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壺中深海

 何も見えない聞こえない闇の中。

 光を捉える目は溶けて、異界に順応するため体が作り替わる。

 浅く狭く、二度と生まれ落ちない底なしの海。

 ここでは誰も、あなたを笑わないし、期待しない。

 だから、好きなだけお眠りなさい。壺の中の深海で。




 * * *




 磨き終えた壺を所定の場所に戻すとき、ちゃぽんと水の音がした。

 それはいつもの事なので、私は無視して次に拭くものを探す。

 あぁ、あそこのカトラリーでも磨いておこう。


 カトラリーはセットならともかく単品なら、ブランドや作られた時期にもよるけどお手頃なものも多いし、ファンも多い。アンティークに全然詳しくなくても、デザインに一目惚れして買ってくれるお客さんは良くいる。

 お客さんの目につきやすいものは特に綺麗にしておかないと、せっかく売れるものが買ってもらえないから綺麗にしておかなくちゃ。


 そんなことを考えながら、私は背伸びしても届かないから椅子を持ってきてティーカップを取ろうとしたタイミングで、扉のベルが鳴った。

 入ってきたのは、なんだか神経質そうなおばさんと14,5歳のおねーさん。たぶん、母娘。

 おばさんは私に気が付くと、きっと睨み付けて甲高い声で言う。


「ちょっとあなた! 何してるの!? ここは子供が来るところじゃないし、そのティーカップを割ったらどうするつもり!? 悪戯じゃ済まされないわよ!」

 ……私を悪戯で何かしようとしてる子供だと勘違いしているらしい。勘違いと言うか、決めつけね。

 っていうか、あなたのいきなりな怒鳴り声でびっくりして落としそうになったと言ってやりたい。


「……すみません」

 まぁ、言わないけど。何の利害関係のない他人なら言ってたけど、一応ここに来たってことお客さん。

 お客さんは神様なので礼儀を欠かしてはいけないと、お母さんに言い聞かされたことだから、そこは守ろう。……信仰は自由とも言ってたから、これはただの様子見の礼儀だけど。


 私は椅子から降りて、お客さん二人に頭を下げた。

 下げつつ、二人の反応を窺ってみた。


 おばさんの方は、私が素直に降りて謝ったことに気分がいいのか、やや胸をのけぞらして鼻の穴を膨らませた。気持ち悪いどや顔。


 おねーさんの方は、そんなおばさんの横で頭を下げている私以上に恥ずかしそうに俯いている。

 恥ずかしくて仕方ないと言わないばかりに、顔が赤い。……いきなり決めつけで子供を怒鳴りつけて、その子供を謝らせて悦に入る母親、か。

 それはまともな神経を持っていれば、この上なく恥ずかしい存在でしょうね。同情します。


 それにしてもこの二人、どこかで見た覚えがあるような……と思っていたけど、頭を下げてわかった。

 あぁ、この人たちは――


「れんげ。何かあったのかい?」

 そんなことをぼんやり思っていたら、店の奥からお父さんがやってきた。

 お父さんを見て、母娘は全く同じ反応をしてた。

 口を軽く開けてから頬を染める二人に、お父さんは営業スマイルを浮かべて「いらっしゃいませ」と出迎える。

 おねーさんの方は、羞恥とはまた別の意味でさっきまでと同じくらい頬を染め、おばさんは「おほほ、いいお店ね~」と意味のない言葉をとりあえず発してた。


「お父さん」

「あぁ、れんげ。拭き掃除をしてくれていたのか。ありがとう」

 私がお父さんに駆け寄るとお父さんは私の頭を撫で、おばさんが一度目を見開いてから、白々しく「あら、おうちのお手伝いなんて、とても親孝行な娘さんですね」と言い出した。


 自分の勘違いを謝罪せず、言った言葉をなかったことにして誤魔化す母親に、娘の方はまた恥ずかしそうに俯いた。

 ちらりと目だけを上げてこちらを見た娘さんと目が合う。


「大変ですね」と目で言い表してみたつもりだけど、伝わったかどうかはわからない。

 ただその人は、悲しげに目を伏せた。


 そのままおばさんはお父さんと話し始める。商品への質問とかじゃなくって、意味のない世間話と自慢話。この人は一体、何をしに来たんだろう。

 とっくの昔にだけど私はこのお客と言う神様を信仰する気はなくなって、そのままお父さんに任せた。

 お父さんの方は大人だからか寛容に付き合っているけれど、私と同じく信仰する気はないみたい。さっきから相槌が全部、「左様でございますか」だ。


 拭き掃除の続きでもしようかと思ったけど、アンティークショップが珍しいのか、それとも恥ずかしい母親から離れたかったのか、危なげな足取りでふらふらと娘さんが歩き出す。

