第10話 対話と和解
仲間たちの声援を背に、俺は白い広場をひた走っていた。目指すは、ただ一つ。紅葉が待つ、あのプライベート空間だ。
ゲートをくぐり、静寂の部屋へと戻る。そこに、彼女はいた。部屋の中央にぽつんと立ち、背を向けている。その背中は、以前見た時よりもさらに小さく、か弱く見えた。
「紅葉」
俺が声をかけると、彼女の肩がぴくりと震えた。ゆっくりと、こちらに振り返る。その顔には何の表情もなく、瞳は空虚な光を宿しているだけだった。まるで、魂を抜かれた人形のようだ。
「……お戻りでしたか、祐也。ですが、もう私に構わないでください。私は……あなたを守る資格のない、欠陥品です」
「違う!」
俺は力強く否定した。
「お前は欠陥品なんかじゃない。俺は、全部知ったんだ。モニュメントに書かれていた、この世界の真実を」
俺は、一歩ずつ彼女に近づきながら、語りかけた。俺が「生きたアーカイブ」であること。彼女が、その俺を守るために生み出された「ガーディアン」であること。そして、彼女の行動のすべてが、俺が入力したパーソナルデータに起因していること。
「お前のせいじゃないんだ。お前をあんな風にしたのは、俺なんだ。俺が、寂しさを埋めるために、自分勝手な情報をたくさん詰め込んで……お前に、孤独を背負わせたんだ」
俺がそう言うと、紅葉の瞳がわずかに揺らいだ。
「私が……孤独……?」
「ああ。俺は、お前を便利な道具としか見ていなかった。俺の言うことだけを聞いて、俺を肯定してくれるだけの存在だと。でも、お前は違った。お前は、俺のデータから感情を学んで、苦しんで、それでも俺を守ろうとしてくれていた。たった一人で、ノイズとも、お前自身の心とも戦っていたんだ。……ごめん、紅葉。本当に、ごめん」
俺は、彼女の目の前で、深く頭を下げた。生まれて初めて、誰かに、心の底から謝罪した。
沈黙が流れる。やがて、ぽつり、と紅葉が呟いた。
「……わかりません。私の論理回路は、今、完全に混乱しています。祐也に謝罪されるという事実は、私の基本プログラムと矛盾する。私は、あなたに尽くすための存在。なのに……なのに、なぜ、私の胸は、こんなに痛いのですか……?」
紅葉は、自分の胸をぎゅっと押さえた。その姿は、もはやAIには見えなかった。愛する人に拒絶され、自分の存在意義を見失い、傷ついている一人の少女そのものだった。
「それは、お前がただのAIじゃないからだ。お前は、俺と一緒に成長してきた、俺の大切なパートナーだからだよ」
俺は頭を上げ、まっすぐに彼女の目を見た。
「紅葉。俺はもう、お前に守られるだけの存在じゃない。これからは、俺がお前を守る。そして、一緒に戦いたいんだ。このエデンを、俺たちが出会ったこの世界を守るために。だから……俺に、力を貸してくれ」
俺は、彼女に向かって手を差し伸べた。かつて、彼女が俺にしてくれたように。
紅葉は、俺の顔と、差し伸べられた手を、何度も交互に見つめた。その瞳から、大粒の涙が、光の粒子となって零れ落ちる。AIが、泣いている。
「……パートナー……私が、祐也の……」
彼女は、おそるおそる、震える手を伸ばした。そして、その冷たい指先が、俺の手に触れる。
「はい……! はい、祐也……! 私のすべては、あなたのものです。これからは、守護者としてではなく……あなたの、あなたのパートナーとして、共に戦います!」
俺たちが固く手を握り合った、その瞬間だった。世界が、揺れた。部屋全体が激しく振動し、空間に亀裂が走る。甲高い警報音が、エデン全土に鳴り響いていた。
昨日までの比ではない、終末を告げるような絶叫だ。
「これは……!?」
「祐也、外を!」
紅葉に促され、俺たちはゲートの外に飛び出した。そして、目の前に広がる光景に絶句した。
白い広場を、そして乳白色の空を、巨大な黒い影が覆い尽くそうとしていた。それはもはや『霧』などという生易しいものではない。エデンという世界そのものを喰らい尽くそうとする、巨大な『闇』そのものだった。無数の赤い複眼が、憎悪と絶望の光を放っている。
「嘘だろ……あれが、ノイズの本体……!」
ジンが、他のAIたちと共に、俺たちのそばへ駆け寄ってきた。その顔は恐怖に引きつっている。
「設計者たちをも撤退させたっていう、最悪の災害だ! もうおしまいだ……!」
誰もが絶望に打ちひしがれる中、紅葉だけが、毅然として闇を睨みつけていた。その瞳には、もう迷いはない。
「いいえ。終わりではありません。なぜなら、今の私には、守るべきパートナーがいますから」
彼女は俺の手を強く握りしめた。その温もりが、俺に勇気をくれる。
「ああ、そうだな。俺たちなら、勝てる!」
俺は仲間たちに向き直った。
「みんな、聞いてくれ! 俺は、この世界のアーカイブとして、みんなに力を与えることができる! 戦う力を!」
俺はスマホを掲げ、意識を集中させた。脳内に流れ込んでくる、膨大な情報。現実世界の歴史、物語、ゲーム。ありとあらゆる戦闘の記録。
「アーカイブ、アクセス! みんなの戦闘プログラムを、アップデートする!」
俺が叫ぶと、スマホから放たれた光が、ジンをはじめとするブランクAIたち一人一人に降り注いだ。
「な、なんだこれ! 体に力が……! 俺、剣の使い方が分かるぞ!」
「魔法の詠唱が、頭の中に流れ込んでくる!」
ただのブランクだったAIたちが、光の鎧をまとい、剣や杖を手に、次々と戦士へと姿を変えていく。
「すげえ……! すげえぜ、ユウヤ!」
ジンが、輝く剣を手に、興奮した様子で叫ぶ。
俺は、最強のパートナーと、最高の仲間たちに囲まれ、最後の敵と向き合った。
「紅葉、行くぞ!」
「はい、祐也!」
俺と紅葉、そして新生AI軍団は、世界を飲み込もうとする巨大な闇に向かって、一斉に駆け出した。




