世の中にたえて君のなかりせば
季節外れのお話ですみません。
重そうに薄桃の花を抱える枝の向こうに、煌びやかな一団が見える。
中央に立つひときわ麗しい男は、吹き付ける風に乱れた髪をかき上げながら眩しい笑顔を放っていた。
私は即座に目を逸らし、そそくさと背を向けてベンチに腰掛ける。膝の上に残り物をつめたお弁当を広げ、ちまちまと口へ運んだ。
背後から聞こえる賑やかな声を聞きながら、常に視界に入ってくる忌々しい男のことを考えた。
千田桜介とは高校からの腐れ縁だ。偶然隣り合わせた席で、お互いが同じ漫画のガチヲタであることが判明したのである。
先の読めない物語展開とさりげなく散りばめられた伏線。魅力的なキャラ達。
秀逸な作品だったが、絵柄が前衛的過ぎるせいか世間の認知度は低かった。周りの友人たちの反応もイマイチで、孤独感を感じていた私は、同志の登場に舞い上がった。そうして甚だ強引に桜介と連絡先を交換し、間近に迫る最推しの生誕会開催の約束を取り付けたのである。
最初は及び腰だった桜介だが程なく意気投合し、それから性別を越えた友情を育んできた。
同級生たちが愛だ恋だと浮つく中で、二次元にひたすら傾倒する私たちを、周りは『チェリーズ』と呼んで揶揄った。私の苗字『佐倉』と桜介に共通するサクラに、俗な意味を被せたのである。
だが、私たちはブレなかった。どんなに馬鹿にされようとも、半ば意地になりヲタ活を貫き青春を捧げた。
しかしながら、密かにリアルの充実を諦められずにいた桜介と私は、大学進学を機にイメチェンを決意する。
イケてる昨今の若者の生態を徹底的に研究し、バイトで貯めた資金で衣服や化粧、装飾品を購入。異性好みの外見になるようお互いをプロデュースした。
それが見事大当たりし、私と桜介は華々しい大学デビューを果たしたのである。
しかし、あれよあれよという間に水をあけられた。
外見を盛っただけの私と違い、桜介は元々整った容姿を持っていた上に努力を重ね、誰もが振り向くイケメンに成長してしまった。
野暮ったい眼鏡を鬱陶しい前髪で覆い猫背で廊下の端を歩いていた少年は、いまやモデルばりの青年に変貌を遂げた。
ベージュカラーの髪にスパイラルパーマをかけ長身の身体に流行りの服を纏い、キャンパスを颯爽と歩く。
ビリヤードやダーツなどの遊びを楽しむラグジュアリーなサークルに入り、夜な夜な繁華街を闊歩しているらしい。
かつて同士だった男は、私の劣等感を擽るだけの存在になってしまった。
風に煽られてくしゃくしゃになった髪を手櫛でかき集め、ゴムで一つに結んだ。久しぶりに巻いた髪もこれでは台無しだ。
思わず出そうになったため息を、水筒の水で流し込む。
見た目はいくらかマシになったものの人見知りのする性格は早々直るものではなく、私の大学での交友関係は地味なものだ。派手な人種が集うサークルには怖くて近寄れず、結局はバイトと学業の往復である。研究室には所属しているが、メンバーは飾り気のない、悪く言えばダサい面々でインドア派が多数。しかし、落ち着く。
気が付けば、何も変わっちゃいない。
所詮、自分はこちら側の人間なのだと思い知った。
大学入学後しばらくは桜介とチャットで話したりもしたが、お互いの生活のタイミングが合わず徐々に回数が減り、今ではほぼ連絡が途絶えている。
桜介は元々自ら誘うタイプじゃない。彼との関係は、私のこまめな連絡により成り立っていたのだ。
もしかしたら、ずっと無理して合わせていただけなのかもしれない、強引な私を本当は疎ましく感じていたんじゃないかと今更思い当たり、自己嫌悪に苛まれた。
それでも、高校時代の長い時間を共に過ごしたことは事実だ。お互いの家を行き来し、家族とも顔見知りになるほどには親密だった。
桜介のことを誰より理解していると思っていたし、あの心地よい関係がずっと続くものだと信じて疑わなかったのだ。
親友だと思っていた存在に、置いていかれるのは辛い。
まさか、二人の友情がこんなに脆くも崩れ去るものだとは。
私は空になった弁当箱に蓋をし、ベンチの脇に立つ染井吉野の大木を見上げる。都会ではすでに散ってしまったらしい桜も、北に位置するここの土地では四月中旬の今が満開だ。大学構内に数十本植えられているという花木の下は、花見を楽しむ学生で賑わう。しかし、そんな陽気な人々の姿でさえ、私には疎ましい。
春を謳歌できない陰気な自分が情けない。
ちらほらと舞い落ちる花弁が、泣きたい私の気持ちを代弁しているようだった。
