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野良狗のいくさ ~少年仕事人、江戸を疾る~  作者: 三郎
第一章 野良狗、悪臣の喉笛を切り裂く
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第三話 野良狗の生業

 手当をされた侍が目を覚ますまでには、たっぷりと半日はかかった。

 訳アリの親子を屋敷に迎え入れたその日の夜。

 甲斐が母屋おもや縁側えんがわで夜虫の声を楽しみながら、団子を口いっぱいに頬張っていると、奥座敷の中から侍のうめき声が聞こえてきた。

 座敷は、いざという時に家の者が駆けつけられるよう木戸を開けっ放しにしてあって、行灯の頼りない明かりが外へと漏れ出ている。

 室内には布団が敷かれており、寝かしつけられた侍の傍らに金ぴかの少女が付き添っていた。

 血の気の引いた、冴えない顔が見える。

 無心で手を取りながら、金ぴかはただ父を看続けていた。


「……ちちうえっ」

 再び、侍がうめいた。先ほどに比べて、理性の色が深く混じっている。

 どうやら、覚醒が近いらしい。

 甲斐は億劫おっくうげに立ち上がり、奥座敷へと移動する。

 

「ここは……」

 部屋に入ると、ちょうど侍が目を侍が目を覚ましたところであった。

「気がついたかよ」

「貴殿は一体……おお、理世。無事であったか。本当に、本当に……良かった」

「ち、ちちうえぇっ……」

 震える声で、金ぴかが父親侍にしがみついた。

 侍は優しげな顔で理世と呼ばれた金ぴかの頭を撫でている。

 怪我をした箇所が痛むだろうに、娘の前では苦悶の表情一つみせようとしない。

 意外と胆力のある奴だなと、甲斐は目の前の侍を内心評価した。


「……どうやら、世話をかけたようだな」

 侍は自身の体に巻かれた布や傷の縫い痕を確認しながら、独り言のように呟いた。

「ここは鍔帰新田。お江戸の東のちゃちな開拓村だよ。あんたは村の北はずれで倒れていたんだ」

「左様であったか……それは礼を言わねばならんな」

 言って、侍は床から起きあがり、甲斐に向かって正座した。理世も父に促されて、おっかなびっくり座り直している。


「それがし、栗山善吉忠利くりやまぜんきちただとしと申す者にござる。生まれは筑前……もとは福岡藩に仕える侍にござった。このたびはお助けいただき、冥加至極みょうがしごくかたじけのうござった」

 深々と善吉が頭を下げる。

 父の態度に目を丸くした理世も、

「――わ、わたくしめはりずべっと。やまと名を理世と申し上げまする。母はおらんだ混じりゆえ、このような見てくれをしておりまする。こたびはまことにかたじけのうございました」

