エルネストと相棒
月光が照らし出すのは、荘厳な王城。夜会が開かれているのか、華やかな弦楽が大広間から流れ出る。
そんな絢爛とした雰囲気から一変して灯りも人通りも少ない王城の裏側。客室棟のバルコニーで、言い争う二つの人影があった。
「だ・か・ら・な? そいつはお前の夫じゃないんだって。いい加減離れろよ」
「いや、いやよ! そんなウソ私は信じないんだから!!」
今にも飛び降り自殺しそうな彼女を説得しながら、エルネストは笑いを耐えるのに必死だった。なんせ、正統派で有名なエドワード子爵がその低い声で女言葉を扱っているのだから。
いかん、笑うな俺。笑ったら負けだ。
「あのなぁ、あんたの夫は死んだんだ。手紙にも書いてあったんだろ?」
「あんなの誰かの悪ふざけよ! 私とあの人の愛を妬んだ誰かが私達を引き裂こうとやった事よ!」
いっその事笑ってしまいたい。そうすればエルネストは非常に楽になる。しかし、それと同時にエドワード子爵も楽になってしまいそうだ。それだけは避けたい。
「それ以上やるならこれぶっかけるぞ?」
懐からいつも持ち歩いている小瓶を取り出す。満月である今夜は効き目抜群だろう。
「いや! やめて! そんな事したらこの人とココから飛び降りるわよ!?」
「それは、まずいな」
「分かったらさっさと消えて! 私達を引き裂こうとしないで!! やっと、やっと一緒になれたのに!!」
エルネストは限界だった(腹筋的な意味で)。彼女が必死になればなるほど違和感は増していくのだから。
まだか? 早くしてくれよ。
エルネストはこみ上げる笑いに耐えながら、使いにだした相棒の帰りを待っていた。
『エル。見つけて来たよー』
突如、透き通った張りのある声が響き、エルネストの緊張は一気に解きほぐれた。
「チェシカ、遅いぞ」
入って来たのは長い漆黒の髪に薔薇色の瞳、純白のフレアドレスを身にまとった可憐な少女。チェシカと呼ばれたその少女は、ふわりと宙に舞うとエルネストの隣に落ちついた。
『おまえ!』
チェシカが連れてきた半透明の男は、目の前で今にも飛び降り自殺しそうなエドワード子爵にうり二つ。彼こそがこのおかしな事件解決の鍵。
「あ、あ、あなたは…………あなたぁ!」
急に女が抜け出したため、エドワード子爵の身体はぐらりと傾く。
慌てたエルネストが間一髪で支えたので、彼が落下する事はなかった。エルネストはホッと胸を撫で下ろす。
原因の女はというと、悪びれる事もなく五十年ぶりに再開した夫と抱き合っている。その姿に多少の苛立ちを感じつつも口をはさまないエルネストは冷静だった。
『あなた、あなたなのね!? あぁ私の愛しい人』
『すまない。私が死んでしまったばっかりにお前まで……』
『いいの、そんな事は……。で? この女はあなたの何!?』
女に殺意を向けられたチェシカは身を縮めてエルネストの背後に隠れてしまった。その様、子猫の如し。愛らしい彼女にエルネストは頬を緩める。
「これは、俺の恋人だ」
『やだ。エルったらそんな、恋人だなんて』
それを聞くと、女は興味をなくしたのか、再び夫とベタベタいちゃいちゃしながら二人仲良く淡い光に包まれて消えていった。
『よかったね。あの人、旦那さんに会えて』
「ああ、はた迷惑なことこの上ないけどな」
だが、なかなか面白かったから良しとする。
小さなうめき声がして、気絶していたエドワード子爵が目を覚ました。彼はエルネストをみとめると色を失う。
「エルネスト皇子!? いったいなぜここに!?」
エルネストはやんわりとした笑みを浮かべ、吃驚するエドワード子爵にあらかじめ用意していた言い訳をいかにもそれらしく語った。
「こんばんは子爵。あなたは先程の夜会で飲み過ぎたようです。私がたまたま部屋の前を通らなかったら、あなたはそこから落ちていたかもしれませんよ?」
エドワード子爵はエルネストの言い分に不服があったようだが、どうせ彼に先程までの記憶は残っていない。彼は認めるしかないのだ。
「それは、お恥ずかしい所をお見せしてしまったようで……」
「いえ。しかし、飲みすぎには気を付けて下さいね」
客室棟を後にして、エルネストとチェシカは自室に向かう。
『エドワード子爵、めちゃくちゃ疑ってたねー』
「貴方はたちの悪い霊に取り憑かれていましたーなんて言って誰が信じんだよ」
『ま、確かにね』
エルネストにとって平々凡々な出来事は、凡人から見れば奇々怪々の珍事件なのだ。
何故なら、彼らはエルネストに見えるモノが見えないから。
エルネストは彼らに見えないモノが見えてしまうから。
ほんのわずかな違いが、互いの常識を一転させてしまう。世の中にはよくある事だろう?