桜介の姿をなるべく見ないよう、私は視界を狭めた。講義はなるべく前の席に座り、彼の仲間の立てる甲高い声を背中に浴びながらそそくさと退出する。廊下の先に見つけたならば、さりげなく方向転換し、避けようがないときは隣の友人と話し込むふりをした。
涙ぐましくも無駄な努力である。
私は弱虫で無様だ。
桜介がもう自分とは違う階層の人間だと認めてしまえばいいのに、できないでいる。
まだ彼の中に自分が残っていると淡い期待を抱きつつも、怖くて確かめることができない。
冷たくあしらわれ、打ちのめされるのが怖かった。
イケてる彼の友人たちに嘲笑を含んだ表情で見下される場面を想像し、恐怖に身が竦んだ。
私のバイト先はアパート近くの商店街にある小さな蕎麦屋である。カウンター席とテーブル席が三つというこじんまりと庶民的な雰囲気の店舗だが、蕎麦は絶品だ。紅しょうがの入ったかき揚げが乗った狸蕎麦が名物である。
蕎麦が好きだという桜介をいつか招待したかったのだが、叶いそうもない。
高校時代、家族が留守がちな桜介のマンションに入りびたり、ひたすらヲタ活に勤しんだ。お互いの得意な教科を教え合い、受験も共に乗り越えた。
ともかく、三日と置かずに一緒にいたのである。
休日、桜介の家へ向かう道すがらコンビニに寄り、場所代としての昼食を買う。桜介がリクエストするのは、カップ蕎麦と明太子のおにぎり三個。それが定番だった。
「あっさりとこってりの絡み具合が絶妙。昆布とカツオのダシが旨い。水筒に入れて持ち歩きたい」
眼鏡を曇らせながら蕎麦をすするじじむさい同級生に、毎回笑った。つんつるてんの中学のジャージを部屋着にし、長い前髪を目玉クリップで留めて寛ぐ桜介の傍は居心地がよく、飾らずにいられた。
地味でダサいと評されていた同級生は、意外にも饒舌で優しい気づかいができる男前だった。
桜介の良さを知っているのは、自分だけだと思っていたのに。
ここの狸蕎麦を食べたなら、桜介は眼鏡の向こうにある二重の瞳を瞬き、少し口を尖らせながら嬉しそうに笑うだろう。喉を鳴らして汁を飲み干したなら、ティッシュを鷲摑みして鼻と口を豪快に拭い、両手を叩き合わせて「ごちそうさま――した!」と言うのだ。
想像の中の桜介は、いまだに高校の時の姿のままだ。
いつまでもあの頃に戻りたいと願ってしまう自分に呆れる。
イメチェンを提案したのは自分だというのに、なんというわがままだろう。
私は客の去った後のテーブルを片付ける。跳ねた汁を布巾で拭き取りお盆に乗せた。
桜介の存在を自分の中から拭い去らない限り、前へは進めない。
私は決意した。未練がましく残してあった桜介の連絡先を削除しよう。
引き戸を開けて入ってきた常連に笑顔で応じ注文を聞くと、私は狭い店の中で声を張り上げた。
「ざるそば一枚!」
スマホにあった連絡先を削除した結果、私の心は幾ばくか軽くなった。
来るはずのない連絡を期待する必要がなくなり、ホッとしたのである。
今まで通り極力接点を持たないようにすれば、桜介の痕跡は徐々に薄くなり気にも留まらないようになるだろう。
――そう思っていたのだが。
翌週、意気揚々と向かったキャンパスで妙な違和感を覚えた。
あの、見たくなくとも目の端に入ってきてしまう映像が、聞きたくなくても耳に入りこんでくる声が、ぱったりとなくなったのだ。
残像残響さえ感知しない。
私は、桜介がいつも一緒にいるグループを遠くから観察した。
相変わらず派手なその一団の中に、ベージュカラーの頭は見当たらなかった。
……風邪でもひいたのかもしれない。
そう、一昨日は花冷えのする日だった。商店街の出口にある桜が、冷えた空気の中でじっと咲き誇っていた。バイト帰りの私は、自分の吐いた白い息越しにそれを見上げ、コートの襟を掻き寄せた。
学校はつまらないと零しながら皆勤賞を誇っていた桜介だが、調子に乗って薄着をし、体調を崩すことがまれにあった。春の陽気につられて上着を着ずに出歩いたのかもしれない。
私はスマホを取り出そうとして、直ぐに思い直す。桜介の連絡先を先週末に削除したことを思いだしたのだ。
それに、一年以上連絡を取り合っていない人間からいきなり連絡がきたところで、桜介は戸惑うだけだろう。そうして、返信がなければ、私はきっと海より深く落ち込むのだ。
危険を回避できたことに安堵し、私は週末に下した英断を自ら讃えた。
「桜介くんまだ休んでるの? 長いね。今日で四日じゃない?」
講義後のざわめいた教室の中、私の耳が『桜介』の名前を聞きとめる。後ろの席で桜介の友人たちが集まって話しているようだ。
「おう、どうやら風邪をこじらせて入院してたらしいぜ」
