5
「勉強お疲れ様、今日はずいぶん大勢だな。みんな弥生の友達?」
美月さんは、新しい顔ぶれに首を傾げながら私に問いかける。
「はい、武井希望です。深見さんに誘われたので、今日はご一緒させてもらうことになりました」
私が答えるよりも早く、武井さんが素早く前に出た。
「こっちは朝生霞。如月と同じクラスなんですよ」
「今日は突然お邪魔してしまって、本当にすみません。どうぞよろしくお願いします」
朝生さんが赤い頬を隠すように、深々と頭を下げた。
「美月です。こちらこそよろしく。今日はあいにく車じゃないんで、少し歩かなきゃならないんだけどいいかな?」
美月さんを先頭に、私たちは駅前に向かって歩き始めた。美月さんの隣には、いつの間にか武井さんと朝生さんがぴたりと陣取り、三人で楽しそうに話をしている。
何となくあぶれてしまった私と亮太は、彼女たちの背中を眺めながら、のろのろと後ろを歩く。
「ねぇ。こういう事になるってちゃんと分かってた?」
「うるせぇな、分かってたよ。でも、何もないよりはずっとましだろう。きっかけの一つになればそれでいいんだ」
亮太は朝生さんの背中を見つめながら、深い深い息を吐いた。
私は、そんな亮太の潔いまでの心意気に感心した。私など、美月さんの両脇に侍っている武井さんたちを見るだけで、涙が浮かびそうになるというのに……。
「すごいねぇ亮太は」
「なんだよそれ。皮肉か? 美月さんを出しに使うなんて、スゲー格好悪い」
亮太は短い髪をわしわしとかき回した。私はそんな不器用な幼馴染の背中を思いっきり叩いた。さほど痛そうな顔もしない亮太は小憎らしいが、彼に発破をかける意味で私はその固い背中をたたき続ける。
「元気出せ。私も応援してあげるから」
「お前だって、人の事を心配してる場合か? 見ろよ、あの武井の狩る気満々の顔」
「こんなことになった原因は、誰の所為だったっけ?」
「俺だよ、悪かったよ」
素直に頭を下げる亮太に、よろしいと一言かけてやり、私は大きく息を吸い込んだ。いつまでもうじうじしてはいられない。私も戦わなければいけないのだ。
「まずはお互いのためにも、ふたりを美月さんから引き剥がさなくちゃだよね」
「弥生、悪い顔してるなぁ」
私の試案する顔に若干引きつつある亮太を黙らせてから、もうだいぶ距離を離されてしまった美月さんたちに追いつくと、私は彼らの会話に半ば無理やり入り込んだ。
「美月さん、私お腹空いちゃいました。どこかでおやつにしませんか?」
「あぁ、そうだね。俺も喉が渇いたよ」
美月さんの袖をくいと引くと、美月さんはいつもの優しい笑顔で振りむいてくれた。横目でちらりと武井さんを窺ってみると、明らかに邪魔者を見る目つきで私を見ていた。その目は、はっきり言って迫力がありすぎる。でも、私だって負けられない。
「じゃあ、そこの喫茶店に入ろうか」
美月さんが示したのは、ケーキ類の充実した店だった。誰も異論はない。
「五人です」
店に入ってウエイトレスに人数を告げると、彼女は少し困った笑顔を向けた。
「申し訳ありません。ただ今四人掛けのテーブルしかご用意できないんです。通路に一席置くことになっても構いませんか?」
彼女の言っているのは、お誕生日席のことだろう。皆がそんなことかと頷くと、ウエイトレスは狭い店内をすいすいと渡りながら一番奥のテーブルに案内した。
「美月さんは奥へどうぞ」
武井さんが美月さんを上座に座らせた。私は、彼女のそんな気配りに少しびっくりした。しかし……
「じゃ、隣失礼しますね」
可愛らしくスカートを揺らしながら、武井さんは美月さんの隣に至極自然に収まった。やられた、と思った時にはもう遅かった。彼女はテーブルに肘を付いて、体ごと美月さんの方へと向くと、さっさとメニュー表を広げ始めた。完全に、こっちをシャットアウトしている。
