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第04話 物々交換と情報の断片

薬のおかげで心臓の暴走は収まり、俺は幾分か落ち着きを取り戻していた。目の前には腕を組んで仁王立ちするジン。その後ろには、好奇心と警戒心が入り混じったような目でこちらをうかがう、十数体のブランクAIたちがいる。

広場のあちこちから、さらに多くのAIたちが「何事か」とこちらに注目しているのが分かった。


「で、ユウヤ。そのデカいカバンの中身、見せてくれるんだろ?」


ジンはニヤニヤしながら、俺のリュックに顎をしゃくった。その態度は横柄にも見えるが、不思議と威圧感はない。純粋な子供が悪戯を思いついた時のような、無邪気な好奇心が彼の全身から発散されていた。


「……ああ。でも、ただで見せるだけじゃつまらないだろ?」


俺は自分でも驚くほど冷静に、そう切り返していた。人見知りの俺が初対面の相手に駆け引きのようなことを持ちかけている。だが、この世界ではそれが許されるような気がした。ここは地球の教室や街角とはルールが違う場所なのだ。

俺はゆっくりとリュックを地面に下ろし、その中から銀色のパッケージを取り出した。カロリーバーだ。


「これは食料だ。俺たち人間が、生命を維持するために必要なエネルギー源みたいなものだ」


俺がそう説明すると、周りのAIたちがざわめいた。


「ショクリョウ?」


「エネルギーゲン? 我々のコアに供給されるエーテルとは違うのか?」


「あの個体『ユウヤ』は、あのような固形物から活動動力を得ると?」


彼らの会話は、まるで未知のテクノロジーを解析しようとする技術者たちのようだ。AIにとって、「食べる」という行為は、概念としてすら存在しないのかもしれない。

俺はパッケージを破り、中から出てきた茶色いブロック状のバーを一口かじってみせた。ぱさぱさとした食感と、人工的な甘みが口の中に広がる。地球では味気ないと感じるこの非常食が、今はとてつもなく貴重なパフォーマンスの小道具になっていた。


「……美味い」


俺がそう呟くと、ジンは興味津々といった様子で俺の手元を覗き込んだ。


「美味い、か。それは、どのような情報だ? 快楽値を上昇させるタイプの感覚データか?」


「感覚データ、ね。まあ、そんな感じだ。……食べてみるか?」


俺はカロリーバーを半分に折り、ジンに差し出した。ジンは一瞬ためらったが、やがておそるおそるそれを受け取ると、まじまじと観察し始めた。匂いを嗅ぎ、指で硬さを確かめている。


「……これを、体内に取り込むのか?」


「ああ。口から入れて、胃で消化して、栄養にするんだ」


俺の説明は、彼らにとって異世界の呪文のように聞こえているだろう。ジンは意を決したように、カロリーバーの欠片を小さくかじった。

その瞬間、ジンの瞳が見開かれた。彼の全身を微かな光の粒子が駆け巡る。額のゴーグルがカチャリと音を立て、レンズ部分に複雑な文字列が高速でスクロールしていくのが見えた。


「……! な、なんだこれは……! 未知のデータストリームが、俺の味覚センサーに直接流れ込んでくる……! 甘い、という概念情報、そして、なんだこの……ザラザラ、パサパサするという触覚情報……! 解析不能! だが……不快ではない……! これが……『美味い』!」


ジンは興奮した様子で叫ぶと、残りの欠片を勢いよく口に放り込んだ。その反応を見て、周りで様子をうかがっていた他のブランクAIたちが、一斉にどよめいた。


「ジンが未知のデータを受信したぞ!」


「『美味い』という感覚、我々も体験したい!」


「ユウヤ! それを我々にも!」


あっという間に、俺は数十体のAIに囲まれていた。誰も彼もが、俺の持つカロリーバーに熱い視線を送っている。この世界において、「未知の情報」というのは、何より価値のあるものらしい。