私は動揺し、手に持っていたペンを弾き飛ばす。床に落ちたそれを拾いながら、話の続きに耳を澄ました。
「マジで?!」
「今はアパートに戻ってるみたいだけど」
「ええ、心配だね……舞花、お見舞いに行ってこれば?」
唆された女子が、拗ねた口調で返す。
「だってぇ、桜介くんのアパート知らないんだもん。誰も教えてもらってないよね?」
途端に鼓動が跳ねた。
「俺も知らねえ。千田って誰も家に入れたがらないんだよな」
サークルに登録されているんじゃないかと誰かが言えば、開示されていないと誰かが答えた。チャラく見えるが、個人情報の管理はしっかりされている組織のようだ。
「来週からは出てこられるってさ」
ええ、週末のダーツ会、桜介くん出場しないんだぁ、つまんないぃ
甘えた女子の声を聞きながら、私は記憶を手繰り寄せていた。
桜介のアパートを私は知っている。
私の住まいから一駅離れた場所にあったはず。焼き鳥屋の角を曲がって、少し行ったところに配管工事の会社があって、その横の細い路地を行って階段を上がるのだ。
鮮明に覚えているのは、引っ越しを手伝う際に何度も往復したからだ。
私は肩に掛けたトートバックの持ち手を握りしめる。
「のりちゃん、どうしたの? 怖い顔して」
隣に座る友人が顔を覗き込んだ。
「あの、あのさ、今日研究室行かなくっていいかな?」
「別にいいんじゃない? たまには。教授もほとんど顔出さないんだし。先輩に言っとくよ。何? お腹でも痛いの?」
「この勢いに乗らなきゃ、二度とチャンスは来ない気がするんだよね」
「あ、便秘? そうだね、便意が来た時に行った方がいいよ」
「いつまでもこんなもの抱えていてもしょうがないもんね」
「そうだよ。出すものは出さないと! お肌も荒れちゃうしね」
「よっしゃ! 気合い入れて行ってくる!」
私はすっくと立ち上がった。友人は頷きながら小さく手を振る。
「頑張ってね。あんまり力みすぎたら切れちゃうからほどほどにね」
「わかった。どっさり出してすっきりしてくるよ!」
私はガッツポーズで応えると、教室の外へ駆け出した。
――桜介はもう自分とは住む世界が違う人間なんだから。
そう何度も自分に言い聞かせた。けれど、どうしても割り切れなかった。
心からそう思えるようになるには、きっと長い時間を要するだろうことがわかっていた。
少しばかり見栄えが良くなったからと勇んで参加したコンパでも、桜介ほど話の合う男子はいなかった。無理して笑い、媚びを売る自分が気持ち悪くて、嫌気がさした。距離を詰められるとのけ反って、触れられるとゾッとした。
その度に桜介のことが頭に浮かぶ。ぼさぼさだが柔らかい髪の感触や、意外に大きな手や、やんちゃな八重歯が恋しくなるのだ。
友人だった頃には感じなかった切ない想いが胸を焦がす。
連絡先を削除しても、消せない。
私の五感は桜介を感知してしまう。
その姿を、声を、どうしても追ってしまうのだ。
まるで、満開に咲き誇る桜のように。
桜介の存在は私を魅了して止まない。
ずっと傍で咲いていてほしいと願ってしまう。
私は駆けながら、キッと前を向く。
――だったら、木っ端みじんに砕け散ろう。
この胸に芽生えた淡い期待ごと、ばっさり切り捨ててくれたらいい。
いつまでも過去にしがみつく鈍臭い女を、迷惑そうに見下してくれればいい。
そうすれば、諦めがつく。
薄情なかつての友人に散々文句を零しながら、干からびるまで泣いてやる。
そうすればきっと、この鬱屈したウンコみたいな思いを、漸く手放すことができる。
正門に続く通路には、桜の花びらが降り注いでいた。
ひらひらと壮絶に美しい光景の中、私は走る。
未練を断ち切るために傷を負うと決めた私の衝動を、
煽るように桜は舞っていた。
駅を出て、桜介の暮らす街へ着いた。花曇りにもかかわらず、私の身体は発熱したように熱い。カーディガンの袖をたくし上げ、纏わりつくロング丈のプリーツスカートを片手で引き上げた。
10mほど先にコンビニの看板を見つけ、財布を取り出して小銭を数える。自動ドアをすり抜けてコピー機の前に立つと、ノートを開き原稿台のガラスに押し付けた。桜介の友人が準備しているに違いないし、盛大に字も行も乱れている代物だが、この際どうでもいい。
逸る気持ちのまま来てしまったが、口実は欲しかった。
なんといっても相手は病人だ。門前払いを食らう可能性もある。それならそれで、私が訪れたという痕跡を残したい。とにかく桜介と対峙しなければ。
コピー機の規則的な機械音を聞いていると、恐怖がじわりと湧き上がってきた。プリントされた紙を取る指先が震えている。
