第一話 俺は職業安定所にいたはず
「あ、原野商法の一種ですねこれ」
電話先の警察官の口からさらっとそんな言葉が出てきた。
「そこまでたどり着くのが困難な土地を水源とか銘うって売り出して買わせるんですよ」
土地勘のない外国人向けの詐欺ですね、と続いていく。
「……自分は生まれも育ちも日本人で名前も佐藤大悟って日本ではよくある名前なんですが」
「うーん、職業安定所でこのようなことはー」
警察官の声は困惑気味だ。俺も困惑してる。
「水源管理は簡単です、生活するためのものも揃っておりますので明日からでもお仕事が可能です、なんて言われたんですけどね」
絶賛無職な俺は職安で仕事を探しているうちに背後からおっさん職員に声をかけられて、個室に連れ込まれて、そんな説得を受けて、生活できるならいいかと承諾した瞬間に見えている景色が変わってどこかの山の上にいたわけで。
「いつの間にか知らない土地にいて、なんでか家もあって、そこにある固定電話でこうお話をしているわけなんです」
電話機はダイヤルを回す方式の骨董品だ。そのダイヤルをジーコジーコしていると気が紛れる。
「あー、もしかして何かの薬をやられていたりします?」
「いえ、正気ですが」
失礼な。
「風邪薬とアルコールの同時服用とか?」
「いえ、まったくの健康体なので」
身体はわりと頑丈です。
「うーん、残念ですが我々ではどうにもならなさそうなですので……」
と、受話器はうんともすんとも言わなくなってツーッツーッと繰り返す機械に変わった。まあ警察じゃわからないし、組織なんてそんなもんだ。
職安にかけてみようともう一度受話器をとたったけど、うんともいわなくなってる。どーゆーこと?
受話器を置いて、天井を見上げ、溜息一つ。板張りで木目がよくわかる天井だ。ちょっと探すとなんだか髑髏に見える模様に気が付き視線を戻した。夢に出そうでコワイ。
建物は古い日本家屋。だと思う。俺がいるのは電話が置かれた下駄箱がある玄関で、三和土なんだけど俺が住んでたワンルームより広い。随分な富豪だ。
玄関のあがりとそこから見える床はつるつるでよく滑りそうだ。奥はリビングっぽい。両脇には襖がある。なんだか母方の実家を思い出す。
子供のころに祖母の家に遊びにいったときによく滑る廊下で派手に転んで頭を打って大騒ぎになったなぁ。
そんな祖母の家も今はない。いつまでも変わらないと思っていたんだけど、いつの間にか変わってしまうんだ。
まさにいま、変わってしまった。
「俺は職安にいた。それは間違いない」
瞬間的に景色が変わってどこかの山の上にいた。神隠しとでもいうんだろうか。あのおっさん職員がやらかしたのか。
「どうすればいいのさ」
佐藤大悟30歳。現実が迷子になって我が身も迷子だ。いや困ったどうしよう。
俺は大卒後、とある部品メーカーに就職した。設計に配属されて3DCADで図面を描く仕事をしていた。面接ではブラックとはわからなかったけど、働き始めてそれに気がついた。
無遠慮にやってくる変更依頼。頑張って変更に対応して図面を描いたのにさらっとちゃぶ台返しの計画凍結。挙句計画の中止。
そんなことを数年繰り返していた俺はどうも精神的に疲弊しすぎていたらしく、職場で倒れた。それが半年前。傷病休暇を申請したんだけど人事ではねられて自己都合退職となっていた。労基よ、仕事の時間ぞ。
「ゆっくりしたかった」
そう思ったことは那由多ほどはあった。
俺がいま立っているのは広さが野球のグラウンドくらいの荒れた山頂で、そこから見えるのは三方をぐるり囲むように聳える山々と地平線の彼方まで続く荒地だ。残雪なのか万年雪なのか不明だが山頂は白い。空気はからっからでのどが痛くなりそうなくらいだ。緑はどこにもないぞ。
荒地の端にはひっそりと、それでもしっかりと主張している二階建ての日本家屋がある。陽当たりの良さそうな長い縁側があり、昼寝にはもってこいだ。ちなみに電柱電線の類は見当たらない。でも電話はつながった。
「違和感しかないな」
その家の前には学校のプールほどの穴というか堀というかクレーターがあって、その底にちいさな水たまりがある。その水たまりには慎ましやかな神社らしき社が浸かっていた。一番深いところで俺の身の丈くらいだな。
ちなみに俺の身長は160センチだ。ちびっていうな。
水源とはこの池のことだろう。そもそも水がないんだがそれでいいのか?
