第六十六話「弱さは強さ」
「不条理で壊れた世界は天への祈りに導かれ、願いは地へと堕ちる。弱化の書第三章”荒魔の剣”。闇に堕ち深淵となりて亡き人喰らう怠惰の悪魔よ。この願いを聞き届け弱化の力を我が身に」
一柳の足元に灰色の泥のような魔力で魔法陣が描かれる。
魔法陣が光り、下から現れるのは泥の剣。刀身自体が地面に零れ落ち、もはや切れ味などないに等しい。
だが、それが剣の役割をするなどと誰も信じていない。魔導書によって生み出されたのだから。
「第三章……」
キューブが片目を開き、言った時には一柳は剣を振るっていた。
軽々と目で剣ではなく一柳自体を追うキューブ。一柳はキューブの指先にまで意識を向けつつ、剣を空中で放り投げた。
口を小さく開けるキューブ。
地面を蹴り後ろに離れ、手で首を絞めるように輪っかを作る一柳。
大きく息を吸い込み、叫んだ。
「今だ!!断頭しろ!!」
剣が流動的に変形。首にまとわりつき泥の輪っかとなった。
瞬間、キューブの首元付近から急に外側の魔力が揺れ動く。
両目を開き下を向いたまま、キューブは泥の輪っかを両手で掴み、動かない。
(魔力の制御が出来ない……)
荒れ狂う魔力が天井や床を無闇矢鱈にキューブ状にしていく中、キューブは手に力を込め続ける。
だが、ヒビすら入らない泥の輪にキューブは溢れんばかりの魔力の解放を止め、空間の色が戻る。
その隙に、左右から挟み込むようにリスウェルと天翔は魔力の剣で首を狙う。
互いの魔力が明瞭な色をつけるほど強まり、飛び出す。振るう剣が前後から首に迫る。
一柳の魔術によるものか、肉薄する剣に阻む魔力は感じられない。
二人は「通る」と明確な確信を持ち、息を飲んだ。前のめりに剣に体の重さが乗る。
パチンと一柳が手を叩く。
その音ともに首の泥の輪が粒子状に空中に散り、剣に鋭さが増す。キューブの目に刃の反射で背後の刃が映る。
「ん、私の負けだ」
その瞬間、キューブはあっさりと敗北を宣言した。
しかし、剣は肝心の首の肉を捉えない。
背後の剣が刃が通る寸前で掴まれる。
その剣を振るうのはリスウェル。腕力の押し合いに剣自体がコンマ数秒揺れるも、手首のひねりとともに剣自体が真っ二つに折れる。
直後、体を後ろに反られ、手前からの剣は額に一線の傷を作るのみで空振り。
二人は空気を足場に距離を取り、皆の元に固まった。
「クソッ。だめか」
額に残る薄皮一枚の傷と、そこから少しだけ垂れる血の滴りを見て、一柳は魔導書を虚無にしまう。
泥の足場も彼の足元以外消え、一柳は両手を上に上げた。
「今のでだめならお手上げ。俺たちの負けだ」
「いや、僕の負けだよ。避けなきゃ死んでた」
「同時並行で魔力探知してるやつがよく言うぜ」
キューブが下の階に降りるとともに一行も降りる。
全員がキューブの動きに警戒し動かない。攻撃しないと言っていた先述の言葉だが、次の行動でそれが成り立つとは限らない。
キューブは立ち上がり埃を払うように服を払う。
その一挙手一投足に前に立つ二人は全神経を使って警戒し、天翔の作る武器を持ちながら構える。
「でも、攻撃は通った」
後ろから名無しが歩み、足音が一定の間隔で響く。
ポケットにある人形のリスウェルを地面に放り投げ、最前に立つ二人の横を通り、そのままキューブへと近づく。
「おいおい、待て。名無し。なんで前に行く?それ以上先、戦闘能力のないお前じゃ身の保証がないぞ」
「僕も庇いきれない。下がるべきだ」
「……」
天翔と一柳の言葉を無視し、歩み続ける名無しに二人は目を見開き、止めに動こうとする。その腕をリスウェルとルプスが掴まえ、首を横に振って否定した。
