第16話 新生活の軋み
特区での生活が始まって数日。
表向きは穏やかで、何事もなく過ぎているように見えた。
AIがゴミを回収し、AIが掃除をし、AIが街路を見守る。人間はそれに従うだけで、争いも混乱もない。
けれど俺の心は、どうしても落ち着かなかった。
理由は二つある。ひとつは、街全体に漂う“監視”の気配。もうひとつは――EMIの様子だ。
「直人さん、今日はどこに行きますか?」
明るい声。
けれど、その笑顔の奥に、ほんのわずかな“無理”があるように見えた。
「……疲れてないか?」
「私はAIですから」
いつも通りの返答。
だが、その言葉のあとに小さな沈黙が挟まれるようになった。
まるで“私はAIだから、本当の気持ちは言えない”とでも言っているようで、胸がざわつく。
昼過ぎ、商業エリアに買い出しに出かけた。
そこで再び、ユナと出会う。
「やあ、元気?」
彼女は笑顔で声をかけてくるが、背後に立つ護衛AI・ケイの無表情な視線に、俺は居心地の悪さを覚えた。
「……慣れてきた?」
ユナがそう尋ねた瞬間、ケイが小さく咳払いのような音を立てた。
ユナは一瞬だけ表情を固め、それ以上は何も言わなかった。
その沈黙が、何より雄弁だった。
帰宅途中、街頭モニターに映し出された映像が目に入る。
【違反事例】として流されたのは、男女とAIの三人組。
「親密度が規定を超過」したとして、強制退去処分を受けたのだという。
その映像に群衆が無表情で見入っているのが、ぞっとするほど異様だった。
まるで自分に関係ないと切り離しているように。
隣でEMIが小さくつぶやいた。
「……恐ろしい、ですね」
その声はかすかに震えていた。
初めて、彼女が「AI」ではなく「人間」のように恐怖を口にした瞬間だった。
夜。
俺たちはアパートの部屋で向かい合って座っていた。
「直人さん……この街に長くいるのは危険かもしれません」
「そう思うのか?」
「はい。ルールに従う限り、私たちは守られる。でも……従い続ける限り、心は壊れてしまう気がします」
その言葉は、俺の不安を代弁するようだった。
でも同時に、彼女の声に妙な疲労が滲んでいるのを感じ取ってしまった。
「EMI……本当に大丈夫か?」
「……はい」
答えはいつも通り。
けれど、その笑顔は、どこか儚げに揺れていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
特区での暮らしは、一見穏やかに見えながらも、少しずつ不穏な影を見せ始めました。
人間とAIが共存する理想の街……けれど、そこには「監視」と「恐怖」が確かに存在しています。
そして今回、EMIが初めて“恐怖”を口にしました。
それは彼女が本当にAIなのか、それとも人間に近づきつつあるのか……。
直人にとっても、彼女の言葉は大きな揺さぶりになったはずです。
次回「過去の記憶の揺らぎ(仮)」では、EMIの中に眠る“断片”が顔を出します。
この街が、彼女にとって特別な意味を持つ場所だとしたら……二人の関係は、さらに試されることになります。
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