 と、慌てて武家の子女らしい座礼をした。

 対する甲斐は呆気にとられて、一瞬反応が遅れてしまう。

 武家にあるまじき腰の低さである。

 甲斐の知る“今の侍”は、一部の青びょうたんをのぞいて大概が鼻持ちならない性根をしていた。

 先祖の築き上げた功績に胡座をかいて、今の地位を手放すまいと上にごまをすり、下には威張り散らすのが近頃の侍の常である。

 少なくとも江戸から隣の宿場くんだりまで憂さを晴らしにやってくるような連中は、皆がそういう輩だった。


「……爺さんに言われてやったことだ。礼を言われる筋合いはない」

 頭を下げる者相手に立ったままで返しては失礼に当たる。甲斐は居心地悪そうな表情を浮かべて、どっかとその場に座り込んだ。


「元はってことは、今は浪人身分か」

 甲斐の言葉に善吉が頷く。

「恐らくは。今頃、藩籍はんせきを抹消されてしまっておるかと存ずる」

 何処か遠いところを見るようなまなざしをしている。

 恐らく、元いた場所に未練があるのだろう。

 甲斐にもこの反応は納得ができた。

 侍とは、何かにさぶらうから、侍なのである。

 仕える主を取ってしまったら、腰の物以外何も残らない。

 その腰の物すらも、困窮が極まれば質草として手放さざるを得ないわけで、彼を待ち受ける未来は決して明るいものではないはずだ。

 “今の侍”も案外大変なものなんだな――と、甲斐の心の内で何かがうずいた。


「畏まったしゃべり方はよしてくれ。背中がかゆくなる」

 眉根を寄せながらひらひらと手を振る。

「む、そうか……ならば、砕けさせてもらおう。それで、抹籍まっせきに関わることだが……我々は追われる身なのだ」

「ああ、それは知ってるよ」

 こともなげに流す甲斐に対して、今度は善吉が呆気にとられる番であった。


「……追っ手がかかっていると知って、我々を匿ってくれたというのか」

「爺さんに頼まれたからな」

 そうでなければ、“今の侍”なんぞ助けようとも思わなかっただろう。

 こうして、善吉たちの人となりを知る前ならば、尚更だ。


「では、追っ手の連中は……」

「全員仕留めた。痕跡も残さずに始末したから、しばらく追っ手がかかる心配もねえだろう」

「なぬ、仕留めたとなっ。それは……」

 善吉はうなり声をあげて、黙りこくってしまった。口元に手を当てて、何やら考え込んでいる。

 その袖をちょちょいと引く手があった。


「ちちうえ」

「ん、何だ。理世」

「……この村は何かおかしいのです」

「ちょ、村の方の前でなんてことを――」

 慌てて、善吉が理世の口をふさごうとするが、一度滑らかに紡ぎ出された言葉は早々止まるものではなかった。


「村のあちこちに罠が仕掛けられておりますし、百姓がみんな百姓らしくない。ご飯もおいしゅうございますし、挙げ句の果てには、犬が可愛い!」

「……犬?」

「はい。虎王丸と、言うのです」

 庭先で、キャンと甲高い遠吠えがあがった。

 善吉は目を閉じて自分の額を小突いた。正気を取り戻そうとする時に、甲斐も良くやる仕草だ。

 起きてすぐのことだから、少し頭が混乱しているのかもしれない。

 しばししてから、善吉が目を開いた。

 真剣な表情で、甲斐を見る。


「世話になっておきながら、重ねてお願い申し上げたき儀がござる。どうか……話を聞いてはくださらんか?」



 善吉は家の者が集まった中で、改めて甲斐たちに向けて頭を下げた。

 奥座敷の上座には善吉親子が、下座中央には図書と甲斐の父親――喜右衛門きえもんが座っている。

 甲斐と余市はイリカワと呼ばれる、奥座敷と縁側の間にある畳敷きの廊下に待機していた。

 戸は開けているため、間取りはあってないようなものだ。


「……故あって、それがしはこれより江戸へ戻らねばならぬ。その間、娘を……理世を村で匿ってもらいたいのだ」

 善吉がせっぱ詰まった表情で口火を切った。

 その願いに、村の実力者二人は各々違った反応を見せる。

 興味深げに顎髭をさする図書。いかめしい眉をぴくりと持ち上げる喜右衛門。

 喜右衛門のわしを思わせる双眸そうぼうが、ぎらりと暗い光を放つ。

 目の前の二人を、厄介者として認識しているよう見受けられた。

「ひぅっ……」

 理世の顔色が悪くなっていく。

 甲斐の父は村の名主らしい風格を纏ってはいるものの、その人相はすこぶる悪い。そんな男に悪意の混じったまなざしで睨まれているのだから、当然の反応といえるだろう。


「この村がただの開拓村でないことは、理世の話からも聞き及んでおる。切に、切にお頼み申し上げたい」

「素性の知れぬ場所にご息女を預けられるというのもいかがなものかと存じまするが」

「……今のそれがしには、他にすがれるものがないのだ。必ずや、礼もしよう。何とぞ……っ」

 にべもない返事にも引き下がらず、善吉は深く頭を下げ続けた。

 喜右衛門のため息が漏れる。

 瞼の上から目を揉みほぐし、苛立たしげに口を開く。

「お二人は主家に追われる身だとか。私どもに追われるようになった理由をお聞かせ願えませぬか?」

「それは……」

 善吉が口ごもる。

 何か、話せぬ訳がありそうだ。

「お二人が追われる訳というのは……みだりに聞けば、こちらにまでとがが及ぶ類のものということですかな?」

 喜右衛門が更に切り込む。

 嘘は許さないといった強い声色である。

 こうも詰められては、安易なごまかしは通用しない。

 観念したように、善吉は嘆息した。


「……それがしどもは、ことが漏れれば主家の改易……いや、江戸の屋台骨すら揺るがしかねない重要な秘密を知ってしまったのだ。ゆえに、秘密を知る者は主家が放っておかぬ」

