第二十八話「茜の作戦」
一階食堂にて。
炎弐とリスウェルは向かい合って座り、雑談と情報交換をしていた。方や業務、方や趣味嗜好に寄ってはいたが中々どうして会話は弾んでいた。
「お前酒は飲まねぇのか?」
陶器に注ぎ足すリスウェルを、そう言えば飲んでいる所を見た事がないと気付き炎弐は言う。
「メイドと言えば紅茶と相場は決まっております」
「確かに主に紅茶を淹れるのはメイドだよな」
「そ、そうでした!!私は何故紅茶ではなくお酒を………」
酒を入れるというメイドとはかけ離れたことをしていると、気づいたリスウェルは地に沈んだ気分になり、項垂れ手を床につく。
「俺は喜んでるし、お前は尽くせてうれしい。それでいいだろ」
「確かにそうですね」
さっきまでが嘘のように立ち直りは早く、リスウェルはすぐに宙に浮いて座る。それを見計らい炎弐はリスウェルに問い掛ける。
「お前にとっての敵ってのはなんだ?」
炎弐は陶器をリスウェルの目線にまで持っていく。水面が揺れギリギリまで入ったお酒が零れ落ちそうになる。
炎弐は陶器の奥にいるリスウェルの目線に合わせ、真剣な面持ちで聞いた。
「マイマスターの敵です」
予想していた返答通り、主の敵がリスウェルの敵だというリスウェルにとって当然の答えが返ってきた。
納得と安堵を感じ、炎弐は酒を飲む。
「ったく、おめえそれただの思考放棄だろ………。敵にはならないでくれよ」
「それはアリア様のご意思次第です」
「そりゃよかった」
以外にも相性が合う二人は会話が続いていた。
だが、永遠に続く平穏はないように事態は突然動き始める。
木の札が落ちる軽い音とともに。
二人の目の前に落ちる赤札。
それは外にいる時と同じ危険信号。撤退の合図の意味を持つそれを見て二人は緊張が高まる。何せ、これは拠点に敵が侵入した事を意味するからだ。
しかし、最前線帰りの経験を持つ二人はすぐに思考を切り替え動き出す。
「リスウェルは!!って分身かよ」
さっきまでいたはずのリスウェルの姿はなくなり、部屋に自分一人となる炎弐。
頭を掻き、行動の前に何をするか言っていないリスウェルに呆れるが炎弐もすぐに切り替える。
「まぁ、あいつは四階で人集めか」
分身の能力と本人の性格からそう推察し、以前の合図と変わらず札の数で一階から侵入された事を警告していると悟り、食堂を出る。
フードの裏側に無色透明の魔鉱石を忍ばせたのを確認し、深呼吸をする。
そして、
「行くか!!!」
正面大通路から神社の方へと炎弐は駆け出した。
狙いは通路から流れる霧の魔力の正体。
連れ人はリスウェルに任せるというのを暗黙の了解で炎弐は敵の主力との一対一を決めた。
「まったく……嘆かわしい限りです。理解されない恐怖はやがて畏怖を生み、さらに理解が遠のく。精霊種や地霊種のように。いや、それもある種の信仰心と言えるのでしょうか」
もう時間稼ぎは必要ない。
ただ、敵の言葉通り狐霊正殿堂が襲撃に合っている場合挟み撃ちになる可能性がある。
それに最悪茜達が全滅していた場合はもう逃げ場なんてない。
再生の魔力でアンカールの爪の傷を覆い、名無しは元通りに傷を治す。
「ありがとう」
アンカールの感謝に小さく頷く。
どうであれ、ラルとの合流が先決なのには変わらない。逃走手段がなければ逃げるのは名無し自身が足手まといで難しい。
「神へ魂を捧げることで世界は救われる。ああ、そのはずだ。空虚な王にさえなれば………」
「茜!!!」
ラルがばれている以上先手を取られるのは避けるべきだと名無しは考え、次の行動に打って出る。
名無しの合図と同時、大聖堂内に黒色の球体が数十は現れ浮かび移動し始める。
「これは」
メルメアスは自身の掌握した魔力が塗り替えられたのを感じとり予想外に目を見開き緋狐を見る。
当然だ。
謎の球体が何の前触れもなく現れ、ここら一帯のメルメアスの魔力制御が突如として一切が通じなくなったのだから。
球体が空中ある位置で止まり、チリンという何処からともなく聞こえる数十の鈴の音が大聖堂の外と中両方から大聖堂に響き渡る。
そして、同時大聖堂は突如として消失した。
なんの比喩でもなく文字通り壁や支柱が無くなり椅子と机までも消え大聖堂の敷地を取り囲む外壁以外辺りには何もなくなった。
屋根がなくなり、レインコートは雨を弾く音を発し床は雨で濡れ始める。
「おっと」
メルメアスは上を見上げ、声を出す。
これこそが茜の撤退案。
この街で死んだ魂を介した建物の位置替え。魂自体に魔力を与え現世に影響を持たせた後、遥か上空にある雲と建物の位置を数十の魂を用い入れ替えを行ったのだ。
デメリットは多い。
遠くにある魂を操作するのに細かな魔力操作を必要とすること。長時間の溜めがいること。魔力消費も馬鹿にならない。
だが、代償はそれだけではない。
能力行使に耐えきれなくなった魂は消失してしまうのだ。死んだ後どうなるのかは分からないが、もし輪廻転生の機会を無くしていたとしたら。
パリンと砕けいくつもの魂が目の前に本当の最後の命の灯火を持って消え失せる。
