そう言う。


 我妻さんはそうやって買い取られて、あとは大人しく人形らしく何もしなければいいのに、いつもいつも余計なことをして、結果はこれまたいつも返品。

 我妻さん、うちはあなたの実家じゃないんだからもう帰ってこないでよ。実家でも、そろそろ絶縁したいよ。


 我妻さんは、どうも好きになった相手に尽くすのが好きみたい。

 これも、私は体験したことないからまた聞きでしかないけど、我妻さんを買い取った人は、買い取った日から夢の中で我妻さんと新婚生活を送れるらしい。

 で、夢の中で我妻さんが掃除や洗濯、料理をすると、目が覚めたら夢と同じように部屋が片付いて、洗濯もできてて、夢で我妻さんが作ってくれた料理がそのまま食卓に置かれている。


 これだけ聞くと我妻さんは人形とはいえ理想的な女性で、正直言って私もうらやましいくらい便利な人形だけど、そうじゃないから返品される。

 うちにはいくつか勝手に動く人形があるけど、実は我妻さんは全く動けない人形だったりする。

 じゃあ、誰が現実で実際に掃除や料理をしてくれているかというと、それは眠っている本人。

 我妻さんが、自分を買い取った人に自分との新婚生活の夢を見せつつ、その人の体を使って家事をしている、いわば自作自演。


 我妻さんにとっては、愛しい恋人、旦那様の為の好意だろうけど、眠っている体を無理やり動かされて家事をやらされたら、当然疲れは取れない。

 彼女の夫認定された人は、疲労と理想の女性との生活を望むあまりにどんどん睡眠時間が長くなるけど、相変わらず我妻さんが身体を勝手に使うから、疲れはたまる一方。

 中には、我妻さんとの夢の生活こそを現実にしようとして、睡眠薬を大量に飲んだ人もいたって。


 こんな感じで、我妻さんを買い取って人は日に日にやつれていって、家族や友達といった周りの人や、たまに正気を取り戻した本人の手によって返品される。

 昔は買い取った人が衰弱死してから返品されてたらしいけど、お父さんが我妻さんを欲しがる人には絶対、家族とか信頼できる友達とかを保証人にして連絡先を記入させてるから、最近は死人は出てないそう。


 ……本当に、いい加減にしてほしい。

 我妻さんのせいでお父さんは、買い取られた後その保証人に連絡を取って注意を促さなくちゃいけないし、その注意は何かの詐欺だと思われるし、返品の時はお父さんが呪ったとか言われるんだから。

 まぁ、最後のはそのお客さんが我妻さんを買い取るときのやり取りを録音したものを聞かせたら、渋々ながらも納得してもらえるけど。

 お父さん、絶対に我妻さん関連のお客さんとのやり取りは録音するんだよね。しないと本当に、こちらが迷惑ばっかり被るもん。


 私は我妻の足元を軽く蹴った。

 商品にそんなことをしても、お父さんは怒らないでただ見てた。

 我妻さんは、何も言わない。

 この人はいつだって、興味ない相手にはただのリアルすぎて気持ち悪い人形だ。




 * * *




「お願いです! 彼女に会わせてください! お金ならいくらでも払いますから!!」

 ……なんか家に帰って店の方に行ってみたら、妙な修羅場が展開されてた。

 お父さんの前で土下座してお父さんを盛大に引かせているのは、たぶん20歳になったかならないかぐらいの男の人。

 たぶんなのは、その人は異様に痩せこけて不健康そうで老けて見えたから。


「……あの人形をお譲りするときに、貴方は誓約書を書いたでしょう?

 一度手放したら、もう二度とお譲りすることはできません。そのことに同意したのは、どちら様ですか?」

「家族が勝手に返品したんです! 俺は手放したくて手放したんじゃない! 無理やり俺と彼女を引き離したんだ!」


 たぶんそうだろうなぁとは思っていたけど、この会話で土下座してる人が誰なのかわかった。

 我妻さんを買った人だ。

 返品されたのは三日前だけど、もう取り戻しに来たんだ。

 早めに返品された分、回復が早かったのかな?

