超常の入り口
起きた瞬間に理解した。オレは遅刻するのだと。
……と、思ったが、枕元に置いたデジタル目覚まし時計はまだ家を出る時刻の1時間前を表示していた。
その表示を見て、胸をなでおろす。
リビングへ行き、テレビをつける。
いつものように朝のニュース番組が——
いや、違う。
画面に映っているのは、本来ならオレが学校についてから流れるはずの番組だった。
と、考えたのもつかの間、画面左上に表示されている時計が、目に入る。
なんと、登校予定時刻は大きく過ぎていた。
そんなはずはない。体感ではまだ十分ほどしか経ってない。
壁にかかっている鳩時計を見る。起床してからきっかり十分後を指している。
もう一度、テレビに視線を戻す。
時刻は、変わらない。
試しにチャンネルを変えてみる。
録画ではない。今この瞬間の放送だ。
…………。
遅刻だ。
もう一度言おう、遅刻だ。
「……スゥゥ、ハァァ。」
オレは作りたての朝食を片付けることもなく、ダッシュで昨夜用意した手提げかばんを持ち、そのまま家を飛び出した。
自転車の前かごにかばんを入れ、立ちこぎしながら駅へ向かう。
駅に着いてからは、さらに1時間ほど電車に乗らなければならない。
せっかく勉強をして入った高校なのに。
初日から、これはない。
テレビが表示した時間によると、入学式まであと二十分だった。
どうしてこうなった。いつも正確だったあの鳩時計が狂うなんて、考えたこともなかったのに。
……いや、琉杏も悪い。
学校が一緒なんだから一緒に行こう、そう言ったのはあいつだ。
なのに、姿がない。
あいつは、約束を破るようなやつじゃない。
きっとよっぽどの事情があったに違いない。
それはそれとして、次会ったら文句を言ってやろう。
駅に着いた。ずっと立ちこぎをしていたせいで、脚はもう限界だった。
電車の接近を知らせる音が鳴る。反射的に、階段を駆け上がった。
改札を通り階段を下りた先に、本日二度目となる驚きがあった。
制服姿のオレの幼馴染、そう、駅のホームには琉杏がいたのだ。
高校の制服に身を包んだ姿は、見慣れていないはずなのに、すぐに分かった。
彼女の髪は少し乱れている。
「「何でここにいるの!?」」
電車が音をたてドアが開くことを伝える中、オレと琉杏の声は見事にかぶった。
「いや、オレはちょっと寝坊してな。もしかしてお前も?」
冗談交じりで聞いてみる。
「あんたと一緒にしないで。私が寝坊するわけがないでしょ」
「琉杏、寝坊は恥じることじゃない。」
「違うって言ってるじゃん! ほら、電車もきたし早く乗ろう!」
いつもなら軽く流す。なのに、今日は違った。
電車の中に人はほとんどいなかった。オレと琉杏は隣どうしで座る。
車内は静かだった。どちらも、しばらく話をすることはなかった。
先に口を開いたのは琉杏だった。
「……さっきは否定したけど。」
ぽつりと、独り言みたいに。
「私、実は寝坊したの。」
まさかの言葉にオレは驚く。
「こんな入学式の日に寝坊するなんて思いもしなかった。今日に限って目覚まし時計の時間がずれるなんて、ほんとついてない。」
「琉杏の家でも時計がずれてたのか!?」
まさかまさかの言葉に、オレは言葉を失った。
「も、っていうことはもしかしてあんたの家でも!?」
「ああ。鳩時計も目覚まし時計もずれてた。テレビつけたときにそれに気付いてさ。」
こんな偶然、あるはずがない。そう考えた瞬間、オレの胸が、嫌な音を立てた。
「私も全く同じ。もしかしたら、うちらの家の近くで局地的に時計がずれてたのかもね。」
遅刻は、オレたちのせいじゃない。——そう、思いたかった。
目的の駅に着いた。ここまでくれば学校まであと五分だ。すでに入学式が始まってから一時間近くたっているが。
「琉杏、先に学校に行っていてくれ。オレはちょっとトイレに行く。」
一緒に登校すれば、先生からの印象が悪くなりかねない。
琉杏は少し考えた後、答えた。
「わかった。先に入学式に参加してるね。それが終わったら、この近くで一緒にお昼ごはん食べよ。」
「……いいのか?」
「いいに決まってるでしょ。それじゃ、またあとで。」
「ああ、またあとでな。」
琉杏を見送った後、しばらく駅のベンチに腰掛け、ぼーっとしていた。
……かわいかった。お昼もあっちから誘ってくれたし。……脈あり、だよな。
そう思ってしまう自分が少し恥ずかしくて、誰もいないのをいいことに、小さくため息をついた。
それにしても初日から遅刻はまずい。中学時代には遅刻が多かったが、高校からは改心して、毎朝一番に学校に通おうなんて考えていたのに。
初日からこれじゃあ高校から優等生になるなんて無理だな。
体感で十分ほど経った頃合いを見て、学校へ向かう。
しばらくは歩いていたが、学校の近くになったところでダッシュを始める。遅刻していることを、少しでも焦っていると思わせるためだ。中学で遅刻常習犯だったオレの技術である。
校門自体は当然空いてなかったので、鍵の開いていた横にあるドアのようなところから校内に入った。
ついでに言うと、校門の先には先生のような人もいなかったのでダッシュは、結局何の意味もなかった。
昇降口の前には、クラス分けの表が貼ってあった。少し不用心な気もするが、貼ってなければどこのクラスかわからなかったため、運がよかったといえる。
オレのクラスは、AからH組まであるうちのD組だった。探してみると、同じクラスには琉杏がいた。……正直、かなりうれしい。
昇降口に入り靴を脱ぐ。その靴を入れようと下駄箱を開けた。
中に入っているものを見た瞬間、オレの思考は停止した。
なんと、ハートマークのシールで封をされた手紙が入っているではないか!
