幕間二十七話 そのころのロッカポポロ
大悟たちが黒蟷螂を、割と一方的にボコっていた頃。ひとり残っている狸獣人でメカクレメイドのロッカポポロは、御仕着せであるメイド服に濃紺のエプロンドレスを追加装備し、カチューシャの代わりに大悟に作ってもらった耳ごと覆う帽子で頭をすっぽりと覆い、左手にバケツ右手にモップを携え、完全武装で腕白一番の拠点の前に佇んでいた。
目の前の建物は、コンクリート製3階建て。兵舎か何かの払い下げを購入したのだろうかという無骨さだった。窓らしき開口には格子があり、檻と見えなくもない。ロッカポポロが躊躇するのも理解できる。
「ふぅ、深呼吸です。落ち着かないと」
今は誰もいません取って食われることはありません大丈夫と何度もつぶやき、自身に暗示をかけている。牢屋にも思えるヒャッハーの巣窟に突入するのだ。少々考えすぎても仕方がない。
人間、中身はともあれ見た目が大事なのだ。
「よし、行きます!」
意を決したロッカポポロは勢いよく扉を開けた。
「あの、おじゃま、しまーす」
ロッカポポロは小声で恐る恐るヒャッハー達の拠点に入り込む。入ってすぐは玄関の様で、物置くスペースが確保され、大きな棚がいくつもある。だが今は空っぽだ。
「床は、砂で汚れてますね。皆さん、靴も大きいですし、持ち込む砂も多いんでしょう」
だがロッカポポロはそれを見ただけですでに視線は奥に向いている。共同スペースの様で、大きなテーブルに椅子が8つ。そもそもは8人で使用する建物なんだなとロッカポポロは理解した。
テーブルの上は食べ残しのパンが転がっている。いつのパンだろうか。壁面にはやはり棚が並べられているが、こちらは保存食だろう干し肉や乾燥野菜が好き勝手に収まっている。野菜があるだけましだった。
後は酒樽だろうか。小さめの樽が2桁程度散見された。食器は汚れたまま放置されている。洗う水が不足している可能性が高いが、見た目が不安になるので今すぐにでも洗いたい衝動を抑えるのが大変だった。
「なるほど、これが男性ハンターなのですね。掃除のし甲斐がありそうです!」
モップとバケツを床に置いた彼女はフンスと腕まくりをする。
「ですが、まずは個室からです。ここが最大の現場でしょうし」
ロッカポポロは奥にある階段を向いていた。あの先には魔窟がある。
元居た商会でも、男の個室はすさまじいものだった。いつの間に女性を連れ込んだのか事に及んだままの寝具やらはては下着まで散乱していたのを見たことがある。品の良かった跡継ぎの長男でさえ、性癖を全開にした絵画集を隠してあったのだ。
まぁ男だけじゃないんですけどね。
そんなことを考えつつ、ロッカポポロは階段を登り、扉が並ぶ2階の廊下についた。階段は建物の端に作られていて、建物の端にますっぐ伸びた廊下に沿って扉が並んでおり、その奥に上への階段がある。2階は扉が4つなので4部屋で、おそらく3階も4部屋だと推測される。椅子の数と一致するので確かだろう。
「まずは小手調べと参りましょう」
ロッカポポロは一番手前の扉を開けた。
暗闇からムッとする漢の臭いが部屋から染み出してくる。鼻をつまみながら窓はどこだと視線をやれば、奥の壁に明かりが入り込んでいる隙間を見つけた。鎧窓だろうか。でも外から見たら格子があった。
ということは?