 おせっかいかと思ったけど、私は娘さんの方に近寄って「手を貸しましょうか?」と尋ねてみた。母親の方は信仰する気がないけれど、この人は信仰してもいいと思えたから。


 私の問いに驚いたように顔を上げ、しばらく目を丸くしていたけど娘さんはほんの少しだけ笑って、「ありがとう」とか細く言い、私が差し出した手を握る。

 顔立ちは母親とよく似ているのに、母親と違って綺麗なおねーさんだなぁと思った。それはきっと、虚栄や打算で歪んでいないからでしょうね。

 ただ、どこか影が薄いというか存在感がないというか、どうにも生気が乏しい人だなとも思った。


 まぁ、それは今更。店に入って来て、初めに見た時から思っていたけれど。

 そして「どこか」と言うのも、実は馬鹿らしい。

 それは、母親の所為であることは一目瞭然だったのだから。


「いろんなものがあるのね」

「えぇ。何か、興味を引くようなものはありますか?」

 一応、営業トークをしてみると娘さんは相変わらずか細く「そうね……」と言いながら店の中を一通り見渡して、ある一点に視点を止める。

 それは店の片隅、商品としては致命的に目立たない場所にわざと置いた壺。

 この母娘がやってくる直前まで私が磨いていた大人が一人、すっぽり収まるであろう壺。


 あぁ、そうか。

 あれが、呼んだんだ。

 磨いておいてよかった。


「あれが、気になりますか?」

 私が尋ねると彼女は一瞬戸惑ったけど、首を小さく縦に動かした。

 私は無言でそのまま、彼女の手を引いて壺の元まで案内する。

 誰が買うのか私にはさっぱりな西洋甲冑の陰にぴったり収まって隠れている壺を、力任せに引っ張ってよく見えるように出すと、ツボの中でちゃぽんと水音がした。


「中に何か入っているの?」

 尋ねられて、答える。

「はい」

「……出さなくていいの?」

「これは、中身ごと商品です」

 私の答えに、不思議そうな顔も、不審そうな様子も彼女は見せなかった。


 ただ、人形のように無機質な顔で壺を見ていた。

 顔は人形のように何の感情も見当たらないのに、その目は異様な熱を孕みながら。


「中を、ご覧になりますか?」

 今度の問いにも小さく、けれど今度は即座に頷いた。

 そして私の助けなく、危なっかしくとも自分の意思で歩み、壺を覗き見た。

 壺の中の「深海」を、みた。


「どうしたの? そろそろ帰るわよ?」

 どれだけ時間がたったのかな?

 少なくとも5分やそこらでは済まない。最低30分かけて、自分の自慢話を語っていたおばさんが娘に呼びかける。

 お父さんが何か包装しているので、一応買い物はしたらしい。


 おばさんがずっとお父さんと無意味な世間話をしておる間、彼女はずっと壺を見ていた。

 呼びかけられても、壺の中を見つめ続けていた。

「どうしたの? その壺の中に何かいるの?」

 不審そうに眉を歪めて言いながら、おばさんも壺の中を覗き込む。


「なんだ。空っぽじゃない」

 少しだけホッとしたように言ってから、「ほら、行くわよ」と腕を掴んでそのまま連れて行こうとした娘の首がいきなり跳ね上がり、母の方をまっすぐに見て彼女は、この店に入って初めてはっきりとした口調で言う。

「お母さん! 私、この壺が欲しい!」


 おばさんは、「はぁ!?」と驚愕と困惑が入り混じった声を上げる。

 その反応は当然。あらゆる意味で、どう見ても女子中学生が欲しがるような品物じゃないのだから。

 大きさが花瓶くらいのサイズだったり、綺麗な絵が描かれていたのならまだ欲しがるかもしれないけど、大人がすっぽり入りそうなサイズで、素焼きの壺なんて女子中学生じゃなくても誰が買うのか、この壺を隠していた甲冑と同じくらい謎のはず。


