エルネストの協力者
その日、エルネストはチェシカを連れて城下の街を歩いていた。全身が隠れるほど長いローブに身を包み、目立ってしまう王族特有の金髪は茶に染めてフードで隠してある。
エルの歩調は速く、角を曲がっては隠れ、進んでは曲がりを繰り返す。
「あと何人?」
小声でチェシカに確認を取ると、あと二人だ、と彼女は答えた。
あと二人……。だいぶ時間を取られたな。
今、エルネストは追われている。王宮の隠し通路からひっそりと外に出たつもりだったが、誰かにつけられていたらしい。
チェシカが言うにはジルの密偵だそうだ。
ジルは、エルがどさくさに紛れて証拠品を頂戴しているのを良しとしていない。
ちょっと前に、彼の命令で数人の使用人がエルの部屋を物色していたと、ルミネから聞いた時はさすがに驚いた。
「悪いようにはしてないって言ってるのに……」
いっそ、本当の事を話してしまおうかとも思ったが、それは今から訪ねようとしている人達との約束を違える事になる。
面倒だが、密偵をまくしかない。
人通りがないはずの静かな路地裏も、エルにとっては大通りと同じくらいにぎやかだ。なぜなら、エルの周りには幽霊達が集まってくるから。
彼等はエルの尾行をしている密偵の情報を頻繁に届けてくれる。
『一人が完全にエル坊を見失ったぞ。あと一人だ』
『はじめは六人もいたのにもうあと一人か。エル坊は密偵に向いてるんじゃないかい?』
『あらぁ、エルネスト。また鬼ごっこしてるの?』
『頑張れエルぅ!』
男の声、女の声、子供の声……様々な声がエルに掛けられる。道ゆく先々でエルに声掛けてくるのは、半透明で、足のない幽霊達ばかりだ。
『おいエル坊! 最後の一人もお前を見失ったみたいだぜ』
おおお、と、エルにしか聞こえない大歓声が街を包む。大勢で何か一つの事を成し遂げるというのは、それがどんな事であれ多くの達成感をもたらすものだ。
娯楽の少ない彼らにとってエルネストの手助けはよい気晴らしになるらしい。
もしもエルが幽霊達にこの街にいる猫の数を数えて欲しいと頼めば、それは瞬時にイベント化し、エルはものの数十分でこの街にいる猫の数を知る事ができるだろう。
『エル坊、今度は十人くらい連れてこいよ?』
『神父様にもよろしく言っといてねぇ〜』
『ほれ、今がチャンスじゃぞエル坊』
「いつもすまないな。感謝してるよ。だけどエル坊はやめろ!」
そんなこんなで、彼らは常にエルの味方であってくれる。
『みなさん、本当にいつもありがとう』
『『『『『バイバイチェシカちゃん!!!』』』』』
一部チェシカの味方という方が正しいような奴らもいる。
しばらくエルについてきて色々と世間話をしていた幽霊達はエルが街外れの教会の敷地をまたぐと同時に別れを告げて散っていく。彼等はこの教会には近づけない。
エルネストが近づけないようにしたからだ。
もちろんチェシカは例外。
古いその建物は、教会のくせに“本日休業”と書かれた板が吊るされている。
鍵はかかっていなかった。古びた扉は蝶番が錆びているので、開ける時の嫌な音が耳にさわる。油をさせとこれまでに何度も進言してきたが一向に実行される様子はない。
中は意外と広く、長椅子に十字架、パイプオルガンと普通の教会とさしてかわらない。
変わっているのは、ここの神父がまともじゃないところだけだろう。
教会の奥には二つの扉があり、一つはかつて懺悔室だったが、医学の心得のある現神父もどきが改装して診察所にした部屋に繋がる木製の扉。もう一つは、この教会に住む神父一家の暮らす住居に続く鋼鉄製の扉だ。
ガチャガチャといくつもの鍵を開ける音がして、二つ目の扉から若い女が顔を見せた。ダークブラウンの髪を高い位置で一つに結んだ、空色の瞳をもつ豊満な体つきの美人だ。
「エル! 久しぶりじゃないか! しばらく顔を見ないから、とうとう暗殺にでもあったかと思ってたよ!」
エルをみるないなや大声で縁起でもない事を言い出した彼女はゾーラ。この教会に住み着く神父もどきの奥さんだ。
「よく言うよゾーラ。サソリはいるか?」
「ああ、いるよ」
ゾーラに招き入れられて、エルは彼女らの居住区に足を踏み入れた。と言っても、正方形の部屋には地下に続く螺旋階段しかない。
ゾーラはエルの後ろで、扉にいくつもの鍵をかけなおしている最中だ。
その数十二個。
いくらなんでも用心深すぎると思うだろうが、神父もどきの趣味を考えるとそれでも少ないのではないかとエルは考えている。
「さぁ、おりたおりた」
ゾーラに促され、エルは階段に足をかける。
彼らの住まいは地下にある。この辺りは地下にちょっとした洞窟があり、ゾーラ達はそこに部屋を構えて住んでいるのだ。
階段を降りきった先にあるのは、彼女達が居間として使っている部屋。