私はもつれる指で紙をクリアファイルに挟み、それを片手に持ったままコンビニを出た。
作業を着た中年の男性が二人、大声で話している。私はその前を通り、角を曲がった。配管会社のトタン壁と小さな緑地に挟まれた細い路地の突き当りに、コンクリートの階段が見える。
私は目地に草の生えた石畳を踏みしめた。
そうして、さび付いた手すりをいぶかしげに見るいつかの横顔を思い出す。
「見て佐倉さん、やばくね、これ」
「お役所に言えば?」
「ここ私道なんだってさ。あ、錆がつくから服が触んないように気を付けて」
「なんでこんな不便な場所のアパートにしたのよ」
「格安だったんだって。でも見晴らしはいいよ」
階段を上ったところには同じような錆びた手すりで囲まれたちょっとしたスペースがあり、スツール代わりと思われる石が二つ、ひび割れたコンクリートに埋め込まれていた。
桜介は抱えた段ボールを地面に下ろし、下方を指さす。
「ほら、川が見えるでしょ。堤防に桜が植えられてて、もう少ししたら花見で結構人が集まるらしいよ」
「へえ」
「アパートのベランダからも見えるよ、佐倉さん」
首に掛けたタオルで汗を拭いながら、桜介は眼鏡の向こうの瞳を細めた。
私は後方を振り返る。灰青色の川に被るように桃色のレースがかかる。
結局、桜介の部屋から桜を見ることは叶わなかったが、私は今こうしてひとり、あの時思い浮かべた光景を目にしている。
切なく胸が締め付けられた。
二人の距離がこんなに離れてしまうなんて思いもしていなかった頃。
桜介の存在が、自分にとってどれほど大切なのかもわかっていなかった。
もう二度と話せなくてもいい。
でも、せめて感謝は伝えたい。
君のおかげで過ごせた、宝物のような日々をありがとう。
苦しいけれど、恋する気持ちを教えてくれてありがとう。
うまく言える自信なんてまったくないけれど。
高台には住宅街があり、桜介の住むアパートはその一番手前だ。モスグリーンの壁に茶色の屋根、窓の桟と玄関ドアは白というアメリカンスタイルだ。二階建てで合計8室というこじんまりとした造りのそれは、築三年というからまだ真新しい。
こんな不便な場所にどうやって建築したのか、その工法を話題に盛り上がったのも、今では遠い昔のことのようだ。
桜介の部屋は確か二階の奥から二番目……私は階段の上り口に回り込む。胸の鼓動を落ち着けながら上りきり、二階の共同通路に足を踏み出した。
その時、目当ての扉を開けて姿を現した人物があった。
明らかに女性の風貌のそれに、呼吸が止まる。
この展開は予想していなかった。
そうだ、桜介に部屋を訪れる女性がいたとして、何らおかしいことはない。
むしろ、彼女の一人や二人いて当然だ。
私は咄嗟に後ろ足を引き、回れ右をした。
「あらっ、のりちゃんじゃない?」
愛称を呼ばれたことに驚き振り返れば、長身の女性がこちらを向いて手を振っている。
「やだ、久しぶりい。もしかして、桜介のお見舞いに来てくれた?」
よく見れば、見覚えがある。桜介の母だ。
「お、お久しぶりです」
「まあまあまあ、綺麗になっちゃって! やっぱりいいわね女の子は」
彼女は私に走り寄り、手を引く。
「桜介を呼ぶからおいで」
若々しい彼女の茶色の巻き毛からいい匂いが香った。どこか懐かしいその香りに、足が緩む。
「……あの、その、桜介くんの具合は?」
「もうすっかりいいのよ。風邪気味のところに賞味期限の切れたお惣菜を食べたらしくって胃腸炎を併発してね。ちょっと点滴を打っただけ」
片手で鍵穴に鍵を差し込み、ノブを引く若々しい横顔を見つめながら、私はどっと冷や汗をかく。彼女のテンションの高さに気圧されて、さっきまでの勇気がみるみるうちに萎んでいく。
「あの、おばさん、やっぱり日を改め……」
「桜介! のりちゃんが来てくれた! のりちゃんだよ!」
扉の隙間から桜介が問い返す声が聞こえた。私はがっちりと掴まれた手首に目を落とし、もはや逃げられないと覚悟する。
しかし、どたどたと慌ただしい音が鳴るばかりで、部屋の主は現れない。
「何してんのかしらあの子。いつまで経っても鈍臭いわ、ねえ」
「……でも、桜介くんすっかり洗練されて、大学でも女の子に囲まれてますよ。友達もたくさんできたみたいだし」
「そうなの? その割には大学のお友達の話を聞かないけど。外見だけ繕っても所詮陰キャなんだってお兄ちゃんにからかわれても黙ってたわよ」
「お、奥ゆかしいんですよ」
おばさんはぷっと噴き出した。