クレーターの淵には赤い鳥居があり、そこから石畳が底に続き、小さな神社につながっている。狛犬ではなく龍のような石像が対になって鎮座していた。お賽銭箱も見える。商魂たくましい。
「鳥居と神社があるってことは日本なんだろうなぁ。たぶん」
漠然とそう考えた。そうあってほしい願望もあったけど。
「いや本当にどうするかな」
今の恰好は職安に行った時の灰色のパーカーにジーパンだ。手提げには小銭入れとスマホと各種免許なんかしかない。食料も水もない。クレーターにある水たまりの水はちょっと。
「神社もあることだし、ここは神頼みか」
鳥居の前に歩いていく。靴で踏みしめるとボロボロ崩れていく土の感触がなんともいえない懐かしい感じだ。働き始めてコンクリートとアスファルトの地面しか歩いてなかったもんな。
鳥居をくぐり石畳を社まで進む。狛龍?をチラ見しつつ賽銭箱の前に。この際だ、ちょっと奮発してみよう。手提げに入れてある小銭入れから500円玉を出す。
「えっと、この現状を何とかしてくださいっと!」
賽銭箱めがけて投げた500円玉がシュコンと勢いよく賽銭箱に吸い込まれた。
「なななにそれ」
掃除機でも入ってるのかあれ。
いいや、ともかく二礼二拍手一礼だ。最後の一礼で『助けてくださいお願いします』と数分間願い倒してみた。
「……ちょっと気分は落ち着いたかな」
神頼みだけど、なんだかすっきりした。現状は何も変わってないけど、とにかく気分の問題だ。
ふぅと肩の力が透けた瞬間、賽銭箱から水がごぼりとあふれだした。
「は?」
呆然と見ていると賽銭箱からあふれる水が勢いを増し始めた。
「あれ、やばい?」
ダッシュでクレーターの上までたどり着いたとき、賽銭箱からどしゅーと水流が立ち上った。見上げるほどの高さまで吹き上がった水の柱からぼたぼたと水の塊が襲ってくる。
「ちょちょちょまってぇぇぇぶへぇ!」
バスケットボールほどの水滴がべちゃんと顔にあたり、その勢いでしりもちをついた。頭を振り水を飛ばし手で顔をふく。なんなんだよ。
『ふむ、数字はわかるが見慣れない貨幣じゃな』
威厳がありそうな声が俺の頭に響いた。
「声? どこか、ら……」
水の柱があったところには、いわゆる『龍』の姿があった。
緑色のうろこに覆われた蛇に手足がついた、頭には角がある、髭がすらっと伸びている、ドラゴンではなくジャパニーズ『龍』。巨体で、しかも目が赤くて非常に怖い。
『あまりにも精巧な造り』
龍は500円玉を指で挟み、ためつすがめつ眺めた後に俺を見てきた。
『そなたは、どこから来た? いや、そうか、以前ジゾウ殿に頼んだのじゃったな……すっかり忘れておった』
龍は何か納得した様子だった。
『我は水神である。そなたにはここに住んでもらいたい。いやなに、住むだけでよいのじゃ。そこの家には生活に困らないだけの設備があるはずじゃ。ジゾウ殿がそろえたから間違いあるまい』
龍がその長い顎で家をしめした。
「……え、職安の話が続いてるんですか?」
敬語になるのは本能的な判断だ。お賽銭を投げたら出てくるのはそりゃ神様だし、水神って自分でもいってるし。悪い神様じゃないことを願う。
『ショクアンとやらは知らぬが、話はついておるのじゃろう? ところでそなたの名はなんじゃ?』
龍が顔を近づけてくる。
「あのあの、もう少し離れていただけると俺の寿命が長持ちすると思います!」
『むぅ、我は神の中ではフレンドリーな方なのじゃが』
なんとなくしょんぼりした感じの龍が離れていく。ちょうど社の真上くらいの位置で止まった。俺の動揺も少し収まった。ふぅ。
職安でいわれた水源管理の仕事というのはまだ生きているようだ。ここがどこなのかはわからないけど生活はできると龍はいっている。
話を断ったら何をされるかわからない。
長い物には巻かれろ。
ここはこの言葉が正しいだろう。龍も長いのだし。
「俺の名前は、佐藤大悟です」
『サトウダイゴという名か』
「あ、佐藤が名字で大悟が名前です」
『ふむ、そうなのじゃな。世界が違うと名前も違うとは趣深い。ちょっと詳しくその辺を聞きたいところじゃが……おっと、その家についての説明は家の中に書があるはずじゃ。くれぐれもよからぬ謀をせぬようにな。この池の管理を頼むぞ。あ、あと安全に生活できるように家事スキルも与えておいたぞぉぉぉぉぉ……』
そういうと、龍は虹になって消えた。賽銭箱からあふれていた水はクレーターをすっかり埋め尽くして、そこには静かな池の水面と美しい虹があるだけ。ずぶ濡れの俺を置き去りに、いまの出来事はキレイになかったことにされたように感じる。ちょっと腹立たしい。
「説明だけでもしてほしかった……もうわけわかんねーよ」
俺は大の字に寝転んだ。ふて寝だふて寝。
ん、なんだか頭に草の感触があるな。荒れた土しかなかったような……
あ、給料いくらなのか聞くの忘れた!