亮太の隣には朝生さんを配置させることになるので、必然的に私はお誕生日席に座らなければならない。私はむっつりと黙りながら、通路にはみ出した席に腰を下ろした。
「これ、おすすめらしいですよ。あ、でもこっちも良いな。ねぇ美月さん、両方頼んで半分こしませんか?」
武井さんは完全に背中を向けて美月さんとメニューを覗き込んでいる。彼女の、あからさまだが効果的なテクニックには舌を巻くばかりだ。私はなす術もなく、自分の負けを確信した。駄目だ、武井さんとは経験値が違いすぎる。
近くにいるはずの美月さんが、今はとても遠く感じられた。亮太は隣に座る朝生さんに気を取られて固まっているし、冗談抜きで涙が出てきそうだ。
私は運ばれてきた水を飲みながら、どうすればこれから巻き返すことが出来るかを考えた。しかし、武井さんのブロックは完璧だった。仲間のはずの朝生さんすら寄せ付けない有様だ。まぁ、そのおかげで亮太はいい思いをしているのだけれど。
とにかく美月さんたちとの会話に参加しなければと思い、私は美月さんに果敢に話しかけた。
「美月さん、昨日は電話をありがとうございました。美月さんのおかげで今日の門限少し伸びました」
「どういたしまして。弥生のお母さんと久しぶりに話をしたけど、元気そうだね」
「美月さんって、深見さんのお家の番号も知ってるんですねぇ。これ、私の番号です。せっかくお友達になれたんですもん、良かったらいつでも連絡ください」
うまくパスが通ったと思ってもすぐに会話のボールは武井さんの足元へと転がっていってしまう。
私はついに肩を落として黙り込んだ。武井さんが話し出すと、皆の視線はいつの間にか彼女の方に向いている。うすうす思っていたのだが、武井さんは自分に注目を集めることがとても上手い。彼女の話し方や仕草、その全てが人の目を引くのだ。
注文したケーキが運ばれてきても、私はこの状況を打開できずにいた。私が美月さんに何を話しかけても、その上に武井さんが乗っかってくるのだ。
私は、もう戦意を喪失してしまい、ただひたすら黙って運ばれてきたケーキとサンドイッチを貪っていた。仕方がない、どう見たって分が悪いのはこっちの方なのだ。とりあえず、今日さえ我慢すればいい。私は半ばあきらめた気持ちで武井さんの様子をぼんやりと眺めていた。
「今日の弥生は随分大人しいな。よっぽどお腹を空かせてたんだな」
突然、美月さんが武井さん越しに私に話かけた。私はサンドイッチを口に頬張りながら、こくこくと頷いた。武井さんにブロックされずに、美月さんと会話出来たことがこんなにも嬉しい。
「マヨネーズ付いてるよ」
美月さんの長い手が、武井さんを器用に飛び越えて私の方へと伸びてきた。美月さんは私の唇に付いたマヨネーズを指先で掬い取ると、皆が呆気に取られているなか、面白がるように指に付いたマヨネーズを舐めとった。赤い舌がちらりと覗く。
「いつまでたっても、弥生は子供みたいだなぁ」
くすくすと笑う美月さんに、皆唖然として何も言う事が出来ない。もしかすると、私が構ってもらえなくて拗ねていることを、美月さんは気が付いていたのかもしれない。
その時、美月さんの携帯電話がピリピリという音を出して鳴った。
「ちょっとごめん」
美月さんは席を立つと、奥にある手洗い場に向かった。途中で電話を耳に当て、何やら難しい顔をしているのが見えた。
「今年は電話がよく鳴るな」
亮太がポツリとそんな言葉をこぼした。それは私も感じていたことだ。私が知る限り、今まで休暇中に美月さんの電話が鳴ったことは一度もない。
「仕事が忙しいのかな」
電話で席を立つ美月さんは、なぜか私たちのよく知る美月さんじゃないような気がする。どうしてそう思うのかは分からないが、そう感じるのだ。