魂がその後どうなるかは推測でしかない。
だが残虐非道な能力を、単に便利という理由で使ってはならないその力を仲間を救うためと厭わず使うのはどれほど胸が痛むことかを名無しは理解していた。
それを分かっていながら自ら案を出した新城茜は全ての責任は自分が持つと言う。
だがそれは違うと名無しは主張する。
私達は共犯者だと。
作戦を理解し、さりとて止めない私達は責任がないとは言い切れるのだろうかと。
作戦に携わっている以上、少女らは傍観者ではない。
だから責任は皆のもので、仲間で背負うべきものだと名無しは意見を強く主張した。
「勇人」
情けない姿になるが緊急事態だから仕方ないと腹をくくり片手で、荷物のように名無しは脇に抱えられた。
建物四棟分メルメアスの後ろに味方三人を抱えたラルが地下から出てくるのが見える。ラルはすぐに獣魔化し三人を乗せた。
勇人は目線で正門から左方向に行くよう伝え、両者は走り出した。
この茜の作戦。
ラルが外に出やすくするためもあるが本当の狙いは別にあった。
「う〜わ、すご………」
語彙がなくなるほどの上空から落下する大聖堂だった無数の瓦礫。
全体的に白い建材が目立つそれらは重力に従い砕けて、メルメアスへと落ちてきていた。
あれが直撃すればただじゃ済まないだろう。
高望みかもしれないが死ぬ可能性だってある。
緋狐と勇人は全速力で走りラルと合流した。直撃すればただじゃ済まないのは名無し達も同じだった。
外壁を飛び越える手前で二人はラルの背中に乗った。
問題はここから逃げられるかどうか。
メルメアスは動かなかった。動じなかった。
まるで動く必要がないかのように。
誰もいなくなったその場所でメルメアスは憂いの目をし、水をこぼさないように持つ右手を見た。その手が何を意味しているかはメルメアスにとっては嫌でも理解していた。
そして、だからこそそれを覆すために少年は空から迫りくる大聖堂に押し潰される寸前呟く。
「あの子たちに今度は腹一杯ご飯を食べさせてあげよう」と。
心からの願いのように優しい温かい声で言う後悔と償いの言葉は誰にも届かず、逃げゆく名無しらを鋭く見つめメルメアスは瓦礫の下敷きになった。
つんざくような爆発音が名無しの耳を遠くした。
仮に動き攻撃してきたとしても、この距離なら対応出来るはず。そう思っていた。
メルメアスは生きていた。外傷はなく彼の周りは紫色の魔力の壁でせき止められ、触れた残骸が魔力の性質で消失していく。
メルメアスはその手に黒に限りなく近い紺色の表紙に逆三角形の模様が描かれた一冊の書を虚無から取り出しそして能力を行使した。
「不条理で壊れた世界は天への祈りに導かれ、願いは地へと堕ちる」
書物が指定された頁を開き呪文の言葉を発すると同時、凝縮された天を貫く紫色の魔力の円筒が瓦礫の山を消滅させた。
だがこれは前段階に過ぎない。
そう言わんばかりの光景が空にはあった。
上空、濃い霧の層によって両者ともに見ることが叶わないとてつもない大きさの紫色の魔法陣と複数の小さな補助魔法陣。もはや人が扱っているなど思わないそれらが宙に浮かぶ。
名無しは輪郭だけははっきりと見えた。
「何あれ………」
紫色の天の柱を見て名無しはその魔力量と密度に気圧された。
これほどの魔力を見たことがなかったからだ。
「おいおい、こんなん逃げるしかないやろ!!」
膨大な魔力と濃密な死のオーラを感じ取り、その場から逃げるようにラルは己の全力で駆け抜けた。
それも道通りに走るのではなく、緋狐による位置替えで住宅の壁をラルが通れる分だけ消去し、真っすぐ突き破り家の中と外を行ったり来たりしながら。
それでも、手に汗が握るほどの焦燥感を名無しは覚える。
皮膚が焼けるようなジリジリとした魔力がすぐそこまで迫り体感として伝わってくる。
どんな能力かは分からないがあれを喰らえばただでは済まないだろう。
「ッ!!緋狐、ラルの足場を!!」
天へ続く柱の方向から全方位にジグザクとした軌跡で紫の亀裂が広がる。
視界からではなく感じ取った魔力から感知し緋狐に指示を出した名無し。
その対応は正解だったと言えるかもしれない。
亀裂は建物や道路を一瞬で飲み込み、名無し達がさっきまでいた場所は空中に飛んだ頃にはもうすでに亀裂に飲み込まれ嫌な感覚が地面からした。
緋狐が反発の足場を空中に展開させ、ラルは空を駆け抜けた。
間一髪助かった。そんな安らかな安堵は一切無かった。
何故ならここまではただやばいと感覚が全身に伝わるのみ。メルメアスの能力はまだ発動していないのだから………。
円筒の中、何もない白い世界でメルメアスは自身が世界に相応しくないと知りながらその能力を行使する。
「崩壊の書第五章二節。災厄たる狂乱の悪魔よ!この願いを聞き届け崩壊の力を我が身に!!」
崩壊の書という名の魔導書を。
天への柱は黒色に、崩壊の亀裂は白色に街に光が灯る。それは救済あるいは解放か。願いは世界に聞き届けられ世界に奇跡をもたらす"魔術"が発動した。