「ははっ、そんな風に言ってくれるの、のりちゃんぐらいよ。まだ仲良くしてくれてたみたいで安心したわ。てっきり見放されたのかって心配してたの。だってあの子ったら……」
「おかあちゃん、佐倉さんはっ?」
扉から飛び出してきた人物は、こちらに目を向けるとすっと姿勢を正し、髪を撫でつけながら会釈した。私はぐっと息を呑み、それに応えて首を上下する。
桜介はライトグレーのコーチジャケットを羽織り、ワインチェックのワイドパンツを身に着けていた。部屋着というにはやたらと小綺麗である。
「あら? あんたどうして着替えたの?」
「うるせえな、さっきのは洗濯したんだよ」
「は? 今朝おろしたばかりじゃないの」
「なんか……零したんだよ」
「ええ? なにを零したのよ、あんたって子はほんとにもう!」
部屋に入ろうとする母親を、桜介が肩を押して遠ざける。
「いいから。自分でやるから。母ちゃん帰っていいよ」
おばさんは桜介を見上げた後にちらりとこちらに視線を寄こした。そして、なにかを察したように小さく頷くと、歩き出す。
「あ、はーい。帰ります。じゃあね、のりちゃん。また家にも遊びに来てね」
そう言ってそそくさと脇を通り抜けていった。
途端に心細くなった私はその姿を目で追う。
「佐倉さん、えっと、中入る?」
私は鞄の持ち手を握りしめながらぎこちなく振り向いた。
「身体の方は大丈夫なの? 入院したって聞いてそれで……」
「うん。中入る?」
「あ、あのさ、ずっと休んでるから、ノートのコピー持ってきたんだけど」
私はクリアファイルを差し出す。しかし、桜介はそれを取ろうとせず、扉を大きく開いて部屋の中を指さした。
「あ、わざわざありがとう。中入る?」
微妙に会話がかみ合っていないが、どうやら部屋に入ってほしいようだ。
玄関で事を済まそうと考えていた私は戸惑うが、ここまで言われては断るのも気が引ける。
「あ、はい。じゃあ、お邪魔します」
桜介は玄関で靴を脱ぐ私を見守ると、扉を閉めた。
「まっすぐ行っていいよ」
私はおずおずと前へ進むと、グレーのラグが敷かれた部屋へ足を踏み入れる。
引っ越しの際に目にしてはいるが、あの時の様子とはずいぶん違う。家具や家電が配置され、カーテンも取り付けられている。所々に無造作に置かれた服やらペットボトルが生活感を放っていた。
「そこ座って」
桜介の言葉に従い、テーブルの傍に腰を下ろす。
「なんか飲む? 水とスポーツ飲料と緑茶があるよ。緑茶は水出しのだけど」
「持ってるからいいよ。お構いなく」
キッチンスペースから戻った桜介が、テーブルの向かいに座った。しかし、身体を横に向けてこちらを見ない。横顔を見せたまま、桜介はしゃべり出した。
「やんなるよ。新学期が始まった途端これだもんな。単位どうしよう」
「まだ取り返せる範囲じゃないかな。まだ始まっていない講義もあるし」
私は手に持っていたクリアファイルをテーブルに置く。
「一教科だけだからあんまり役に立たないかもだけど。一応必修だし……と思って」
「ありがとう」
桜介はクリアファイルを手に取り、中を覗いた。
「佐倉さんの字だね」
「そりゃあ……私が書いたやつのコピーだから」
「……」
沈黙が訪れ、桜介は唐突に目を押さえた。
「ちょっと、コンタクト外していいかな。急いで入れたから変な風になっちゃってる」
「どうぞ」
洗面所に向かっていく桜介の後ろ姿を見ながら、ちょっと太ったかな、と思う。ゆったりとした服を着てはいるが身が詰まっているように感じた。胃腸炎で療養していたはずなのに却って太るなんてことがあるのだろうかと首を傾げる。
しかしまあ、驚くほど普通だ。
私は肩から力を抜き、背後にあるベッドに靠れた。
予想が外れて桜介は私を拒否しなかった。それどころか部屋の中に招き入れてさえくれた。
こんなことなら躊躇せず、さっさと連絡を取ればよかった。
安堵すると同時にどっと疲れが襲ってきて私は長い息を吐く。
そして、改めて部屋を見回した。
多少物はあるが、部屋はきれいに掃除され整頓されていた。家具も同じダークブラウンの色で統一され、白い壁紙には貼り物が一切ない。
好きなアニメのキャラクターやフィギュアで溢れかえっていたかつての部屋とはだいぶ違う。
そのことに一抹の寂しさを感じながら、私は窓の外に目を移す。レースのカーテン越しに、どんよりとした空が見えた。
やがて戻ってきた桜介は、眼鏡をかけていた。高校当時に愛用していたものだ。心なしか顔が赤い。額を拭いながら、熱いね、と言う。
「熱が出てきたのかな? 寝た方がいいんじゃない?」