 でも、この壺は別。

 そして、彼女も別。


 おばさんは娘に「何バカなことを言ってるの!?」と、あの甲高い声で叱りつけるけれど、娘は熱に浮かされたように、子供のように、「お願い! 貯金を全部出すから! 足りない分はお小遣いから引いていいから!」と説得し、駄々をこねる。


 しかしこんな巨大な壺、置く場所は仮にあっても持って帰るすべはない。

 さらに言うと、うちの店は客観的に見て良心的な値段設定だと思うけど、この手の趣味がないとぼったくりにしか思えない値段の物も多い。

 素人ならこの壺は巨大でシンプルだからこそ、何か価値があってとても高価だと思い込んでも仕方がないかも。実際は、この壺自体に価値なんてないに等しいんだけどね。


 ……壺、そのものには、ね。


 おばさんが頭ごなしに「ダメに決まってるでしょ!」と怒鳴りつけ、それでも娘は諦めず、壺にしがみついて泣き出したあたりで、お父さんが包装した商品を持ってきて、笑顔で言った。


「よろしければそちら、お譲りしましょうか?」


 おばさんが、呆気にとられた顔でお父さんを見る。

「その壺は近いうちに処分しようと思っていた品なので、いただいてくださるのでしたら、お代は結構です。なにより、ここまで求めてくださるお客様なら、その壺も本望でしょう」


 ……嘘つき。

 処分なんて、するわけもできるわけもないくせに。


 お父さんの嘘八百に娘の方は泣くのをやめて目を輝かせ、母親の方はむしろ有難迷惑と言わんばかりに顔を歪ませた。

「それはとてもありがたいですけど、けどこんな立派な壺、うちには置いておく場所はありませんし、何より持って帰ることも……」

「私の部屋に置く!」

 母親の言い訳に娘は即座に反論。

 そしてお父さんの申し出に、母親はついに陥落した。


「大丈夫です。こちらの不用品をもらっていただくのですから、こちらが責任を持ってお届けします。

 もし、これからの予定がご帰宅ならば、お二人もお送りさせてください」

 無理やり話題を持ち出して、会話になっていな一方的な会話をお父さんとしてたおばさんが断るわけはなかった。


 お父さんは私の頭を一度撫でて、「少し、留守番をしておいて」と言い残し、壺を持って車に向かう。

 母娘も店の外にに出るのを見送ってから、私は西洋甲冑を少しだけ動かした。

「……何日で、帰ってくるかな?」

 私の予想では、三日後だった。




 * * *




 私の予想は外れた。

 次の日の夕方、お父さんと一緒に銀食器を磨いていたら、扉も扉につけているベルも壊れそうな勢いで開き、ベルの音なんか掻き消して、ヒステリックな雑音が響き渡った。

「うちの子をどこにやったの!?」


 髪をグチャグチャに振り乱して、涙で化粧が剥げてドロドロになった顔は真っ赤なおばさんが、警官と影の薄い中年の男の制止を振り払って、こちらにやってくる。

 お父さんは私を庇うように後ろにやって、笑顔で飄々と言った。


「いらっしゃいませ。ところで、何のお話でしょう?」

「何よその態度!? バカにすんのもいい加減にしなさいよ!!」

「奥さん! 落ち着いて!」

 警官が二人がかりでおばさんを押さえつけ、興奮してもはや意味のある言葉ではなく雄たけびでしかないことをわめき続ける彼女の代わりに、スーツ姿の刑事さんと影の薄いおじさんが説明した。


 どうやら、昨日おばさんと一緒にやってきた娘さんが行方不明らしい。

 朝は普通に学校に行ったかと思ったら、学校から「来ていない」という連絡があり、心当たりのある場所や人にとにかく当たったけどどこにも彼女が来た痕跡も、見かけた・連絡があったという情報もなく、警察に通報した後、盲点だった娘の部屋を見てみたら、あの巨大な壺がなくなっていた。

 そしてその代わりに、娘が外を出歩くならば靴よりも必要不可欠なものが二つとも残されていたことで、母親は誘拐だ、あの店の店主が娘を壺に入れて、誘拐したと喚いて、ここまで警官と夫を連れてやって来たらしい。


