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幕間二十六 使徒【サィレン・ジン・ジグレヒニ】

 エーテルデ川にサラマンダーが現れた時から少しだけ時は遡る。

 キューチャ商会の頭取ラゲツットケーニヒはアジレラの事務所でソファに座りチトトセと顔を突き合わせてブランデーとウィスキーの販売経路などの詰めをしていた。今までの軽アルコール飲料をひっくり返すチトトセに任せられた一大プロジェクトで、彼女の目も険しい。


「義父上、飲み方を選べるウィスキーは酒場向きなので飲食店に多く向けたほうが利益が上がると試算で出てます」

「んー、だとすると単価を安くしねえと結局はエールに戻るな。安酒のみは飲めればいいからなぁ」


 ラゲツットケーニヒは葉巻を口に咥え強く息を吸う。そこに侮蔑な感情はなくただ純粋に計算をしているだけだ。


「であるならば薄めればいいだけなので利益も変わらないかと。高級な位置づけのブランデーは宿から始めますか?」

「そうだな、まずは取引でアジレラに来てる商人ども(ライバル)を沼に沈めて口伝(くちづて)に広めるのがいいかもな。儲けるには色々仕込んどかねえと。生産はどうだ?」

「予想外に保管を失敗したワインが多く手に入ったので計画よりも備蓄できてます!」

「くはは、いい感じだな」


 ラゲツットケーニヒがふーっと煙を吐くと同時に扉がノックされた。


「親父、親父あてに若いエルフの商人がきやしたが、いかがしやしょう」


 扉の向こうから遠慮がちに野太い声がかかる。ラゲツットケーニヒは片眉を顰め答えた。


「名前は」

「サィレン何某と」

「……サィレン、か。何某じゃわからねえだろ。名前を最後まで聞いてこい。あぁ、ジグレヒニだったら黙ってここに連れてこい」

「わかりやした」


 乱暴に床を踏み鳴らす音が遠ざかると、チトトセが口を開いた。


「義父上、お知合いですか?」

「んー、俺の勘が当たってれば伝説と会えるぞ」

「は? 伝説、ですか?」


 チトトセが首をかしげているとぶしつけな足音が近づき、扉が荒くノックされる。


「親父、お連れしやした」

「入ってくれ」


 キーと静かに扉があき、茶色い髪の少年が「こんにちは」と顔をのぞかせた。

 あどけなさが残る顔と長い耳周りがきれいに刈り上げられていることで、ほぼ少年という見た目だ。あまりに意外だったのかチトトセのしっぽがピンと伸びた。

 だがチトトセはすぐに席を立ちラゲツットケーニヒの背後に回った。彼女がピッと背筋を伸ばすと、サィレンは苦笑した。


「案内ご苦労。サィレン()、座ってくれ」


 ラゲツットケーニヒが手で自分の正面を指すと、サィレンは口をもにょらせながら座った。


「お初にお目にかかる、キューチャ商会を()()預かっているラゲツットケーニヒてチンケな男だ」

「ふぅん、僕を知っている風だけど、そんな男がチンケとは思えないねぇ」


 サィレンは目を細め、ラゲツットケーニヒを見た。応えるようにラゲツットケーニヒは葉巻を咥え見つめ返す。ヤクザと少年が睨みあう。

 いきなり一触即発な空気にチトトセが「ちょっと義父上」と小声で窘めるもラゲツットケーニヒはどこ吹く風だ。


「まだ俺が商いの道に入るずっと前のことだ。俺の祖父(じぃじ)が一度だけ語ってくれた話にこんなのがある。商業業都市国家群マーマイトには商いの神の使徒がいて、老旅商人の姿で商人(あきんど)たちの安全と繁栄を見つめているってな。その名をサィレン・ジン・ジグレヒニ」