腰を浮かせる私を手で制し、桜介は首を振る。
「それはない。もうほぼ通常に戻ってるから。大事を取って休んでるだけ」
「エアコンの温度を下げれば? 私は寒くないし」
「いい。佐倉さんが風邪を引いたら困る」
「じゃあ、上着を脱いだら?」
桜介は無言になり、うろうろと彷徨った。私は困惑し、ただ桜介の動向を見守る。
やがて、桜介は動きを止めると、決心したように上着のボタンを外し始めた。ぶつぶつと「ああ、こんなはずじゃなかったのに……」と呟いている。
桜介は、やけくそといった勢いでコーチジャケットを脱ぎ去った。すかさずパンツにも手をかけ、一気に下ろす。
あまりの狼藉に顔を覆いそうになったが、ワイドパンツの下から現れたものが目に入り、固まった。
慣れ親しんだ紺色の布地のそれは、高校の体操着だった。
上に視線を向ければ、胸のあたりにとぼけた鳩をモチーフにした校章があり、その真下には白い糸で『千田』と刺繍されている。
唖然と見上げる私を見下ろし、桜介は気まずげに頭を掻いた。
「相変わらず部屋着にしてるんだ。体操着」
「中学んときのはさすがに捨てたよ。丈が短かったし」
「ははっ」
「笑わないでよ。はああっ、もうっ、台無し!」
桜介はどかりと床に腰を下ろすと、頭を抱える。
「佐倉さんがいきなり来るから! 予習は完ぺきだったのに!」
「予習? ……何の?」
「……及第点をもらうための」
はて?
私は首を傾げる。私が桜介の何を採点するというのだろう。
桜介は前髪を摘み、唇を突き出した。
「ほら、この髪もさ。やっと伸びたからパーマをかけたんだよ。佐倉さん気付いてくれてたよね?」
私は無言で眉を寄せた。桜介は焦れたように言う。
「『テンズツ』の御堂だよ!」
私はポカンと口を開け、桜介を見返した。
「えっ、佐倉さんの推しでしょ? 天界カレッジ編で中級天使に昇格して髪を切ったじゃん! ラヴィアンローズの御堂だよ! え? まさか推し変? そんなわけないよね?」
「あっ、へえ、髪切ったんだ、そうなんだ、知らなかった」
「えええつ! まさか新シリーズ読んでないの? 紙はともかく電子も追ってないの?!」
桜介は信じられないという風で、首を左右に振る。
「嘘だろ。リアタイしてないなんて、佐倉さん、まさか本当に卒業しちゃったの?」
「いや……その、そういえば忙しくって最近追ってなかった、なー」
ちなみに『テンズツ』とは、漫画『天使に頭突き』の通称だ。
天使にスカウトされた人間の若者たちが悪魔と戦いながら友情と愛を育むバトル漫画である。高校時代、私と桜介が夢中になって追っていた作品だ。
桜介との連絡が途絶えてからは、意識的に遠ざけていた。
「マジか……なんだよ、これまでの俺の努力はなんだったんだ?! 全然報われないじゃん」
桜介はがばりと顔を上げる。
「俺、御堂の必殺技をマスターするためにサークルまで入ったのに!」
「御堂が投げるのはダーツじゃなくて薔薇の花だよ」
「知ってるよ! でもっ薔薇の花を投げるサークルなんてないじゃん!」
――その通りだ。
「一応華道部も覗いたけど、花材は投げないし、女子ばっかりで怖いから止めた」
桜介はじとっと恨めしそうに私を見ると、膝を抱えて顔を埋めた。
「やっぱり……そうだったのか。もしやと思ったけど。佐倉さんはもう俺の知ってる佐倉さんじゃなくなっちゃったんだね。俺なんかとつるむのが嫌になったんだ」
「そっ、そんなことないよ」
私は身を乗り出し、テーブルの向こうでいじける桜介に訴える。
「おうちゃんみたいな人は大学にだっていないもん! 私はおうちゃんと一緒にいたかったよ。ずっとそう思って……た」
桜介は再び顔を上げ、こちらを凝視した。その強い視線に怯み、語尾が小さくなる。
「じゃあ、なんで連絡くれなかったの。学内でだってずっと俺のこと避けてたよね? 視線も合わせてくれなかった。もしかして嫌われたんじゃないかって本気で悩んだんだよ、俺」
私は身体を戻し、縮こまった。
桜介がそんな風に悩んでいたなんて、思いもよらなかった。
いわゆるカースト上位グループに所属している桜介の傍には、常に綺麗な女子がいたし、上級生の女子からも人気があると聞いてもいた。冴えないかつての同級生など記憶の彼方へと押しやり、ウハウハで大学生活を満喫していると思っていたのだ。
「考えても嫌われる理由が思いつかないし、ヲタ活なんかに興味をなくしてリア充に走ったのかとも考えたけど、どこのサークルのコンパでも見かけないし」
「あ、まあ、地味に生活してたよ。うん」
「彼氏ができたのかと探ってみたけど、それらしき影は見当たらないし」