 あの影の薄いおじさんは、夫だったのかと無意味なことを考えていたらお父さんが、最初から変わらない笑顔で、やっぱり飄々と言い返す。

「意味不明で心外極まりない冤罪ですが、親としての気持ちはわかります。どうぞ、ご自由にお調べください」

 昨日、最初から浮かべていたのと同じ、眼がまったく笑っていない笑顔で警官たちにそう言った。


 元々、警官の方は「誘拐」の可能性は確かに高いと思っていたけど、母親の言葉は全く信用してなかったからか、捜索はほとんど形式上だった。

 捜査令状もなく、完全にこちらの好意で店と個人宅を捜索させてもらっているのだから、そりゃ細かく全てをひっくり返すようになんてできないでしょう。

 だいたい女の子が一人隠れられそう、隠せそうなところを大雑把に探して、お父さんと一応私のアリバイと昨日のことを訊いて、その後はヒステリーを続ける母親を引きずって、パトカーに乗せてくれた。


「ご協力、感謝します」

「いえいえ。それにしても、娘さんは無事に帰ってくるといいですね」

 敬礼で感謝を伝える刑事さんにお父さんは、いけしゃあしゃあと答える。

 お父さんの本心や真意に気付ける筈もなく、刑事さんは心痛そうに顔を歪めて答えていた。


「そうですね。彼女が誘拐にしろ何にせよ、事件に巻き込まれて不幸になったら、ご両親はもちろん、あのチャリティ番組を見ていた人全員が悲しむでしょうしね。

 私も、あの20キロマラソンを完走した時は、恥ずかしながら男泣きしましたし……」


 馬鹿らしくなってきて、私は店の中に戻る。

 そして、西洋甲冑の影を見てみる。

 いつの間にか、そこには壺がある。昨日、彼女にもらわれていったはずの壺が、西洋甲冑の陰に隠れるようにぴったりと収まっている。

 昨日、私が甲冑を動かして、少し広くしたスペースにぴったりと。


「--おかえりなさい」

 壺にそう告げて、私は壺中を覗き込んだ。


 ……中国では昔、貧しい家は生まれたての子供を、その子供より少し大きいくらいの壺に入れて、そこから一度も出さずにある程度の歳になるまで育てた、という都市伝説がある。

 育つに連れて壺が身体を圧迫し、形を変える。手足は奇妙な方向に曲がったまま固まり、体だってもちろん、壺の形に添って変形する。

 そうやって人工的に奇形を作り出し、その子供を見世物小屋などに売って金を稼ぐ。

 そういう、根も葉もない、根拠なんてどこにもない、都市伝説。


 根拠なんてない。でもきっと、嘘でもない。

 中国だとか昔とか、そういうのは関係ない。

 きっといつだって、どこでだって似たような話はあるし、実際に行った奴らなんて腐るほどいる。違いは、壺を使ったか、別のものを使ったか。そして、見世物小屋に売るか、自分の手元で見世物か。

 違いなんて、そのくらい。


 壺の中でちゃぽんと水音がする。

 真っ暗で底が見えない、深海のような壺中に何かがいくつも揺らめいているのが、目を凝らせば見えてくる。

 それはどれも、異形の子供。


 胎児のような体勢で手足が固まってしまっているのは可愛い方。

 腕が体の中にめり込んで、肩から手首が生えているように見える子供もいれば、足が関節とは逆方向に曲がっている子もいる。ありえない位置に、あり得ないくらい細いくびれが出来た子供もいる。

 どれもこれも、それは壺という残酷な第二の子宮によって、親の欲望によって姿を変えられた子供たち。


 けれど彼らの顔は、とても穏やか。

 何故ならここは、彼らの姿を見て嘲笑い、虐げ、厭いながらも利用する輩は存在しない。

 皆が違うけど同じ姿の者同士しかおらず、そしてその相手の姿も自分の姿も見ずに済む、光のない深海だから。

 だから彼らはここで、誰かに嗤われることもなく、孤独に苛まれることもなく、安らかに眠っていられる。

 ……だから彼女は、うらやましかった。


「……思ったよりも、ずっと早いですね」

 私は壺の中に話しかけてみるけど、答えはない。

「それほど、苦痛だったんですか?」

 答えはないのはわかっているけど、問い続ける。


 新たに増えた、一人の子供。

 普通学級に通い、今年のチャリティ系のTVでたしか20キロマラソンを母親と完走して有名になった彼女が、そこで眠っていた。

「いつも一緒に頑張ってくれる母と、この足は私の誇りです」と語っていた彼女の本音が何だったのか、それはもはや誰にもわからない。


 ただ、義足が両足ともなかったことは、事実。

 きっと眠るのに邪魔だったんでしょう。

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