彼女は音もなく、かつ穏やかな歩調で窓を掴み、力いっぱい引き開けた。新鮮な空気がぶわっと部屋に入り込み、ようやくロッカポポロは呼吸を再開した。
「……臭いの発生源は、やっぱり服ですよね」
背後を見た彼女は、床に散乱する衣服を睨んだ。かびてはいないか、昨日今日の物ではないだろう。発酵しかけている臭いにちょっとクラッとしたがメイドの嗜みでこらえた。
腕白一番には女性がいないと言っていましたね。
女性しかいない大悟のクランとは真逆だ。女性だけだとあまり変わらなくなってしまいますがと付け加えたが。
「大悟さんから頂いた汚れがよく落ちる石鹸で洗っても落ちるとは思えないのですが」
落ちている下着らしき物体Xを摘まみ上げたロッカポポロはイヤそうに言う。
「捨ててもよいかの判断は腕白一番の皆さんが帰ってから聞くことにしましょう」
ロッカポポロは判断を放棄した。できればこれを手で洗うのは避けたい、という本音もあった。
1階にあった籠のようなものを持ち込み、各部屋から衣類を回収する。例外的に綺麗に保たれている部屋もあったが、空き部屋ですら何かが散乱していて大森林よりも魔境だと思ってしまったほどだ。
だが見た目は恐怖しか感じられない男性だったが以外にもマメに掃除をしている姿を想像してクスリと笑みをこぼす。
「見た目で判断は、ダメなのですね。しかしこれは、全体の掃除を優先させるべきですね」
小部屋を片付けるには持ち主の意向を聞く必要があるとロッカポポロは結論付け、共用部や床などの掃除に取り掛かる。もちろん各部屋の換気は忘れずにだ。
それは慣れた作業で、箒と塵取りを主装備に変更して3階から掃き掃除を開始した。鼻歌を響かせながら軽やかにごみを集め、あっという間に1階の共用部まで掃き終わる。
床はそれほど汚れてはおらず、砂などはほぼ共用部で落とされているようだった。
「あとは軽くテーブルを拭いたら自分たちの方を掃除しましょう。そうしたら少し休憩ですね、ふふふ」
大悟から留守中のおやつとして焼き菓子を貰っている。ご褒美とお詫びを兼ねた、チョコチップクッキーである。甘さもさることながらチョコが入っているという贅沢さに顔が緩む。
ロッカポポロは嬉しそうな顔をして腕白一番の拠点を後にし、自分たちの拠点へと入っていった。
「さぁ、こちらはこちらで問題があるんですよねー」
ロッカポポロはふぅと小さく息を吐いた。
彼女は教会と聖なる山の屋敷の維持管理を担当している関係で、そこに住んでいるベンジャルヒキリとリャングランダリの生態は把握しているのだ。追加で住むことになったトルエとマヤの生態もしかりだ。
「ベンジャルヒキリさんはきっちりしていますね。先生の教育のたまものでしょうか」
教会で孤児として育てられたベンジャルヒキリは意外にも衣類を大事にし、脱いだ服もきちんと片づける子なのだ。ロッカポポロは正直に感心した。
慢性的に資金が不足している教会においては節約と物を大事に扱うことを口酸っぱく教え込まれる。今でこそ大悟のおかげで余裕すらできているが、過去はそうではなかったはずだ。
大雑把に見えるが割と細かい大悟のそばにいても負担にはならず、ベンジャルヒキリならば彼も気楽だろうと思わせるほどには、きちんと教育された子だった。
「リャングランダリさんは、なんだかんだでお嬢様ですし、伯母が著名なハンターですし、細かいところに手が届かないのは仕方がないでしょうか」
リャングランダリの部屋に入ったロッカポポロは、脱いだ衣類がベッドの上に放り投げられているのを見て、そう零した。だがリャングランダリとて貧乏なハンターでもあったので、ベッドの上にまとめるくらいはしていた。
同じくらいお金に困っているはずのトルエとマヤは壊滅的だった。脱いだものは床に放置されており、腕白一番の汚部屋と大差ない有様だった。
「このままでは良い男性と巡り合えないかもしれません」
少々お小言が必要かも、などと考えたがそれは出過ぎた行為だと思い直し、こそっと大悟に訴えることに決めた。
「洗濯をしてから一休みにしましょうか」
外に出て大悟から貰った水神の鱗を大きな土瓶に入れ水をためる。水にぬらした衣類に石鹸をつけごしごしこすり合わせる。あまり力を入れると繊維が痛むと大悟から言われているので力は控えめだ。
汚れていないように見えたが石鹸の泡はやや濁っている。この衣類には自分のものも含まれているので、見えない汚れがあるのだといつも思わされていた。もしかしたら床や壁、果ては寝具までも汚れているのでは?と戦慄してしまう。知ってしまうことで気にもしなかったものに不安を覚えてしまうのは、良いことなのだろうか。
「……気にしすぎもよくはないですね」
下着を床に脱ぎっぱなしはどうかと思うが、細かいことを気にしすぎても心に良くないのだなとロッカポポロはそこで思考を止めた。ちょうど洗いものも終えたので土瓶に衣類を突っ込んでじゃぶじゃぶ泡を落とす。水が汚れで濁るが、これは綺麗になった証拠なのだ。
土瓶の水を捨て、鱗で水が満たされてからもう一度衣類の泡を落とせば洗濯は完了だ。
ぐぬぬぬと唸りながら絞り、備え付けの物干しに吊るしていく。下着もあるのでそれは他の洗濯物の陰に隠す。
乾いた風に洗濯物がはためき、波のように揺れている。ロッカポポロはふと大森林に視線をやった。ぎゃぁぎゃぁとなにかの波声が聞こえてくるが、森を出てくることはない。
恐ろしい大森林のすぐそばで自分はのん気に洗濯をしている不思議。これでいいのだろうかと思うものの、求められているのはいつもの仕事だ。であるならばいつもの仕事を全うし、皆の帰還までに拠点を綺麗にするのだ。
だがその前に。
「さて休憩にしましょう」
ロッカポポロはふふっと笑い、狸尻尾をゆらゆらと揺らしながら拠点に入っていった。




