第一話
十一月三十日
夕方、珍しく早く帰宅した俺は部屋にいた。
ベッドに寝転んでマンガを読んでいると、チャイムが鳴り、母さんがドアを開けた音が聞こえた。
「こんにちは!」
雪桜の元気な声に俺は弾かれたように起き上がった。
急いで玄関に向かう。
東雪桜は未就学の頃からの幼馴染みだ。
小学校に上がる前は、俺は幼稚園、雪桜は保育園に通っていたから別々だったのだが、近所だったので雪桜が保育園から帰ってくるとよく一緒に遊んでいた。
幼馴染みという贔屓目抜きにしても雪桜はかなり可愛い。
「雪桜、どうしたんだよ」
俺は玄関に立っている雪桜に声を掛けた。
雪桜とはついさっき一緒に下校してきたところだ。
「これ、こーちゃん達に食べてもらおうと思って」
雪桜はそう言って綺麗な紙袋を母さんに差し出した。
「ありがとう。何かしら」
母さんが笑顔で袋を受け取る。
「シュトレンです」
「ああ、だから今日なのね」
母さんは納得した様子で頷いているが俺には何のことだかさっぱり分からない。
俺が首を傾げていると、
「ケーキだよ。クリスマスまで毎日少しずつ食べるの。だから今日全部食べちゃダメだよ」
雪桜が釘を刺してきた。
「秀には?」
俺が訊ねた。
秀というのはもう一人の幼馴染み、内藤秀介の事である。
雪桜と秀、俺の三人は近所に住んでいる同い年の友達としてずっと一緒に育ってきた。
今は三人とも同じ高校に通っている。
「お祖――綾さんが持っていってるよ」
雪桜は「お祖母さん」と言い掛けて母さんがいるのに気付いて慌てて言い直した。
祖母ちゃんは今、武蔵野綾と名乗って見た目も女子高生のような姿をしているが――――狐なのだ。
祖母ちゃんが物心――と言うのか?――付いた後に江戸城の築城が始まったという話だから四百歳は優に超えている。
最初は嘘だと思った。
俺の祖母ちゃんの名前は大森ミネだったし、もちろん外見も女子高生ではなかった。
俺は化生――いわゆる妖怪――が見えるが秀にも見えるからそれは狐の孫だという根拠にはならない。
ちなみに雪桜は秀や俺達の話を信じてくれているが化生の類は全く見えない。
秀が初めて今の姿の祖母ちゃんを見たのは小学校に上がった直後くらいだった。
「すっごく綺麗な人がいた」
と俺に報告に来たからよく覚えている。
それから十年、祖母ちゃんの見た目はほとんど変化が無かったというのだ。
ほとんど、というのは秀が告白して付き合い始めるまで祖母ちゃんは二十代半ばくらいの姿をしていたらしい。
それが秀と付き合う事になってから十代半ばの見た目に変わったと言う話だから少なくとも普通の人間ではないのは間違いない。
祖母ちゃんはずっと近所にいたらしいのだが、秀に紹介されるまで今の姿は見たことがなかった。
俺達の様子を陰から見ていたようだ。
というか、祖母ちゃんは俺の目の前で動物の狐から今の女子高生の姿に変化した事があるから狐の部分も事実なのだ。
他にも色々と家族でなければ知り得ない事を知っていたので俺も武蔵野綾が十年前に失踪した祖母ちゃんだと認めざるを得なかった。
自分が狐の孫だというのは中々衝撃的な事実だった。
化生が見えるだけの普通の人間だと思っていたのに……。
秀に彼女として紹介された時、雪桜も一緒にいたから綾が祖母ちゃんだという事を知っていた。
その夜、家に帰ってきた姉ちゃんは、
「ミケ、いらっしゃい。いいもの買ってきたのよ」
そう言って鞄を開けた。
ミケが台所に入ってくる。
「これ、猫の大好物なんですって」
姉ちゃんがそう言いながら鞄の中からパッケージを取り出した。
パッケージに『乳酸菌』と書いてある。
「猫に乳酸菌?」
俺が怪訝そうな声で言うと、
「猫だって乳酸菌は必要でしょ」
姉ちゃんがそう答えながら皿に猫のおやつを載せた。
ミケが舐め始める。
「旨いか?」
『別に』
ミケが舐めながら答えた。
「美味しいって」
姉ちゃんが嬉しそうな顔で言った。
言ってねーよ。
俺の祖母ちゃんが狐なら姉ちゃんも同じく四分の一は狐のはずだ。
だが姉ちゃんは普通の人間同様、見えないし聞こえないらしい。
ミケの言葉も全く分からないようだ。
ちなみに祖母ちゃんは父方の祖母なので父さんは半分狐なのだが姉ちゃんと同じく全く見えないし聞こえない。
母さんも言うまでもなく普通の人間なので見えないし聞こえない。
つまりこの家の中で見たり聞いたり出来るのは俺だけなのだ。
ミケは猫又である。
前の飼い主は轢き逃げにあって死んでしまったのだが、その時、ミケは悲しみのあまり化猫になってしまった。
なんだか色々と突っ込みどころがあるような気がするのだが、ミケが猫又なのは事実だった。
翌日の休み時間、雪桜と高樹望が俺達のクラスに来た。
高樹は今年の春に知り合った新しい親友の一人である。
高樹は――――――父親が天狗なのだ。
俺が四分の一狐という衝撃の事実を受け入れることが出来たのも、父親が天狗というもっとデカいショックを受けた高樹がいたからというのも大きい。
高樹には申し訳ないが二分の一天狗に比べたら四分の一狐の方が人間に近い分マシだ。
口が裂けても親が天狗だったという事実にショックを受けている高樹にそんなことを言うわけにはいかないが。
「で、わざわざ休み時間に来たって事はまたどっかに化生が出たのか?」
俺は高樹に訊ねた。
「そんな嫌そうな顔をするな」
高樹が恨めしげに雪桜を睨んだ。
雪桜の話によると高樹は女子にモテるらしい。
そして雪桜はその事を高樹本人に教えずに怪奇現象の話を教えてくれる子達と連絡先を交換するように勧めた。
高樹は何も知らないまま女の子達と連絡先を交換してしまったため、ひっきりなしにスマホの着信音が鳴っている状況に陥ってしまった。
女の子達にモテているなら良いではないかと思うのだが高樹はかなり迷惑そうだ。