幕間二十四 いまだ麓(後)
ひとつめの岩場は村の畑から2キロほどのところにあった。荒れ地に大きな岩が富みあげられた、小さな岩山だ。ワンダールスワンダーたちはその岩場から200メートルほど離れた場所から観察している。
「……いるっスね。うまーい具合に擬態してるっス」
「嬢ちゃん、よく見えるな」
「ベレテっス。あたしは遠見のスキル持ちっす」
「なるほど、だからか」
ワンダールスワンダーも目を凝らしてみるが岩しか見えない。
「遠くがよく見えるから野菜の育成具合のチェックが楽だって、村に出戻ってから気が付いたっス」
「役に立つスキルじゃねえか。いいことだ」
「村に戻ってもいづらいだろうなって不安だったスけど、野菜の生育が急によくなって手が足りないから歓迎されたっス。あと、生きて帰ってくれてよかったって泣かれたっス」
「……生きてりゃいいこもとあるさ。さて無駄話は終わりだ。とっとと片付けて酒でも飲むぞ」
ワンダールスワンダーが双子に発破をかけると、彼らは斧を持ち上げた。
「あたしも行くっスよ」
「嬢ちゃんは離れて見張りだ。逃げるやつがいれば教えてくれ」
「了解っス!」
ベレテは真面目な顔で頷いた。
狩りに緩みは禁物だ。死は背後で手ぐすね引いて待っているのだ。
「ふたりは突っ込んで暴れてくれ。逃げる奴は俺が仕留める」
「あいよ!」
「さて、いっくかね」
バーバリーズとガーガリーズが大斧を構えて岩場に走る。ワンダールスワンダーは杖を構えて後に続いた。
岩場にとりついた双子が大斧を振り回し無双を始めると、数頭の岩猿が岩山から逃げ出した。
「炎よ、追い落とせ!」
拳ほどの青い火球が5つワンダールスワンダーの周囲に浮かび上がり、逃亡する岩猿に向かって飛んでいく。
炎はジグザクに逃げる岩猿を確実に追い詰め、頭に命中する。頭が青く燃え上がる岩猿はその場で崩れ落ち、動かなくなった。
「うわー、強いっス」
ベレテが感心している間に10頭以上いた岩猿は駆逐されていた。
「群れのボスはいない感じだな」
「次の巣にはいるかもな」
群れにボスは必ずいる。統率者なき集団はすぐに行き詰まるからだ。すなわちそれは死を意味する。
念のため岩山をくまなく探したワンダールスワンダーらは次の岩場に向かった。
「……でっかい岩猿がいるっス。あんだけでかいのは見たことないっスよ!」
ベレテの遠見で確認できたのは通常の倍の体躯の岩猿だった。ドワーフであるワンダールスワンダーの倍近い、大きい個体だ。
「そいつを倒さねえとまた湧くな」
ワンダールスワンダーは顎に手を当てた。集団を率いるものが生きていればまだ集団が形成される。頭をたたかないとこの依頼は終わらない。
「そいつを狩れば終わるんだろ?」
「さくっとやろうよ!」
双子は斧を構えてうずうずを隠せないでいる。先ほどの戦闘では物足りなかったようだ。
ハンターという職業につくものはおおよそバトルジャンキーである。
「先に邪魔な雑魚を片付けてボス戦といこう」
「あたしはまた離れてればいいっスか?」
「あぁ、そうしてくれ」
簡単な打ち合わせが終わり、双子が先陣を切って駆ける。ワンダールスワンダーはやや遅れて、岩猿の集団の動きを見ながら追いかけた。
「一番乗りだぜ!」
岩山にとりついたバーバリーズが雄たけびを上げ大斧を振るうと裂かれた岩猿が転がり落ちる。岩猿たちは混乱して岩山から逃げようとするがボス岩猿がキーキー叫ぶと一転、複数でバーバリーズに襲い掛かった。
「こっちにもいるよ!」
ガーガリーズが大斧を振り回し自身にも注意を向けさせば、同じように複数の岩猿が飛び掛かる。また離れた場所に ワンダールスワンダーからの火球が飛び込んでくる。岩猿はバタバタと倒されていく。
「ゲキャキャキャ!!」
ボス岩猿はわかりやすく激高し、両腕を突き上げた。
焦ってしまった統率者が率いる集団は集団としての力を弱めてしまう。ワンダールスワンダーはあっけなかったなと思ってしまった。
その瞬間、ボス岩猿が岩山から跳躍した。その飛翔でワンダールスワンダーを通り越していく。
「ルス!」
「くっそ、しまった!」
ボス岩猿が飛んだのはワンダールスワンダーの背後だがそこにはベレテがいた。急に狙われたベレテは反応できず立ちすくんでいた。
安全地帯だと勘違いしていた。
己の愚かさに舌打ちしたくなるがそんな間はない。案内役のベレテは武器を持っていない。
ワンダールスワンダーはとっさに魔法を唱える。
「侵略せし炎よ、我が足に!」
ワンダールスワンダーの両足が炎に包まれ、荒れ地を蹴った。火魔法の中の加速の魔法だ。
魔法使いは武器で戦わない故に狙われると脆い。それを回避するための加速なのだが、今は真逆だった。
ベレテを狙うボス岩猿に向かい突き進んでいる。
ドワーフで歩幅が小さいワンダールスワンダーは駆けても人より遅い。魔法で補助があってようやく人より速いくらいだ。
「もっと速く走りやがれ!」
ワンダールスワンダーは己を叱責した。
ボス岩猿はすでに着地し、ベレテに向かい走っていた。魔法を撃とうにも射線にベレテがいる。またベレテに接近しすぎると魔法で諸共傷つけてしまう。
砂クジラに続いて、また自分の判断ミスだ。
やるなら俺をやれ!