「ならば、お武家様方を匿った時点で我が家は主家の敵と言うことになりましょうなあ。人は、疑い始めればきりがないものですから」

 他人事のような図書の物言いに、喜右衛門が顔が苦みばしっていった。


「親父殿。ここでお武家様方を亡き者にし、見て見ぬ振りを決め込めば良いのではありませぬか?」

 喜右衛門の発言に、場の空気がぴしりと張り詰めた。

 善吉が震える理世の手を握りつつ、腰をかすかに浮かせる。

 得物こそないが、いつでも奇襲に対応できる構えだ。

 一触即発のやりとりを眺めながら、甲斐はふっと肩をすくめた。


「まあ、うちの親父と会えばこうなるのは明らかだったな」

 柱を背もたれに、身体を伸ばす。

 他人の振り見て我が振り直す……ではないが、父親のあからさまな態度を見ていると、昼間の自分もあんな風な目をしていたのかと、少しげんなりしてしまう。

「父様は筋金入りの事なかれ主義だものねえ」

「それもあるけどよ」

 余市の言葉に頷きつつも、甲斐は訳アリ親子に向けて敵意を隠そうともしない父親の目を見た。


「親父が侍を進んで助けるなんて絶対にありえねえよ。余市だってわかってるだろ」

「それは、ね」

 喜右衛門は村名主という職務上、侍と接する機会が多いが、腹の内では甲斐以上に“今の侍”を嫌っている。

 憎んでいる、と言い換えても良い。

 何故なら、“今の侍”は――彼にとっては妻の仇であるからだ。

 よほどのことがない限り、情状の余地はないだろう。


 行灯の明かりがゆらゆらと揺れる。

 年少二人組が事の行く末を見守る中、奥座敷の沈黙を打ち破ったのは、図書の場違いに明るい声であった。

「まあ、そう邪険にするでない。ご息女が怖がっていらっしゃるではないか」

 茶化すように軽口を叩く。

 図書はただ一人、微笑みを崩さなかった。

「ですが、親父殿……」

「栗山様……と仰られましたな」

 喜右衛門の抗議を全く気にも留めずに図書は続ける。

「江戸へはいかなる目的で戻られますのか」

 善吉が唇を噛みしめた。痛々しげな表情をしている。

「……妻が藩屋敷に囚われておる。それがしは、あやつを助け出さねばならぬ」

 妻、の言葉に喜右衛門が低く唸った。


「……それは、命を賭してもやらねばならぬことですかな? 家長とご息女がご無事なのですから、お家は安泰にございましょう」

 暗に見捨てろと言っていた。

 手負いの侍にとって、主家は餓えた狼と変わらない。

 狼に襲われた牛馬は、群れの中から弱った一体を生け贄に差し出し、自らの安寧を確保するという。

 今の彼らは牛馬である。

 無闇に刃向かったところで、獲物が二匹に増えるだけだろう。

 無駄死にの文字が頭に浮かぶ。

 甲斐は自然と、拳を握り固めていた。

 図書の言葉は、善吉だけに向けられたものではなかったからだ。

 ――あの訳アリ侍は一体いかなる反応を見せるだろう。

 甲斐が注目する中、善吉はその場に立ち上がった。


「……妻は、不憫な女なのだ。おらんだ商館長かぴたんの血が混じっておるゆえ、鎖国の進んだ今の時勢では、表だって歩くこともできぬ」

 震える善吉の声を聞き、理世が悲しげに目を伏せた。着物の裾を、ぎゅっと握り込んでいる。

「世間からつまはじきにされ続けた女なのだ」

 ぎりっと、図書をねめつける。

「それを夫であるそれがしまでもが妻を見捨てたら、あれに何が残るのか。そんなむごいことが……許されてたまるかっ」

 これだけは譲れないという、確固たる意志が瞳の奥でゆらめいていた。

 善吉の激昂げっこうに場の空気が大きく震える。

 行灯の明かりがゆらめく中で、図書は慈しむような笑みを浮かべた。


「成る程。家族の情、にございますか」

「……それの何が悪いと申されるのか」

「いえいえ」

 ならば、と図書は続ける。

「周辺の村々に、貴方様方が逃げていくところを見た……とでも噂を流しておきましょう。ご息女におかれましても、ご心配なく。人をつけまするゆえ、長々とご逗留なさって構いませぬ」