地下にある部屋というので陰鬱なイメージをいだかれがちだが、乳白色の壁にいくつものろうそくが灯っている様子はとても幻想的で、チェシカはこんな家に住んでみたいと言っていた。ゾーラが選び抜いた家具達もこの部屋の雰囲気によく合っていて、彼女のセンスの良さがうかがい知れる。
「今、お茶を用意するから適当に座っとくれ」
「ありがとう」
ゾーラが洗い場に行くのを目で追っていると、急にドアップなチェシカの顔が現れた。
『エルぅ!』
……チェシカが許しをこうときの上目遣いに、エルは一生勝てないだろう。
「はいはい。行っておいで」
ぱあっと笑顔になったチェシカは乳白色の壁に飲み込まれるように消えていった。
「これはこれはエル。ご機嫌麗しゅう」
そう言って、中央に置かれたテーブルの一席についていた男が立ち上がった。
短い赤毛に、チェシカとは色味の違う、なんというか赤黒い瞳をもった優男で、右目の片眼鏡がとても様になっている。
彼がこの教会の神父もどき。
名をサソリ。
やっぱり胡散臭い食えない奴には片眼鏡が装備されてるものだよな……と、これはエルの偏見である。
「久しぶりだな、サソリ。これ、お土産」
エルが机に置いたのは、ここ最近王宮にのさばる暗殺者達から没収した小瓶や紙包み達。
サソリは待ってましたとばかりに手を打った。彼は次々と包みを開き、中の粉や液体達に恍惚とした視線をむける。中でも、この前ヴァンから取り上げた怪しげな色の液体に目を止めると、らんらんとした表情になった。
「ふぉぉお!! こ、これは北の大地に生殖するという幻の毒草、クレバス草の茎の毒!! 間違いない……私が言うのだから間違いないとも!! ……ふひ」
彼はかつて、エルに向かって三度の飯より毒が好きだと高らかに言い放った。
いわゆる毒マニアというやつだ。
不気味な笑い方はとっくの昔に慣れてしまってもう気にする事ができない。本当に……慣れとは恐ろしいものだ。
「ふひひひひ、さすが王族の戯れですなぁ。珍しい毒が次々と……ひひひ」
サソリは色々と毒を見ていたが、やはりクレバス草の毒が気に入ったのか小瓶の蓋を開け、手の甲に数滴垂らすとペロリと舐めた。
「ふひょーー! これはこれは私以外の人間が飲んでいたら即死でしたねぇ〜! ゾーラ! 今日から、これをスパイスにしましょう! 一滴で象をも殺す高貴な味ですよぉ! ひひひひひ」
彼はスパイスと称して料理の隠し味に毒を入れる。ゾーラが洗い場に立つ時は、必ず調味料に妙なモノが紛れていないかを確認しなければならないそうだ。
「馬鹿言ってんじゃないよサソリ! あんたそれで私が何回死にかけたと思ってるんだい!?」
「大丈夫ですよ。解毒剤は用意しますから」
「そう言う問題じゃあないんだってこの馬鹿!」
サソリはかなりの抗体が出来上がっているらしく、ちょっとやそっとの毒は全く効かない。ワイングラスに毒を注ぎ、一気飲みする姿を何度も見てきた。
サソリと腐れ縁のゾーラは気苦労が耐えないだろうな。
でもまあ、なんだかんだで良い夫婦になっているのはいい事だ。
「サソリ。頼んでたモノできてる?」
「はぁい、もちろんでございますとも」
サソリが奥に入っていくのを見送ると、入れ違いにチェシカと話しながら入って来たのは上から下まで真っ白な少女。
腰まである長い髪は純白で、身に付けているのは白のワンピース。陶磁器のような肌も白いなか、異様に赤い瞳が彼女に異物めいた雰囲気をもたらしている。
彼女は今のところエルネスト以外で霊視のできる唯一の少女。
サソリとゾーラの娘、イオだ。
「師匠!!」
彼女はエルを見るなり猛突進してきた。抱きついてくる小さな体を抱き上げ膝に乗せる。
「イオ。元気だったか?」
「うん! イオすっごく元気だよ!」
お嫁になんていかちてあげないんでちゅからねー。
以前そんな事を言ったサソリは真性の親バカだ。
だが、サソリがそうなるのも仕方がないとエルは思う。彼女の愛らしい容姿は嫌でも人目を惹く。
『いいなぁ』
チェシカが羨ましそうな目でこちらを見てくる。
エルに抱き上げられているイオが羨ましいのか、イオを抱き上げるエルが羨ましいのか……。
後者だろうな。
今、チェシカの可愛い瞳が睨んでいるのは間違いなくエルだった。
「今日はパパにご用事だってチェシカに聞いたよ。あれを取りにきたの?」
「そうだよ」
エルは彼女の髪を撫でる。柔らかいその髪は絹のようで、チェシカの髪もこんな手触りだろうか、などと考えてしまう。
『イオちゃんの髪、完全に真っ白になっちゃったね』
「うん! この前切ったから」
