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光陰矢の如く死せる者共を過ぐ

 腹に大穴を開けてほうほうの体で帰ってきた久遠(くおん)を、彼の主人は責めなかった。

 それどころか私室の寝台まで運んで、奥方に手当てまで命じてくれた。そして、あらゆる理由で声が震えている彼の頭を優しく撫でて、報告は落ち着いてからでいいとさえ言ったのだ。

 ――労わるようなその態度こそが、今の久遠にとっては何よりの責め苦だというのに。あるいはそれを見越していたのか。


 寝台の上で少年は悔しさに呻いた。泣きはしない。その身体が屍だからではなく、生きていたころから、決して涙は流さないようにしてきた。慰めは不要だからだ。

 そんな従僕を、奥方が静かな瞳で見つめている。


「さてと、傷は金遁で塞ぐだけ塞いだから、あとは()()()()()いっぱい食べましょうね。まだ冷蔵庫に残ってたかしら」

「……申し訳ございません」

「ほぉら、そんなにしょげないの。仕方ないわよ。頓子(とみこ)ちゃんは()()()()だもの」


 外行きは豪奢なクラシカル・ロリータファッションを嗜む彼女も、内着は比較的簡素なブラウス姿である。その上にエプロン姿だと一見どこぞの中流家庭の主婦に見えなくもない。

 実際、生ける屍(ゾンビ)の肉体が朽ちないよう保全するための()()だけでは食卓が味気ないからと、ちょくちょくその恰好で近所のスーパーに行っている。

 人ならざる者ながら暮らしぶりは存外庶民的だ。彼女も王の妻になるまでは、使い捨てられる一介の忍にすぎなかったから。


「久遠が早く元気になるように、今夜の夕飯はちょっと気合入れるわね」

「お気遣い痛み入ります……」


 夫人が出て行ったあとも、彼女の鼻歌がいつまでも廊下に響いているようだった。


 独りになった久遠は枕に深々と顔を埋める。声にならない慙愧(ざんき)の悲鳴を押し殺すために。

 責めてくれたほうがよかった。そのほうが何倍もマシだった。久遠のすべては主人のために存在するのに、彼らの役に立てないのなら生きている意味がない。永遠の命を与えられた価値がない。


 もともと誰にも望まれなかった人間だ。久遠が生まれたころ、異国の血を引くこの容貌はひどく疎まれた。

 珍しかったのもあるし、そんな生まれの者の出自など知れているからでもある。


 遠く長崎は出島の丸山遊郭で、異人相手に春を(ひさ)いでいた遊女が客の子を身籠った。相手は自国に妻子を待たせている男だ。場所柄珍しいことでもなく、条件さえ満たせば出産が認められることもないではなかったそうだが、ひとまず彼女の場合は違った。

 愚かな女は堕胎を拒んで逃げ出し、遠く離れた地で久遠の母を生むと、すぐ死んだという。

 まだこの国が鎖国政策を取っていたころの話で、こと長崎の外では混血児は奇異と畏怖の対象だった。母はありとあらゆる苦渋を舐め尽くして必死に激動の幕末を生き延び、明治に入るころには裏の世界に堕ちていた――忍という、闇の中に。

 諜報活動のために外国人に成りすますなど、日本人離れした容貌がむしろ役立つこともあったようだ。久遠が憶えているかぎり、彼女はくのいちの仕事に満足しているようだった。


 久遠は母が同胞に抱かれて出来た子だ。今はどうだか知らないが、当時の忍組織におけるくのいちは仲間の性処理も担っていた。血縁上の父にあたるその相手は、彼女を愛していたわけでもなければ、母親に似た久遠のことも嫌って遠ざけた。

 そもそも忍の子として生まれた時点で、単なる組織の歯車でしかない。それでも幼い久遠は心のどこかで思っていたような気がする。

 ――ちゃんと一人前の忍になったら、あの人は僕を息子と認めてくれるかもしれない。


 今にして思えば、それはまったくの夢想に過ぎなかったけれど。



「よお。そろそろ落ち着いたか」


 しばらくして(こう)が顔を覗かせた。主人の前で臥せっているわけにはいかないと跳ね起きた久遠を、いいから寝てろと片手でこともなげに制し、自分は椅子を引いて腰を下ろす。

 彼の態度は落ち着いていたが、久遠は不安だった。唯一無二の主を失望させたのではないかという疑念の渦が、足許でぽっかりどす黒い口を開けて、久遠が転げ落ちるのを待っているようだった。