 たいていは、ほぼ毎日不休で家事をやらされた所為で一週間くらいは動きたくても動けなかったりするんだけどなぁ。


 なんだか気まずいし、私がいてもたぶん意味はないから、私はそのままバックヤードで待機。

 けどお父さんは私が帰ってきてバックヤードにいることに気付いているのか、こちらにちらりと一度視線を向けてから溜息をついた。


「……そんなに『彼女』に会いたいのなら、どうぞ持って行ってください。お代は結構ですから」

 まだ若いとはいえ、大の大人が店内で土下座は、はっきり言って謝罪や懇願どころか営業妨害でしかないし、子供に見せるものではないとお父さんは思ったんだろうね。

 投げやりに、人形コーナーの片隅に置かれた我妻さんを指さす。


 土下座していた男の人は、目を輝かせて顔を上げた。

 その目の輝きは、正直言って汚かった。

 そう思ったのは、最愛の人と再会できる喜びというより、大金を目にした時の欲望の輝きに近いと感じたからかもしれない。

 けれど、その汚い輝きもすぐさま消え失せる。


「え? ……え? あの……」

 困惑を浮かべて、助けを求めるように視線をお父さんに戻すけど、お父さんは冷たく言い捨てる。

「間違いなく、あれがあなたが買い取り、ご家族が返品した人形ですよ。

 私やあなたのご家族には初めから、『ああ』見えてました」

 お父さんの言葉を理解した時、その人は絶望的な顔をして我妻さんをもう一度見た。


 首のない、不気味な人形をただただ見つめ続ける。

 自分が現実を捨てても欲した、「理想の女性」の正体に絶望し続けた。


 数分間、その人は人形を見続けたけど、いくら見つめ続けても我妻さんが再び、「理想の女性」の顔を得ることなんてないことを悟ったのか、土下座していた時よりもさらに20歳ほど老け込んだ顔と雰囲気で、フラフラしながら立ち上がって、店から出て行った。

「れんげ。待たせてごめん。出て来ていいよ」

 やっぱりお父さんは私が帰ってきてたこと、バックヤードで待機していたことに気付いていて、少し苦笑しながら私に呼びかけた。


 だから私は、出てきた。

 バケツと、乾いた雑巾をその中に入れて、一緒に持っていく。

「ただいま。お父さん」

 とりあえず帰ってきた挨拶をしてから、私は我妻さんの方に行く。ここしばらくの日課を、さっさと終わらせたいから。


「お帰り」

 お父さんは笑って返答しながら、私の手伝いをしてくれる。

 我妻さんの足元に敷いた雑巾を、取り換える作業を手伝ってくれた。

 ……まったく、顔がないのに毎日毎日、どうしてこんなにたっぷり雑巾が重くなるほど泣けるのかな?

 我妻さんは返品されるたびに一週間は、失恋の涙を流して床に水たまりを作る。本当に、この人というか人形はうっとうしい。


 私がそんな不満を懐いてることを察したのか、お父さんは唐突に語りだした。

「れんげ。我妻さんに学習能力があるのかないのかわからないって言ってたね。

 答えは、あると言えばあるし、ないと言えばない。彼女の『目的』が何なのかで、話が変わってくるよ」


 お父さんの言っていることの意味がよくわからず私が首を傾げると、お父さんは笑って補足した。

 眼はまったく笑っていない、皮肉気な笑顔で。


「彼女の『目的』が、愛する者の笑顔や幸福なら、彼女に学習能力はない。いつもいつも、愛が空回りして報われない愚か者だ。

 でも、『目的』が称賛なら、『献身的な妻』と見られることが目的ならば、彼女は学習能力があるけど、私たちがその邪魔をしてるだけ。

 ……れんげ。君は彼女の『目的』は、どちらだと思う」


 問われて、私は我妻さんを見上げた。

 見上げて、思い出す。

 今回はやたらと早かったけど、家族などに無理やり返品された我妻さんを返してくれと頼み込むお客さんは、珍しくもない。

 けど、どのお客さんも再び我妻さんの「顔」を見れた人はいない。


 家族や友人に無理やり引き離されて返品されたのなら裏切りじゃないんだし、迎えに来てくれたのなら喜んでもいいはずなのに、我妻さんは絶対に顔を見せず、ただ失恋の涙を流して、新しい恋を待ち続ける。

 窶れ果てたかつて、献身的に尽くして愛したはずの伴侶が、土下座で帰ってきてほしいと懇願するのを無視する彼女の目的が、どちらかなんてなんて考えるまでもない。


「どっちにしろ、どちらも馬鹿であることには変わりないでしょ?

 男も、女も、自分の身勝手な理想しか見てない、ただの馬鹿ってだけの話」

 私の投げやりな答えに、お父さんは少しだけおかしげに笑って、「正解」と答えた。


 本当に、馬鹿らしい。

 相手に尽くしてもらうのが当然と思い、やつれてゆく自分に気付かない挙句に、現実を捨てて夢の中で生きようとする男も。

 相手の男にいつも責任転嫁して、自分の何が悪かったかを一切気付かず、気付かないフリをしてただ、男といる時は「献身的な妻」、返品されたら「捨てられた悲劇のヒロイン」気取りの、自分だけしか愛していないこの人形も。


 この人形と、それを買う男を見ていると、恋愛なんてものはすれ違ってかみ合わない自己愛を、いかにかみ合っているように見せかけるかという、無意味極まりないものに思えてくる。

 床の雑巾を取り換え終えて、私はまた我妻さんの脚を一度蹴り飛ばした。


 子供にこんなむなしいこと、思わせるな。馬鹿。

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