 破格の申し出である。

 善吉の顔にははっきりと困惑の相が浮かんでいた。


「喜右衛門もそれで良いな?」

「……救えるものならば、救うに越したことはないでしょう」

 甲斐は父が不貞腐れた表情を浮かべているところを、初めて見た。

「栗山様、奥方様は藩屋敷に囚われていると仰いましたが、それは上屋敷にございまするか?」

「う、うむ。そうだとは思うのだが……」

 フム、と図書が顎に手を当てる。

「ならば、赤坂あかさかにございますな。水路ですぐに、とはいきませぬ。喜右衛門、どうすべきか」

 話を振られた喜右衛門は、自らの頬をパンと張った。

 気持ちを切り替える時に、甲斐も良くやる仕草である。


「……今は日本橋にほんばしに伝手があります。日中は舟着きに身を潜め、夜陰やいんに乗じるのがよろしかろう。しかし、すでに奥方が別の場所へ連れ去られた可能性もありましょうな」

「ならば、藩屋敷の出入りを探る方が先決か」

「すぐに草を入れまする」

 トントン拍子に奪還計画が練られていく。

 善吉の困惑もそれにつれて深まっているようであった。


「ま、待ってくれ」

 名主親子の掛け合いが一旦止まる。

「ありがたい申し出ではあるのだが、その……理世のことだけで構わぬのだ。何故、そこまでしてくれるのか。こう言ってはなんだが、善意だけとは到底思えぬ」

 善吉の問いかけに、図書は好々爺然とした表情を引き締める。

 居住まいを正し、善吉の顔をじっと見つめた。

「奥方のことはよろしいのですか?」

「良くはない! だから、それがしは助けに行こうと――」

「ならば、遠慮なさらず“影の者”を雇えばよいのです」

 にちゃり、と。

 粘ついた笑みを図書は浮かべた。

 その老い窪んだ二つの眼は獣のようにぎらついている。

 甲斐も久方ぶりに見た顔だ。

 この入れ込みよう……どうやら目の前の客を逃すつもりはないらしい。


「か、影の者?」

「――左様」

「……もしや、この里は……主らは忍びなのか?」

 その質問に図書は苦笑いを浮かべた。

 忍びと勘違いされても仕方のない仕事も受け持っているが、甲斐たちの出自は一山いくらの忍びではない。

 そのため、少々癪に障ったのだろう。


「……れっきとした武士の出にございます。元は、の但し書きがつきまするが」

 憤然とした面もちで声を荒げたのは喜右衛門だった。

豊家ほうけが敗れ、刀を鍬に持ち替えてより、四十余年。我が一族は百姓稼業の傍らで、仕事人渡世(とせい)なんぞもやっておるのですよ」

 息子の言葉を補足した図書が、「さて」と話を本筋に戻す。


「我々ならば奥方様を取り戻せましょう。勿論、報酬はそれなりに頂きますが……お雇いになられますかな?」

 分かりきった問いかけだった。

 侍一人で権力を持つ主家に挑んだところで勝ち目はない。取り戻したい者が真に大事ならば、ここで断る道はないだろう。

 それでも、答えが出るまでにはしばしの時が必要であった。

 人は野生の獣ほどではないが、得体の知れないものを警戒するだけの分別を持っている。

 表を生きる者にとって、図書の提案は先の見えぬ闇と変わらない。

 それをまさぐるには、自らも闇に染まるか……もしくは不退転の勇気が必要だ。

 幾度となく繰り返された逡巡しゅんじゅんの後、善吉はようやく口を開いた。


「……何とぞ、何とぞ、お願い申しあげたい」

 待ちに待った答えに図書が破顔した。



 こうして、一人の侍と鍔帰新田――いや、鍔帰の隠れ里の間でとある密約が交わされた。

 その内容とは、筑前福岡藩の抹籍浪人、栗山忠利の妻を影働きをもって主家より奪い返すこと。

 邪魔だてする者の命は問わない。

 人知れず、闇を行き、ただ目的を完遂すべし――


 その日の丑三つ時、甲斐は図書により屋敷の隣にある高台へと呼び出された。

 元は水害対策にと土を盛って作られた高台である。

 大した高さがあるわけではないが、山のない、江戸の東の平野部を見回すには十分であった。


「爺さん、どうしたんだ?」

 図書は西を見つめていた。

 江戸のある方角である。鍔帰の里より大きな川を二つ超えた先に、この日ノ本を統べる将軍の膝元が広がっている。

 江戸の空は、夜だというのにゆらゆらと白んで見えた。