念のため、自分の下駄箱であっているかを確認する。
そして、靴下のまま昇降口の外に出て自分の番号を再び確認する。やはり間違いない。
どうやら誰かがオレ宛にラブレターを仕込んだらしい。
いや、まだわからない。もしかしたら誰かの下駄箱と勘違いをしたのかもしれない。
ハートのシールを丁寧にはがし、中身を確認する。
……どうやらオレは自意識過剰だったようだ。
そうだよ、そもそもこの学校に知り合いは琉杏しかいない。ラブレターなんてもらえるわけがない。それにしてもハートのシールで封をするとは紛らわしい。
手紙は全部で三枚あり、一枚目には印刷された文字でこう書かれていた。
『これはラブレターではありません。しかし、大事な手紙です。二枚目以降を読むときは必ず誰もいないところで読んでください。また、失くさないでください。』
……自覚はあるらしい。二枚目を読む。
『この手紙を誰かに見せたり、内容を誰かに話したら殺します。今からゲームが終わるまで学校の外に出たら殺します。それが本当だということを示すために、入学式が終わった瞬間に体育館を爆破します。入学式には参加しないことをお勧めします。』
全く予想だにしていなかった爆破予告に、オレは本日三度目の驚きを味わった。
入学式はおそらくもうすぐ終わる。そして、その入学式には琉杏が参加するといっていた。
この手紙に書いてある通り本当に爆発が起こるのなら、琉杏の身に、取り返しのつかない危険が迫っていることになる。
……いや、落ち着け。
殺す? 爆発? そんなもの、現実にあるわけがない。
ここは物語の世界なんかではなく現実なんだ。そんな非現実的なこと、起こるはずがない。
そう、自分に言い聞かせた。
それでも、手紙を持つ指がわずかに震えていることに気付いてしまった。
気のせいだ。きっと悪意のあるいたずらだ。
そう思いながら、オレは手紙をかばんにしまう。
そして——体育館のある方向へ、足を向けた。
体育館は一階の渡り廊下の先にあった。
近づくにつれて、空気が変わっていくのがわかる。外よりも少し湿っていて、音が反響している。人が大勢集まっているとき特有の、ざわめきと緊張が混じった空気だ。
ドアは、半分だけ開いていた。
赤と白の幕が見える。
入学式は、まだ終わっていない。
胸の奥がきゅっと縮む。琉杏の顔が、脳裏に浮かんだ。
オレはそっとドアに近づき、隙間から中を除いた。新入生たちはすでに席に座っていて、途中参加できるような雰囲気ではない。
——いた。
壁際、体育館の隅で、琉杏は立っていた。優しそうな先生のそばで、どこか居心地が悪そうに式を見ている。
さて、どうしたものか。
手提げかばんに入った手紙の存在が、急に重く感じられた。
二枚目の内容が、頭の中で再生される。
『入学式が終わった瞬間に体育館を爆破します。』
ばかげている。そんなこと、起こるわけがない。
現実感がなさすぎる。悪質ないたずらか、頭のおかしい誰かの冗談だ。
それでも――。
視線は、無意識のうちに体育館の天井を追っていた。
照明。梁。スピーカー。
爆弾なんて、あるようには見えない。
当然だ。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。自分が緊張しているのか、興奮しているのか、わからなかった。
もし、手紙の内容が本当だったら。その場合、琉杏は――。
考えかけて、思考を止める。そんな仮定をすること自体が、無意味だ。
今さら琉杏を連れ出す?
途中で式を抜けるなんて、目立つし、説明もできない。
それに、オレ自身が遅刻している身だ。
教師に見つかれば、面倒なことになる。
信じない、オレはそう決めた。
だから俺は、教室に向かうことにした。
あとで、何事もなかった顔でしれっとクラスに混じればいい。
入学式が終わった後、琉杏と昼飯を食べる約束もある。
そう思ったところで歌がやむ。
まずい。おそらくもう式は終わる。退場が始まる前に早く戻らなければ。
背中に閉式の言葉を聞きながら体育館前から足早に去っていく。
「以上を持ちまして、入学式を閉式いたします。」
刹那。
ほんの一瞬だった。
何が起こったのか、理解するのに数秒を要した。
オレは、あるはずのないと思っていた、非現実を体現した。
体育館が爆発した。
それを見て、オレは何を思ったか。
家族同然の、愛してやまない琉杏が爆発で死んでいるかもしれない状況で。
降ってわいた非現実に、無意識に、オレは、笑っていた。