「ねぇ、深見さんと美月さんって、本当にただの友達なの?」
不思議そうに武井さんが私の事を見ていたので、私は慌てて彼女に向き直った。
「どういうこと?」
「あ、それは私も不思議に思った」
朝生さんも、フォークを置いて首を傾げている。
「さっきみたいなこと、友達にだって普通しないよ。恋人には見えないし、兄弟でもないんでしょう? じゃあ、何だろうって思うわけよ」
不満を表すように眉を寄せながら、武井さんは私をじっと見つめていた。私は首を捻って亮太に助けを求める。しかし、亮太も眉を寄せて考えているようだった。
「何って言われても、私にもよく分からないよ。小学生の時から、一緒に遊んでくれる優しいお兄さんみたいに思ってたから。ねぇ?」
話を振られた亮太もうんうんと頷く。武井さんは納得したのかしないのか、ふーんと気のない返事をして席を立った。
「ごめんね。あの娘、結構なんでもストレートだから」
武井さんが店の奥に消えたのを見計らって、朝生さんがちょっと困ったように私たちに謝った。
「別に、朝生が謝らなくてもいいんじゃねえの」
「でも、希望が美月さんに近づくたびに、深見さんすごく困ってたから」
朝生さんにもそう見えていたのか。私は自分の態度をもう少し改めようと反省した。
「本当はいい娘なんだけど、夢中になると突っ走っちゃうのよね」
朝生さんは、何だか武井さんのお姉さんみたいに笑っている。
「朝生も大変そうだな」
「分かる? この間なんてね、希望が万引き犯を捕まえて店の中で大騒ぎしたことがあったんだよ」
武井さんの武勇伝を麻生さんは嬉しそうに語る。初めは、どうして大人しい朝生さんが武井さんの友達なのだろうと思っていたが、何てことはない。ちゃんと仲良しの親友だったのだ。
私は、通路で邪魔者扱いされているお誕生日席から立ち上がると、店の奥にあるトイレへと向かった。もう美月さんは電話を終えただろうか?
狭い通路を進むと、照明が一段落とされた所にトイレの扉を見つけた。手前の男性用のドアの側を通り過ぎたとき、中から美月さんの声が聞こえた。まだ電話の最中なのかもしれない。
しかし、私はその場でふと足を止めた。男性用のトイレの中から、なぜか武井さんの声が聞こえる。ぼそぼそと小声で話しているようだが、間違いない。私はわけがわからなくなった。どうしてこんな所に、ふたりで一緒に入っているのだろう。
私は、駄目だと思いつつも、男性用のマークの付いているドアをそっと開けた。ほんの小さな隙間から、目だけを出して中を覗く。何だか悪いことをしている気分だ。でも、自分の好奇心を抑えることが出来ない。
中を見た途端、私は息をのんだ。
洗面台の前には美月さんが立っている。その彼にべったりと張り付くようにして、武井さんが美月さんの首に両手を回して立っていた。ふたりは貪りあうようにして、口づけを交わしている最中だった。
息をしなければ。いや、この場合息をしないほうがいいだろうか。私はただ目を見開いて、絡まりあう二匹の獣のようなふたりを見ていた。見たくないのに、目が離せない。
なんて……なんて残酷なほど絵になるふたりだろう。
私は、ふらふらと歩きだした。どこへ歩けばいいんだっけ。上の空で席まで戻ると、亮太と朝生さんが楽しそうに笑い合っているのが見えた。
良かった。亮太はうまく話すきっかけがつかめたようだ。私は鞄を掴むと、財布の中から二千円を取り出してテーブルに置いた。
「どうした? なんか変だぞお前」
「深見さん、具合悪いの?」
私は、何でもないと言ってふたりに笑って手を振った。気分が悪い。用事が出来たから先に帰ることを告げ、私は逃げるように店を出て行った。
いや、違う。私はこの場から……逃げ出したのだ。