「……ここ最近は、火事が多いのう」

 白んだ原因は、江戸で起きた失火にあるらしかった。

 耳を澄ませば、野犬の遠吠えや夜虫の鳴き声に混ざって、ひっきりなしに鳴り響く半鐘の音が聞こえてくる。


「あの侍をどう思う?」

「どう思うって、そりゃあ……」

 悪い奴ではない。その人柄は、娘への態度や甲斐たちへの腰の低さからもよく分かる。

 何より家族を大事にしている。

 言葉には出していなかったが、喜右衛門が彼への助力を認めたのは、間違いなく妻への想いが原因だろう。

 恐らく、彼と自分の姿を重ね合わせたのだ。


 甲斐の脳裏に、凛とした母の立ち姿がぼうっと浮かび上がった。

 躾に厳しかった母。

 掛け値なしに優しかった母。

 凶刃を身に受けながらも、気丈に我が子を守り続けた母――

 甲斐の心に、激情の炎が轟と立ち上った。


「家族は大事にしなきゃ、いけないよな」

「そうか……」

 図書は深く頷くと、そのまま押し黙ってしまった。

 一体何の話であろうか。

 甲斐が首を傾げていると、図書がこちらへ振り向いた。


「しばらく、あの男を気にかけてやってくれ」

「そりゃあ……依頼人である以上、面倒くらいは見てやるけどよ」

 何を当たり前のことを、といった思いである。

 だが、図書の表情は険しかった。


「あの男の素性については、既に調べがついておる。彼らが巻き込まれた陰謀についてもな」

 何かにためらうように言葉を詰まらせる。


「……栗山という姓。筑前福岡藩では家老の家柄じゃ。乱世の功臣、黒田二十四騎の一角よ。昔、大坂城であれと良く似た男を見かけたことがある」

 成る程、あの身なりの良さは家柄によるものであったわけだ。

「それで? ただ家柄が良いからお守りしろって話じゃねえんだろう?」

「……あの者の入手した秘密は、外に漏れれば幕府にとっても都合が悪い劇物よ。ゆえに……ましらが出てくる可能性がある」

 頭をガンと殴られたような気分だった。

「――ハッ」

 笑い出したくなるのを抑えられそうにない。

 桜花一二三流を修めて七年と少し。

 甲斐は最愛の母に凶刃を浴びせた相手の風貌を片時も忘れたことがない。

 仇は、黒装束に猿の面を着けていた。


「つまり、あのオッサンが生きている内は……猿野郎をおびき寄せる餌になり得るってわけだな? いいじゃねえか」

 拳と拳を打ち合わせる。

「今回の依頼。突入組には俺が入る。オッサンも守るし、金ぴかの母ちゃんも取り戻す。猿が出てくりゃ……」

 好きに動かせてもらう。

 そう言うと、図書は苦笑いを浮かべた。

「倅の奴は決して良い顔をせんだろうな」

「知ったことかよ」

「あやつの怒り顔が目に浮かぶわい」

 図書はわざとらしく身体を震わせ、ちゃんちゃんこの襟を閉めた。

「風が強くなってきおった。そろそろ屋敷に戻るかの」

 言って高台を下る祖父の姿を見送りながら、甲斐は憎んでやまない仇の姿を頭に想い描いていた。


 ――明日からは忙しくなる。夜が明ける前に仕事道具の手入れを終えてしまわねばならない。

 屋敷に戻った甲斐は、そのまま蔵に直行した。

 蔵には農具に混じって、大小様々なつづらや桐箱が保管されている。

 甲斐はその中から「伝来」と朱書きのされた桐箱を手に取り、縁側まで持ち出した。

 中からめんを取り出して、コトリと縁側に置く。

 牙の目立つ、いぬの面である。

 二本あるはずの牙の内、片方が根元から欠けてしまっていた。

 甲斐はそれを見て顔を歪めながらも、胡座をかいて縁側に座り込む。

 手甲と大刀の点検もしなければならない。

 箱から取り出した手甲は金属の札板さねいたを縫いつけた赤縅あかおどしの目立つ品だ。天正期ごろに作られたと聞いているが、定かなことは分からない。

 手甲の点検を手早く終え、手に持った大刀を掲げてみる。

 無銘のなまくら刀である。

 月明かりを受けた刀身は、でこぼこと鈍い輝きを発していた。

 少々、研ぎ直す必要がありそうだ。


「出てこいよ、猿野郎」

 甲斐は繰り返し呟きながら、野良狗の牙を研ぎ続けた。


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