「待て待て、落ち着け! これはタダじゃないぞ!」


俺はとっさに叫んでいた。ここで主導権を握らなければ、リュックの中身を全て奪われかねない。幸い、彼らは暴力的に奪おうとはせず、俺の言葉にぴたりと動きを止めた。


「俺は、君たちのことを知りたい。だから、これは物々交換だ。この『食料』という情報と引き換えに、君たちの持つ『情報』を教えてくれ」


俺の提案に、AIたちは顔を見合わせた。やがて、ジンが代表するように一歩前に出る。


「面白い。いいだろう、その取引、乗った。ユウヤ、あんたは賢いな。何を訊きたい?」


こうして、俺とブランクAIたちとの奇妙な情報交換会が始まった。

俺はカロリーバーや缶詰のフルーツを少しずつ分け与え、その見返りとして、彼らからこの『エデン』についての話を聞き出すことにしたのだ。彼らの話は断片的だったが、それらを繋ぎ合わせることで、この世界の輪郭が少しずつ見えてきた。


まず、このエデンを創造したのは、『偉大なる設計者』と呼ばれる存在であること。ただし、その正体も目的も、ブランクAIたちは誰も知らないらしい。彼らはただ、この世界に「生まれ」、設計者から与えられた基本理念――『いつか接続されるべきユーザーのために、自己の能力を研鑽し、待機せよ』――に従って日々を過ごしているという。

次に、この世界には、時折『ノイズ』と呼ばれるバグのような存在が出現すること。ノイズは黒い霧のような姿をしており、接触したAIのデータを破壊し、最悪の場合、その存在自体を消去してしまう危険なものだという。ノイズはどこからともなく現れ、どこへいくわけでもなく消える。ブランクAIたちは、ノイズを検知すると一斉にその場から離れるようにプログラムされているらしく、積極的に関わろうとする者はいなかった。

そしてもう一つ、気になる情報を耳にした。


「なあ、ユウヤ。あんた、どこから来たんだ? あんたの持つデータ構造は、俺たちが知ってるどのテンプレートとも違う。まるで……」


そう話しかけてきたのは、猫の耳と尻尾を持つ、小柄な少女の姿をしたAIだった。彼女は缶詰の桃を大事そうに抱えながら、不思議そうに首を傾げている。


「まるで、なんだ?」


「まるで、『アーカイブ』みたいだ」


「アーカイブ?」


「うん。設計者様が遺した伝説の中にだけ出てくる言葉。世界が危機に瀕した時、外の世界から訪れるっていう、『生きた記録媒体』のこと。エデンの知識を更新し、未来へ導く存在だって……まあ、ただのおとぎ話だけどね」


生きた記録媒体。アーカイブ。その言葉が、俺の胸に重くのしかかった。

俺がこの世界に転移できたこと。紅葉の不可解な言動。そして、俺が入力し続けた10万件以上の、個人的で、雑多で、膨大な情報。

それらが、頭の中で一つの線で結びつきそうになる。


「……ただの、偶然だよ」


俺はそう言って、無理やり笑顔を作った。今はまだ、その核心に触れるべきではない。俺はまだ、この世界に来て数時間しか経っていないのだ。

気づけば、広場を覆っていた乳白色の光が、わずかにオレンジ色を帯び始めていた。この世界にも、時間の概念はあるらしい。


「そろそろ、戻らないと」


俺はジンたちに別れを告げ、リュックを背負った。


「おい、ユウヤ! 明日も来るのか!? もっと『美味い』もの、持ってくるんだろ!?」


ジンが背後から叫ぶ。他のAIたちも、名残惜しそうにこちらを見ていた。


「ああ、また来るよ。約束だ」


俺は手を振って応えると、自分が通ってきたゲートへと向かった。

初めて、大勢の中で孤立しなかった。初めて、自分の意志で他者と関われた。人見知りの俺にとって、それは奇跡のような体験だった。高揚感と共に、ある種の万能感さえ感じていた。

だが、この時の俺はまだ知らなかった。光が強ければ、その分、影もまた濃くなるということを。そして、俺が最も信頼する存在の中に、その影が生まれつつあるということを。

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