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幕間十二 教皇は飛ぶ

 夜の帳がおり、書棚に囲まれた部屋を照らすのは魔石を使ったランプだけ。

 デリーリアの首都にある巨大な水の教会の最奥の執務室には、法衣をまとった大柄な熊獣人の中年女性がその体躯を縮こまらせ、机にかじりつく様にちまちまと文字を認めていた。机に積まれた陳情の書類の塔を見て、水の教会デリーリア本部の教皇エランドヴィリリアングは大きく息を吐いた。


「誰も彼も、水神様を見ていないというのは、嘆かわしい」


 陳情の内容はみな同じで、水不足なので水魔法を使える神官の派遣を願うものだった。


「どこもかしこも水が足りないって、昔から足りてやしない。水不足を憂いた水神様が使徒様を降ろしてくださったのに、その使徒様を我が物にしようとした結果なんだから、文句を言うなら自分らの祖先に言いなさい」


 彼女は短く切りそろえた黒い前髪をかき上げ、ペンをポイっと机に投げ捨てた。

 エランドヴィリリアングは水不足にあえぐ地方の村で生まれた。彼女は、生まれつき水魔法を使えたこともあり、物心つく頃には水神の信徒となっていた。並外れた魔力量を誇り、水魔法により貴重な水を大量に生み出すことができる彼女は、村から都市へと連れていかれ、やがてデリーリアの首都にある水の教会本部に連れてこられた。

 彼女は自らの力の根源が水神にあると本能で理解しており、ただ純粋に水神を崇拝していた。彼女は嬉しさで爆発しそうだった。

 だが水の教会は、水は教会が独占して管理すべきものであると主張する原理主義派と、水は民に平等に行きわたるよう管理すべきという平等派が対立していた。

 エランドヴィリリアングは両者の主張を、全く理解できなかった。


「水は水神様が我らに賜ってくださるもの。それを管理などと、烏滸がましい」


 水と()()生きる。

 彼女は水を生み出す水神をサポートすることこそが教会の役目と信じていた。水が枯れているわけではない、ただ少ないだけだ。水が足りないのなら水の余裕がある地域へ移るしかない。水が人々の願望を聞き移動することはないのだ。

 水の教会はそのような動きを補助すべき。彼女はこう考えていた。

 そんな彼女が、対立する2派に属さないがために神輿として、両派の緩衝材として教皇になって5年が経った。教徒は水がないと親鳥に泣く小鳥のようなものだと、諦めにも似た境地で日々の業務をこなしていた。

 そろそろ寝なければと考え始めた夜更けに、扉がノックされた。


「どうしたのです?」

「夜分に失礼いたします。アジレラのワッケムキンジャルから鳥が届いております」

「先生から? 持ってきてちょうだい」

「は」


 音もなく扉が開き、物々しい鎧を着た騎士がふたり入ってきた。それぞれが原理主義派と平等派に属する騎士だ。両派は監視のために護衛の騎士に子飼いを潜り込ませているのだ。

 彼女はすでに()()()()()()()()手紙を手渡された。いつものことと顔色一つ変えずに読み始める。


「先生もお変わりないようで……アジレラの教会裏の井戸の水があふれた?」


 彼女の眉根が寄る。今までそのようなことは、ここ百年ないのだ。


「どうせ、資金繰りが怪しくなって、噓の報告でなんとか支援金をくすねようということでしょう」

ここ(本部)にいたころは偉そうなことをいっていたが、金の無心とは」


 ふたりの騎士は手紙の内容をすでに知っており、金をせびていると断定していた。

 だが、手紙は時候の挨拶とアジレラの井戸のことが書いてあるのだが、ところどころ意味不明な空間があった。

 先生がそんなことのためにわざわざ鳥を使って送ってくるのか?

 エランドヴィリリアングの脳内には違和感がぷかりと浮かんできた。

 彼女は教皇になるだいぶ前、まだ首都に来たばかりの見習い時代に、当時神官として教鞭をとっていたワッケムキンジャルに師事していたことがある。

 似たような考えのワッケムキンジャルに共感し、勝手に先生と呼び、付き慕っていたのだ。当時はまだ20前の小娘だった彼女に、そこに恋心があったかどうかは本人もわかっていない。

 ワッケムキンジャルは、祖父の生まれ故郷であるコルキュルの近くに行きたいと、次期大神官に推されながらもそれを蹴り、わざわざアジレラの教会に赴任したのだ。

 当時妻を不慮の事故で亡くし、失意の底にあった状況があったが、金が欲しければ大神官になればよかった。それに赴任してから時折届く手紙には、孤児から巣立った子供らの活躍が「我が子らが」と自慢げに書き連ねてあった。

 教会の運営が厳しいのはどこも同じだ。アジレラは交易都市だからまだましな方だ。


「先生のことだし」


 エランドヴィリリアングはこっそり水の魔法を唱えた。彼女の指先がじわり濡れた。

 その指で違和感のある空間をなぞると、文字が浮かび上がる。


「…………」


 彼女は目を見開き、手紙に隠された文字を読んだ。そして丁寧に折りたたみ、懐へしまった。


「夜間飛行できる飛竜の用意を。すぐにアジレラに飛びます」


 エランドヴィリリアングが椅子を倒して立ち上がった。剣呑な様子に、騎士が動揺する。


「猊下、何を血迷ったことを仰る」

「たかが井戸のことで猊下自らが動かれるとは何事ですか」


 騎士は口調こそ敬ってはいるが諫め方に敬意はない。だがその程度でエランドヴィリリアングは揺るがない。


「いまから5分以内に飛竜を用意せよ。これは勅命である」


 彼女は騎士の横を通り過ぎ、扉を蹴り開けた。

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