千代(ちより)からチラッと聞いたが、頓子が出張ってきたんだろ。災難だったなぁ」

「……僕の手落ちです。あの犬を逃がしたのが間違いでした」

「まあここ数年はあいつらと正面切ってやりあうってこともしてなかったしな……その犬ってあれか、あのヨボヨボのじいさん」

「いえ、若い犬でした。何年か前に子犬を見た覚えがありますので、恐らくそれが成長したのかと……」

「ああ……、つくづく時間が経つのは早いもんだな。うんざりするよ」


 王の溜息に同調するように、椅子がギイと低く軋んだ。


「うん。とりあえずだ、先に玉響(たまゆら)()って頓子の気力を削ごうって作戦はやめる。むしろ娘が殺されたら強くなりそうだしな、あのおばはん」

「……そういうものでしょうか」

「個人差はあるが、手負いの獣みたいなもんだ。……なんにせよ先に頓子を始末したほうがいい。で……それはさすがに千代一人に任せるにゃキツい。

 奴らを分断する策はまた別で練るとして、今の俺たちはあまりにも人手不足だ。だから」


 ――その怪我が治ったら、久遠、おまえは部下を作れ。最低でも一人。

 そいつを育てて使いものになるようにしろ。最低限、俺たちの足手まといにならない程度まで。


 劫は淡々と告げた。いつもの柔和な笑みを消して、三日月のような鋭い眼で。


「……僕がトコシエを作るんですか」

「そうだ。

 いや、な? おまえが俺を大好きなのはよーっくわかってる。けど、たぶん世間的には俺みたいなおっさんより、おまえが勧誘したほうが成功率が高いんだよ。だからその可愛い顔でそのへんのJKを口説き落としてこい」

「は、……え、あの……じぇい……何ですって?」

「女子高生。十五から十八くらいまでの、学校に通ってる女の子。あ、なるべく美形で頼むわ。千代の好きなヒラヒラお嬢様系が似合う顔立ちの……」

「……。暗にお嬢様の身代わりを用意しようとなさっていますね、劫様」

「うん」


 表情はまだ真剣そのものだったが、口調はいつもの劫だった。


 お嬢様、というのは彼ら夫婦が育てた少女のことだ。敵対する忍者組織・刻衆に奪われた彼女を取り戻すことが劫の、というより妻の千代の悲願であり、そのためにこうしてあれこれ策を練っていた。

 目下、最大の壁は刻衆最高戦力である頓子。このたび久遠の脇腹を粉砕した女傑である。

 数こそこちらに勝る刻衆も、ただの人間であるがゆえ歳を取る。それが唯一の弱点であり、頓子が如何に強かろうと、加齢によって身体能力は着実に最盛期よりも衰えているはず……と劫は考えていた。


 そこで王には誤算が一つあった。刻衆の科学部隊、鳥渡(とわたり)の存在だ。

 人間は腕が落ちても、技術による補助がある。久遠の負傷を見るかぎり、ここ数年で武器の性能は飛躍的に向上したようだし、身体能力を底上げする薬品や訓練器具なども開発されていることだろう。

 引き換え、劫たち〈非時(トキジク)〉は不死の肉体にあぐらをかいて歩みを止めていた。自分たちの長命がもたらす経験値は絶対に越えられないとたかを括っていたのだ。


 ……というと怠けていたように聞こえるが、そもそも〈非時〉は刻衆と違って、戦闘や敵の打倒殲滅のために結成された組織ではない。

 三人とも一度は死んでいる。いずれも無価値な人生や非業の死だった。擬似蘇生忍術によって救われたのだ。

 第二の人生を謳歌するために、それを邪魔する刻衆から互いを守り合うために肩を寄せ合って()()()いる。だから必要以上に強くなろうとはしてこなかっただけだ。けれど、それももう限界が来ている。

 このままでは奪われた娘を取り返すどころか、逆にこちらが全滅しかねない。


「千代には悪いと思ってるよ。だからあくまで保険だし、あいつには言うな。それに人手不足なのも本当だしな」

「かしこまりました。しかし……」

「なんだ?」

「いえ、その……そういうことであれば尚のこと、劫様がお作りになったほうがよろしいのではありませんか」

「いや千代が妬くだろ」

「……なぜです? 文字どおり永遠の愛を誓われて、もう二百年も連れ添っておいでなのに」

「はっはっは。おまえは女心ってヤツがわかってないな~」


 久遠は瞬きをした。たしかに百余年生きてきて、恋人を作ったことは一度もない。異性を強く求めるような感情を抱いたことがないからだ。別に、男が好きなわけでもないが。

 それに劫たちに拾われる前の暮らしでは、愛など学びようもなかった。


 少し考え込んでいる久遠の頭をまたくしゃくしゃと撫でてから、劫は椅子から立った。


「じゃあ、よく休んでしっかり食って、とっとと怪我を直せよ。次の仕事がつかえてんだからな」

「はい。……あの、劫様」

「今度はなんだよ?」

「もし僕がまた仕損じることがあったら、そのときは、遠慮なく罵ってくださいませんか」


 静かな声だったが、それは懇願だ。この部屋には鏡がないから、自分が今どんな顔をしているのかは、久遠自身にはわからない。

 ただ屍の王はそれを見てへらりと笑い、


「――断る。千代のお気に入りを泣かせたりしたらあとが怖いからな」


 冗談めかしてそう告げると、静かに扉を閉めた。



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