イオは生まれた時から人ならざるモノを見、寄せ付けてしまっていた。もともとはゾーラと同じダークブラウンだったイオの髪は、霊達がなんらかの影響をもたらして徐々に真っ白になっていった。前来た時はかろうじてダークブラウンが残っていたが、切ってしまったらしい。
その事はまだいい。サソリは白くはかなげな娘に大歓喜していたから。
イオたんを嫁にとろうとする輩はパパが毒殺してあげちゃいまちゅからね〜、と。
問題なのは、彼女に霊が近づくと瞳の色が変わってしまう事。
今はチェシカがそばにいるから真っ赤だが、普段はゾーラと同じ空色の瞳なのだ。
サソリがこの教会で、神父兼医師の仕事をしているため――しかも趣味が高じて無駄に優秀なため――ここには多くの人がやってくる。
ころころと瞳の色が変わるイオが化け物扱いされないようするには、この教会に結界を張るしか方法がなかった。
エルネストはこの教会の周りに結界を張り、付近の霊達にイオの事を話してできるだけ近寄らないようにしてもらっている。
過去にそういう事をした関係で、サソリ一家とはとても懇意にしてもらっている。
「そうだ。師匠、チェシカ! イオね、ちゃんと力使えるようになってきたの! 見ててね!」
イオが取り出したのはなんの変哲もないただの紙。
彼女が、紙を構えて力を注ぐと、淡い青色に発光する文字が浮かびあがり、次の瞬間同じく青い炎に包まれて紙は燃えカスとなった。
ぱっと顔を上げたイオの瞳はチェシカがそこにいるにもかかわらず元のスカイブルーの瞳に戻っている。
「凄い? イオ凄い!?」
「やるなイオ。だいぶん上達したじゃないか」
『大丈夫。綺麗に結界張れてるよ』
「やたー! 褒めて! もっと褒めて!」
満面の笑みで喜ぶ弟子を見ていると、こちらまで嬉しくなってしまう。
さて、イオが使った力について簡単に説明しよう。
力というのは、霊達が大気中に放っている気――霊力とでも言おうか――の事だ。
エルが霊力の存在に気付いたのはほんの偶然で、それから試行錯誤しながら結界や霊を喚ぶ術などを編み出し、今の紙を媒介にする方式をつくりあげた。
物語に出てくるような魔法とは違う力……。
エルはこれを霊術と呼ぶことにしている。その力を使うためには霊力を敏感に感じ取る必要があり、それができるのは霊視能力を持つ者だけ。
エルとイオは霊術を扱う者。
この世でたった二人の霊術師だ。
「だいぶん保つようになってきたんだよ。最近は買い物にも一緒に行けるくらい」
「幽霊が近くに来ても全然変わらないの! 一時間くらいしか続かないけどね」
『わぁ! それでもすごいよ! イオちゃんはエルより才能あるかも!』
「おいおい、考案者は俺だぞ?」
チェシカの声が聞こえないゾーラも変な顔一つせずに会話を聞いていてくれる。
霊視に理解のあるサソリとゾーラは正直付き合いやすい。
「ふひひひひひ! お待たせしましたエル!」
不気味な笑いと共にサソリが戻ってきた。その手には三つの皮袋。エルはその中に入っているものを確認する。
「どうです?」
「ああ。いい出来だ。ありがとう、サソリ」
「当然です。エルにはいつもいい毒をもらってますからねぇ」
柔らかく笑うサソリは、何もしなければなかなか見映えのする美青年だ。
あくまで何もしなければだが。
「どうだいエル。これから昼食にしようと思うんだが、食べてくかい?」
「いいね。もらうよ。その前にサソリ。解毒剤用意しとけ」
「おやぁ? 信用ありませんねぇ。王座争い真っ只中のエルはもうちょっと毒に耐性を付けないといけないのに……。という事でゾーラ。エルの、エルのためにこのクレバス草の毒を!!」
「いれるわけないだろ馬鹿!!!」
『サソリさんもゾーラさんも仲が良くていいね、イオちゃん』
「そうかなぁ? パパとママ、いっつもケンカしてるよ?」
「あれはなー、ケンカはケンカでも痴話喧嘩って言ってな? 一種の愛情表現なんだよ」
首を傾げるイオ。
彼女にはまだ理解できないらしい。
『イオちゃんも、もうちょっと大きくなったらわかるよ』
「イオがけっこんしたらわかる?」
「結婚!?」
「……イオ。あんまり早くに嫁に行くでないぞ……」
イオの発言に過剰反応したのはサソリで、諭したのはエルだ。
エルにとって可愛い愛弟子は妹のような存在で、イオが嫁に行くと言い出しでもすればサソリと結託して相手を(社会的に)潰しに行こうと思う。
まずはエルがその霊能力をフルにつかって相手の汚点を晒し出し、サソリが毒を持って脅し畳み掛ける……。
完璧な布陣がここに揃った。
はたしてこの世に最狂の親バカポイズンマスターと、最悪の変人皇子を納得させるような男がいるのか……。
「イオの将来を考えると頭が痛くなってくるよ……」
というゾーラの呟きは、悲鳴をあげるサソリと何かを企んでそうな黒い笑みを浮かべるエルネストには聞こえていなかった。