「面目ない」
私は俯いた。イメチェンをけしかけたのは私なのに、まったく成果を上げていない。
「謝る理由はないでしょ!」
桜介は掌でテーブルを叩いた。私は正座をしたまま飛び跳ねる。
「だから! 俺は、『実写版御堂』を目指したんじゃん! さすがに佐倉さんも無視できないでしょ、リアコしてたくらいなんだから!」
私はおそるおそる視線を上げる。
テーブルの上で拳を握る彼の表情は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えない。
「えっと……本気で言ってる、んだよね?」
「当たり前だよ。俺さ、美容院に御堂の切り抜きを持って行ったんだよ? これと同じにしてくださいって。御堂の来ている服と同じなのをネットで探して徹夜したし、痛いの嫌いだけど頑張ってピアスも開けた!」
私は改めて桜介を観察した。なるほど両耳には合計三つのピアス穴が開いている。そういえばどことなく御堂に似てなくもない。とはいえ、私の知っている御堂はリッジパーマの長髪、白い学生服の胸ポケットには一輪の赤い薔薇。ちょっぴり天然でアンニュイな王子キャラである。
「大学に進級してからちょっとチャラくなったんだよ御堂は。キャラが変わり過ぎだって一部で騒がれていたみたいだけど、俺は許容範囲内だと思う。そもそも御堂の母親はデザイナーズブランドの経営者って設定だし、息子を広告塔にしようという傾向は白菊ハイスクール編でも見られた」
「確かに。御堂登場回で、ママのブランド服の専属のモデルをしていると言っていたね」
「白菊学園のパンフレットでもモデルを務めている。あそこの制服は御堂ママがプロデュースしたものだ」
「ちょっと待って! あの美貌と天然タラシ発言にチャラさが加わったら無双じゃん! やばっ!」
桜介は曲げた指の節で眼鏡を引き上げる。
「ヤバいんだよ、佐倉さん。なんでも女子ファンが三倍増らしい」
「ええっ、ねえ、おうちゃんちょっとやってみてよ。新生御堂は履修済みなんでしょ? 見たいぃぃぃ」
「……仕方ないな、着替えてくるから待ってて」
それから桜介は御堂のお気に入りスタイルだというファッションに身を包んで現れた。素肌にオーバーサイズのカーディガン、ワイドパンツ、ともに真っ白という斬新な組み合わせだが、コンタクトを外し髪型もばっちりと整えた桜介に不思議と似合う。胸元に揺れるゴールドのネックレスとクロスダングルのピアスはメッキの安物だというが、雰囲気は出ている。そして、手には百均で買ったという造花のバラを掲げていた。
「きゃああ! おうちゃんかっこいい! 御堂っぽいよ!」
私は鞄からスマホを取り出し、構える。
「おうちゃん御堂立ちして! 斜め45度でバラを口元に、視線は斜め下。そうそういいよぉ!」
連射するシャッター音が私の発する黄色い声と共に部屋に鳴り響く。桜介は私に請われるままポーズを作りセリフを口にし、御堂になりきる。私はスマホを掲げながら部屋を移動し、あらゆる角度から推しを撮影する。ソファの背もたれに足を掛けて伸び上がりつむじを激写、ラグの上に仰向けになり下からのアングルで激写。
異様な熱気が二人を包んでいた。
やがて、ぜいはあと浅い息をして、私たちは倒れ込んだ。
私はラグに足を投げ出しソファーの座面に靠れ、桜介は床に両肘をついてうつ伏せる。
「や、やばい……興奮しすぎて酸欠」
「喉乾いた……熱い」
私はのろのろと上半身を起こし、今更ながら桜介を気遣った。
「ごめん、病み上がりなのに無理言って。飲み物用意してくるよ」
「だ、大丈夫。自分でできるよ。佐倉さんの分も用意するから、そこにいて」
桜介はよろよろと立ち上がり、そばのチェアに掴まる。私もテーブルに掴まりながら重い身体を持ち上げた。
「ううん。今日はこれで帰るよ。これ以上付き合わせたら風邪がぶり返しちゃう。お見舞いに来たはずなのに疲れさせて申し訳ない。ゆっくり療養して」
「えっ、まだいいじゃん」
「暗くなる前に帰るよ。久しぶりにおうちゃんと話せて楽しかった。また遊ぼうね。新シリーズ履修しておくよ」
私は心地よい疲れを味わいながら扉へと向かう。自分がまだ桜介の友人ポジションであることに満足し、告白して玉砕するという当初の目的など頭の中から消し飛んでいた。
しかし、桜介が背後からドタドタと駆け寄ってくる。
「ちょっと待ってよ、佐倉さん、待って。読むならここで読めばいいじゃん。Wi-Fi完備だよ、ここ」
「私のアパートも使えるよ」
「帰らないで」