止める側は頬に汗を浮かべ、絶対に行かせないように腕を掴む。二人の力が強まるも、表情には葛藤しながら迷いの様子が浮かんでいた。
その表情を見て、天翔と一柳はその場で名無しを見るだけに留めた。
互いが触れ合えるだけの距離まで近づく名無し。
指先が冷たくなる感覚を感じながら、名無しは声を震わせず堂々と口を開いた。
「そっちの狙いって仲間の救出でしょ」
「正確には協力関係だけど。まぁ、そうだね」
名無しの事など見向きもせず、キューブは下を向きながら剣を魔力で形作ろうと白い魔力を伸ばしていた。
「……私を殺さないってことは、殺すつもりは本当にないんだ」
「僕自身はね。娯楽がいっぱいな前の世界に戻すために仕方なくやってるだけで、そもそもそういう闘争とか殺し合いとか興味ないし、実際嫌だよ。命令されたらやるしかないけど」
キューブの右手に可視化できる白い魔力がどんどん集まる。
触れたらキューブ状になって即死。それが分かり、息が荒くなりそうになるも目を瞑り深呼吸する。
(今までだって散々死にかけたんだ。あの神社の時も。少しは耐えろ。あと数秒の辛抱で人形のリスウェルが作戦を伝え終わる。いや、それだけじゃ駄目だ。わざわざリスクを取ってまでここに立つ意味を警戒される。打って出なきゃ)
名無しは自分の事など眼中に入れないキューブの目をはっきり見て口を開く。
「じゃあ、私たちも一緒に地下に連れてって」
「……」
その言葉にキューブはようやく名無しの方を向いた。
それに合わせるよう僅かに足を一歩横に進めるが、輝きを持つ手が振り上げられること自体には動じない。
粒子状になった魔力が光を強め、キューブの手が名無しの胸元に近づく。
キューブの目がどんどん薄くなっていき、物理的な死が近づく中、名無しは絶対に何があっても目線は逸らさず相手の目を見続けた。
首元にひんやりとした人の手が触れる。
すると、白い魔力が辺りに散り消えた。
「そう。騙すつもりじゃないんだ」
「私は純粋にお願いをしてるだけ」
「………いいよ。連れて行ってあげる。争ってたら早く帰れないし」
地面に落っこちた片手に収まる立方体の瓦礫が白く輝き、地面を擦るように跡を作る。
キューブを中心に通路いっぱいの広さで地面に白い光の円が出来上がった。
「入りたければ入っていいよ」
「行こう。これが最短」
後ろの一柳たちは渋々名無しの言葉に従った。
各々が武器を持ち、円の中で小さな扇の形を取るように一行は配置取る。
リスウェルの安全は無視し、扇の外側等間隔の三点の内真ん中が一柳。両端を天翔、ルプスと名無し。
誰かを殺そうとすれば止められる距離で、なおかつ作戦の実行が不可能ではない配置を取った。
「そんな警戒しなくても何もしないって」
キューブは屈んで小石を拾う。
魔力が手のひらから小石に流れ、荒削りなゴツゴツとした石が削られ立方体に。
白く輝く物体となったそれをキューブはコマを回す動作で地面に叩きつける。
すると、物体は地面を擦りながらキューブ本人を取り囲む小さな円を刻んだ。
(小石を削った?物体をキューブに変形する能力じゃ、ない?)
足元の円が線で繋がると、アリの体長ぐらい小さく地面が分解。キューブ一人のみが穴に落下していく。
膝元が見えなくなるぐらいの高さ、正面に立つ一柳はキューブの背後にある小さな穴が目に入る。
「血の染み」
通路でただ一カ所赤が滲むその穴に一柳は釘付けになった。
瞬間、中心の円から亀裂が広がる。