  「聞いた話じゃ老エルフだったんだが」とラゲツットケーニヒは咥えていた葉巻の火口(ほくち)を親指と人差し指の腹で押しつぶした。

 サィレンは尖らせていた口をにんまりと変えた。


「そっか、僕を知ってる人が()()いたんだね」

「最近じゃサィレンは迷信だなんだってやつが増えてるのはよく耳にする」

「それは身に染みてるよ。僕の名前を聞いても無反応ばかりだもの」

「嘆かわしいことだな」


 ラゲツットケーニヒは肩を落として大きく息を吐いた。

 神はいるのだ。使徒の御伽噺も眉唾で受け取ってはいけないのだ。


「……君は、疑わないんだね」


 サィレンは伺うような目でラゲツットケーニヒを見ている。本意がどこにあるか探るように。


「うちの()の頭取がいま水の神様の使徒に首ったけでな」

「……知ってる。先日その彼に会ったばかりさ」

「おっと、だからそんな若い姿に?」

「彼はお人よしだと商いの神様に言われてね、偉そうなじいさんよりは駆け出しの商人になってたほうがうまくいくだろうってね」

「がはは、ちがいねえ」


 ラゲツットケーニヒは膝を叩いて楽しげに笑う。


「蟲の神の使いから変若水を貰ったって俺のところに鑑定に来たりよ、木の神から世界樹も押し付けられたとか愚痴てったぜ」

「……もしかして僕は出遅れてた? 遅かったって神様に文句いわなきゃ!」


 サィレンは腕を組んで鼻息を荒くした。形だけかもしれないが怒っているようだ。


「で、使徒さまはここに何用で?」

「そうそう、これが本題だったんだ」


 サィレンは収納スキルから小さな瓶を取り出した。透明な液体が揺れている。


「んん、ポーションってわけじゃなさそうだが」

「そちらのお嬢さんから分けてもらった蒸留酒さ」

「おっと、すでに漏れてたとは」


 ラゲツットケーニヒは背後のチトトセに目配せした。チトトセは額に汗が流れた。

 自分がまかされた販売計画が売り出し前から崩れるかもしれないのだ。


「あぁ心配ないよ。これは誰にも見せてないから。僕がひとりで楽しんでるだけさ」


 サイレンがそう告げるとチトトセは「ふひゅぅ」と情けない声をだした。


「あはは、ごめんねー」


 サィレンは後頭部をかきながら苦笑いだ。

 商いの神の使徒は下々の商会の計画など知ったことではないのだ。


「あれは美味しいよね、あの魔道具は大森林にあった先史文明の黄昏期のもので、蒸留だけでなく熟成も効果に入ってたはず。蒸留したてなのに豊潤さがすごかったから間違いないね!」


 サィレンはほほを赤くしながら一気にまくしたてる。よほど気に入っているらしい。


「世に出したらまずいか?」

「いやいや、僕も呑みたいからバンバン売っちゃって。ついで言えば僕にも卸してほしいな。他には売らないからさ」

「お、おう、それは問題ねえが」


 サィレンの強い推しにラゲツットケーニヒもやや引き気味だ。だが背後のチトトセはニコリ笑顔でうんうんと大きく頷いた。


「よかったよかった。騒がせちゃってごめんね。代わりと言っちゃなんだけど、たぶん彼が欲しがる魔道具をあげるよ」

「……にいさんが欲しがるって?」


 ラゲツットケーニヒは顎に手を当て考えた。ここではないどこかから来た大悟は違う価値観を持っておりかつ自分たちが知らない技術や考えを持っている。その大悟が欲しがるとはいったいなんであるのか、と。


「豆から塩辛く黒い調味液を作る魔道具さ。これこれ」


 サィレンはどこからともなく大きな木の樽を取り出した。背後のチトトセが「ふぁっ?」と変な声を上げたがラゲツットケーニヒは思考の荒れ地を歩かんとしていた。


 豆から【黒い調味液】?

 豆とは何の豆だ?

 しかも黒い液体?

 豆から液体が?

 何をどうすれば液体になるんだ?


「俺にはよくわからねえが、にいさんが喜ぶなら買っとくぜ。あぁ言い値でいい」


 にいさんには、お嬢の命の恩と武にこだわってた性格を変えた礼がまだできてねえ。

 たまたま体が弱く生まれちまったお嬢が一族の中で微妙な立場に置かれちまったせいでハンターになんてなっちまったが、いまとなっちゃそれが運命(さだめ)だったかもしれねえ。

 ベンジャルヒキリ嬢に出会って価値観を共にできる盟友ができたのもハンターになったからだ。にいさんにあったのもハンターじゃなかったらすれ違いだったろうしな。

 いろいろ苦労してさんざん回り道したけど、一番の近道だったのかもしれねえ。


「金で買えるなら安いもんだ」


 あの恩と出会いは金じゃねえんだ。


「あぁ金は要らないよ。この酒のほうがずっと価値がある」

「……そうは言われてもな。同じようなことを兄さんにしたら『ただより高い物はない』って言われちまってなぁ」

「ふふふ、なるほど、おもしろいねそれあはははは!」


 ひとしきり笑ったサィレンは真顔になった。


「そうだね、じゃあ後ろのお嬢さんの手伝いをさせてもらおうかなー。なーんか楽しそうなこと企んでるんでしょ?」


 ニマニマと笑うサィレンに、お嬢さんと言われたチトトセは目を瞬かせた。おおよそ理解できない会話が交わされているのを半分ほど上の空で聞いていたのだが話の槍先が飛んできて驚きを隠せていない。


「わ、わたし、ですか?」

「うんそう。僕はしばらくこの街にいるつもりだったしさ」

「え、えっと……」


 チトトセは助けを求めて義父を見るが首を小さく横に振られてしまった。神の御意志(わがまま)はどうにもならないということだ。


(にいさん)を追いかけねえのかい?」

「あー、そのうち会うこともあるさ。僕は時間を持て余してるからねー。それに彼には蟲の神からもらった蜜があるんだから、少なくともそちらのお嬢様と同じくらいは生きてるでしょ?」


 商人の神の使徒はパチンとウィンクをする。

 ラゲツットケーニヒはそのしぐさの意味を考えた。

 にいさんがもらったって(変若水)は確か5歳若返る効果があったはず。

 お嬢が歳を取れば、その分にいさんが蜜を舐めれば、ベンジャルヒキリ嬢も一緒ってわけか。


()()()()()()なのか?」

「さーてね。神様は気まぐれだからねー。あ、チトトセちゃんだっけ、よろしくね!」


 チトトセに向かって満面の笑みのサィレンを、義理とはいえ父親のラゲツットケーニヒは複雑な心境で見つめる。

 こーゆーのは兄さんの国だとなんてーのかねぇ。

 まぁ、なるようになるさ。

 ラゲツットケーニヒは懐から葉巻を取り出し、魔法で指先に火を灯した。

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