桜介は私の腕を掴み振り向かせると、そのまま肩を掴み壁に押し付けた。
唖然とする私の両側の壁に音を鳴らして手をつき、至近距離で見下ろす。
所謂、壁をドンと叩くアレ、壁ドンである。
「ファンサかな? ありがとう」
「ファンサじゃないよ。だって、佐倉さんの推しは御堂でしょ」
「だって、今、おうちゃんは御堂でしょ?」
「佐倉さんに帰ってほしくないって思ってるのは俺だよ」
私は何と言って返せばよいかわからず、窺うように桜介を見た。桜介は眉間に皺を寄せながら告げる。
「こんなに楽しいのは久しぶりなんだ。無理してパリピな連中と付き合ってみたけど、全然楽しくなかった。あの人たちが話す内容の半分もいまだに理解できない。女子はやたらめったらグイグイ来て怖いし」
「馴染んでいるように見えたけどな」
「ぼろを出さないように必死だったんだよ。でももう限界! もう元に戻りたい。佐倉さんと一緒がいい」
「おうちゃん……」
私は込み上げる涙をこらえ、唇を噛む。
パリピになるよう唆したつもりはないし、桜介が極端に捉えて暴走した感もなくはないが、苦しい思いをさせた原因は私にある。コスプレならまだしも、始終偽りの姿でいなければならない環境は、さぞストレスがたまったことだろう。
そしてなにより、共にいたいと望んでくれることに感動していた。
「わかった。週明けから一緒に登校しよう。駅で待ち合わせして」
「うん」
桜介は顔を輝かせ、大きく頷いた。
「……私もさ、最初はコンパとか出てみたんだけど、声をかけてくる男の人がみんな怖くってさ。挫折しちゃったんだ。おうちゃんと一緒にいたかったけど、おうちゃんってば凄くカッコよくなっちゃったから声をかけづらくって」
「そうなの?!」
「もう相手にされないかなーと思って、遠くから眺めるにとどめておいたというか」
私はもじもじと両手を握り合わせ、俯いた。
「それって……」
ふいに気配が近づき顔を上げれば、目の前に桜介の顔が迫っていた。
為す術もなく固まる私の唇に花弁のようにふわりと何かが触れ、そっと離れる。
長い睫を伏せ、頬を桜色に染めてはにかむ顔を見つめながら、私はぼそりと呟いた。
「……ファンサが過ぎるでしょ」
「それってさ、……俺が佐倉さんの推しってこと?」
上目づかいで訊ねる推しのご尊顔を拝みながら、私は放心しながらも小刻みに頷く。
彼は満開の笑顔を見せ、よっしゃああとガッツポーズを作った。
「ついに、やったぞ――――!!」
いつから私をそういう対象として見ていたかはわからない、と桜介は言った。
「けど、何かをするとき、先のことを考えたとき、そばにいてほしいのは佐倉さんだった」
そのうち、推しを見る、あの熱っぽい視線を、自分に向けてほしいと願うようになったという。
私たちは蜜のように蕩けた視線を交わす。
それでも気恥しさは拭えずに、とりあえず明後日に再会の約束をして、私は桜介の部屋を去った。
名残惜し気に見送る桜介の視線がこそばゆい。
コンクリートの階段を浮つく足でゆっくりと下る。
胸の中で騒ぎ暴れる感情を落ち着けるため、途中で止まって深呼吸をした。
足元を見れば、階段の踏面に小さな桜色の花びらが数枚落ちている。来た時より少し強くなった風が、河川敷の桜の花びらをここまで運んだのだろう。
私はそれを拾い上げ、鞄から取り出したA5判のクリアファイルに挟んだ。
傾き始めた太陽にかざし、口元を緩ませながら鞄に仕舞う。
そっと振り仰げば、アパートの通路から桜介が身を乗り出していた。
私が大きく手を振ると、桜介も振り返す。
踊り出したくなるほどの高揚を味わいながら、私は再び階段を下り始めた。
恋はすなわち花のようなものだと思う。
知らぬうちに蕾が膨らんでいくことに焦り、手にすることが叶わぬ切なさに身を焦がしても、花開くことは止められない。
その人のことを想い、私の中にまた花が開く。
その人の胸にも満開の花があればいいと思う。
永遠に美しく咲き続ければいいと願うのだ。
おしまい
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、本作は、藤原業平の歌、『世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』から着想を得たものです。
連日30℃超えのあっつい夏の最中になぜ書こうと思ったのか自分でも謎ですが、浮かんだものは新鮮なうちに形にしておかないと瞬く間に溶けてしまうと思い、書きました!
少しの間でも、春の季節にトリップして涼んでいただけると幸いです。