「くっそがぁぁぁ!」
ボス岩猿がベレテに狙いをつけて腕を振りかぶった。ワンダールスワンダーがスライディングでボス岩猿の股をくぐりベレテの前に立ちはだかる。
ボス岩猿の拳がワンダールスワンダーの頭を殴った。
「ガッハ!」
ワンダールスワンダーは衝撃で突っ伏しそうになるが踏ん張って堪えた。ボス岩猿は逆の腕を下からかちあげワンダールスワンダーの顎を打ち抜く。それも耐えた。
「グ、グゥ」
倒れないワンダールスワンダーは滅多打ちにされた。だが彼は倒れない。
巨躯なだけあって体重が乗った一撃は重い。ワンダールスワンダーは意識が飛びそうになるが記憶の中の痛みがそれを押しとどめた。
ケッ、こんなもん、あの時に比べれば屁でもねえ。
ワンダールスワンダーは体を起こし、ボス岩猿を睨みあげた。ぼこぼこに腫れた顔がにやりと歪む。
「殴るってなぁ、こうやんだよ! 撃滅せし炎よ、我が拳に!」
ワンダールスワンダーの右拳が燃えさかる。ドワーフの背丈ではボス岩猿の頭には届かないが腹には届く。ワンダールスワンダーは握りしめた右手をボス岩猿の下腹部を突き破った。拳の炎がボス岩猿に燃え移る。内部を焦がす炎に堪えきれなくなったボス岩猿が地面で転がり悶え始めた。
「ギャッギャギャギャ!」
「ぎゃーぎゃーうるせぇ!」
引き絞りだけ引き絞った炎に包まれた右腕を、地面で悲鳴を上げるボス岩猿の頭に振り下ろした。
ゴシャ、という砕けた音がするとボス岩猿は静かになる。ワンダールスワンダーはゆっくりこぶしを引き上げ、燃えていくボス岩猿だったものを見下ろした。
「あいてててて」
緊張が抜けたからか殴られた痛みがぶり返してきて地面に尻から崩れた。
「おっちゃん、強いんスね。あー、だいぶ腫れてるっスね」
ベレテがのぞき込んでくる。
「まて、俺はまだ20歳だ」
「え、そうなんスか。てっきり30オーバーで大ベテランかと思ったらちょっと先輩だったんスね」
「髭生えてたらおっさんとは限らねえだァィタタタ」
「ちょっと待ってるっス」
ベレテが腰嚢から数枚の葉っぱを取り出し、手で握るようにぎゅっと絞った。手についた緑の液体をワンダールスワンダーの腫れた部分に塗っていく。
「いてえって!」
「痛み止めの効果がある野菜の葉っぱっス。けが人はおとなしく治療をうけるっス」
「イテッ、ヤメッ」
痛むところを触られてじたばたするワンダールスワンダーに対しベレテは無慈悲に塗りたくる。
見ようによってはいちゃついているようなふたりに、バーバリーズとガーガリーズは近づいた。
「嬢ちゃん、いいぞもっとやれ」
「無茶無策なうちのリーダーにお仕置きね」
非情な仲間にクソッタレと叫びたかったが、ベレテによる治療という名の拷問は終わらない。
ワンダールスワンダーは、数分の間ベレテのなすがままだ。
「でも、助かりましたっス。かっこよかったっスよ」
手を止めたベレテがにかっと笑う。
――ちょっとくらい先輩風を吹かせたっていいだろう?
なるほどなと、その笑顔を見たワンダールスワンダーは理解した。
「……後輩にいいところを見せるのが先輩の義務だと、とある偉大な先輩に教わった。」
「へー、いい先輩っスね!」
「あぁ、これ以上ない先輩だ」
まだまだ頂は見えない。影どころか背中も見えねえ。
いまだ麓でうろうろしてるだけだな、俺は。
ワンダールスワンダーはそう思った。




